第2話

「……姫様、本気ですか」

「私は本気よ!」



 ヴェロニカの婚約宣言の次の日。

 父からアーデルヘルムに手紙を送ってもらい、父と母、私で紅茶を飲んでいると部屋のドアをノックする音。父が「入れ」というと「失礼致します」とアーデルヘルムが深々と頭を下げて顔を上げる。その顔色は少し悪く、何かしでかしたのだろうかと思っているのだろう。


「シュタインベック卿、どうぞお座りになって」

「は。失礼致します」


 母の声がけにアーデルヘルムが両親の向かいの椅子に座ると控えていた侍女頭が湯気の立つ紅茶を目の前に置く。


「今日はわざわざ足を運んでもらってすまんな」

「いえ。とんでもございません。それでお話というのは……」

「うむ。実はな、貴公にはヴェロニカ王女と結婚してもらいたいのだ」


「……は?」


 アーデルヘルムの口からようやく出た言葉はそれだった。突然そんなことを言われれば誰しもがそうなるだろう。

 母が扇で笑う口元を隠しながら経緯を話すと、アーデルヘルムは頭を抱えて深々とため息を吐いた。そんなアーデルヘルムを見て面白そうに父と母は笑うが、私はそれどころではない。緊張でガチガチなのだ。


 そしてようやくこちらに目を向けたアーデルヘルムの冒頭の発言だ。私が本気だと伝えるとアーデルヘルムは頭を抱えて眉間に皺を寄せた。


「……陛下。不躾な発言をすることをお許し願えませんか」

「今はプライベートだからな。許そう」

「……では。私は陛下より男爵の位を授与していただき貴族の名は持っていますが元はただの平民です」

「あぁ、知っているとも」

「そんな男に大事な愛娘を渡すのはいかがなものでしょうか。それに私と王女殿下は十も離れております。こんな男よりも歳の近い上位貴族と結婚をした方が王女殿下の幸せではないかと──」



 バンッ!!



 テーブル叩くと思ったより大きな音がして手のひらがヒリヒリする。それにテーブルに乗せていたカップが倒れて紅茶が溢れてしまったものの、すぐに侍女頭が片付けてくれて新しい紅茶を淹れてくれる。さすがだ。


 言葉を遮られたアーデルヘルムだけではなく、父と母も驚いた様に目を丸くしてこちらを見ていた。

 私は立ち上がり、気圧されている婚約者となる男を見下ろす。


「アーデルヘルム。ずっと話を聞いていれば貴方、私が決めたことに文句でもあるの」

「……いえ、そのようなことは。しかし」

「しかしじゃないわよ! 私が貴方と結婚すると決めたの! 他の殿方と結婚する気はないわ! これは決定事項よ!」


 ビシッと扇をアーデルヘルムに向けて突き刺し、息荒く肩で息をする。こんな姿、教育係に見られたら失神されるだろう。アーデルヘルムはというとぽかんとした表情で固まっていた。


 異様な雰囲気に耐えきれなくなった父は大きく口を開けて笑い出す。


「はっはっは! 一本取られたな、アーデルヘルム!」

「ふふ。その様ですわね」

「陛下、王妃様……」


 情けない顔をするアーデルヘルムに、父はふっと笑う。


「なぁアーデルヘルム。ワシは娘に自由をあげたい」

「自由、ですか?」

「あぁ。どこの国も政治のために姫を他国に嫁がせるだろう。ワシもそれが当たり前だと思っていたから妃を娶った。しかし王妃になれば自由に動けず、母国に帰らせることすらもさせてやれんのだ。その時、ワシは愛するも者の自由を奪ってしまったのだとようやく理解をし、後悔した」

「陛下……」


 母は父の腕に手を添え愛おしそうに見つめる。良い話なのだが、両親のイチャイチャを見せつけられるのは勘弁してほしい。アーデルヘルムも目のやり場に困っているではないか。


「それになアーデルヘルム。ワシは、ワシは……」


 父は拳を握り、小さく体を震わせている。


「愛娘に会えなくなるのが嫌だ!!」


「は……」


 父の親バカ発言、いや、力説にアーデルヘルムはぽかんと惚けた顔をしている。プライベートの場だから許されるが、国の王がこんな発言をしてきたらそりゃ驚くだろう。

 そんなことはお構いなしに父は更に口を開く。


「お前も見て分かるだろう。ヴェロニカはすごく可愛い。王妃の若い頃にそっくりだ。将来は国一、いや世界一の美人になるに決まっている。そうだろ?」

「そう、ですね……」

「それに最上級の教育を受けておるから誰が見ても完璧な淑女に育った。婚約者はおらんかったが、婚約者話はいくつも舞い込んできた。まぁワシが全部握りつぶしたがな」

「お父様……」


 そんなこと初耳だ。兄共々親バカだとは思っていたがここまでとは。母を見ると扇で顔を隠してにこりと笑うので知っていたのだろう。


「どこぞの馬の骨にやるぐらいならヴェロニカの選んだ男に愛娘をくれてやる、というわけだ」

「というわけだと言われましても……」

「何だ。貴公は娘を幸せにしてやることもできんのか? 情けない」


 やれやれと首を横に振る父にアーデルヘルムは何も言えばいいのかわからず首の後ろを掻いている。自分が招いたこととはいえ可哀想に見えてきた。


「シュタインベック卿」


 今まで父の隣で笑っていただけだった母がアーデルヘルムを呼ぶ。


「突然のことで混乱していることはお察しするわ。それでわたくしからの提案なのだけれど、とりあえず婚約だけすれば良いのではないかしら」

「とりあえず、ですか?」

「ええ。赤の他人なのですもの。一緒にいてやはり合わないこともありますでしょう? その時は婚約破棄すればよろしいわ。いかがでしょう陛下」

「ふむ……」


 母の提案に父はちょび髭を撫でて太ももを思い切り叩いた。


「そうしたらいい! こちらから願い出ているのだから婚約した後は貴公の好きにすればいい。ヴェロニカもそれで良いな」

「はい」


 父と母が決めたことならこれ以上私が我儘を言えはしない。

 しかし貴族にとって婚約者破棄は屈辱だ。貴族の世界は広いようで狭い。破棄したとなればすぐに噂は広まり新しい婚約者を見つけることは難しい。それは爵位を引き継げない女にとって未来がない。修道院に入るか二十以上年の離れた男の後妻に入るしか道はないだろう。


 それに王女が元平民の下級貴族に捨てられたとなれば王家の威厳が落ちる。これを機に叛逆を考える家も出てきて内乱でも起これば、敵国からも攻められるだろう。そうすれば王国は終わる。


 そしてこれは王家からの直々の婚約話だ。男爵のアーデルヘルムが婚約破棄を申し出ることは不可能に近いだろう。

 アーデルヘルムもそのことを理解しているのか、太ももに手をついて暫く熟考して深々とため息を吐いて顔を上げた。それは覚悟を決めた男の顔だ。


「婚約に、同意いたします。不束者ですがよろしくお願いいたします。ヴェロニカ様」

「! こちらこそよろしくね、アーデルヘルム」


 アーデルヘルムは私のそばに跪き手を差し伸べてくるのでその手を取り満面の笑みになる。

 私の初恋が実った瞬間だった。


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