第6話 逃げない②

バタバタと、教室を後にする。勇運くんは、逃げる時は速足だから、もう校門を出ているかもしれない。勇運くんのお家を知らないから、追う事が出来るのは校門までだ!


お願い、どうか――間に合って!


急いで靴に履き替え、校門を目指す。すると、勇運くんがちょうど左へ曲がったのが見えた。良かった、そこが分かれば、後は何とかなるかも!


と、思っていた、その時だった。



「おねーちゃーん!」

「え、夏海?」



なんと勇運くんが歩いた反対方向から、夏海の姿が見えた。顔には泣いたあとがある……。


そうか。今日は夏海の嫌いな、予防接種の日だ!夏海が通う小児科は、偶然にも私の高校の近くにある。


だから、小児科が終わって私が夏海を家に連れて帰り、お母さんがそのまま会社に戻る――という事を何度かした経験がある。でも、今日は何も頼まれていない……お母さん、私に気を遣ってるのかな。お仕事、休むの大変だろうに。


小児科の窓を見ると、お母さんが必死の形相で、私に何かを訴えている。きっと「夏海を捕まえてて」ってことだろうな。



「夏海、お姉ちゃんの姿を見て、また飛び出したの?」

「ご、ごめんなさい……」


「危ないから、もうしちゃダメだよ。お母さんと一緒に歩いてね。わかった?」

「うん……」



シュンとしてしまった夏海。私に会いたい一心なのは分かるけど……、やっぱり危ない事はしちゃダメ。



「ねぇ夏海、お姉ちゃんも夏海に会いたかったんだ。良ければ一緒に帰ろ?」

「やったぁ、帰る!」

「うん」



スマホを取り出し、お母さんに電話をする。



「このまま夏海を家に連れて帰るよ」と言うと、初めは渋っていたお母さんだったけど「誰かと一緒になら良いよ」と言った。


ん~。誰かと一緒って……あ、そうだ。これから勇運くんを追いかけるから、勇運くんと合流する事になるよね。



「この前、家に送ってくれた子と、これから合流するよ」

『そう、分かった。なら大丈夫ね。夏海の事をよろしくね。何かあれば電話するのよ』

「分かった。お仕事がんばってね」



そうして窓越しに手を振った後――私と夏海は、小走りで勇運くんの後を追いかけることにした。



「夏海。今からお姉ちゃんと、よーいドンしようか」

「やるー! 僕はやいからね!」

「よーし。じゃあ、よーいドン!!」



手を繋いだまま、勇運くんが通っただろう道を辿って行く。すると――勇運くんの後ろ姿が見えた。良かった、追いついた!


この時「夏海と一緒だから、勇運くん嫌がるかな」と思ったけど……嫌がられたら嫌がられたで、距離をとって電話で話そう。とにかく、どんな形でもいいから、勇運くんと話がしたい。



「よし、夏海。あのお兄ちゃんの所がゴールだよ! いくよ~」

「はーい!」



そうして、二人で後ろ足に力を入れる。

その時だった。



「楽しそうな事やってるなぁ?」

「っ!」



この場に、岩のように落ちてくる、重たい言葉。聞き知った声に、全身が震え始める。



「ま、さか……っ」



恐る恐る振り返る。

すると――



「久しぶりだなぁ~冬音? ちょっと顔かせよ」

「あ、ぁ……っ」



あの日よりも少しやつれた成希が、車に乗って、私の真横にピッタリとくっついている。あまりの近さに、全身が硬直して動かない。呼吸してるはずなのに苦しくて、制服にシワが寄るほど、服の上から心臓を強く抑えた。


だけど、



「ねーちゃん?」

「!」



そうだ、今の私は一人じゃない。

夏海がいる。

夏海だけは、助けないと――


ドンッ


手を離して、夏海を力強く押す。すると、五才といっても小柄な夏海は簡単に遠くに飛ばされ、地面に横たわる。



「痛いよ、ねーちゃん!」



私を睨む夏海。

だけど、私は――



「夏海!」



逃げて、早く逃げて

後ろを振り向かずに走るの

この人は、とっても危険な人だから


だけど、こんな事を五歳の子が聞いていいのかな。トラウマにならないかな。



「ねーちゃん?」

「……っ」



やっぱり知らない方がいい。知ってはダメだ。お姉ちゃんが恐怖で怯える顔なんて……見せちゃダメ。



「夏海。お姉ちゃん、お友達とちょっとお話するから……先に、ゴールまで走っててくれる?」

「えー! あ、まさかお姉ちゃん。負けるのが嫌で俺を押したの? ひどいよ!」

「うん……、」



ごめんね――



何とか笑顔を作って謝ると、夏海は「俺がいちばん~!!」と走り、この場からいなくなった。夏海が幼くて助かった。素直な子で良かった。


夏海、ゴールまできちんと行くんだよ。

絶対に、走り切ってね――



「お別れはすんだか? なら大声出すな。乗れ」

「……っ」



足が震えて、今にもこけそう。そうだ、いっそ私も逃げるっていうのはどうかな。成希は車だから、細い路地にでも入れば……と考えていると。


プッ


高い音で、クラクションを鳴らされる。それは間違いなく、私への警告。



「言っておくが……逃げたら、さっきのガキがどうなるか分かるよな?」

「!」



さっきの夏海の顔が、頭をよぎる。夏海に、こんな思いは絶対にさせない。お姉ちゃんの私が、あの子を守らないと……!



「乗り、ます……っ」

「早くしろ」



バタンッ



私は助手席に乗り、シートベルトを締める。そして車内に充満するたばこの匂いに気分を悪くしながら――成希の車で、見知らぬ場所まで連れて行かれるのだった。


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