第29話 奈落の谷底
「千隼様、大丈夫だろうか」
(……ん? なに?)
夜、明かりを消した部屋の中で、布団に入り微睡んでいたなずなは、話し声で目を覚ました。
「しかし、左京様は別の任務で留守なんだ。仕方ない」
「明日は、大事な儀式だというのに……」
聞こえてくる話の内容が気になり、なずなは羽織を羽織って、廊下へ顔を覗かせる。
「なずな様! すみません、騒がしかったでしょうか」
「いえ……それより、千隼様が、どうかしましたか」
切羽詰まった雰囲気を醸し出す退魔師たちの態度に、なずなは胸騒ぎを覚えた。
「その……鬼が出まして、緊急の鬼斬り要請が」
鬼にも強さの位があり、その鬼はなかなか厄介な物の怪のため、位の低い退魔師は出動できず、困っていたのだと言う。
当主は多忙のため、数日前から再び遠征に出ており、明日の儀式までに戻れるかどうか、という状態。
頼りの左京は、別の地区に出た鬼を退治するため、選りすぐりの側近を連れ、出て行ってしまった後らしい。
「それで……それを知った千隼様は、自分が行くと鬼斬りに向かわれたのですが」
「千隼様は、その……今は、退魔ができるような、状態ではないと聞いております。我々は、それが気がかりで」
だいたいの状況は、把握できた。
確かに、先日の見回りで起きた暴走を思うと、放っておけない。
あの時は、なずながいたことで、正気に戻ることができたと、千隼は言っていた。ならば。
「千隼様が向かった場所は、分かりますか? よろしければ、わたしをそちらへ、案内して欲しいのですが」
「よろしいのですか!」
「案内ですか。もちろんです!」
なずなからの申し出に、退魔師たちは表情を明るくする。
こうして、急いで身支度を済ませたなずなは、退魔師たちに連れられ、蓮水家の所有する裏山の奥へと、足を踏み入れたのだった。
「見えてきました! こちらです、なずな様」
田舎育ちのため、足腰には自信があったが、それでも険しい山道を、ランプの灯りを頼りに進むうち、息が上がる。
だが、ヘロヘロになる前に、なんとか目的地に着いたようだ。
なずなは、ほっと息を吐き、千隼の姿を探すため辺りを見渡す。
しかし、どこにも彼の姿は、見当たらない。
「千隼様は、どこに?」
「こっち、こちらです!」
千隼に同行していた退魔師だろうか。
道案内役とは別の男が、少し遠くから大きく手を振って、なずなを誘導してきた。
「出現した鬼を追い、千隼様はこの谷へ」
「谷へ?」
濃厚な闇の霧がかかり、下がどうなっているのか、ランプの灯りを向けても分からない。
(邪気が充満してるんだわ)
今の千隼が、こんな所を下って行ったら、どうなるか……。
そこでなずなは、違和感を覚えた。
邪気が見えるのは、特殊な能力らしいけれど、鬼憑きである千隼は、普通の人間よりも、邪気を感じ取る能力に長けているはずだ。
そんな彼が、自らこんな谷を下るような真似、するだろうか。
邪気が満ちれば、邪神になってしまう危険も抱えているのに。
突き落とされた、とかならば話は別だが。
「本当に、千隼様は、この下にいるのですか?」
「もちろんです!」
躊躇いなく彼は答えるが、少しも千隼の安否を心配している素振りを感じない。
やはり、なんだか怪しい。
「あなたが……千隼様に、なにかしたのでは?」
なずなの言葉を聞いた途端……取り繕うのを止めるように、退魔師たちが薄ら笑いを浮かべ始める。
「まさか。頭の切れるあの人を、嵌めるなんてとてもできませんよ」
「だから、貴様の方を狙ったのだ」
しまった。騙された。
そう察した時には、遅かった。既に道案内役だった退魔師二名と、先にいた一名に囲まれ、じりじりと崖の方に追い詰められてゆく。
「ひより様が、愛し子となることは確定している。しかし、なにかの間違えが起きては、困るからな」
「我らの主人が、あの男であってはならない」
「そもそも、邪神になる恐れがある鬼など論外。当主は、左京様しかありえないのだ」
だから、悪く思うな。
そんな理不尽な言葉を吐かれても、納得できるはずがない。
なずなは、怯むことなく敵と対峙し、逃げる隙を窺った。
けれど、逃げ道は塞がれ、男三人に力で敵うはずもなく。
「さようなら、鬼の花嫁殿」
「っ!?」
抵抗する間もないまま、谷底へと突き落とされてしまったのだった。
◇◇◇◇◇
「っ!?」
真夜中に、はっと目を覚ました千隼は、胸騒ぎがして、再び寝付く気にはなれなかった。
明日はついに、儀式の日だ。
なずなの生死がかかっていると思うと、自分のこと以上に……柄にもなく、緊張しているのは事実だが。
(嫌な予感がする……)
勘違いならそれでいい。
けれど、確認せずにはいられなくなり、千隼は、なずなの部屋へ様子を見に向かうことにした。
「いない……」
だが、嫌な予感は当たったみたいだ。
なずなの部屋は、もぬけの殻だった。
そして、机の上に残されていた、一通の置き手紙を見つける。
「これは」
『やはり、わたしでは、儀式を成功させることはできません。自信がありません。ひよりに負けるのが怖くなってしまいました。恥を掻きたくないのです。千隼様、どうか、こんなわたしを、お許しください。探さないでください』
そこには、謝罪と別れの言葉が、記されていたけれど。
「くだらない」
冷めた目で呟いた千隼は、ぐしゃりとその紙を握りつぶした。
千隼は、彼女の書く字を知らない。
だから、筆跡から偽物かどうか、判断することはできないけれど。
(なずなは、怖じ気づいて、逃げるような子じゃない)
この小細工を考えた人物は、彼女の強さを侮っている。
そして、なにも分かっていないようだ。
明日の儀式で舞うのは、命をかけた舞。
負けることは、すなわち死を意味する。それを知った上で、なずなは、舞うことを選んでくれたのだ。千隼のために。
負けることで、恥を掻きたくないなんて。
なずなの言葉とは、思えない。
誰が彼女を装って、この手紙を書いたのか、見当はつく。
なずなの身が危ない。
少しの猶予も、許されない可能性が高いだろう。
そう察し、こんな工作をした相手に、問い詰めようと廊下に出た千隼は、不自然な人影を見つけた。
蓮水家は、退魔師の家だ。
夜に活動している者がいるのは、当たり前のこと。けれど、見かけた三人組は、こそこそと挙動がおかしい。
(あれは、左京の……というより、叔父上の取り巻きたちか)
足音と気配を消して、背後から忍び寄る。
「やったぞ! 文義様に成功を報告に行こう」
「ここで恩を売っておけば、左京様が当主になられた暁には、優遇してもらえるはず」
「な、なあ……本当に、大丈夫だろうか。おれらが、犯人だってバレたら、殺されるんじゃ……」
「大丈夫だろ。筆跡を似せた手紙まで用意したんだ。明日、あれを見つけたら、絶望するさ。あの娘は、千隼様の唯一の弱点なんだから」
「誰が、なんで、絶望するって?」
「ひっ!?」
話に夢中だった退魔師の一人を捕まえ、頸動脈に鬼特有の尖った爪を突き立てる。
「僕のなずなを、どこへ?」
「な、なんのことでしょう?」
「とぼけるな。命が惜しければね」
「お、鬼め! そいつを殺したら、即退治してやるからなっ!」
人質は震え上がって、抵抗する気もないようだったが、残り二人は刃向かう気のようだ。
「退治? 本気で、出来ると思ってる?」
やり合ったら、殺されるのは自分たちの方だと、強さの位を察した二名も、ぐっと怯んで黙り込む。
「は、話します! だからっ、命だけはっ」
恐怖に耐えられなくなった人質が、声を震わせで訴えてくる。
「じゃあ、早く教えて。なずなの、居場所を」
(話した後は……ただでは、済まさないけどね)
久しぶりに見せた、千隼のどす黒い笑みに、退魔師たちは、元々の彼の面影を重ね、震え上がったのだった。
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