第3話 家を捨てる決意

 ひよりが蓮水家の御曹司に見初められ、嫁入りが決まった。


 その噂は、一日にして村中に広まっていった。


 それから、ますます村でひよりは、特別な存在となり、あれからしばらく経ったが、毎日貢ぎ物を持ってくる人もいる。


 なかには、なずなを嫁に欲しいという者も、数名現れはじめた。


 もちろん、ひよりの姉であるなずなと結婚することで、蓮水家と親類になりたいという、下心ありきである。


「左京様から、お手紙が届いたわ。あたしに会える日を、今から楽しみにしているって書いてあるの!」


 ひよりと左京は、あれから数回の文通を交わしていた。そして、ついに数日後、わざわざ村まで御曹司が、自らお迎えに来てくれる約束だと聞く。

 一度ひよりを屋敷に招いて、愛し子としての適性を確かめたいらしい。


「よかったわね。なずなも村長の家に嫁ぐことが決まったし、これで私の老後も安泰よ」


 義母が上機嫌で口にした言葉に、なずなは無言だった。


 そう、なずなの意思など確認せず、義母が突然、村長の息子と結婚しろと押しつけてきたのは、数日前のこと。


「よかったね。権蔵さんと姉さん、お似合いよ」


 ひよりは、口元に手を当て、せせら笑う。


 村長の息子といえば聞こえはいいが、権蔵とは、なずなと一回り以上も歳の離れた、村一番の甲斐性なしと陰で言われている男だ。


 ぐうたらで働かないため、跡取りはとっくに、結婚している次男が継ぐと決まっている。


 そのうえ、自分は村長の息子なんだぞと、態度だけは偉そうなのだ。自分より力の弱い女子供には特に。


 結婚すれば、村長宅から多少の援助はもらえるかもしれないが、一生あの男の面倒を見続ける羽目になる。そんな未来しか見えない。


 もう、誰かの犠牲になるような、そんな生き方したくないのに。


 だから、なずなは……。


「ええ、お互い幸せになりましょうね」


 そう、笑顔でひよりに返しながら、心に決めていた。


 早々に、この家を捨てて、村を出ようと。



◇◇◇◇◇



 次の日、なずなは育てている花々を籠に摘み、いつものように、それを隣町まで売りに行く体で、逃げ出すつもりでいた。


 ずっと生まれ育ってきた村を捨て、一人で生きていくことに、不安もあった。


 けれど、見上げると広がっていた晴天の空が、そんな気持ちを明るく照らし、背中をおされている気持ちになる。


(正直、一番の不安材料は、衣食住を確保するだけの、お金だわ)


 こつこつと貯めていたへそくりがあったが、昨夜確認してみると、なんと半分以上なくなっていたのだ。


 どういうことか問い詰めたかったが、聞くまでもなく義母かひよりが、へそくりを発見し、勝手に使い込んでいたのだろう。


 さすがに怒りを覚えたが、なんのために貯めていた金かと聞かれると、今逃げだそうとしている計画を知られる危険もあったので、ぐっと堪えた。


(おかげで、なんの罪悪感もなく、家を捨てられる覚悟が出来たと思えば……)


 そう自分を納得させながら、籠に花を摘んでいると、急に人の気配を感じ振り返る。


「きゃあ!?」


 口づけされそうな距離で顔を覗き込まれ、なずなは驚いて飛び退いた。


 そこにいたのは、かなりの脂肪を蓄えた巨漢で、お世辞にも清潔感があるとは言えない中年の男。


 勝手に婚約させられた、村長宅の権蔵だ。


「へへ、なずなちゃん。こんなところにいたんだね」


 にやにやと気味の悪い笑みを浮かべながら、話しかけてくる。


 婚約の話を聞かされてから数日、こうして突如現れ、不自然に距離を詰めてこようとするので、恐怖しかない。


「探したんだよぅ」


「な、なにか、ご用ですか?」


「今日も、かわいい婚約者の顔が、見たくってさ」


「やっ」


 むちむちとした毛深い手で、突然頬を触られそうになり、思わずなずなは、その手を払ってしまった。


 すると、デレデレとしていた権蔵の態度が、急変する。


「なんだよぅ、なんでいつも触らせてくれないんだっ!」


「いきなり触ろうとするなんて、失礼です!」


「なっ……でも、ぼく知ってるんだ。ひよりちゃんが言ってた。なずなちゃんは、ぼくみたいな強引な男が好きだって、ね」


「そんなの、ひよりの嘘です」


 呆れて、開いた口が塞がらない。


 そんなことを風潮したひよりに対しても、それを真に受けている権蔵にも。


「嘘じゃないだろ、照れないでよ。きみのお母さまも言ってたよ。なずなちゃんは、ず~っとぼくのこと好きだったから、結婚に大喜びだって」


 そんなこと、絶対に言った覚えはない。


 どいつもこいつも、身勝手な嘘ばかり吐いて、人の気持ちなど少しも考えてはくれない……そう思った瞬間、なずなの堪忍袋を緒が切れた。


(そうだわ。もう、気を遣う必要なんてないんだ。わたしは、この村を出るんだもの!)


「ぐはっ!?」


 場所も弁えず襲いかかろうとしてきた権蔵の、急所に一撃をくわらすと。


「おあいにく様。今ここで、あなたとの結婚の話は、破談とさせていただきます」


「な、なっ、そんなこと、許されるとでも思っているのか!?」


 後ろから怒声が聞こえてきたが、権蔵が痛みで悶絶し動けないでいるうちに、なずなはその場を逃げ出した。


 そしてそのまま、少ないへそくりと最小限の荷物だけ持ち出し、怪しまれないように村を飛び出す。


 ――権蔵と結婚する気は、ありません。探さないでください。


 と、部屋に置き手紙を残して。

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