第7話  進め、(勇運)②

「待ってろ、三石!」



足の筋肉に力を入れる。そして更にスピードを上げ――走り出してから一度も止まることなく、ついに廃墟に到着した。


ちょうど、その時だった。俺のスマホに着信が入る。見ると、かけてきたのは「三石」。急いで通話ボタンを押すと、ほぼ叫び声に近い声が、俺の耳に激しく響いた。



「おねが……、助けてっ!!」

「っ!!」



廃墟の中にいると踏んで、急いで奥へ進む。だけど……その時に見た光景は、衝撃的だった。アイツに馬乗りにされて、抵抗できずにいる三石。口を押えられて、声さえも発せられない状況。



「んーっ!」

「三石……っ!」



体の内側に溜まっていたマグマが、熱を持ってドロリと全身をめぐるような――自分でも経験したことのない「怒り」が、俺の中で激しく燃えた。


やめろ、三石からどけろ。

誰の上に乗ってんだよ。

その子を何だと思ってるんだ。


お前は、三石を、

どれだけ傷つけたら気が済むんだ――


元カレのアイツに対して、半ば殺意のような。そんな尖った激情が、今すぐにでも口から飛び出しそうだった。だけど、今アイツは三石の上にいる。怒ったアイツが、三石に何をするか分からない。


だから三石、もう少しの我慢だ。

俺が、すぐに助けてやる。



『「お前は、よく頑張った」』



――――そこからは、流れるように事がトントン拍子に進んだ。


俺のすぐ後を警察が来て、元カレを逮捕した。「今度は実刑は免れないぞ」と、周りの警察が話していた。ということは……、これから三石は、平和に過ごすことが出来るんだ。



「アイツが刑務所から出てくるまでは、か」



俺の腕の中で眠る、三石を見る。廃墟を出ても、俺は三石を離さず抱き上げたままだった。念のため病院へ行くとの事で、そろそろ救急車が到着する。それまでは側にいたいと、俺が申し出て、この状態のままだ。



「……」



疲れ切った表情の三石。まつげには、涙が少し残っている。



「最低かよ、俺……」



今日の放課後。教室で三石を避けなければ。三石の話を素直に聞いて、そして一緒に帰っていれば。三石は、こんな目に遭わなかった。


ごめんな三石。

俺は、お前を守りたいって思ってるのに。

自分よがりな行動をとって、結果お前を傷つけた。


俺のせいで――



「勇運、ちょっと休みなよ」

「……いい」



忙しい中、兄貴が俺に話し掛ける。俺の様子を伺いながら、三石の調子を心配しながら。兄貴は、きっと怒っている。兄貴の制止を振り切って、俺が一人ここにやってきた事に。


もしかしたら、俺も危ない目に遭ったかもしれない。今回二人とも無傷だったのは、奇跡に過ぎない。二次被害を招くところだったんだよ――と、兄貴の顔に書いてある。本当は、俺を叱りたい気持ちを、今必死に我慢しているのが、兄貴の雰囲気から伝わってくる。



「……次は、しない」

「! その言葉、忘れないように」



帽子をキュッと目深に被り、自分の持ち場に戻ろうとする兄貴。だけど、俺に背を向けた瞬間――



「無事でよかった」



そう言って、俺たちから離れた。



「……っ、」



怒りたいのを我慢して、いや……怒りよりも、それ以上に。三石や俺の身を心配してくれていたのかと思うと、急に胸に来るものがあって。俺は小さい声で「ごめん」と言うしか、何も返せなかった。


だけど、救急車よりも先に。

この場に到着した、新たな人物がいた。


それは――



「君が、勇運くんかな?」

「え……」



黒のスーツに、ブラウンのコートを着た人

見た目的に、もしかして……



「初めまして。冬音の父です」

「あ……」



やっぱり、そうだと思った。消去法で「三石の父だ」と分かったのもあるけど……。この人の柔らかそうな笑顔が、どことなく三石に似ている。だから直感的に「父親」だと分かった。



「あの俺……」



すみませんでした、と言おうとした。

だけど、その前に。



「勇運くん、冬音を守ってくれてありがとう」

「え……」


「本当に、ありがとう」

「――っ」



おじさんを見ると、その目には、優しさだとか元カレへの憎しみだとか、三石が無事で安心だとか――複雑な色が、浮かんでいた。その中で、俺に向けられたのは――



「勇運くんが冬音を助けてくれなかったら、どうなっていたか分からない。ここに来る途中で、警察の方から全ての事を聞いているよ。よく電話に出てくれた。よくメールに気付いてくれた。君がいなければ、冬音は……今、こんな安心した顔で眠ってないだろうね」

「……」



今にも泣きそうなおじさんの笑顔を見ていると、さっきの三石を思い出す。



――勇運くんと、話したかった



「……」



心臓の辺りで、ばらついた言葉たちが、一つの文章になりつつあった。だけど、まるで長い蛇になった文章は、俺の口から出るのではなく、口を通り過ぎて頭の方に行ってしまう。


違うだろ、そうじゃないだろ。逃げるな、降りてこい――と。俺は頭を振って、高い所で安心している蛇を、引きずり下ろす。



「だって、そうだろ……」



あんな廃墟の中でも、三石は俺と「話したい」と言ってくれたんだ。それだけ三石が、俺の事を考えてくれた証拠だ。


それなら――俺も、返さないといけない。「もう関わらない」なんて、陳腐な言葉で逃げるべきではない。



「あ、救急車来たよ。腕、疲れただろう? ありがとうね」

「……」



今まで俺は、三石の何を見て来たんだ。アイツが頑張っている姿を、この目に何度も移してきただろ。だから、今度は俺の番だ。


「過去」から逃げるのは、もうお終りにしよう。



「一緒に救急車の中に入ってくれるかい? 勇運くん」

「……おじさん」


「うん?」

「聞いてほしい事があります」


「……」

「……」



しばらく、おじさんと目を合わせたままだった。だけど、一度も視線を逸らさなかった俺を見て――おじさんは、ゆるりと頷く。



「冬音に関係ある事だね。もちろん聞くよ」

「ありがとうございます」



三石を、救急車のストレッチャーに寝かせる。救急隊の人が「三石さんー、聞こえますか」と声を掛けながら、怪我がないか調べていた。そして「異常なし」と。その声を聞いた時、俺も口を開く。



「実は俺――」



そして、ずっと記憶のそこに沈めていた過去を、自分の中からゆっくり引き出すのだった。

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