終章

終章

 正式に千隼の花嫁として、認められたなずなの、その後はというと……。


 次期当主の妻として、そして愛し子として、学ばなければならないことが山ほどあり、時間に追われるような毎日をおくっていた。


 家庭教師と勉強漬けの日々だ。


「はぁ、疲れた……次は、なんだっけ」


「なずな様、お昼休憩を終えましたら、次は夜会デビューに向けて、マナー講師が来る予定ですわ」


 佳代と廊下を移動しながら、思わずなずなは「ひえぇ」と小さな悲鳴を上げる。


 本当に、生まれてこの方味わったことのないぐらい、休む暇もない忙しさだ。


 廊下ですれ違う使用人たちが、そんな、なずなを敬うように足を止め、頭を下げてくれる。


 最初はどうなることかと思ったが、愛し子として覚醒し、千隼を救うなどの功績をみせたなずなを、花嫁として拒むものはいなかった。


 また、左京の執念の調査により、千隼に敵意を持っていた一族の者たちが、一掃されたのも大きいだろう。


 鬼になってしまったことだけが、千隼の追いやられていた原因なのだと、なずなは思っていたけれど、もう少し蓮水家を取り巻く事情は複雑だったようだ。


 蓮水家の力が弱まるにつれ、退魔師の強さで決まっていた位付けは、なあなあになっていた。


 その位により、給与や待遇も変わってくるというのに。


 いつの間にか退魔師としての強さではなく、年功序列に変えるべきだと文義を筆頭に、一部の古参たちが、掟を変えようとしていたのだとか。


 そんな中で、もっと実力主義な組織を作るべきだと、自ら力で示し若い衆の支持者を集め始めたのが千隼だった。


 だからこそ、彼に当主になられては困ると、必死な反対派たちは、彼が鬼憑きとなったことをもっともらしい理由とし、潰しにかかっていたのだ。


 そう教えてくれたのは、千隼の腹心の部下となった左京だった。


 彼は、内心不服だった、千隼との当主争いをしていた頃より、今生き生きと働いている。


 千隼の手足となって、動き回ることに喜びを感じているようだ。

 なずなには理解できない、重たいの忠誠心とでも言うべきか。


「夜会に向けての準備は、順調ですか?」


「あ、左京様」


 ちょうど左京のことを考えていたところ、廊下で彼と出くわした。


「なんとか、少しずつ頑張ってはいるんですけど」


 ダンスなんてもちろん初心者だし、社交の場での礼儀作法も、まだ不安だらけだ。

 そんな、なずなの内心を読み取ったように、左京の表情が厳しくなる。


「いいですか。本番当日までに、どこの華族令嬢にも引けを取らない、完璧な振る舞いを身に着けてください。貴女は、兄上の花嫁として同行するのですよ。粗相があれば、兄上の名にまで傷がつく。兄上に恥をかかせたら、承知しませんよ。ああ、それから――」


 がみがみと、口うるさい左京のお小言が、始まってしまった。

 左京は、もっと冷静沈着な男だと思っていたが、千隼に関わることになると、タガが外れるらしい。


 もうそんな彼に慣れてしまったなずなは、適当な相槌を打ちつつ、彼のお小言を聞き流す。


「聞いているんですか、なずなさん!」


「もう、大丈夫ですよ。わたしが、少し失敗したぐらいで傷がつくほど、千隼様は、やわじゃありませんから」


「そうだよ、左京。当日は、僕がしっかり彼女をエスコートするから、大丈夫」


「あ、兄上が、そう言うなら……」


 助かった。丁度良く現れた千隼のおかげで、左京は不満そうにしながらも、気がそがれたのか小言を止めてくれた。


「じゃあ、部屋に行こうか」


「え?」


 当たり前のように、肩に手を掛けなずなを連れ去ろうとする千隼だったが、そんな約束した覚えはない。


「昼食は、部屋で取るから。二人分、持ってきてくれる。ああ……ゆっくりでいいよ」


「はい!」


 千隼が笑顔で命じると、佳代は何かを汲み取ったように、元気よく頷いて、ゆっくりと台所へ向かって行った。



◇◇◇◇◇



「はぁ、やっと二人きりになれる時間が作れた」


 千隼は、なずなを自室へ入れてすぐ、後ろから抱きしめてくる。


「今は、二人とも忙しいですからね」


 二人の時間が合わない理由は、なずなだけが忙しいからじゃない。


 千隼も次期当主としての体制を整えるため、色々とやるべきことがあるのだ。


 昼間は、なずなの方が忙しく、夜は千隼が忙しくなる。


 そんなすれ違いの生活で、こうして二人きりになれたのは、確か十日ぶりだろうか。


 同じ屋根の下で生活しているというのに。


「それでもさ……一日は二十四時間あるんだよ。その中の少しぐらい、毎日僕の腕の中にいる時間を作って欲しいな」


 なずなが、全然寂しがる素振りを見せなかったからか、少し拗ねたように千隼がそう言う。


「最近は、僕より左京と話す機会の方が、多そうだし」


「確かに……」


 左京は毎日、ちゃんと花嫁修業しているかと、監視するようにやってくる。


 会話の内容は、ほぼ千隼に相応しい花嫁であれというお小言なので、千隼が嫉妬する必要などなにもないのだが。


「君は、僕の花嫁なのに」


「ふふ、拗ねないでください。わたしが今、頑張っているのは、全部千隼様と祝言をあげるための準備なんですから」


 そう言って、腕の中に閉じ込められたまま、千隼の方へ体を向けると、彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。


「その日が、今から待ち遠しいよ」


 わたしもと、伝えたかったのに、その言葉は口づけで塞がれ言わせてもらえなかった。


「早く君と祝言をあげたいな。君が、僕だけの花嫁だと実感させて?」


 睦言のように甘い声で囁きながら、千隼はなずなの頬や髪、耳元へと口づけを繰り返す。


「だめですよ……いつ、佳代さんが来るかも分からないのに」


 好きな人に求められる喜びを感じながらも、それより恥ずかしさと理性が勝り、なずなは千隼の胸を押し顔を俯かせた。


「大丈夫だよ。佳代は、すっごく気の利く女性だから」


 まだまだ、きっと昼食は運んでこないと、千隼は言うけれど。


「もうっ、そういう問題じゃなくて」


「だ~め、逃がさない。これも、花嫁修業だ」


「どこがですか!」


 ただ好きな人の腕の中で、存分に甘やかされているこの状態の、なにが修業というのか。

 いい加減なことを、となずなは思わず顔を上げてしまった。


 すると、彼は囁くように告げる。


「少しずつ、こういう刺激的なことにも慣れてもらおうと思って」


「え?」


「……初めての夜に、逃げられないように」


 言葉通り刺激的な口づけをされ、なずなは千隼が言った意味を理解し、くらりと甘い目眩がした。


「に、逃げないですよ……」


「本当に?」


(に、逃げないわ、たぶん……)


 でも、恥ずかしすぎて、心臓がもたないかもしれない。徐々に自信がなくなってゆく。


 やっぱり、祝言までは、もう少し準備期間があってもいいかもしれない……と、ぐるぐる思考が巡りだす。


 彼は、そんななずなの気持ちを、知ってか知らずか、愛おしそうに目を細め、優しくも試すような口づけを止めてはくれなかった。




END

 


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神気を纏う乙女は、無自覚のうちに助けた鬼の寵愛を受ける 桜月ことは @s_motiko21

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