第15話 初めての口づけ

(な、に……?)


 突然の出来事に、なずなは固まり、ひよりはその場で腰を抜かした。


 雷が落ちた目の前の地面が、黒く焦げている。

 なずなとひよりに怪我がなかったことは、幸いだったが。


「何事だ!?」


 轟音を聞いて、屋敷の者たちが、わらわらと集まってくる。


「ひより様、お怪我はありませんか!?」


「これはいったい……」


 庭に落ちた雷の跡を見て、皆が騒然とするなか、女中に手を貸してもらい、立ち上がったひよりが突然声をあげた。


「この人に、突然刃物を向けられました!」


「え?」


 意味が分からず、なずなはきょとんとしてしまう。

 最初は、自分のことを言われているとさえ、思わなかった。


 だが、ひよりは、しっかりとこちらを指さし、もう一度告げる。


「突然目の前に現れて、あたしを刺そうとなんてするから……麒麟様お怒りになったんだわ!」


 そして雷が落ちたのだと、ひよりが訳の分からないことを言い出した。


「なにを言っているの?」


 なずなは、ただただ唖然としてしまう。


 足下に証拠の刃物が落ちていると言われ、困惑しながら確認する。


 なずなの足下ではなかったが、確かに雷の影響で焼け焦げた地面の付近に、小刀が落ちていた。


「愛し子を、殺そうとしたのか。なんと恐ろしい……」


「そこの女中を捕らえろ!」


(な、なんでそうなるの!?)


 屋敷の者たちが、愛し子を守るように動き、なずなを捕らえようと目つきを鋭くさせる。


 捕まれば、無実の罪で断罪されるかもしれない。

 ただの女中でしかない自分と、愛し子であり左京の花嫁であるひより。


 どちらの声が、この屋敷で信憑性を持っているかは、今ここにいる使用人たちの反応を見ても、明らかだ。


「おい、逃げたぞ!」


 無実の罪で捕まるなんて、冗談じゃないと、なずなはもちろん逃げ出す。


 しかし、外への出入り口は裏門を含め、すぐに塞がれてしまって、逃げ場がない。


 それに、部屋の間取りを熟知している者たちとの追いかけっこじゃ、なずなの方が分が悪い。


(なんとか無実を証明できないかしら……)


 だが、この屋敷に、心から信用できる人物なんて……。


 一瞬、佳代の顔が思い浮かんだか、彼女に頼って、巻き添えにしてしまっては……怖い。


 左京は……自分とひよりでは、ひよりを取るかも知れない。


 ならば……。


 なずなは、地下牢の鬼が居る隠し部屋へ、追っ手を避け全力で逃げ込んだのだった。






「なんだか騒がしいですね。なにかありました?」


 地下牢へ続く隠し扉のある部屋に入ると、顔見知りの見張りがいた。


 こんな時間に、突然部屋に飛び込んできたなずなを、警戒しているように感じる。


(しまった。見張りに知られていたら、地下牢に逃げ込んでも意味が無いわ)


 それどころか、ここで捕まってしまう可能性が高い。

 なずなは、そう思って表情を強張らせる。


「おい、いたか!」


「ここらの部屋を、片っ端から探せ!」


「……もしかして、追われているのは、あなたですか?」


 外からの喧騒を聞き、見張りは少し状況を察した様だ。

 もう、誤魔化しようは、ないだろう。


「はい、追われています。でも、わたしは、無実なんです、信じてください」


「……わかりました」


 信じてくださいとは言ったものの、正直、信じてもらえるとは思っておらず、なずなは見張りの反応に拍子抜けした。


「しかし、自分では、騒ぎを鎮められる自信がありません。左京様が、お戻りになるまで、地下室に隠れていてください」


 廊下から、部屋に近づいてくる足音が聞こえる。


「おい、この部屋は調べたか?」


「だが、そこはっ」


 今にも誰かが入ってきそうな気配に「早く、地下へ」と見張りがなずなの背を押した。


「巻き込んでしまって、ごめんなさい」


 そう言って、不安げに振り返ったなずなへ、見張りは小さく笑みを浮かべる。


「心配ご無用です。大丈夫、きっと……千隼様が守ってくださります」


「え?」


 千隼とは誰か聞く前に、見張りに扉を閉められてしまった。






「珍しい、こんな時間、なずな、来る」


 地下牢まで階段を下りると、すぐに鬼がこちらに気付いた。


「起きていたんですね」


「夜、邪気、濃い、目が冴える」


「そう、なの」


 確かに、愛し子が邪気を祓ったと言われてからも、この部屋にはまだ薄らと、淀んだものが立ちこめていた。


 それでも、いつもの調子の鬼を見て、ほっとしてしまっている自分がいる。


 鬼を見て、安心するなんて、人としておかしいことは承知しているけれど……今のなずなにとっては、平気で嘘を吐き人を欺く人間より、よほど彼の方が安心できる存在だった。


「……そっちに行ってもいいですか?」


「……来て」


 いつもは、そんなこと聞かないで入って来るのにと、鬼は不思議そうにしていた。


 鍵を開け中に入ると、なずなは、そのまま無言で鬼の隣に縮こまって座る。


 そんななずなの、思い詰めた表情に気が付いたのか、鬼は黙って手を握ってくれた。


(温かい……)


 泣いてしまいそうになる。

 けれど、泣いたって事態は変わらないので、ぐっと堪えた。


「……出会った日も……同じ顔」


「え?」


「傷ついた顔」


「…………」


 なずなは、泣きそうな顔を隠すように、鬼の肩に頭をあずけた。


「……わたし、無実の罪を、着せられるかもしれないです」


 鬼は無言だった。


 なずなは、感情的にならないよう、ぽつぽつと話を続けた。


 よくない偶然が重なり、ひよりがそれに乗っかるように嘘を吐いたせいで、屋敷の者たちに追われていること。


 きっと、誰も自分の言葉を信じてくれない。

 そんな雰囲気に恐怖を覚え、ここまで逃げてきたこと。


「昔から、仲が良い姉妹ではなかったけれど。こんな風に陥れられる程、恨まれるようなこと、わたし、なにかしちゃったの……?」


 自分は、家を捨て勝手に婚約破棄して、村を出た。


 なずなには、なずなの言い分があるけれど、他人から見れば、身勝手な姉なのかもしれない。


 そのうえ妹の嫁ぎ先に、先回りして働くような形に、なってしまったのも事実だ。


 だからって……ここまでされる理由が、分からない。


 でも、ひよりからは、自分に対する憎悪のようなものを感じる。


「わたしって、つきに見放されているのかな」


 そんな弱音も吐きたくなった。

 どうして、自分ばかりこんな目に遭うのかと。


「きっと、誰もわたしの無実を、信じてくれない。そうしたら……」


「……信じてる」


 ずっと黙っていた鬼が、呟く。


「僕は、なずな、信じてる」


「っ……ありがとう」


 たどたどしく、そう伝えてくれた鬼の言葉に、冷え切っていた気持ちが、少し温かくなる。


「僕が、守る、から……もう、一人で、泣かないで?」


 そっと両頬を掴まれ、引き寄せられた。


 間近で見つめられる鬼の目は、どこか思い詰めたように真剣で……目が反らせなくて。


「っ――」


 そして――ふいに、恐ろしく美しい顔が、近づいて来たかと思うと。


 なぜかそのまま、なずなは鬼に口づけられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る