第11話

「今夜、私の屋敷に泊まりに来ませんか」


 アーデルヘルムの唐突のお誘いに頭がパニックになった。


いつもと様子がおかしいとは思ってはいたけど。え、なんで急に?


頭の中はグルグルして、更に抱きしめられて心臓はバクバク破裂しそうで、体が混乱しているのが分かる。


 とりあえず何か言わないと。そう思って私の口から出た言葉は「お母様の許可を頂けたら……」だった。


 アーデルヘルムは「勿論」と言い、付いて行こうかと言われたが断って一人王妃の私室の部屋の前で立ち尽くしていた。


早まる動悸を抑えながら部屋をノックすると母の声が返ってくる。


 ドアノブを回して部屋に入ると、お気に入りの椅子に座り優雅に紅茶を飲みながら本を読んでいる母がこちらに微笑む。


「どうかしましたか?」

「えっと、その……」


 婚約者の家に泊まってきてもいいかなんて、親に言わないといけないと思ったら羞恥で喉がカラカラになってきた。


お互い成人してるとはいえまだ嫁入り前だし。いや、そういうことをしにいくわけではないし……ないよね?


 顔を真っ赤にしている私に母は訝しむ顔をしている。私は意を決して唾を飲み込みカラカラの喉を潤す。


「あの……今日アーデルヘルムのお屋敷にお泊まりしてきてもよろしいでしょうか?」

「……今日? ずいぶん急ですね」

「私もついさっき言われて驚いてます……」


 母の気持ちもよく分かる。私も混乱しているのだから。ようやく顔を真っ赤にしている理由が分かったのか、母は「ふむ」と私の顔を見て何やら納得したような声を出した。


「分かりました。陛下には私から言っておきます」

「あ、ありがとうございます!」

「ただし」

「ただし?」


 首を傾げる私を見て母は意地の悪い笑みを浮かべた。


「婚約をしたとはいえ嫁入り前なのですからちゃんと避妊はしてもらいなさいね」

「!? お、お母様!!」


 なんてことを言い出すのだ。クスクス笑う母を真っ赤な顔で怒り、「失礼します!」と部屋を飛び出した。


「お母様ったら避妊だなんて……アーデルヘルムがそんなことするわけないじゃない。キスだってまだなのに……」


 いや、自分だってもしかして?とは思った。子を成すための性教育は教育係から教えられていたから何をするのかはちゃんと分かっている。


具体的なことは知らないけど。「殿方に身を任せればいいのです」と最後らへんは濁された。


 でも私たちはまだキスもしてないのだ。舞踏会の夜に頬にキスはしたけど。私から強引に。


私だって年頃だからキスぐらいはしたいと思うけど、アーデルヘルムからはそういう雰囲気は感じたことがない。


 私のことを考えてくれているとは分かっているけど、女として自信がなくなる。


 どうせ何もないもの、とぶつぶつ呟きながら自分の部屋に戻ると、窓辺に立っていたアーデルヘルムがこちらを振り返る。


その顔を見た瞬間、母の言葉が脳裏に浮かんで心臓が早鐘を打つ。


「ヴェロニカ様。王妃様から許可はいただけましたか」

「え、ええ。お母様からお父様に言ってもらえるって……」

「そうですか、良かった。では、私は馬車の準備をしてきますので用意をお願いできますか」

「ええ、分かったわ……」

「では後ほど」


 頭を下げて部屋を出ていったアーデルヘルムと入れ違いでソフィーと数人のメイドが入ってきて代わりに準備をしてくれる。


ソフィーに「姫様、ドレスはどうされますか?」と聞かれて慌てて支度部屋に向かった。



 支度を終えてエントランスホールに向かうとアーデルヘルムが母と話していた。


「アーデルヘルム、待たせてしまってごめんなさい」

「いえ。ちょうど馬車が来たところです」


 行きましょうか、とアーデルヘルムが自然と手を差し出してきたのでその手を取る。


「では王妃様。王女様をお預かりいたします」

「ええ、道中気をつけてね。信じてますよ」

「はい」


 母は何を信じているのだろうか。首を傾げる私に母は顔を向けて「お土産話楽しみにしていますね」とにこりと微笑んだ。この顔はイジる気満々だ。


苦笑して「行って参ります」とだけ言っておいた。


 アーデルヘルムのエスコートで馬車に乗り込み、見送りに出てくれた母とソフィー達に手を振ると馬車が走り出した。


 うちからアーデルヘルムの屋敷はそこまで離れていないらしい。私たちは手を繋いだまま隣同士に座ってお互い無言だった。


母との会話を思い出して何を話したらいいのか分からなかったのと、アーデルヘルムがずっと窓の外を見ていたからだ。


 普通なら気まずい雰囲気が流れるだろうが、アーデルヘルムの温かい手が強く握ってくれていたから喋らなくても充分心が満たされていた。


 暫く走った馬車が止まり、一旦手を離して降りたアーデルヘルムのエスコートで降り、今度は腕を差し出されたので手を添える。


屋敷の入り口には初老の執事と数人のメイドが出迎えてくれていた。一歩前に出た執事が頭を下げる。


「お帰りなさいませ旦那様。ようこそいらっしゃいました王女殿下」

「ああ。頼んでいたことは終わっているか」

「勿論でございます」


 執事が後ろに目くらばせすると一人のメイドが前に出る。


「王女殿下、お部屋に案内させていただきます」

「ええ、お世話になるわ」


 私の荷物を業者から受け取ったメイドは屋敷の中に入って行くので着いて行く。後ろを振り返るとアーデルヘルムは微笑んで手を振ってくれた。


 部屋に案内され、メイドが出ていった後に荷解きを済ませる。一通り済んでベッドに腰掛けて休んでいると部屋着に着替えたアーデルヘルムが部屋にやってきた。「隣に座っても?」と聞かれたので、どうぞと手で促す。


「何かご不便なことはありませんか?」

「いえ、大丈夫よ」

「それは良かった。遠慮せず何かあったら言ってくださいね。近い将来ここがあなたの家になるんですから」

「! そ、そうよね……」


 一気に結婚を自覚して顔に熱が集まるのが分かった。顔を見られたくなくて手で覆い隠すと、隣から小さく笑う声が聞こえてベッドが弾む。


「ヴェロニカ様」と呼ばれて指の隙間から見ると立ち上がったアーデルヘルムがこちらに手を差し出していた。


「小さいですが庭に花が植えてあるんです。良ければ見に行きませんか」

「え、えぇ!」



 手を繋いで中庭へと続くドアをアーデルヘルムが開けると、そこには色とりどりの花が私たちを出迎えてくれた。


 庭の真ん中には白いベンチが置いてあり、そこに二人で並んで座る。前も横も後ろも花に囲まれていて、花畑の中にいるみたいだった。


「すごい。すごく手入れされていてとても素敵」

「良かった……王宮に比べたら見劣りしてしまうので心配してたんです」

「そんなことないわ! 確かに王宮のは煌びやかだけど、私はこっちの方が落ち着いて好きよ。この白いベンチで編み物したらすごく幸せだわ」

「……では、次は色んな毛糸を用意しておきます」

「あ、ありがとう……」


 何となくで言った言葉だったが、『次』と言われてこのベンチに今と同じように並んで座って毛糸を編んでいる私を一瞬で想像してニヤけてしまう。


 そして私たちの間にどっちにも似た子供とか居たら……そんなことを考えてしまって、あまりの恥ずかしさにブンブンと頭を横に振っているとアーデルヘルムに心配されてしまった。




 そのあとは食事の準備が出来たと執事が呼びにきてくれて美味しい晩餐を二人で楽しみ、メイド達にお風呂に入れてもらってベッドの上で寛いでいた。


 ふわ、と欠伸が出てそろそろ寝ようかなと思っているとドアが小さくノックが聞こえた。返事をすると遠慮がちにアーデルヘルムが入ってきて、一気に緊張感が増す。


「すみません、夜分に」

「だ、大丈夫よ」


 すっかり忘れていた母の言葉が蘇ってきてぎこちなくなってしまった。


チラッと盗み見ると、アーデルヘルムも風呂上がりなのか寝巻き姿に肩にタオルをかけていて、どうして見てしまったのかと早くなる心臓に後悔する。


「ヴェロニカ様? どうかなさいましたか」

「っ!」


 胸を押さえているからアーデルヘルムが心配そうに顔を覗き込んでくる。髪が濡れて降りていて、何だが知らない男の人に見えて思わずベッドの上で後ろに下がってしまった。


 無意識の行動に、やってしまったとアーデルヘルムの顔見ると、傷ついたような顔をしていて私の心臓もさっきとは違う痛みが走る。


アーデルヘルムが私から距離を取って顔を背ける。


「……すみません。もうお暇しますのでゆっくり休んでーー」


 去ろうとするアーデルヘルムの服を慌てて掴んで引っ張ると、アーデルヘルムは驚いたように目を丸くして肩越しにこちらを見てくる。


「……ヴェロニカ様?」

「あ、あの……朝まで一緒にいて、ほしい……」


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