神気を纏う乙女は、無自覚のうちに助けた鬼の寵愛を受ける

桜月ことは

序章

序章

「な、なにが起きているの?」


 それは、豊穣を祝う秋の日の、祭りの夜の出来事だった。


 早々と、寝支度を始めようとしていたなずなは、義母から妹のひよりを迎えに行くよう言われ、祭りが行なわれている広場へと向かったのだが……。


 そこで目の当たりにした光景に、息を飲む。


「鬼だ、鬼が出たぞ!?」


「ひぃ、助けてくれ!!」


 村で開かれていた夜の宴は、瞳を赤くギラつかせた一体の鬼の登場で、台無しとなっていた。


 不気味な呻き声をあげながら、鬼は次々と村人たちを襲ってゆく。


 逃げ惑う人々でごった返す中、なずなは目を凝らし、なんとか妹の姿を見つけ出した。


「ひよりっ、家の中へ戻るわよ!」


「ね、姉さん」


「ほら、早く!」


「え、ええ」


 恐怖で固まっていた妹のひよりの手を引いて、なずなは家の方へと駆け出す。


 村に鬼が出るなんて、なずなにとっても、生まれて初めての出来事だった。


 恐怖のせいか、広場から家までの帰路が、いつもより長く感じる。


 早く、早く、家に着いてと焦る気持ちを抑え、なずなはひよりの手を引き走り続けた。だが……。


「きゃあ!?」


 砂利道で足がもつれたのか、ひよりが思い切り転んでしまった。


「い、痛いっ……」


 そして、膝から血を流し蹲ってしまう。


「大丈夫? もう少しだから、ほら、がんばって」


 なずなは、ひよりを何とか励まし、引っ張り起そうとするが、その時……なにか、不穏な気配を感じ、恐る恐る顔を上げた。


「ひっ、やっ、鬼が!?」


 固まるなずなの視線の先を辿って、鬼の存在に気付いたひよりが悲鳴を上げる。


 運が悪いことに、近くに助けを求められる人は、誰もいない。


 そして負傷しているひよりを支え、家まで逃げ切れる自信もなかった。


(ど、どうしよう……)


 焦りと恐怖から、なずなは手が震えた。だが、それ以上に、全身をガタガタと震わせている妹を見て、自分がしっかりしなくてはと奮い立つ。


 でも、どうしたらいいのか、わからない。


「いやっ、来ないで!」


 そうこうしているうちに、赤い目を光らせた鬼は、完全にこちらへ狙いを定め、鋭い牙を剝きだした。


 姉妹もろとも喰われてしまう。


 絶望に襲われたなずなだったが――。


「動くな」


 鬼に向かって、そんな言葉が突いて出た。


 こんな状況なのに、自分じゃないみたいに、冷静な声音だった。


「グアァッ」


 その瞬間、鬼は突然頭を抱え、苦し気に呻き始める。


 なずなは、自分であって自分でないような、不思議な感覚のまま再び言葉を発する。


「去りなさい」


 鬼は、ますます呻き声をあげ、先ほどまでの威勢も消えていた。


「おい、大丈夫か!!」


 遠くから、畑を耕す鍬などを武器に、村の男たちが走ってくるのが見えた。


 その瞬間、力が抜けた感覚がして、なずなは地面に尻もちを着く。

 意識が半分遠のいていた不可解な感覚も消え、現実に引き戻された気分がした。


(あら? わたし、今なにを?)


 記憶が途切れていて、状況が把握できないなずなを尻目に、ずっと腰を抜かしていたひよりが立ち上がる。


 そして、僅かに足を震わせながらも、鬼に向かって叫び始めた。


「動かないで! 去りなさい! ただちに、この村から去りなさい!」


 ひよりの言葉が効いたのか、はたまた偶然なのか、低く呻きながら鬼は、二人を襲うことなく村から逃げ出して行った。


「いったい、なにが!?」


「鬼が、逃げて行ったぞ!!」


「もう大丈夫。あたしが、鬼を追い払ったわ」


 ひよりの言葉に、村人たちが驚愕する。


(ひよりが、追い払ってくれたの?)


「言の葉の力だけで、鬼を追い払ったというのか」


「奇跡だ……ひより、きっと、お前には特別な力があるんだ!」


 なずなは、まだ頭がふわふわとした感覚が抜けず、訳が分からないままひよりを見上げていた。


(よく分からないけど、二人とも助かってよかった)






 一人の少女が、言の葉の力だけで鬼を追い払った。その噂は、あっという間に、村の外にまで広がっていった。


 やがて、この出来事をきっかけに、ひよりは、神獣麒麟の加護を受けた『愛し子』なのではないかと、崇められるようになっていったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る