お巡りさんな彼と、その弟は、彼女を(密かに)溺愛する
またり鈴春
第1話 ニセモノの愛
バンッ
教室の中。
現在、休憩時間。
自分の席にいた私は、急に視界に現れたソレに目をやる。
ソレは、私の机上に乗る――骨格の浮き出た大きな手。腕を辿ると顔が見え、クラスで有名な男子だと分かった。
「早く逃げろよ」
黒髪に、少し吊り上がった目。キレイなアーモンド型の瞳は、真っすぐに私を見ている。
「逃げる、って……」
目の端が、まるで痙攣したようにピクピクと動く。薄茶色の長い髪が、風もないのに不安げに揺れた。
そんな私を見て、男子は――
「お前、危ないぞ」
私にしか聞こえないザラリとした声で、言い放った。
「危ないって……何が、かな」
「……」
分かっているくせに――
という顔をした男子は、私を冷ややかな目で見た。私も、負けじと男子から目を逸らさない。
それはまるで、腹の探り合い……と思ったけど、男子が私を心配する理由は、単純明快だった。
「何がって、お前。アレが見えないのかよ」
「……アレ?」
男子がツイと視線を動かす。
その後を、ついていく私。
すると――
黄色と黒の警告色を身にまとった、大きなハチがいた。
そのハチは、驚くことに私の手のひらほどある。そんな巨大なハチが、私の足元すぐ近くにいる――
この現実に、クラリと眩暈がした。
「だから言ってるだろ。早く逃げろ」
「で、でも……」
私が動くと、ハチも一緒に動きそうで怖い。動いた瞬間に針で刺されそうで、怖い。
「怖くて、動けない……」
眉を下げて、男子を見る。
男子の向こう側には、既に避難しているクラスの皆。ハチに怯えた表情で、私たちを遠くから心配そうに見ていた。
というか……。
目の前にいる男子は、逃げなくていいのかな。
「逃げた方が、いいんじゃない?」
「俺が? なんで」
「だって、危ないから……」
「……」
何も答えなかった男子は、近くにあった誰かのノートを手にする。
それをメガホンみたく筒状にして、ゆっくりと音を立てず、空気すら揺らさないように移動しながら、席に座る私の前に立った。
男子とハチの距離は、まさに目と鼻の先。
危ないよ――
そう言おうとした矢先。
男子は、メガホンを持つ腕を振り上げる。
そして、触角が気になるのか、まるで毛づくろいをするハチの真上から、ソレを叩きつけた。
バシンッ
その瞬間、私は思わず目を瞑る。男子が叩き損なった事も見据えて、逃げた方がいいのに……足が動かなかった。
ギュッ
怖くて、開けられない目。
すると――
「いいぞ」
「……え?」
「もう仕留めた」
「あ……、本当だ」
見ると、少しへしゃげて横になったハチの姿。
一発でハチを叩き殺したって事?
すごすぎる……。
「あ、ありがとう。ハチを叩けるなんて、すごいね」
「別に。獲物が大きかったから、逆に狙いやすかっただけだ」
教室にあったテイッシュを持って来、しゃがんでハチに被せる。そしてもう一度、テイッシュの上からスリッパで踏んづけた。
ダンッ
「わ……、ビックリした」
「念のためだ。確実に殺しておかないと、危ないだろ」
そう言って、男子は今度こそ、ハチをテイッシュで覆ってゴミ箱に捨てる。覆う前に、針が出てないかも確認してた。まるでプロのような手さばきに、思わず小さな拍手をしてしまう。
すると、それに気づいた男子が私を見た。そして「俺が何で逃げなかったか。教えてやろうか」と聞いてきた。
今更?と思わないでもなかったけど、とりあえず聞く事にする。
その答えとは――
「お前を助けるために逃げなかったんだ」
「え……」
私の机の前に立つ男子。見下ろして私を見る瞳に、まだ燃え尽きない炎を感じる。
男子の中には――生きたハチが、まだ見えているみたいだった。
「もう一度言う。早く逃げろ」
「でも、もうハチは……」
まさか、別のハチが、もう一匹いるとかじゃないよね?
慌てて、ハチがいた場所に目をやる。だけど、やっぱり何もいない。クラスの皆も教室の隅からバラけ始めているし……ハチは、もういないんだよね?
「じゃあ”逃げろ”って、何から……?」
すると、男子は言った。
「――これ以上、刺されんなよ」
力強い言葉と瞳で、そう言った後。
私の机の前から、男子はいなくなった。
◇
「何かあったワケ?」
「え……」
「隣で辛気臭いオーラ出してる」
「あ……、ごめん」
現在、放課後。
巨大なハチに刺されず無事だった私は、とある人と帰路を共にしていた。
その時に「何かあったか」と聞かれるワケだけど……。聞いてきた本人は、一人だけホットドリンクを飲み、ホッと息をついている。
現在、十二月はじめ。
吐いた息が白くなる季節。時おり吹き付ける風は凍てつき、ますます鼻先を赤くさせる。
そんな中。
隣で「あったけ~」と感嘆の声を漏らす人。
私の彼氏――
畑 成希(はた しげき)。
大学二年生で、私より二つ上。
「あ、来月は試験があるから、なかなか会えないの。ごめんね」
「なんで?」
「え、なんでって……」
私は高校三年の受験生。
来月――一月に控えた大きな試験が、どれほど重要か。二年前に経験したこの人なら、それが分かってもいいようなものを。
「試験があっても、フツーに会えるだろ」
「でも、将来が決まるかもしれない試験だし……」
「……」
すると、成希は黙った。
何か言うのかと思ったけど、何も言わない。ただ黙って、私の隣を歩いている。
それが――怖い。
「や、やっぱり、試験があっても、時間はとれる……よね。はは」
「……」
「成希に会ったら、試験を頑張れそうな気がするし!」
すると、成希の顔にニッコリと笑みが浮かぶ。そして私の肩に、ぐるんと乱暴に腕を回した。
「仕方ねーなぁ。どうしてもって言うなら、会ってやるよ」
「はは、ありがとう……」
噓八百な事を言った結果が、自分の首を絞める。
だけど、これでいいんだ。
「まったく冬音は、俺がいないとダメなんだからな~」
「そ、そうだよね」
この時、脳裏によぎったのは――昼間のハチ。
あのハチは、確かに死んだはずなのに。
チクッ
私の深くを、鋭い針で刺した気がした。
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