第33話 後悔しないために

 灰色の天井と壁に囲まれた小部屋で、タイクウは時雨しぐれとココと向かい合って座っていた。防音がしっかりと施された部屋は窓もなく、座っている椅子も硬くて冷たいパイプ椅子である。そしてタイクウの背後には、物々しい雰囲気の男性たちが控えていた。時計もないので、今が何時なのかも分からない。


「タイクウさん。本当に、よろしいんですね?」

「はい。もう決めました」

 時雨は眉を顰め、無感情な眼差しをこちらに注いでくる。彼の瞳の色で相棒ヒダカのことを思い出してしまい、タイクウの胸はズキズキと痛んだ。

「時雨さん。ごめんなさい。こんなことになってしまって。それと、お願いを聞いてくださってありがとうございます」

 時雨は眼鏡をそっと持ち上げると、軽くため息を吐いた。

「――だが、これ以上の温情はかけられない。何かあれば、その時は」

「分かってます。その時は遠慮なく。色々と片づけをすませたら、すぐに戻ってきますから」

 柔らかくいつも通りに、タイクウは笑った。膝の上に乗せた指先は酷く冷たい。やっぱり少し怖いのかもしれない。


「あ、少し待ってください」

 その時、ココが白衣のポケットから携帯端末を取り出した。通知のランプが点滅しているので、何かメッセージが入っていたのかもしれない。彼女は画面をタップし、困ったように眉を下げた。

「――ヒダカさんが目を覚まされたそうです。それで、その……タイクウさんに会わせろとスタッフに噛みついているようでして」

「何をやっているんだ」

 時雨が嫌そうに眉間に皺を寄せたので、こんな状況にも関わらず、タイクウは吹き出しそうになってしまった。


「処置は一通り終わって、容体は安定しています。このままでは興奮して、逆に傷口が開きそうで危ないと言うことでして、その――タイクウさん会いに行かれますか?」

 いざ、そうやって問われると、タイクウは言葉を詰まらせてしまう。

 正直、怖い。ヒダカは自分をどんな目で見てくるのだろうか。会って、どうしようとしているんだろうか。

 でも、ちゃんと話をして、ケジメをつけなければ。

 タイクウは目を閉じて深呼吸をすると、再び目蓋をゆっくりと持ち上げる。焦茶色の瞳には、強い光が宿っていた。






「何かあれば、すぐにそのボタンを押してください。少し離れた場所で待機してますから」

「ありがとうございます」

 タイクウが医療スタッフに案内されたのは、真ん中を透明なガラスで区切られた小部屋だった。壁にはマイクとスピーカーがついていて、分厚いガラス越しでも話ができるらしい。

 見張りの人はいないけど、あれに似てる。刑事ドラマとかで見た面会室だ。


 部屋をぐるりと見まわしてから、タイクウは真ん中に置かれた椅子に腰かける。

 しばらく待っていると、ガラスの向こう側にある扉が開き、セパレートタイプの病衣姿のヒダカが一人で現れた。扉の隙間から、車いすを持った看護師さんが慌てて走っているのが見えたので、歩いていくと言って看護師さんを困らせたのかもしれない。

 ヒダカの衣服の間から、体に撒かれた包帯が見える。頬にも大きなガーゼが当てられていた。

 彼は一度タイクウを見て大きく目を見開き、続けて部屋を見回し思い切り眉を顰める。


『――なんだよ、この部屋』

「ごめんね。僕がお願いしたんだ」

 やっぱり、彼と直接触れられる距離にいるのは怖いのだ。彼を傷つけた時の感触を思い出してしまう。

『なん、テメェ……! また馬鹿な事考えてんじゃねぇだろうな⁉』

 ヒダカが眉を吊り上げ、真ん中のガラスに近づいてくる。足取りや動きが若干ぎこちない。彼はガラスに近づくと、両手をそこへ勢いよく叩きつけた。


「馬鹿なことって、どんなこと? だって、ヒダカは見てたでしょう。僕がああなったところ」

 タイクウの口から出てきたのは、何故か酷く冷めたような言葉だった。ヒダカぐっと歯を食いしばったのが見える。力の抜けたような笑みを浮かべて、タイクウは座ったまま自分の両膝を見つめた。

『何が、ああなった、だ。ちょっとテメェの腕が当たったくらい、どうってこうねぇよ! それよりも』

「ヒダカ」

 感情を押し殺し、タイクウは噛みしめるようにヒダカの名を呼ぶ。大きく肩で息を吸って、真っ直ぐ彼の目を見上げて言った。


「もう、藍銅鉱アズライトは解散しよう」


 タイクウが放った言葉は、重い沈黙をつれてきた。しばらくして、ヒダカがゆっくりと頭を振る。

『なん――はぁ⁉ なんで、そうなんだよ⁉ 俺の怪我のことなら、こんなんたいしたこと』

「今回はですんだかもしれない! けど、違うんだ。そう言うことじゃないんだよ……っ」

 涙が滴となって瞳から零れ落ちた。堰を切った様に流れる涙を拭いもせず、タイクウは立ち上がってガラスに両手を押し当てる。


「あの時の僕は、ヒダカのことをただ『邪魔』だとしか思ってなかった。目の前の敵も、君のことも何もかも全部全部全部、邪魔でぐちゃぐちゃにしたいって――そう、本気で思ってたんだ。あの時の僕は、本物の、本当のになってたんだよ」

『化け物だぁ!? テメェはテメェだろうが! それに、言ったはずだ! 俺は運び屋を辞めるつもりはねぇってな!』

 ヒダカの怒鳴り声が、スピーカーからキンキンと響く。表情からヒダカが全力で叫んでいることは分かるのに、分厚いガラスはびくともしない。その現実味のなさが、タイクウを冷静にさせてくれた。

 深呼吸をして、静かな声でタイクウはヒダカに声をかける。


「ヒダカはさ、自分のせいで僕が化け物になったって、ずっと後悔してくれてたんでしょ? だから僕を人間に戻すために、ずっと方法を探してくれてたこと知ってるよ」

 一瞬、ヒダカが怯んだように言葉を飲み込んだのが分かった。


「けど、前にも言ったでしょ? 僕にとってはね『君が生きててくれた』こと。それだけが大事だったんだよ。だから、僕はこの体になってしまったこと、全然後悔なんかしてなかったんだ。僕に後悔があるとすれば、僕がこんな体になってしまったせいで、君が『自分のせいだ』って、責めて苦しんでしまっていることだけなんだ」


 タイクウが頭を動かすと、うなじでくくった髪の毛が胸の方へ垂れ下がってきた。

 そう。この願掛けだって、ヒダカがいつか後悔を断ち切ってくれますようにという願いを込めたものだったのだから。

 懇願するように、タイクウは額をガラスに擦りつける。


「もう良いんだよ、ヒダカ。もう自分を許してあげてよ。君も僕も生きててさ、二人で運び屋をやって空を飛んで、たくさんの人の想いを繋ぐことができた。この体にならないとできなかったことだよ。この体になれて良かったって思えるくらい、本当に幸せだったよ」

『だったら……だったらなんで解散するなんて言うんだよ⁉ それに許すとか許さねぇとか、なんでテメェに言われねぇといけねぇんだ!?』


「――どうして、どうして解ってくれないの!?」

 タイクウは拳に力を込めて、悲鳴を上げた。

「止めてよ! もう、良いんだよ! 僕のことは諦めて、仕方ないって割り切ってよ! そうじゃないと、僕は……っ」

 タイクウは自分を落ち着かせるように、細く長い息を吐く。


「聞いたんだよ。僕と同じように天空鬼スカイデーモンになってしまった人たちがいたってこと。その人たちは最後、全員正気を失って、たくさんの人の命を奪ってしまったんだって。僕だって、いつそうなってもおかしくない。そしたら僕は、今度こそ君を」

『テメェが俺を殺るなんてできるわけねぇだろ』

「――っ、ぁ」

 堪えきれずに、タイクウの口から嗚咽が漏れた。

 ヒダカの言葉は自分の力を過信したものではなく、タイクウを信じての言葉だと分かってしまったから。


 あんな姿を見たはずなのに、彼を酷く傷つけてしまったのに。当たり前のように告げられた言葉が、胸を強く打つほどに嬉しかった。


 ボロボロと零れた涙が、真っ白な床に灰色の染みを作っていく。

 腕で涙を乱暴にぬぐって、タイクウは顔を上げた。


「ありがとう、ヒダカ」

 僕は、絶対に後悔したくない。だから――君が信じてくれる「タイクウ」でいられるうちに。

「やっぱり君とは、ここでさよならだ」

 清々しいほど綺麗な笑みを浮かべ、タイクウは告げた。優しげな笑みを浮かべて、ガラスからそっと両手を離す。


「バイバイ。ヒダカ」


 お別れにしてはあまりにも素っ気ない仕草で、タイクウはヒダカに手を振った。


『――た……オイ! なんだよ、ふざけんな!』

 ようやく我に返ったヒダカの絶叫が、雑音交じりにスピーカーをキンキンと鳴らす。

『話はまだ終わってねぇ! 戻ってこい! おい、タイクウ――タイクウ‼』

 唇を痛いほど噛みしめながら、タイクウは彼の声を振り切って部屋の外に出た。


 扉が閉まってしまえば、冷たい静寂が火照った体を包み込む。

「仕方ないよ。自分で選んだ結果だもんね」

 右腕を押さえ、タイクウは深く息を吸い込んで吐き出した。これで最悪の状況が防げたのだと思えば、この張り裂けそうな胸の痛みも、馬鹿みたいに震える体も大したことじゃない。


 タイクウは気合を入れ直すように頷くと、からりと笑って上を向いた。

「さて、後片付けをしにいかなくちゃ」

 彩雲に行くのも、これが最後だろうから。

 タイクウは踵を返すと、一歩ずつ踏みしめるような足取りで歩き出した。





第四章 完

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ノーリグレットチョイス 寺音 @j-s-0730

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