第12話

 レオドール殿下とヴェロニカ様が自分のことで喧嘩した翌日。


 書類のことでエミリオ殿下にお会いした時に、ヴェロニカ様は自分が初恋なのだと聞かされ。

 


 その時から自分の心臓がおかしくなり始めた。



 ヴェロニカ様に想いを寄せられていたのだと知ってからどんな顔をして彼女に会えば良いのか、と頭を悩ませていたが、当の本人はそんなことは知らないので、デートに行こうと強引に約束をさせられた。


 当日迎えに行けば普段とは違う装いのヴェロニカ様があまりにも綺麗で目を奪われた。


 率直に見惚れたと褒めると、ヴェロニカ様はすごく嬉しそうに頬を緩ませ、その愛らしさにまた見惚れてしまった。


 宝石店に着いたものの、装飾品には無頓着に生きてきたので何が良いのか全く分からない。


 とりあえずヴェロニカ様が聞いて来た時だけ似合うと褒めようと少し離れてその後ろ姿を眺める。


 ヴェロニカ様も理解しているのか一人で宝石を選んでいる。するとピタリと目が止まり、釘付けになっているようだった。


 店主がショーケースから取り出した宝石は可愛らしいピンクの宝石で、それを見た時素直に彼女に似合うと思った。


 ただ、その宝石を見つめる彼女の瞳が愛おしいものを見るような眼差しに気づいた瞬間、胸の中でドス黒いものがドロリと溢れた。


 『その瞳で俺だけを見てくれ』『他のものは見ないでくれ』と嫉妬心が頭を支配する。


 思わず舞踏会に着ていくドレスを選ばせてくれないか、なんて柄にもないことを言ってしまったことに自分で自分に驚いた。彼女も同じことを思ったのか目を丸くして驚いている。


 店主に促されてヴェロニカ様は承諾してくれて、後日また来ると店を後にした。




 休暇の日、一人店に行くと店主は待ってました!と言わんばかりに満面の笑みで出迎えてくれて少し引いてしまった。


「先にヴェロニカ様にお似合いになる色のドレスを見繕っておきました」


 さすがだ。俺が無頓着なことを見抜いている。


 だがせっかく用意してくれたドレスを見ても違いがよく分からない。たぶん女性陣にタキシードを見せても同じことを思うだろう。


 うーん、と唸って並べられたドレスを見ていると、ふとあるドレスが目に入った。デザインではなく、色に。


 緑色のドレスは彼女の瞳を思わせた。これを着た彼女を見てみたい。


「すみません、これを」

「あらまぁ」


 選んだドレスを見て店主は嬉しそうに笑っているから首を傾げる。


「いえね、お互いにお互いの瞳の色を選ぶなんて仲がよろしいのねと思いまして」

「え!? 、〜〜〜っ!」


 そんなつもりはなかったから、動揺して後ずさると壁に頭をぶつけてしまった。


「あらあら、大丈夫ですか? ごめんなさいね」

「い、いえ……大丈夫です……」


 とりあえずこれをお願いします、と王宮に届けてもらう。手続きを待っている間、もしかしたらこういう時何か他に贈り物をしたほうが良いのだろうかと頭をよぎる。


 全く思いつかないので店主に聞いてみたところ、花はどうかと言われた。確かに花が無難か。


 お礼を言って近くの花屋に行き一通り見ていると、ピンクの花が目に入った。


『お互いにお互いの瞳の色を選ぶなんて仲がよろしいのね』


 先ほどの店主の言葉に頬に熱が集まる。


 別に俺はそういうつもりでドレスを選んだつもりはない。ヴェロニカ様だって単に気に入った色が俺の瞳の色と同じだっただけでーー。


「…………」

「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか」


 口元に手を当てて考え込んでいると、奥から男の店主が現れた。


 婚約者に贈り物をしたいと言うと、女性は花束が喜ばれますよとオススメしてきた。


 特にピンク色は人気なんです、と先ほど見ていた花を指差したので「じゃあピンクをメインの花束を王宮まで」と言うと店主は驚いた顔をして深々と頭を下げた。


 そりゃお城なんて平民からしたら関わりのないところだ。つい数年前までは俺だってそうだった。


 爵位を授かって殿下たちの指南役になって、気づいたらお姫様の婚約者だ。随分遠くまできたものだ。顔を上げると大きな城が目に入る。


 彼女は今どう過ごしているのだろうか。彼女に会いたいくてしょうがない。




◇◇◇




 彼女のドレス姿に息を呑んだ。


 俺が送ったドレスに合わせたネックレス、ティアラを身につけた彼女は、控え室の椅子に座る俺を見て美しく微笑む。


 その時、耳元で揺れたピンク色の宝石のイヤリングが彼女の魅力を引き立てていた。


 兄殿下たちの後ろを一生懸命付いてきている時から彼女を見てきた。


 ずっと子供だと思っていたのに。いつの間にこんな大人の女性になっていたのかと驚かされ、そしてこの女性が自分の伴侶になるのだと周りに自慢したい気持ちになった。


 まぁ、今からするのだが。



 貴族たちの前で盛大に婚約を発表し、国王両陛下に挨拶をすると殿下方に絡まれた。


 特にレオドール殿下に。婚約者が家族に愛されているのは良いことだが、いい加減妹離れしてほしい。


 男性陣、女性陣で話していると演奏の曲が変わったことに気づき、殿下方がパートナーとホールの中央に移動していくので俺もヴェロニカ様の手を取る。


 王族としての教養を受けていた彼女のダンスはまさにお手本のように美しかった。


 背筋は真っ直ぐ伸び、一つ一つの所作が綺麗で、周りの貴族たち、特に男が見惚れているほどだ。


 対して俺はダンスなど片手で足りるほどしか踊ったことがない。貴族になった時に一応基本は教えてもらったがお粗末なリードで情けない。


 そんなリードにも彼女はついてきてくれて俺も上手く踊れているような錯覚に陥る。


 じっと見つめていると視線に気づいた彼女は安心させようと思ったのか翠眼の瞳を細めて微笑み、逆に心臓が落ち着かなくて彼女に聞こえているのではないかと心配になった。



 曲が終われば「アーデルヘルム様!わたくしと踊ってください」「わたくしとも!」と数人のご令嬢に囲まれてしまった。


 ヴェロニカ様に助け舟を求めても彼女はにこりと笑って「ごゆっくり」と壁のほうに行ってしまった。


 えー、と呆然となり「ゔぇ、ヴェロニカ様」と慌てて呼んでも無視をされ、一人になったタイミングで男が話しかけてきているのが見えてドス黒いものが心の奥底から沸いてきた。


「アーデルヘルム様?」

「……あ、すみません」


 止まっている俺を見てご令嬢が心配してくれてくれた。要らぬ心配をかけてしまったので、その手を取ってダンスを踊る。


 意識はヴェロニカ様に。どうも上手くかわしているようで安心した。きっと殿下たちに仕込まれたのだろう。


 二人目と踊り終え、待機している令嬢たちにキリがないなと断りを入れてヴェロニカ様を探すと、バルコニーに美しい金髪と緑のドレスを見つけた。


 喉が乾いたのでウェイトレスからシャンパンの入ったグラスを受け取って一気に飲み干し、また新しいのを貰いバルコニーに向かう。


「ヴェロニカ様」


 名前を呼ぶと彼女は俺の姿を見ていつものように愛らしく笑う。先ほどまで向けられていた令嬢たちより遥かに可愛らしい。


「あら。もうお誘いはいいの?」

「二回踊ればいいと思いまして。私はヴェロニカ様の婚約者ですから、大事な婚約者を放ってはおけません」


 変な男が近づいていたら何をしてしまうか分からない。素直に言うと、ヴェロニカ様は「そう……」と頬が緩むのを我慢しているような何とも言えない表情をしていた。


 可愛いらしい。


 そう、彼女は可愛いんだ。それは他の男も知っている。俺のものなのに……。


 また黒いものが頭を支配して、酒に酔っていたことで余計なことを口にしてしまった。


「ーーヴェロニカ様も他の男性に話しかけられてましたよね」


 え?、とこちらを向けられる瞳が見れそうになくて残り少ないシャンパンが入ったグラスを揺らす。


「あれはただの王族とお近づきになりたいだけの奴よ。あしらい方は兄様たちに教えられてるから何もないわよ」

「そうでしょうか……」


 彼女がそういうならそうなのだろう。


 生まれてからずっと好奇な目線に晒されていると相手がどういう意図で近づいてきたのか分かるのだと、前にエミリオ殿下から聞いたことが分かる。


 だが近づいてきた数人は明らかに好意を寄せていた。


「あの中に好意を寄せてきた男もいたんじゃないですか」

「……はぁ?」


 何を言っているんだと、と不快な顔をしている。


 ヴェロニカ様は自分の魅力を分かっていない。彼女はまるで蝶だ。余計な虫を引き寄せてしまう。


 無自覚だからこんなにも腹が立つのだろう。苛立ちから炭酸の抜けたシャンパンを煽る。


「そんなわけないじゃない」

「分からないじゃないですか。今日のヴェロニカ様はいつもより素敵なんですから」

「……え」


 ヴェロニカ様は目を丸くしてこちらを凝視してくる。何かおかしなことでも言っただろうか。「本当に?」と聞いてきたので素直に頷く。


「はい。俺が贈ったドレス、すごく似合ってます。ヴェロニカ様の瞳ととても合ってます。ただ……」

「ただ?」

「俺のドレスが他の男の目に晒されていると思うと歯がゆいです」

「!?」


 ヴェロニカ様はまた驚いて半歩後ずさる。


 頭がふわふわしてきて、自分が何を喋っているのか曖昧になってきた。しかし、本当に彼女のドレス姿は美しい。これを自分が選んだのだと思うと誇らしいのだが……。


「俺のものだと周りに分からせるために選んだのに、逆にヴェロニカ様の魅力を上げてしまった。それに……」

「……それに?」

「……いえ」


 顔を動かすたびに揺れるイヤリングに目が行く。


 店主は俺の瞳の色だから選んだと言っていたが本当なのだろうか。今なら聞けそうな気もするが、一歩踏み出す勇気がない。


「とにかく、そのドレスはもう着ないでください」

「え、せっかく素敵なドレスなのに……」


 ヴェロニカ様は嫌だと口を尖らせて不満を露わにする。その表情に胸が変な音を立てた。しかし心を鬼にする。


「俺と2人きりの時だけにしてください」

「……わかったわよ」


 まだ不満そうにしていたがその横顔は何故か嬉しそうで、また心臓が聞いたことのない音を立てた。


 お酒の飲み過ぎかもしれないと思っていると、タイミングよく通ったウェイトレスからヴェロニカ様が水を取ってくれ渡してくれる。


 ありがたく貰い、煽って一息吐く。熱った熱が下がっていくのが分かる。やはり酔っていたようだ。


「アーデルヘルム」


 ヴェロニカ様に引っ張られ、弱い力なのに油断してたこともありよろけてしまう。


 倒れないように踏ん張ると同時に頬に柔らかいものが触れた。それが離れた時、「あ、付いちゃった」と指で拭かれた。


 今のはつまり……


 触れたものの正体を遅れて理解してせっかく冷めた熱がまた上がる。


 「私はあなたのものなんだから」とヴェロニカ様の言葉を聞いた耳まで熱くなる。


 ヴェロニカ様は満足そうにホールに戻っていこうとするので慌ててその背中を追いかけた。




◇◇◇




 後になってとんでもないことをしてしまったと後悔する。


 舞踏会から数日後の約束の日、いつものようにヴェロニカ様に会いに行くとエミリオ殿下の手伝いで書庫室にいると侍女のソフィーに教えてもらった。


 彼女にお礼を言って王宮から書庫室へと歩く。あの日から久しぶりに彼女に会える。気づいたら心が浮き立ち、心なしか足早になっている。


 そんな浮かれていた気持ちが地の底まで落とされた。


 書庫室のドアを開けると、目の前には婚約者が見知らぬ男に抱き上げられていたからだ。


ーーは?


 何とかそれは口から出なかったことを褒められてもいい。気づいていない彼女は男と楽しそうに笑いあい、デートの約束までしているではないか。


 心の穴から黒いものが溢れ出して俺を黒く染めていっているような感覚になる。


 呆然としているとエミリオ殿下がこちらに気づいてヴェロニカ様に声をかけると、ヴェロニカ様は俺の姿を見て嬉しそうに駆け寄ってくる。


 ほっとしたものの、男も来て彼女の隣に立つ。その近しい距離に奥歯を噛み締めた。


 彼女の紹介で彼は親戚なのだと教えてもらい、ほっとする。しかし彼の愛おしいものを見るような眼差しに気づいてしまった。


ーーあぁ、もうダメだ。


 俺の異変に気付いたのか、ヴェロニカ様は彼に断りを入れて一緒に書庫室を出て私室に向かう。


 久しぶりに彼に会えたらしく、気分が高揚している彼女は俺の表情には気づいていないようだった。



「……え? あ、アーデルヘルム……?」


 部屋に入るなり後ろから抱きしめると彼女の動揺した声と早い鼓動が聞こえる。今までこういうことをしたことないのだから当然だとだろう。


 現に俺も自分に驚いている。ただ離したくなくて更に抱きしめると彼女の体が硬くなった。


 もう、離したくない。だから思わず「屋敷に泊まりに来ませんか」などと結婚前にも関わらずそんなことを言ってしまったのだ。


 もちろんヴェロニカ様も驚いていたが、王妃様の許可を貰えたら良いと言ったので心が浮き立つ。


 王妃様のところに向かったヴェロニカ様を見送り、窓辺に立って大きくため息を吐いた。


 俺はとんでもないことを言ってしまったのではないか。陛下と殿下に知られたら殺されるのではないか?


 自分の身を案じたが、どうしてもヴェロニカ様を離したくなかった。


 彼女を他の男に近づけたくなかった。鈍い俺でもこれがどういう気持ちか知っている。


「嫉妬、か……」


 俺は失笑して彼女が早く戻ってくるのを落ち着かず待っていた。



 それから王妃様から許可が出たと戻ってきたヴェロニカ様は目を逸らして教えてくれだ。その可愛らしさに思わず手が出そうになり、馬車の準備をしてくると部屋を出る。


 これから明日まで過ごすというのに大丈夫なのだろうかと心配になりながら、エントランスホールで執事長に馬車の準備をお願いしていると後ろから声をかけられた。


「シュタインベック卿」

「……王妃様」


 彼女がここに現れた意味はすぐに分かり頭を下げる。


 まだ婚約の身でありながらお泊まりをさせるのだ。来るであろうお叱りの言葉に身構えていたのだが、聞こえてきたのは全くの正反対だった。


「避妊はしっかりとね?」

「………………はい?」


 なんと言ったこの母親は。


 王妃は口元を扇で隠してニコニコ笑っている。


「まだ貴方達は婚約の身でしょう? そんな中であの子が妊娠したら大騒ぎになる上、陛下と息子たちが貴方の首を落としかねないもの」


 恐ろしいことを言わないでいただきたい。本当にそうなりそうだから。


「王妃様……私はそんなつもりでは」

「……貴方、まさかもうその歳で不能なの? 困ったわ、娘の子供を抱けないだなんて」

「王妃様!」


 無礼になるが一旦黙って欲しい。


 完全に俺を楽しんでいる。ここには執事長と侍女頭がいるのだ。アウェーの空間に居た堪れない。


 ふふふ、と楽しそうに王妃に頭を抱えているとヴェロニカ様がやってきて、足早に馬車に乗り込んだ。





 自分の屋敷に着いて彼女を送り届け、一緒に庭園を見て夕食を食べて、あとは寝るだけの時間。


 最後に彼女の顔を見たいと部屋を訪れ、初めてみる寝巻き姿にギクリとする。王妃様の言葉が脳裏に浮かんだからだ。


 ヴェロニカ様もソワソワしていてお互いに落ち着かない。


ーーこれはまずいな。


 挨拶もそこそこに部屋を出ようとしたらクンッと引っ張られた。振り向けば顔を真っ赤にしたヴェロニカ様は震える唇で「朝まで一緒にいてほしい」と言ったのだ。


 頭の中に邪なことが浮かんで体の熱が上がったが、陛下と殿下たちの鬼のような形相の顔が浮かんで熱が下がっていく。まだ頭と体は繋がっていてほしい。



 同じベッドで寝ることになり、広いから大丈夫かと思っていたのに彼女はピッタリくっ付いて気持ちよさそうに寝息を立てている。


 しかも寝落ちる前に「落ち着く」と安心した声で言ったのだ。こっちは全く落ち着かないというのに。


 同じシャンプーの匂いの中に彼女の匂いなのか花のような甘い匂いもする。

 

 しかもくっ付いているから体の柔らかい感触が腕に当たり、煩悩を取り払うように唸る。


「はぁ……」


 今夜は眠れそうにない。

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