第2話 戻った日常、と少しのドキドキ②

「あ、昨日の!」

「偶然だね。今から登校?」

「はいっ」



ニコリと笑うと、お巡りさんは「元気だねぇ」と爽やかに笑った。


昨日は気づかなかったけど、お巡りさんの髪の色は茶色だった。茶色、といっても黒色寄りで、こげ茶色って感じ。警察の帽子から全く髪の毛が出ないほど、短髪。そして、顔が……すごくカッコイイ。キリッとした二重に、小さな顔。



「冬音ちゃん、どうしたの?」

「いえ……、何でもないですっ」



手足も長くて、警察の制服姿が……よく似合ってる。むしろ似合い過ぎてて、直視できないほど。



「……あ、あの!」



そうだ、見惚れてる場合じゃない。お巡りさんに、お礼を言いたかったんだ!



「えっと、この前は……、」



だけど「この前は」と口にした時。私の中で封印している「成希」の存在が急に濃くなって、



「……っ」



思わず、口を閉じてしまった。


この前は、ありがとうございました――って言うだけなのに。たったそれだけの事が、口に出来ずにいた。



「……す、すみません」



申し訳なくて、頭を下げる。だけど、お巡りさんは――私の頭を、優しく撫でてくれた。



ポンッ



「前も言ったけど、君は百パーセント悪くない」

「え……」


「だから、謝らなくていいんだよ。あれから何もされてない?」

「は、はい……っ」



顔を上げると、心配そうに眉を八の字にしたお巡りさんと目が合う。わ……、こんな近くにいてくれたなんて。一言「はい」と呟くのが、限界。そしてお巡りさんも――その一言さえ聞けば満足らしく、口角をクイと上げた。



「良かった。何かあれば、いつでも声を掛けてね」

「…………」

「ん?」



お巡りさんは、何も喋らない私を見て、首を傾げた。

一方の私は――



「な、何もなくても……声をかけて、いいですか?」

「!」



頭を撫でてくれていた手は、とっくに離れている。その手を目で追いながら……なぜか。こんな大胆な事を言ってしまった。



「え、っと」

「……あ。す、すみません! 何でもないです」



お礼を言いたいだけなので――と、苦し紛れの言い訳をする。


私、何言ってるんだろう……っ。

どうしちゃったの、私!



「おい、三石。そろそろ時間」

「あ……、ごめんね。行こっ」



男子に促され、スマホを見る。しまった。始業のチャイムまで、あと五分しかない!



「そ、それでは……失礼しますッ」



ペコリとお辞儀をした後。最後に一目だけ、お巡りさんの顔を見る。


すると――



「……はい、行ってらっしゃい」



お巡りさんは帽子をキュッと下げ、顔を隠していた。あぁ、これは……。きっと私が変な事を言ったから、今度こそ引かれちゃったんだ――と落ち込んだ、その時だった。


私は、気づいてしまう。お巡りさんの耳が、ほんのり赤く染まっている事に。



「耳……」

「! ほら、早く行きなさい。遅刻はダメだよ?」

「は、はいっ」



耳を指摘されたのが恥ずかしかったのか。お巡りさんは私を見た後、学校を指さす。そして最後に――



「今度は、こけないようにね」



それだけ言って、敬礼のポーズをしてくれたのだった。



――その後。



「ごめんね、急ごう」と、男子に言った後。男子が前、私が後ろに並び、駆け足で学校へ向かう。だけど……


ズルッ



「う、わぁ⁉」



バナナの皮ならぬ薄い氷が、まるで罠のように至る所に張り巡らされていた。



ガシッ



「おい、大丈夫かよ」

「あ、ありがとう……」



最初と同じく、またもや男子が助けてくれる。私の腕を握る男子は、軽々と私を立たせた。そして「ん」と、筋肉質な手を私に伸ばす。



「えと、これは……」

「手、貸せ。二度ある事は三度あるんだよ」

「や、でも……悪いから!」



手をブンブンと振ったけど、男子は諦めてくれなかった。少し強引に私の手を握り、グイッと前へ引っ張る。



「ホラ、行くぞ」



その時、ニッと笑った顔が――なぜか、お巡りさんの顔と重なって。しばらくの間、目を逸らすことが出来なかった。



「どうしたんだよ、三石」

「えっと、あの……な、何でもない」



そういえば、私の名前を覚えてくれてるなぁ。私はというと……もう十二月になるのに、未だクラスの人の名前を覚えることが出来ないでいた。


その理由の大半が、成希の事で悩んでいたから。塞ぎこんでいたから、他の事にまで頭が回らなかったんだよね……。


だけど――このままじゃ、ダメだ。



「あの! 何て呼んだら、いいかな?」

「呼び方? なんで今さら」

「えっと……。な、なんとなく?」



へへと、下手くそな笑みを浮かべると、男子は黙って私を見た。な、何やら考えている様子……。



「名字……は、嫌だしな」

「へ? なんで?」


「なんでって……。ってか、さっきの警官の名前は知ってるのかよ」

「お巡りさんの名前? 知らないけど……」



答えると、男子は「え」と驚いた顔をする。

え、どうして驚くの?



「さっきのお巡りさんと、何か関係があるの?」

「……いや、何でもない」



と言いながら、顔を隠す男子。

あ、コレは……。



「もしかして、笑ってる?」

「笑ってないない」



さっきといい、今といい……。どうやら男子は、笑みを隠すのが下手らしい。私にバレるため、わざと下手くそにカモフラージュしてるのかもしれないけど。



「ま、知らないなら好都合だ。俺のことは、ゆう、って呼んで」

「ゆう?」


「一葉 勇運(ひとつば ゆう)。俺の名前だ」

「分かった。勇運くん」



すると勇運くんは、少しだけふてくされた。「別に”くん”はいらねーよ」なんて、愚痴をこぼしながら。


そして――


勇運くんに引っ張られながら、学校へ急ぐ私。何とか始業のチャイムまでに、教室に入る事が出来た。


ガラッ



「勇運~。遅かったなぁ」

「真面目な勇運が、遅刻するかと思ったよ~」



教室に入るやいなや。勇運くんの周りに、人が集まる。勇運くんは「うるせぇ」なんて言いながら、シッシッと皆を追い払っていた。


……そっか。ハチ事件の時に思ったのは、コレだったんだ。



――腕を辿ると顔が見え、クラスで有名な男子だと分かった



クラスで有名な男子――そう。

勇運くんは、いつも皆に囲まれてる人気者。


それは、竹を割ったようなハッキリした性格が、逆に好印象だとか、何とかで。そして、いざという時に頼りになる、ハイパーイケメン男子――と噂されているのを、聞いたことがある。



「確かに。ハチ事件の時、勇運くんはヒーローだったもんね」



ポツリと呟いた時。皆に囲まれる勇運くんが、チラリと私を見る。そして、私がきちんと席に座ったのを見て……なぜか安心したように笑った。



「(二ッ)」

「!」



び、ビックリした……っ。驚いた理由の一つは、勇運くんに突然ほほ笑まれたから。そして、もう一つは――



「また勇運くんが、お巡りさんと重なった……」



大人のお巡りさんが、学校にいるわけないのに。だけど勇運くんを見ると、なぜかココにいるような気がして。想像すると、内側からポカポカ温かくなってきた。



「……暑いっ」



真冬だというのに、顔は赤くなるばかり。ハンカチで顔の汗を押さえながら、顔を手でパタパタ扇ぐ。



「だ、大丈夫? 三石さん……」

「えと、あはは……」



私が昨日「風邪で欠席した」と思ったらしい、隣の席の、女の子。私の横顔をチラチラ見た後、心配してくれたのか――のど飴を一つ、私の机にソッと置いてくれた。

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