第7話  進め、(勇運)



*勇運*



あの日。

フラッシュバックして気持ち悪くなった三石を、保健室に運んだ。



――三石、大丈夫か

――うぅ……



顔色を悪くして、身動きできない三石。

その姿を見て思ったんだ。


三石も、俺と同じなんだって――



「はぁ……」



週明けの月曜日。何とか一日が終わって、今は放課後。俺は三石の制止を振り切って、帰路についていた。



――勇運くん!



金曜日に、三石の弟と会って以降。近づいていた二人の距離が、遠く離れた。


弟を見た瞬間に逃げたこと。

あの時の態度がおかしかったこと。


全て見なかった事にしてほしくて「俺のことは気にするな」と言ったが……どうやら、裏目に出たみたいだった。



――勇運くん、話を!



今日一日、三石に何度話しかけられたか分からない。そして、俺が何度避けたかも。俺がスルリと三石をかわした時の、傷ついたアイツの顔が……頭から離れない。



「はぁ……。器が小さくて、自分が嫌になるな」



特に、放課後。教室での別れ際。「もう関わらない」と言ってしまった。もっと他の言い方があったんじゃないかと、ため息が出る。



「って、こんなに気にするくらいなら、話の一つでも聞いてやればいいのに」



はぁ――と。何度目かになるため息をついた、その時だった。ドンと、俺の背後から、すごい勢いで何かがぶつかる。気を抜いて歩いていたから、思わずこけそうになりつつも、何とか耐えた。



だけど――俺の視界に写ったものを見て、ピシリと固まる。なぜなら、



「よっしゃー! 僕が一番!」



俺にぶつかって来たもの。

それは、なんと三石の弟だった。



「……! っ!」



目の前にいる「子供」の存在を認めた瞬間。


まるで目が回ったように、グラリと視界が揺れる。体を支える軸が一気に不安定になり、足元がふらついた。次第に立っていられなくなった俺は、咄嗟に壁に手をつき、倒れるのを阻止する。



「……~っ」



目が、開けられない。俺のすぐ近くで「にーちゃん、大丈夫?」と心配する声が聞こえる。小さな存在なのに、俺の心を支配するには大きすぎる――それが、これくらいの年齢の子供なんだ。


俺に、この子供は――――毒だ。



「も……、あっち、いけ……っ」

「なんか言ってる? 苦しいのー?」



ちょんちょんと、子供が俺に触る。



「――っ!」



それだけの事なのに、驚くほどのダメージのデカさ。ついに俺は立って居られなくなり、その場にグシャリと崩れ落ちる。四つん這いで息をしているのが、やっとの状態だった。



「はぁ、はぁ……っ」



くそ、だから子供はダメなんだ。

だから、三石を拒絶したっていうのに――



「にしても、ねーちゃん遅いなぁ」

「!」



そうだ、そうだよ。なんで弟だけでウロウロしてんだ。ねーちゃんって言ったな? つまり、三石と一緒だったって事だ。その三石本人は、どこに行ったんだ?



「お前……、一人、か……?」



顔を合わせないまま、目を見ないまま。息も絶え絶えになりながら、なんとか尋ねる。口を開けたら気持ち悪くなりそうだけど……そんな事も言ってられない。



「一人じゃないよー。さっきまでねーちゃんがいたんだ。けど、車に乗った友達と話をするからって、」

「……は?」



高校生なのに“車”に乗った友達? 不自然すぎるだろ。

……おい、まさか。



「なぁ……その友達って、男?」

「そうだよ」

「――っ!」



瞬間、この場に一気に冬が来たように。温度が氷点下を下回り、体の芯から凍った。


追ってこない三石

車に乗った男の友人

弟だけを走らせたワケ


俺の「まさか」は、ほぼ真実だと。頭を鈍器で殴られた衝撃と共に、思い知る。



「三石……!」



頭の奥で、三石の泣く声が聞こえる。あの”クソやろう”に、また泣かされてるのか。



「……っ」

「にーちゃん、大丈夫? なんか震えてるよ?」

「うる、さい……っ」



俺はスマホを操作して、兄貴が駐在している交番に電話をする。


弟の存在を視野に入れないように。

「過去のこと」は考えないように。


今は……アイツの事に集中する。


プルル――



『はい、こちら陽の丘交番です』



その声を聞いて、少しだけホッと安心出来た。だけど、緩めた気をすぐに戻す。何があったか詳細をきちんと話せるよう――深呼吸をして、体に空気を入れた。



「兄貴、連れ去りだ。連れ去られたのは、三石冬音」

『勇運? どういう事。どうして冬音ちゃんが、誰に!?』

「それは、」



と、ここまで話した時。俺のスマホに、変な音が入った。



プププ、プププ



これ、何の音だ?

滅多に聞かない音だ。

充電が切れそうって事か?



「くそ、こんな時に!」



イライラしながら、スマホを耳から外す。そしてすぐに右上にある充電マークに目をやった。だけど、ほぼ満充電。だとしたら、さっきの音は――



『勇運! 何があったの、勇運!』



電話口の向こうで、兄貴が忙しなく聞いてくる。その奥で柴さんが「応援要請を」と、他の人に指示する声が聞こえる。俺は、それらの音を頭の片隅で聞きながら、とあるボタンを押した。そのボタンは――



「悪い、兄貴。“キャッチ”だ」

『え、ちょっと、勇運!』



スマホ画面上部で、通知が必死に叫んでいる。「気づいて」と。それは、三石からの電話だった。


ピッ



「おい三石!どこにいるんだ!」

『――』



電話の向こうは、何の音もない静かな世界。静か過ぎて、耳を澄ませても会話の一つも聞こえない。クソ、何がどういう状況なんだ。三石は今、どこにいるんだ!



「おい三石、三石!」



すると、電話の向こうで何やら話し声が聞こえた。かと思えば、ブツリと電話は途切れる。しまった、切られた!



「クソ!」



イライラする俺。そんな俺を、三石の弟が呆然とした表情で見ていた。その顔を見るに、今「何かヤバい事になっている」という状況は理解しているようで……


キュッ


不安に耐えかねた弟は、俺のシャツを控えめに握った。そして震えながら、小さな口を開ける。



「ねぇ……、にーちゃん」



――勇運くん



「……っ」



揺れる瞳が、俺に必死に話しかけた三石のものとよく似ていて……。自分のした事への後ろめたさに、今更ながら顔が歪む。



「連れ去られたって……。おねーちゃんが、どうしたの?」

「あ……」



電話中は無我夢中で、現実に起きている事を、ありのまま喋ってしまった。すぐ隣に、三石の弟がいるってのに。



「知ってるなら、おしえて!」

「三石は……お前の、ねーちゃん、は……」



なんとか弟に目をやりながら、喋っていた――その時だった。



ピロン



俺のスマホから、通知音が鳴る。

今度の音は分かる。

メールの着信音だ。



「まさか!」



急いでスマホを確認する。すると、送り主は「三石」。内容は、自身の現在地が載ったURLだった。



「~っ、よし! これで助けられる!」



しかも、案外に場所が近い。全速力で走ったら、十分以内には行ける。

だけど――



「ねーちゃん、危ないの!?」

「っ!」



弟を抱えてじゃ、全速力で移動は出来ない。だけど、弟を一人ここへ残して行くわけにもいかない。クソ、どうしたら……どうしたらいいんだ!


すると、その時だった。パトカーのサイレン音が、辺り一面に響き渡る。乗っていたのは、兄貴と柴さんだ。



「やっぱり帰り道にいた! 良かった、勇運!!」

「兄貴……!」



パトカーの窓を開けて、俺を見る兄貴。その時、俺が小さい子供と一緒にいる光景を見て、驚いたようだった。だけど俺は「丁度いい」と。助手席から降りてきた柴さんに、弟を「はい」と任せる。



「え、え? 何です?」

「その子をお願いします、柴さん。俺は先にココに行きます」



一瞬だけ見せたスマホの画面に、柴さんは目をやった。さすが日々パトロールしてるだけあって、場所を瞬時に理解したらしい。「ここは」と、確信づいた声で呟いた。その言葉を最後に聞いて、俺は走り出す。


止めたのは、兄貴。



「待ちなさい、勇運!」



パトカーに乗る警官に怒鳴られるなんて貴重な体験、今回限りにしてもらいたい。



「俺も乗せてくれ」と言えば、三石と連絡をとっている俺をパトカーに乗せてくれたかも知れない。だが、ココは住宅街。あまりスピードは出せない。空でも飛ばない限りは、俺の足の方が速い。


ダッ



「勇運!!!!」



背中に兄貴の怒声が突き刺さる。だけど、俺は足をとめなかった。さっきまで立っていられないほどだったのに、今では全速力。自分の回復の早さに驚く。


いや、ここまで俺を突き動かす存在があった事に驚くべきか。



――もうお前とは関わらない



あんなこと言っておいて、俺が全力で関わりに行っている。こんな俺を見て、三石は呆れるかもしれない。



「はぁ、はぁ……っ!」



三石。いいよ、呆れて。


でも呆れるのは、俺がお前を助けた後だ。俺は、お前を助けたい。だから、お前に向かう足を、絶対に止めない。

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