第20話

「ん……」


 日の光を感じて目を覚ますと、目の前にアーデルヘルムの顔がある。だがいつもより近い。


 目線を下げていくと、そこにはいつもはない肌色があって、昨夜の出来事が一気に蘇って寝起きの頭が覚醒する。


 そうだ。昨日はやっとアーデルヘルムと一緒になれたのだ。


 初めてだから痛がる私をアーデルヘルムはゆっくりと時間をかけて愛してくれた。慣れた手つきにちょっと嫉妬心が芽生えたけど、愛を囁いてくれる彼の声に溶けて消えてしまった。


 そして心も体もドロドロにされて、最後のほうがよく覚えてない。唯一覚えてるのは、額に汗を浮かべ眉間に皺を寄せながら私を求めてきてくれる愛おしい人の顔。


「~~~!!」


 あまりにもその光景が恥ずかしくて枕に顔を埋めて悶えていると、隣でまだ眠る彼が身動きして慌てて自分の口を塞ぐ。


 カーテンの隙間から差し込む太陽の光に、そろそろソフィーが起こしにくるかもしれない。彼女に事後の光景を見られるのはとてつもなく恥ずかしい。


 とりあえず服を着なくては。


 彼に脱がされてベッドの下に落とされた自分の服を手探りで探していると、いきなり腕を掴まれ掴まれてグイッと後ろに引っ張られた。


 小さく悲鳴を上げてそのまま背中から倒れる。


「おはようございます、ヴェロニカ様」


 耳元で聞こえた寝起き特有の掠れた低い声と、アーデルヘルムの胸に倒れたのだろう直接触れる肌の感触に思わず狼狽える。


「お、おはよう……」

「身体、大丈夫ですか」


 昨夜のことを聞かれているのだと分かり、あまりの羞恥にボンッと頭から煙が出たのではないだろうか。だって顔も耳と熱い。


「だ、だい、じょうぶ……」

「良かった」


 安心した声とともにチュッと後頭部に柔らかいものが触れた。キスされた瞬間、頭がオーバーヒートする。勘弁してほしい。なんだこの甘々な朝は。


 そう、朝なのだ。そろそろベッドから抜け出さないとソフィーがやってきてしまう。


「そ、そろそろ朝食の時間だからアーデルヘルムも準備して……」

「アーデル」

「え?」

「アーデルです」

「あ……あ、アーデル……」

「はい」


 嬉しそうにアーデルは笑う。可愛すぎる。昨日の獣のような目をしていた男と同一人物なのだろうか。もう頭がパンクしてクラクラする。


 とりあえず落ち着こうと息を吐いて、あることに気づく。


「そういうアーデルだって未だに様付けじゃない」

「もうこれは癖みたいなものなので」

「何それ……」


 もういいやとベッドの下の自分の寝間着を手に取り着てベッドから降りる。


「とりあえずお風呂で汗流さないと」

「一緒に入ります?」

「!? 馬鹿っ!」


 とんでもないことを言われてアーデルヘルムの頭を叩く。昨日まで自制をしていたとは思えない男の発言に、朝から動揺されっぱなしだ。


 ソフィーを呼んで浴室に向かい服を脱がしてもらっていたのだけど、ソフィーが「あらあら」と笑う。


 何? と聞くと「良かったですね」としか言わず入浴の準備をしだす。何なんだ、と鏡に自分の体を見下ろして驚愕する。


 なぜなら、自分の体にたくさんの赤い花が咲いていたからだ。初心な私でも知っているそれはキスマーク。


 もちろん付けた相手が誰かなど分かりきっている。私はお風呂に入る前から茹でタコになっていた。



 それから食卓で一緒に朝食を食べて、騎士団に向かうアーデルヘルムを見送りに出る。


 本来なら馬車を用意するのだが、自分で走ったほうが早いと馬を用意している。


 任務でも使っているという馬は飼い主に似て凛々しく、馬界でもイケメンの部類に入るのではないだろうか。


「では行って参ります。今日もいつもの時間に戻りますので」

「分かったわ。行ってらっしゃい」


 馬に乗り颯爽と駆けていく夫を見送り、私は男爵夫人としての仕事をこなすべく私室へと向かった。




 屋敷の管理やらなんやらと、アーデルヘルムの手が回らず放置されていた仕事に一区切りついた時にはちょうど良い時間になっていた。


 どうせならと仕事を終えたアーデルヘルムの為にクッキーを焼くことにした。ソフィーに手伝ってもらいながらキッチンにいると、侍女がやってきてアーデルヘルムが戻ったことを教えてくれる。


 私はエプロンを脱いで慌てて玄関へと向かった。


「お帰りなさい」

「ただいま戻りました……なんだか甘い匂いがしますね」

「今ソフィーと一緒にクッキーを作っていたの。後で一緒に……」


 すぐに匂いに気づいたアーデルヘルムに後で一緒に食べようと言おうとしたその時、アーデルヘルムは私の首元を顔を近づけて嗅いできた。


 ビクリと体を震わす私を他所にアーデルヘルムは何度も鼻を鳴らしてきてくすぐったい。そして鼻から耳に顔を移動させ、


「……甘くて美味しそうで、今すぐにでも食べてしまいたい」


 耳元で甘く囁かれた低い声にゾクリとする。アーデルヘルムの言葉の意図に気づいた私は首まで真っ赤になり、固まる私の様子にアーデルヘルムは楽しそうに笑う。


 すると後ろに控えていたソフィーが「ごほん」とわざとらしい咳払いが聞こえた。


「お楽しみのなか申し訳ありませんが、まだクッキーは焼けておりませんので先にお夕食をお願いしますね」

「ああ、そうなのか。それじゃあ後で頂こう。ねえ、ヴェロニカ様」


 目の前には私の反応を楽しむアーデルヘルム、後ろにはソフィーと、どちらの顔も見れない私は顔を手で覆って唸った。




 それから夕食と入浴を済ませ、綺麗に焼けたクッキーのお皿を手に寝室へと入ると、すでにベッドに腰かけていたアーデルヘルムは私へと手を差し伸べる。


 頬が赤くなるのを感じながらゆっくりと近づくと、彼は私の持つお皿をサイドテーブルの上に置いてもう片方の手で私の腰を抱く。


「ーーヴェロニカ」


 私を呼ぶ彼の声は砂糖よりも甘く、私はアーデルヘルムの肩に手を置き、頬の添えられた手に引き寄せられて優しく唇を塞がれた。


 クッキーがなくても甘い夜になりそうだ。

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