一章

第1話 虐げられてきた日常

 時は大正。


 季節は移り変わり、春となり、日ノ本の帝都から大分外れた片田舎で、なずなは黙々と畑仕事に精を出していた。


 実の母は、なずなが生まれてすぐに、亡くなったと聞いている。そして父も、数年前に流行病で亡くし、今は父の後妻と妹と三人暮らし。


 ちなみに、家族仲が良いとは、とても言えない関係だ。


「ひより、そろそろ種を植えるから、手を貸してちょうだいな」


 一人でせっせと畑を耕すなずなを、畑の脇に腰を下ろし、つまらなそうに見ていた妹のひよりは、声を掛けても動こうとしない。


「いやよ……畑仕事って、汚れるし手も荒れるじゃない」


 本当は日焼けだって嫌だと言いたげに、最近帝都で流行っているらしい、つばの大きな帽子を深く被り直し、ひよりが呟いた。


 ひよりは、小柄で可憐で、村の若者達の憧れの存在だった。か弱そうな所が、庇護欲をそそるらしい。


 なずなだって、そこまで力があるわけでもないが、家に男手のない今、力仕事はいつの間にか、全てなずなの仕事とされていた。


 ちなみに義母は、ひよりより虚弱体質で、畑仕事などとてもできないのだと言い張り、この場にすらいない。


 そのくせ、夜になるとふらりと出掛け、朝帰りをしたりしている。

 今日の体調不良も、おそらくは、ただの二日酔いだろう。


「そんなこと言わないで。二人でやったほうが、早く終わるでしょ。ね、お願いよ」


「……はぁ、なんであたしが」


 渋々と言った調子で、ひよりはやおらに立ち上がる。


 なんであたしがって、それはこっちの台詞だと、なずなは内心思いながらも口にはしなかった。


「あたしが、こんな田舎の村娘に生まれてしまったのは、なにかの間違いだと思うの。本当は、どこかの華族の令嬢として、生まれるべきだったのに、運命のいたずらでっ」


「はいはい、向こうの方から、種を撒いていってね」


「はぁ~、異国のおとぎ話みたいに、運命の王子様が、あたしを迎えに来てはくれないしら」


 ひよりは、夢見がちというか、浮世離れした所がある。


 また始まった、いつもの彼女の夢物語を聞き流し、なずなは、黙々と畑仕事を続けた。


 なんで自分は、義母と妹の面倒を見て、養って、そのうえ二人から使用人のように、扱われなければならないのだろう。


 そんな不満は年々溜まり、家を出るためのへそくりを少しずつ蓄えている。それでもまだ、踏ん切りがつかず、ここに留まっているのは……。


『なずな、母さんとひよりを支えてやってくれよ。おまえは、長女なんだから』


 そんな父の、遺言のような、最後の言葉のせいだろう。


 父は、なずなのことも、もちろん愛してくれていたのだろうが、とにかく後妻と、後妻にそっくりなひよりに甘かったから。


「きゃっ」


 その時、強い風が吹き、ひよりの帽子を風が攫ってゆく。


「もう、風の精霊様ったら、悪戯しないで」


 そう言いながら、ひよりは畑仕事を放り出し、帽子を追いかけてゆく。


「うふふ、あたしと遊びたくて、常世の国から会いにきてくれたのね」


 帽子を捕らえた後も、ひよりは、なにもない宙に向かって、笑いかけしゃべっている。


 楽しそうに、くるくると回りながら、一人で……。


 ひよりはある時から突然、自分には普通の人には見えないものを見たり、聞いたりする能力があるのだと言い出した。


 そうしてこんな風に、突然、宙に向かってしゃべりはじめるのだ。


 はじめは、そんな彼女の姿に、村人達は困惑していた様子だったが。


「ひよりが、また精霊様とお話なさっている」


「さすが、麒麟様の愛し子じゃ」


 ある日、村に人間を襲う鬼が現れた際、ひよりの声を聞いた途端、急に苦しみ出した鬼が逃げるという、不思議な出来事があった。


 あれから、そんなひよりを村人たちは、日ノ本を守護する神獣、麒麟の加護を受けた伝説の『愛し子』と呼ばれる乙女の、生まれ変わりなのではないかと、噂しはじめるようになったのだ。


「うふふふふ」


 風と戯れるように、一人でゆるく舞うひよりの姿を、村の年配者達はありがたがるように、遠くから拝んでいる。

 村の若者たちは、羨望や憧れの眼差しをおくっている。


(もう……結局、種まきも手伝ってくれないんだから)


 そんな中、なずなだけは、溜息を吐き畑仕事を続けていた。


 自分には、特別なものを見たり聞いたりする、能力なんてない。

 だから、ひよりを嘘つき呼ばわりは、出来ないけれど……毎回、面倒な仕事から逃げるように、突然精霊たちと話し始める妹に、なんとも言えない気持ちにさせられているというのが、正直な所だった。



◇◇◇◇◇



 ある日、育てていた花を売った金を、家に持って帰ると、それを受け取った義母は、顔を顰める。


「こんな少ししか、お金に変えられなかったの? 代金、くすねてないでしょうね」


「そんなこと、してないわ」


 正直に言えば、花代の他に、お得意様が心付けだと代金に色を付けてくれたりはしたが。


 それは、花を育て収穫して、近くの町まで売りに行った自分への心付けだ。


 なにもしていない義母に、渡す筋合いはないので、しっかり自分のへそくりにさせてもらう。


「こんな額じゃ、私の生活必需品も、少ししか買えないじゃないか」


 そう言いながら、売り上げの一部だけを、義母はひよりに手渡す。


「はい、これが今月の、ひよりちゃんのお小遣い」


「えぇ、こんなんじゃ、町に遊びに行っても、なにも買えないわ」


 二人は、ぶぅぶぅと文句だけ言うけれど、ならばもっと働いてくれと、言いたくなった。

 そして、なずなに渡す分の金は、この稼ぎじゃ渡せないと、悪びれもなく義母は言うのだ。


 こんな扱いをしていて、いつまでもなずなが、従順に稼ぎ続けるとでも思っているのだろうか。


 これでは、まるで奴隷だ。


(もう少し……もう少し、へそくりが貯まったなら。こんな家、すぐに出て行くわ)


 なずなは、そう心に決め、その時が来るのを待っていた。


 しかし、へそくりを目標額貯める前に、生活は一変する。


 蓮水家という名家からの、一通の手紙によって。

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