第14話 自分を待つ鬼

「きゃーっ!!」


 隠し扉がある部屋の前まで着いた瞬間、なずなの嫌な予感が当たったように、聞こえてきたのは、ひよりの悲鳴だった。


「どうしたの!?」


 血相を変えて部屋に入ると、そこには蹲ってカタカタと震えるひよりと、彼女に寄り添う左京。


「す、すみません。自分が、少し目を離した隙に……」


 それから、そう言って困惑の表情を浮かべている、いつもの見張り役が立っていた。


「今の悲鳴を聞きつけて誰か来たなら、人払いを」


「は、はいっ」


 見張り役は、左京に指示され、慌てて部屋を飛び出す。


「誰か来る前に、そこを締めてください」


 左京に戸を顎で指され、なずなはすぐに閉めた。


「ひよりさん、どういうことです? なぜ、貴女がここに」


「あ、あ……左京様。この先に、鬼が、化け物がっ」


 ひよりは、身体も声も震わせ、涙目で左京にしがみ付いている。


 演技ではなく、本気で怯えているのが、なずなにも伝わってきた。


 しかし、左京は容赦なく問いただす。


「なぜ、地下牢へ下りたのかと、聞いているのですが」


「あ……」


 ひよりは顔面蒼白になりながら、ちらりとこちらの様子を伺った。そして……。


「ね、姉さんが。今日は休みたい気分だから、自分の代わりに、食事を届けてって」


「そんなこと、わたしっ」


 たとえ体調が悪かったとしても、ひよりに頼む訳がない。


 けれど、これで合点がいった。

 なにをしたかったのか知らないが、女中に先程の伝言の指示をしたのは、左京じゃなくてひよりのようだ。


「あ、あたし、地下に鬼がいるなんて、知らなくてっ。う、うぅ」


 左京は、無言でなずなを見やる。


 なずなは、そんなことひよりに頼んでいないと、首を横に振って訴えたが、信じてもらえたかは、分からない。


 だが、今ここで訴えても、ひよりが話に割って入ってくるのが目に見える。

 自分の言い分を伝えるのは、ひよりのいない時がいい。


「とりあえず、部屋に戻りましょう」


「あ、歩けないです」


 ひよりは、恐怖で腰が抜けているのか、立ち上がろうともしない。

 すると、左京が軽々と、ひよりを横抱きにして歩き出す。

 ひよりは、少しだけ顔色が元に戻り、満足そうに左京の首元に手を回し、しがみ付いていた。


 部屋を出る直前、地下の様子を見て欲しいと、左京に目で訴えられた気がする。


 なずなは、頷くと、二人が出て行ってすぐに、部屋のドアを閉め、地下牢へ向かったのだった。






 鬼は、大丈夫だろうか。


 心配したなずなが、地下牢まで着くと。


(あ、いた)


 鬼は、大人しく牢の中に座っていた。


「なずな」


 こちらの顔を確認して、わずかに表情を和らげた鬼が近づいてくる。


「大丈夫? なにがあったんですか?」


 ひよりの、あの怯え様だ。

 目を赤くして、理性をなくした鬼が、襲いかかったのかと思っていたのだが。


「さっき、なずなじゃなかった」


 短い言葉しか話せない鬼は、たどたどしく教えてくれた。


 知らない女が突然やってきて、こちらの様子を伺ってきたと。


 そして「なずなじゃない」と言ったら「なずなは来ない」と言われたらしい。


「嫌な感じ、女の子」


「あぁ……うん」


 ひよりのことだ。おそらく鬼がいた動揺から、化け物だのなんだのと、罵ったのだろう。


「不快、脅す、追い返した」


「そうだったの」


 不快なので、脅して追い返した。と、言っているのだと思う。


 けれど、鉄格子があるのだから、襲いかかったりはできない。


 言葉や態度で、威嚇したぐらいだろう。


 人間に危害をくわえたら、退治されてしまうかもしれない。

 それも相手は、麒麟の愛し子で、左京の花嫁となるひよりだ。


 この鬼になにかあったら……そう思うと、今更ながら怖くなる。


「なにもなくて、よかった」


 鉄格子越しに、なずなは、思わずぎゅっと鬼の手を握っていた。


「開けて」


 すると、鬼は催促するように、そう訴えてくる。

 言われたとおり、鍵を開けた瞬間、鬼は性急になずなの腕を掴み、中へ引っ張り込んできた。


「なずな、ここから、出て行った、思った」


 切なげな目で見つめられ、縋られているような気持ちになる。


 その思いに釣られるように、なずなの胸の奥が苦しくなった。


「なずなが、いい。なずなじゃなきゃ、やだ。なずな以外、いらない」


 自分よりずっと大きな身体に、抱きしめられる。

 なずなは、抵抗することなく、鬼の胸に顔を埋めた。


「心配させて、ごめんなさい」


 ずっと、側にいるなんて、無責任な約束はできないけれど。

 まだ、もう少し、側にいてあげたいと、なずなも思う。


 とくん、とくん、と鬼の胸から心臓の音が聞こえてくる。


(あら、鬼って、死んだ存在なんじゃ……)


 そこに、少しの違和感を覚えつつ、なずなは深く考えるのをやめた。



◇◇◇◇◇



 鬼の世話係でいるのは、一ヶ月のみ。

 それは、なずなが自分の中で、勝手に決めた期限。


 けれど、今の自分に、それができるのだろうか。

 鬼を見捨てるような罪悪感が、なずなの胸を締め付ける。


 先程の騒ぎで、なずなは気付いてしまった。


 自分は随分と、鬼に情が移ってしまっているのだと。


 部屋に戻って布団に入ってからも、そんなことを悶々と考えてしまい、なかなか寝付けない。


 あれから、左京は急用で外に出たらしく、先程のひよりの言い分は嘘だと、伝えることはできていない。


(はぁ……少しだけ、外の空気を吸いに行こうかしら)


 こんな夜更けだ。もう、使用人たちも寝静まっているだろう。


 なずなは、涼みたくて夜の庭園へ向かうことにした。






「……部屋にいないと思ったら、こんなとこに居たの」


「ひより?」


 庭先に出て数分後、声を掛けられ振り向くと、そこには虚ろな目をしたひよりがいた。


「こんな時間に、どうしたの?」


 先程は鬼を見て、かなりの興奮状態だったし、ひよりも寝付けなかったのだろうか。


「それは、こっちの台詞よ、姉さん。いつも、夜にふらふらと」


「いつも?」


(いつもは、出歩いてなんていないけど)


 おかしなことを言う。


 やはり、鬼を見た恐怖が、まだ取れていないのだろうか。

 それとも、さすがに地下牢に忍び込んだ時の嘘がばれ、左京に怒られたのだろうか。


 少し、いつものひよりと、様子が違う気がした。


「左京様に、なにか言われた?」


「なっ!? そんなはず、ないじゃない!!」


 ひよりが急に声を張り上げる。

 驚いたなずなは、反射的に身を竦めた。


「もう少しで、もう少しで、子供の頃からの夢が叶うの! お願いだから、あたしの結婚の邪魔しないでよ!」


「なんの話? 邪魔なんてしないわよ」


「嘘よ! 邪魔するために、愛し子の座を奪うために、蓮水家に入り込んだくせに!」


「誤解だわ!」


「なら! 蓮水家から出て行って! 今すぐよ!」


「っ、それは……」


 出て行きたいのは、山々だ。


 なずなだって、好きでここにいるわけじゃない。半ば脅されて、留まっているだけなのだから。


 でも、今は……地下牢で、自分を待ってくれている鬼を思うと、急に姿を消すことに躊躇いを覚えてしまうのだ。


 せめて、あの鬼にだけは、お別れを言ってから、この屋敷を出て行きたい。


「ほら、やっぱり。下心があるから、出て行かないじゃない」


 ひよりは、戸惑うなずなの態度を見て、なにを思ったのか、冷たい目をして呟く。


 そして……。


「自分から出て行かないなら……」


「え?」


 こちらに一歩踏み出した、ひよりの手元に、光るなにかが見えた気がした。


 その瞬間。


 なんの前触れもなく、轟音と共に二人の間に雷が落ちる。

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