第5話 鬼の生贄

 その後は、特に会話もなく、男は家の名はもちろんのこと、自分の名も名乗ってはくれなかった。

 それだけひた隠しにされている病人とは、いったいどんな人物なのか。


 ただ、屋敷中の人間から疎まれていると聞き、少しだけ、その人に同情してしまった。


 家族に退けものにされ続けたなずなには、その疎外感がどのようなものなのか、想像できてしまうから。


「着きました。君が待機する部屋まで案内します」


「は、はい……っ」


「どうかしました?」


「い、いえ、大丈夫です」


 車を降りた瞬間、重たく息苦しい雰囲気を感じた。


 それから、薄っすらと見える黒い霧が、足下に纏わり付いてくるような不快感。


(なんだろう、この感じ……)


 屋敷の中へ入る前、目に入った立派な庭園があったが、そこに咲く草花にも薄闇の霧が纒わりついており、元気がない。


(……やっぱり、都会って空気が悪いのかしら)


 田舎の方が空気が澄んでいるとは、よく聞く話だ。気になりはしたが、男に早く来るように急かされ、なずなは、それ以上深く考えはしなかった。






 屋敷の外観や大きさから、ここがかなりの名家であることは窺える。


 しかし、極力屋敷を出歩くことを禁じられ、すぐに待機部屋に入れられてしまったので、屋敷の中を見学されてもらうことは、出来なかった。


(広いお屋敷で、迷子になったら困るし……少しぐらい、案内してもらいたかったけど仕方ないのかしら)


 男は、とにかくなにも詮索するなと、なずなを部屋に入れると、すぐに出て行ってしまい、今はぽつんと一人ぼっちだ。


「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」


 そこへ、所作の美しい女中が、玉露とお茶菓子を運んで来てくれた。

 口にしたことのないような、高級なお茶と和菓子を出され、恐縮してしまう。


「遠慮せずに召し上がってください。夕食も部屋にお届けいたしますので。嫌いな食べ物はありませんか?」


「い、いえ、あの……わたしも、使用人なんですけど」


 まるで客人のような扱いに戸惑い、誰かと間違ってないかと、確認したくなったのだが。


「それは……いえ、貴女の仕事は、夕食が終わった後からですので。それまでは、どうぞごゆるりと」


「そうですか?」


 それじゃあ遠慮なくと、お茶に口をつけると、女中はほっとしたように、少しだけ表情を和らげ、なにかご用があればお呼びくださいと言って、部屋を出て行ったのだった。


「お、美味しい……なに、この大福!」


 それは、滑らかで上質な餡が、ふわふわな餅に包まれた一品。


 女中の態度に、若干の違和感を覚えたなずなだったが、一口頬張った大福の、あまりのおいしさに違和感は吹っ飛んだ。


「これが、お金持ちの食べる大福……幸せ。帝都に来てよかった」


 幸先が良い。


 あまりの美味しさに、頬が落ちぬよう押さえながら瞳を輝かせ、なずなは、口の中に広がる甘みを堪能したのだった。



◇◇◇◇◇



 その夜に出された夕食も、豪華なものだった。


 そして食べ終えると、自分でしなくとも、昼間と同じ女中が食器を片付けに来てくれた。

 客人でもないのにと、申し訳なくなるぐらい至れり尽くせりだ。


「わたし、こんなに美味しい夕食、初めて食べました」


「お口に合ったなら、なによりです」


「皆さんは、毎日こんなに豪華なまかないを、食べているんですか?」


「わたくしたちは、そのっ……」


 うらやましいですと言おうとしたが、女中が急に表情を強張らせた。


(わたし、なにか変なこと、聞いちゃったかしら?)


 屋敷のことは詮索するな、と言われていたのを思い出す。

 あまり質問すると、彼女を困らせてしまうのかもしれない。


「色々と、ありがとうございます」


 だから、なずなは話題を変え、ただ感謝の気持ちを伝えることにした。


「実は、わたし、今日帝都に着いたばかりの、田舎者なんです。都会でやっていけるかなって、不安もあったんですけど……最初のお仕事で、このお屋敷に来れてよかったです」


「っ……あのっ」


 なずなの言葉を聞いた途端、悲しげな顔をした女中は、なにか意を決したように言い掛けていたのだが。


「香坂なずな」


「は、はい!」


「時間だ」


 そう言って部屋に入ってきた、昼間の男を見て、女中は口を噤んでしまった。


「ついに、お仕事の時間ですね!」


 ここまで良くして貰ったのだ。張り切って働かなくてはと、なずなは気合いを入れて、たすきを掛けて立ち上がる。


 なずなの準備が整うと「着いて来い」と、男は背を向け歩き出した。


「いってきます。美味しいご飯、ごちそうさまでした」


 部屋を出る前に、もう一度笑顔で伝えたなずなへ、女中が物言いたそうな顔をしていた理由を、なずなは察することが出来なかった。



◇◇◇◇◇



「今から君には、地下室にいるある人に、夕食を届けてもらいます」


「はい!」


 廊下を歩きながら説明を受ける。

 といっても、本当に簡単な内容だった。


 夕食はすでに用意されており、盆にのったそれを、なずなは地下室にいるその人に、届けるだけ。

 地下室にある個室にその人はいて、自力では動けないほど衰弱しているので、鍵を開けて中に入り、介抱してやってほしい、とのことだった。


「分かりました」


 気になることも多かったが、深く詮索しない約束だ。高い給与の中には、そういった事情や、口止め料も含まれているのだろう。


「では、自分はここで」


「え?」


 質素な部屋の奥に隠し扉があり、ここが地下室への入り口だと背を押された。


 そして――。


 男が一緒に入ることはなく、ガチャリと外から鍵を掛けられてしまったようだ。


 若干、嫌な予感がしたが、仕事が終われば開放されるだろうと信じ、なずなは地下へと続く階段を下りる。


 なんだか、気味が悪かった。


 先程までいた部屋や廊下は、電気の明かりが灯っていたのに。地下まで電気が通ってないのか、燭台に灯る火が、ゆらゆらと辺りを照らすだけ。


 そして着いた地下室には、上の階より薄闇の霧が充満しており、なずなは息苦しくなってきた。


「ぅ……うぅ……」


(呻き声?)


 目を凝らすと、牢の中で蹲る黒い影が見える。


 地下の小部屋に病人がいるとだけ聞いていたが、まさか牢屋に閉じ込められているなんて。


(もしかして、咎人?)


 ならば、ここまで秘密厳守にされていたのも、納得だ。

 だが、牢の中には、綺麗な布団が敷かれており、机や椅子、本なども用意されている。


 酷い扱いを受けているわけでも、なさそうだが……。


「ぅ、ぁ……」


 なずなが、思案しているうちにも、牢の中にいる影は、苦しげに微かな声をあげていた。


 この人が、どんな罪を犯し、牢に閉じ込められているのか、はたまた匿われているのか、分からないけれど。


 自分はただ、与えられた仕事を熟すだけだと覚悟を決め、先程渡された鍵を取り出すと、牢の中へと足を踏み入れた。


 だが――。


「あの、夕食をお届けに、ひゃっ!?」


 次の瞬間、なずなは地面に背中を打ち付け、最初、何が起きたか分からなかった。


 せっかく持ってきた夕食も、地面にひっくり返り台無しだ。


「ニク……チヲ……」


 低く呻くような声がして、咄嗟に瞑ってしまった目を開けると、目の前にあったのは……鬼の顔。


 物の例えではない。


 目を赤く光らせ、牙と角を持つ本物の鬼に、なずなは押し倒されていたのだ。


(……この人の、今夜の本当の夕食って、もしかして、わたし?)


 自分は、生贄にされたのかもしれない。


 そう考えると、今度こそ、色々と納得ができた。

 あの豪華な夕食も、最後の晩餐だからと、出されたものだったのか。


 食事を届けてくれた女中が、どこか同情的な目でこちらを見ていたのも、きっと……。

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