第15話 素直になれ*勇運*



*勇運*




ぐらりと、空で何かが動いたのが見えた。だから、すぐに冬音を突き飛ばした。俺と繋いでいた夏海の友達は、とっさに俺が抱きしめて……あれ?


それから俺、どうしたんだっけ――



「ん……い、て……」



しばらくの間、どうやら気を失っていたらしい。激しい衝撃音が、まだ耳の中でこだましている中。俺はゆっくりと目を開けた。


すると、目の前にあったのは……大きな物体。これ、なんだ? 金属の板か?


その金属の板が、頭の上から地面に至るまで、びっちりと俺の行く手を塞いでいる。どうやら、閉じ込められたらしい。



「はぁ……何だってんだよ、全く……」



ため息をついた時、腕にズキンと痛みが走る。見ると、何かでひっかいたような長い傷が出来ていた。血が出ている。結構な量……ではないと信じたい。



「ふぅ……」



腕から視線をずらす。すると、夏海の友達が俺の腕の中にいた。間一髪、俺が抱き留めたからケガはなさそうだが……起きない。いくら肩や頬を叩こうが、「おい」と呼びかけても起きない。もしかして、俺から見えない所でケガしてるのか? 頭を打ったとか?



「くそ、やばいな……」



幸運なのは、板に潰されなかった事だ。後ろにある建物に板が引っかかっているおかげで、なんとか板がずり落ちずに済んでいる。


だけど……


運よく引っかかっているだけで、そのひっかかりがとれたら、真上からズドンだ。今度こそ潰される。その前に、早く抜け出さないと――


そう思っていた時だった。



「う、ゆ……ゆう、勇運!!」

「え、兄貴……?」



どこから聞こえる、兄貴の声。顔を動かせる範囲は限られているが、可能な限り声の元を探す。すると、なぜか顔から血を流している兄貴が、俺の真横から顔を覗かせた。



「勇運!」

「兄貴……どうしたんだよ、その傷」

「そんなことより、勇運でしょ! 早くここから出ないと!」



兄貴は、辺りをキョロキョロ見回している。どうやって俺と子供をここから出そうか、そんな事を考えているんだろう。



「その隙間からなら、子供だけでも出せる」

「! ダメだ。勇運が先だよ。出血してる、早く血を止めないと」



兄貴は可能な限り腕を伸ばして、俺たちが通れるよう、大きながれきを手で取り始める。その姿に……思わず笑ってしまった。



「はっ、今の発言。公私混同してんだろ?」

「……なんのこと?」



兄貴は、しらを切るように。俺と視線を合わせないまま、一度止めた手を再び動かす。子供の意識が戻ってないことを再確認した後。俺は兄貴に、こんな事を話した。



「なぁ兄貴。もう隠し事はナシにしようぜ」

「だから、なにを、」


「本当は……子供が嫌いなんだろ?」

「!」



ピクリと、腕が跳ねて、そして止まった兄貴を見て。俺は「図星か」と、また笑う。



「冬音の父親が、兄貴のツラを見て、俺と同じだと言った。子供を恨む俺と、同じ表情だと」

「それだけの事で、」


「柴さんからも聞いた。兄貴は子供の事となると、何かと理由をつけては柴さんに案件を任せる傾向があると」

「……」



そう。冬音のお見舞いに行った時。病室を出たその足で、交番に向かった。そこで柴さんから、全てを聞いたんだ。



――俺は、ずっと勘違いしていたのかもしれない。兄貴のことを

――どうぞ、おかけください?



「ずっとニコニコして、とっくに親父の死を乗り越えたような顔しやがって。本当は、乗り越えてないんだろ。まだ、腑に落ちないんだろ」



だから兄貴、素直になれよ。



「俺と一緒で、ずっと子供が嫌いだったんだろ? 親父が死ぬ原因になった子供が、ずっと許せないんだよな」

「……」



兄貴は、今度こそ。動かす手を、ピタリと止めた。次にギュッと。地面に転がる石ころを握り、力を込める。


そして、周りが警笛や警察の声で慌ただしくなってきた時――風に乗せて「そうだよ」と。少しずつ、兄貴は心情を吐露し始める。



「嫌いだよ、子供なんて……。父さんを殺した存在を、どうして好きになれっていうの」

「……やっぱ、そうだったか」



それを長い間、よく隠せたものだと。俺は率直に、兄貴をスゴイと思った。そこまで自分の感情を操作できるのは、並大抵の精神じゃ無理だからだ。



「なんでもかんでも我慢しやがって。バカな兄貴だな」



でも……だからさ、兄貴。そんな我慢強い兄貴だからこそ、俺は頼みたいんだ。



「がれきは取れただろ? なら、もう子供を出せるよな。早く連れて行け」

「!」



俺を連れて行きたいと思う兄貴の気持ちは分かる。家族だもんな。だけど、今は我慢しろよ。だって兄貴は、警察官だろ?


だけど兄貴は、首を縦に振らなかった。



「お前を一番に連れて行くよ、勇運」

「ダメだ。子供は意識がない。もしかしたら頭を強く打っているかもしれない。優先順位は、子供が上だ」

「っ!」



淡々と言ってのける俺。だけど、そんな俺とは反対に。兄貴は、思い切り顔を歪めた。



「嫌だ! 勇運だって分かってるでしょ。ここにある看板、いつ倒れてくるか分からない。後ろの交番が大破するほど重たい看板だ。そんなものが落ちてみろ、勇運は……死んでしまう」

「……」



後ろの建物、まさか交番だったとは――頑丈そうに見えた交番が、まさかの粉々。確かに、兄貴の言う通り、板が落ちてきたら俺は助からない。


閉口した俺を見て、兄貴は尚もがれきを除去し始めた。



「なんで、こんな小さな子供に……父親だけでなく、弟まで奪われないといけないんだ! 僕はごめんだ。子供なんて大嫌いだ。公私混同と言われても構わない。僕は……勇運を一番に連れて行く」

「……」



今にも泣きそうな、そんな怒った顔をした兄貴。親父の葬式の時だって、飛び出した子供の家族が揃ってウチに来た時だって泣かなかった兄貴が……今、崩れ落ちそうなほどの、弱々しい表情をしている。


だけどさ、兄貴。


俺の足、見ろよ。

板が挟まって、すぐには動かねーって。



「だから勇運、諦めないで。絶対に助ける!」

「……」



でも、それを兄貴に言うと……絶対、兄貴は泣くよな。今でさえ泣きそうなのにさ。今だって、どうせ柴さんにしごかれて、やっとの思いで、ここまで来たんだろ?


分かるよ、兄貴の弟なんだから。兄貴のことくらい、すぐに分かるんだ。……いや。分かってる、つもりだったんだ。


でも、俺は知らなかった。まさか兄貴が、”親父の死を乗り越えられていない”なんて。兄貴が少しのほころびを見せてくれたから、その破片を繋ぎ合わせて、やっと真実にたどり着いたんだ。


なぁ兄貴。親父が死んで、苦しかったよな。悲しかったよな。


だけど、親父がいなくなったあの家で、自ずと兄貴が父親役になっていった。そして兄貴は、自分がそうなるだろうと予感していたんだろうな。だから、泣かなかったんだろ。


本当は泣きたかったくせにさ、



――一人で背負わなくても良いんだよ、母さん


――俺たちは家族なんだから。良い事も、悪い事も、全部まかせ合おうよ



そう言って笑って、俺と母さんを支えた。自分が父親の代わりを全うしようと、固く重い意志を、一人で背負って。だから泣かなかった。その日から、泣けなかった。兄貴は自分の気持ちを殺して、今まで生きて来たんだ。


だからさ、兄貴。

もういい加減、自由になれよ。


誰も兄貴を縛っておきたくないさ。俺だって、母さんだって。もちろん、冬音だって――



「あの時、兄貴はあぁ言ったけどさ」

「”あの時”?」



それは、兄貴と冬音が二人揃って帰ってきた時。あの日から、二人に元気がないことに気付いていた。そして、その理由が「恋」じゃないかということも。



「何が”あとは若い者同士で”だよ。ウソつくな。兄貴だって、冬音を諦めたくないくせに」

「!」

「兄貴、もう自分の気持ちをなかったことにするのはやめろ。ため込むのも、秘密にするのもナシだ。俺、昔に言ったよな?」



――俺……隠し事は嫌いだから



「良い事も悪い事も全部まかせあうのが家族なんだろ? じゃあ俺の言う事がどんなに”悪い事”でも、受け取れよ」



ズイッ


腕を最大限に伸ばして、兄貴へ子供を近づける。兄貴が手を伸ばしさえすれば、子供を掴める距離だ。そしてこの隙間から、子供は出られるはず。


兄貴、その子は助かるんだよ――



「警察官なんだろ、前をみろ。兄貴の目に写ってるのは、正義じゃないのかよ。助けられる命を助けない――そんな悪に、兄貴がなって、どうすんだよ。警察官になった兄貴を、親父はきっと誇ってる。そんな親父に……恥をかかせんな!」

「っ!」



親父、ごめんな。こんな時に親父の話を出すのは、我ながら卑怯だと思うよ。


だけど、言わせてくれ。兄貴が動くには、どうしたって親父の力が必要なんだ。今こそ、家族みんなで力を合わせる時だろ?


だから親父、頼む。

今、兄貴が動けるよう、


力をかしてくれ――


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