4―3

「……」

 お気に入りの高台に身を横たえてもシラは眠気を覚えなかった。

「オォ……」

 傍に佇むハクオウも同じく、満天の星を見上げてはため息をつく。

「……」

「オォ……」

 居心地の悪さの原因は後にも先にも三日間眠り続けていたことにあった――

「――シラ様!」

「‼︎」

 寝起きのシラを迎えたのはむくつけき男たちの群れ。シラは思わず左手で槍を構えるも――

「⁉︎っ……」

 手と槍は反発するように痛みを走らせ、シラは神器を取り落とす。

「……シラ様!」

「お気を確かに!」

「…………」

 飛行能力の獲得、共鳴現象、同盟の最後の試験、そして二度目の共鳴現象――衛士たちの介抱の最中、シラは次第に記憶を取り戻してゆく。

「しかし目覚められて本当に良かった……」

「三日間も眠っておられて……どうすればいいかと……」

「⁉︎ 三日もですか!」

 ジョンの予測が正しければ敵襲までに残された時間は一日。気絶で貴重な時間を浪費したことになる。

「あの……来訪者の事、何か聞いていませんか?」

 シラはまだ痛む左手を庇いながら衛士たちに尋ねた。

「……それが――」

『私たちは大丈夫です。ジョンとサーベルの事なら気にしないで、あれくらいであれば一日二日で復帰できます』

 シラの脳裏に暴走状態でしでかした過剰なまでの反撃が浮かぶ。

(あの負傷で……一日二日?)

 口調から伝言を残したのはカーリアで間違いない。ところが……仲間を散々な目に遭わせたにもかかわらず、シラに対する謝罪の要求は無く、それどころか慮ろうとすらしているのはなぜなのか。

「シラ様……おそらくなのですが……」

 衛士たちは横たわる神器に目配せしながら重い口を開く――

 カーリアの伝言によれば、二度目の共鳴現象の後も槍はシラが気絶しているにも関わらず、左手に吸い付くように離れなかった。

「シラさん!――っ‼︎」

 カーリアはシラに近づくも、右大腿部に猛烈な痛みを覚えその場に倒れる。

(これは……一体……)

 キィィ――……

 耳を澄ますと、銀の槍から微かだが共鳴音が鳴り続けていた。

(……まさか!)

 再び接近を試みるも、共鳴音に近づく度に紋章から鋭い痛みが溢れ出す。

「クゥゥン……」

 痛みはカーリアのみならず、紋章で繋がるグラウにも影響を及ぼしていた。

「……」

 カーリアには神器が引き起こす現象がなんなのか見当がつかない。唯一確実なのは到達者である限り、シラに近づくことすらできないということ――

 それからカーリアは大急ぎで衛士たちを呼び出してはシラを預け、自身はジョンの介抱のために森の奥へ駆けていった。

「そういえば槍のことを熱心に尋ねてこられましたが……」

「神器について我々はもちろん、衛士長も詳しいことは知りませんからね……」

「……」

 シラの手のひらには槍の跡が焼印のように刻まれていた。

 共鳴現象もまた歴史の中に埋もれた禁忌なのだろうか。仮にバーラが断片であれ真相を知っていたとしても、回答はおそらくであろう――

「……」

「オォ……」

 謎は深まるも検討する時間は無い。敵の脅威は刻一刻と迫っている。

「――」

 シラは村に向けて跪くと一心に祝詞を唱え出す。

「――――――」

 慣れ親しんだ律動を唱えるも、シラの思考が晴れることはない。

(お父様……)

 シラが欲するのは己を高めるための呼吸ではなく、祈りの加護だった。

 オオォォォ――

 静謐な夜空に一陣の風が吹く。

(私に力を……)

「オォ……」

 風はシラの頭を荒々しくも温もり深く撫でゆく……――

「ガルルルッ!」

「――ッ!」

 漆黒に包まれた森に稲妻が閃く。

「!」

「⁉」

 後には野良頂獣たちが鈍い金属音を鳴らしながら崩れ去っていった。

「サーベル!」

「ガルル!」

 ジョンの精神力を糧にサーベルの体毛は膨張を果たし、次第に白磁めいた滑らかな体表を取り戻し始める。

(カーリアの奴……)

「ガルルルッ!」

 番いの怒りをその身に受け、サーベルが纏う稲妻はさらに勢いを増してゆく。

(一体どういうつもりなんだ……)

 煽った自分に非がある事は承知の上で、ジョンはシラの加減を知らぬ力に一言言っておきたかったのだが……――

『今シラさんとの関係を悪化させるのはよしましょう』

「……チッ」

「ゴウ――‼︎」

 咆哮とともに牙を煌めかせながら、サーベルは飛び込んできた頂獣の首元に喰らいついた。

「――」

 サーベルのあまりの速さに頂獣は悲鳴を上げる間も無く食いちぎられ、後には鉄塊が残るばかりである。

「……」

 ジョンとてカーリアの意図が分からないわけではない。レイギウス帝国と対抗するために戦力の増強は必須。今の同盟では到達者の数はもちろん、質でも劣っているのが現状だ。

『シラさんの到達者としての実力はもちろん……あの銀の槍はとてつもない力を秘めているわ! 頂獣はもちろん到達者ですら寄せ付けないあの力が同盟に加われば……帝国に対して大きな抑止力になる。もしかしたら戦争だって終わらせられるかもしれない!』

(……カーリア)

 帝国に対し今まで同盟が出来てきた事と言えば、攻め込まれた先の住民の避難誘導が精一杯で拠点の恒久的な防衛はもちろん、敵部隊の殲滅なんて夢のまた夢であった。

 この芳しくない戦績に誰よりも心を痛めていたのがカーリアである。先のネアの街の防衛戦は同盟にとって帝国を退けた久々の「勝利」であったにもかかわらず、戦火によって変わり果てた街並みを見て、己の無力さに大粒の涙を流していた――

(でもな――)

 今度は前足の十指に稲妻を走らせ、飛び込んだ先の頂獣を八つ裂きにする。

 ジョンにはシラはもちろん、シラに取り入ろうとする今のカーリアも受け入れ難い。

「ガルルルッ……」

 鉄塊を作り上げたところで四つ足は一度動きを止めた。

「ガルル……」

 ジョンは自身の目と番いの感覚をもってサーベルの調子を測る。自慢の毛並みはもちろん、割れた手首も回復し狩りに支障は無い。シラとの戦いで受けた傷はすっかり完治していた。

「……」

 あれだけの怪我を負いながらも数日の間に回復できるのはひとえに番いとなった頂獣が発揮する特異な性質の賜物である。生体金属は到達者の精神力を糧に生命力を何十倍にも引き上げる。鉄塊も同然だったサーベルの回復は、ジョンの不屈の精神力を受けての賜物だった。

「カーリア……」

 ジョンはこの不死身に近い回復力の秘密を同盟に共有していない。

 人の精神と生体金属の相性を最初に突き止めたのはレイギウス帝国であった。到達者という烙印を押されてきた反動から、彼らは禁忌を破ることに抵抗が無い。帝国の戦士はどの勢力よりも相棒に触れ合い、より強大な力を得るために研鑽を続けてきた。

 ジョンもまたサーベルと番ったことで生まれ故郷から迫害を受け……一時期は帝国に身を寄せていた。

(それでは帝国と同じだ……)

 戦闘面において帝国以上に頂獣の研究が進んでいる場所は無いだろう。彼らは世界に復讐を果たす一心で精神力と生体金属が引き起こす様々な現象を貪欲に追求し……そして破壊行為をもって成果としてきた。

 神通力を発揮せずとも五メートルを超える鉄塊が徒党を組んで迫るだけでも十分な示威行為になる。しかしながら、復讐鬼達に穏当な意見が通じるはずもない。ジョンにも世界に復讐したい思いが無いこともなかったのだが――同志たちの血走った眼がかえって彼を冷静にさせ、袂を別つ事となった。

(まさかあの目をお前に見るとは……)

 力を得た到達者は一様に視野が狭くなり、被害も構わず行使する傾向にある。ジョンは到達者として成長著しいシラと、シラたちの力に惹かれ始めたカーリアに帝国同様の傾向を感じ取っていた。

(これからどうするべきか……)

 差し当たっての問題は帝国の侵攻だ。ジョンが立てた予想が正しければ猶予はあと一日あるかどうか……――

「ガルルル……」

「……いや、今日はもういいだろう」

 復調に昂る相棒を撫でつつ、ジョンは上着の衣嚢から紙と筆を取り出す。

「……」

 黙々と書き込むそれはジョン手製の頂獣の森の地形図であった。

(今日は八体……)

 ジョンは偵察を装いながら森の生態系を変えない範囲で大型頂獣を中心にを行っていた。これは迫り来る敵、ルーカス・スパイク達が持つ頂獣を操る能力を見越してのことであり、番いは一週間かけてめぼしいはぐれ頂獣を処理してきた。

「……」

 サーベルという戦力を背景に、ジョンはニバ村の商人達よりもより詳細に頂獣の森についての見識を深めていった。

 ニバ村でははぐれ頂獣と評される五メートル級の頂獣が数十体単位で生息し、小型も含めればその数は数百に迫る。なるほど森という隠れ蓑は争いを避けるためのこれ以上無いものであろう。

(こんな環境で数百年もの間到達者が生まれないなんてあり得ない)

 到達者になるのに人間側の意思は一切関わらない。カーリア然り、多くの場合は適性を持つ人間を発見次第頂獣が一方的に絆を結びに迫る。そのあまりに唐突な変化こそ到達者が孤立する大きな要因だった。

「……」

「ガルルル……」

 ジョン達が商人達を保護するために最初に森に踏み込んだ時、森の頂獣達はサーベルとグラウを見るや一目散に逃げ出した。ジョンはこの反応を「外来種の侵入に一時的に怯えただけ」と気にも留めていなかったのだが――

(……大巫女の秘技か)

 間引きを行う中でジョンは相対する頂獣がサーベルではなく、首元にいる自身に怯えていることに気がついた。

 聞くところによれば、シロガネさまが休憩兼森の頂獣に縄張りを示すのは三ヶ月周期という悠長な間隔で行われる。それだけ隙があるならば、シラだけでなくもっと多くの村人が頂獣に魅入られて然るべきであろう。

「もしかしたら……」

 シラとの戦いで頂獣ガルダの恐ろしさは十分に理解できた。とはいえそれはあくまで単体としての強さであり、森の頂獣が一度に襲い掛かればやはりその限りではないはずだ。

「……」

 であれば、重要なのはガルダと――その首元に跨る大巫女、その一対が揃うことにある。

 サーベルを通して伝わるはぐれ頂獣達の手応えのなさもまた「大巫女の秘技」の余波なのだとしたら、シラとハクオウに秘められた力はそれこそ帝国との争いを止められるに値するかもしれない――

(……いや)

「サーベル!」

「ゴウ――‼︎」

 番いは再び稲光を纏うと、森の中を閃光のごとく駆け出した。

 ジョンは「もしも」や可能性に賭けるつもりなど無い。信じるべきは己と相棒の力、それが同盟の戦闘員としての彼の哲学である。

「「‼︎――」」

 俺たちの目が黒いうちは帝国の好きにはさせない――戦士の覚悟は白虎の四肢に漲り、勢いは音を後にする。

 森中に巡る閃光は戦士が敷いた防衛線。今宵も番いは迫る戦いに備え哨戒を続けた――

 オオォォォ――

 ニバ村に吹き下ろされる風は村を優しく撫でてゆき、次第に森へと抜けてゆく。シロガネさまの恩寵は理想郷を包み込むように力の渦を描いていた。

「……」

「……」

 風が生み出す力場をニバ村の人々は知らない。

 もしかすると、今のシラ達であれば上空からそれを認識できたかもしれない――

「……」

「……」

 しかし……風の力場を興味深く見つめているのは我らが白銀の化身ではなく夜の闇よりもなお深い黒鉄の翼を持つ番いであった。

「……」

「……」

 黒鉄の番い――レイギウス帝国きっての斥候・ルーカスと蝙蝠型頂獣・カマソッソのスパイクは、あの日ネアの街で仕留め損ねたに思いを馳せる……――

 黒鉄の番いにとって追跡は得意分野であった。とりわけスパイクが持つ音や赤外線にまで及ぶ探知能力はの効率を何倍にも引き上げる。彼らは嬉々として避難民と同盟に与した裏切り者――白磁の番いを追い始めたのだった。

 仕事は番いの能力を持っても骨が折れるものだった。避難民・ニバ村の商人達は脱出のさなか、逃走経路上の痕跡を巧妙に消していたのだ。持ち前の探知能力と経験から追跡自体は続行できたものの――

(ここまで追跡するのにかなり苦労したんだぜ……)

「――!」

 超音波を鳴らしてスパイクも首元のルーカスに同意を示す。

 僅かな痕跡が導いた先、眼下に広がる頂獣の森はルーカスにとって悩ましいものであった。

 視認できるだけでも森には数百を超える頂獣がひしめいている。それにも関わらず、風の力場の働きによって内部の気配は拡散し、スパイクの鋭敏な感覚ですらその構造を正確に捉えることができない。

 他の頂獣を操る能力を持っていたとして、不用意に刺激すれば森そのものが自分たちの敵になりかねない。ルーカスとしてもたかだか裏切り者一人のために寝た子を起こすつもりはなかった。

「……」

 報復が実行できなかったとしても、頂獣の森の発見は帝国の発展に寄与するものだった。あらゆる敵を倒すために、帝国はより多くの頂獣と到達者を欲している。故にルーカスが取るべき行動は頂獣補給基地の存在をいち早く報告する事だったのだが――

「オオォォ――!!!」

 しかし事態は思わぬきっかけで急進を見せた。

「「!!?」」

 力場を乱すほどの風と咆哮。そして上空に輝く虹の光帯――黒鉄の番いは森の一角からシラとハクオウの初飛行を目撃したのである。

「スパイク!」

「――‼︎」

 番いは一転して森に近づき、光帯が描かれた空間・ニバ村の観察を始める。

(こんな場所に本当に人里があるとはな……)

 森の闇や夜の闇に混じりつつ、ルーカスが得た収穫は想像を超えるものであった。ニバ村にはジョンを筆頭に先の戦いで取り逃した獲物が揃っていた。また補給基地としての機能も村を乗っ取ってしまえば解決するのだ。

 風の力場こそスパイクにとって不愉快な現象であるものの……裏を返せば並の感知能力では見破れない偽装として運用できる。この場所が持つ戦略的価値は極めて高い――

「相棒――」

「――!」

 頂獣を利用した破壊工作は番の十八番――森という隠れ蓑は黒鉄の番にも都合がよく、彼らはシラ達の届かないところで着々と準備を整えていた。

「森の規模からしてこれだけの頂獣を支配下に置けば――」

 スパイクは自慢の大口を開くと、数日の間に組み上げたに向けて報復の音波を解き放つ――

「――――――!!!」

 その音は人の聴力の埒外にある。

「「「!!!」」」

 しかし、それがもたらした結果であれば遅れて感じられるであろう。

「!」

 衛士は無言のまま槍を構えて宿所を飛び出し――

「!――」

「ガル⁉︎」

 白磁の番いは来るべき時の到来に稲光を纏い出す――

「オオォォ!」

「ハクオウ!――」

 巫女とカミは村に迫る金属質の危機を察知し空へと駆ける。

(これは……)

「ゴゥ――!!!」

 はぐれ頂獣を中心に、頂獣達は瞳を血走らせながら、視界に映るもの全てに鋼の体躯をぶつけていた。

「ギャアアアア!」

 これには下位の頂獣たちも溜まったものではなく、狂気は連鎖的に拡大する一方だ。

「ガルルルッ‼︎」

 狂乱の渦を断ち切るべく白い閃光が瞬くも……かねての懸念通り、たかだか一対の番いでは焼石に水……騒乱はすでに村の眠りを妨げるまでに膨れ上がり、村境に迫ろうとしている。

「――ッ」

 範囲攻撃はハクオウの得意とするところであるものの……村を包囲する鋼の雪崩を受け止めるには役不足だ。

(私の……私達だけの力じゃ……)

「お困りのようだな」

「⁉︎――」

 シラは眼で彼らを捉えることができなかった――

「オォ――」

 銀色に輝く満月の祝福を拒み、夜闇に溶ける黒鉄を、猛禽の瞳が睨め付ける。

「おいおい、そう脅しつけるなって」

 軽口を叩きつつも男の双眸は一切笑っていない。落ち窪んだ瞳からは白銀の番いの一挙手一投足を焼き付けるごとく視線を走らせ――

「あなたが帝国のルーカス!」

 ハクオウの眼を通してようやくシラはスパイクと、首元のルーカスの肖像を捉えることができた。

 相手の這うように注がれる視線が不愉快なのはもちろん、輪をかけて不気味なのは頭部に刻まれた紋章だ。翼を象ったそれは人相書よりも侵食が進み、もはや右側は漆黒の脈動に覆われていた。

(この番い……何かが違う!)

 大将首は目の前にある。ならば迷わず一瞬で勝負をつけるのみ――白銀の番いは互いの精神を溶かし合い、神通力を練り始めた。

「かわいい顔して以外に好戦的か。いいね……帝国はそういう人材を歓迎するぜ――」

 けどな――スパイクは徐に右足を見せつけた。

「カーリアさん⁉︎」

「……」

 黒鉄の中には血の気を失ったカーリアの姿が収まっていた。

「やっぱり同盟の到達者は手応えがなくて困るぜ。ま、おかげで楽に人質が手に入ったけどな」

 ルーカスはカーリアを嘲笑うとぎらつく瞳で森を見下ろした。

「オ……オ……」

 視線の先にはグラウが力無く身を横たえていた。

「――‼︎」

 首元に空いた二つの穿孔はスパイクの牙によるものだろう。傷は深く、番いから遠ざけられた状況では回復も望めない。

「ひどい……」

「おいおい、あまり人を悪し様に言うもんじゃないぜ。これは慈悲だ。なぜなら――」

「――!」

 白銀の番いは今度こそ、大口から放たれる音の波を目の当たりにした。

「グオオオオ‼︎」

 音は森の頂獣達を狂わし、そのままグラウの下へ走り出す。

「――やめて!」

 叫ぼうともシラの言葉が届くことはない。鋼の群れはあっという間に灰色狼を覆い、命じられるまま襲い始めた。

「いやーこの立地は非常に良い! 身を隠せる森、そこに生息する数百に迫る頂獣……俺たちの力を十全に発揮できる環境なんて滅多にないからなぁ!」

「――――――!!!」

 黒鉄の大口からは支配の音階が止むことなく森へと注がれる。理想郷を包む金属音は拡大を続け……――

「グオオオオ‼︎」

「いやあああああああ!!!」

「お助けをー!!!」

 鋼の群れはとうとう鳥籠を壊し、迫り来る恐怖に嬰児の悲鳴が立ち上る。

「このッ――」

「おっといいのかい?」

 怒りに身を震わせるシラに向けて、黒鉄の番いは得意げに右足を差し向ける。

(……卑怯な)

 ルーカスの言う通り、ニバ村という環境はこれ以上ないほどスパイクと相性がいい。相手の力はこちらの予想を遥かに超えている。

「まあまあ、そう焦るなよ。言ったよな? 俺たちはお嬢さんを助けに来たんだぜ……」

 ルーカスはシラに告げると徐に右腕を挙げた。

「――――――」

 同時にスパイクが音を鳴らす。すると先程まで村を震撼させていた鋼の大合唱がピタリと止み、丑三つ時は静寂をにわかに取り戻し始めた。

「同盟に何を吹き込まれたかは知らねえが、到達者同士利害は一致していると思うんだよなあ。どうだ? 同じはぐれ者同士、こんな辺鄙な場所を捨ててその翼を存分に羽ばたかせることができる環境に身を置かないか?」

「ふざけないで‼︎」

「ゴオオォォ――‼︎」

 巫女の怒りを受け、白銀の化身が嵐を呼ぶ。

「我が名はシラ! 眼下に広がる理想郷・ニバ村の長アルバの孫娘にして、村を守護する大巫女の血を継ぐ者なり!

 何が交渉よ! カーリアさんやグラウ……それに村のみんなを人質に何重にも保険かけるなんて帝国の戦士は卑怯者の集団なのね!

 そのような下賎な者を巫女とカミが相手をすると思ったか! 恥を知れ!」

 たとえ不利な状況でも、シラの口をついて出たのはニバ村の巫女としての誇りであった。

(帝国はだ)

 男の落ち窪んだ瞳には共に未来を築こうとする理性は微塵もない。破壊衝動をぎらつかせ全てを恣にしようとする狂気を一体誰が信じられようか。

「なるほどね……ある程度予想はしていたがにされている方だったか。それならそれでいいさ。じゃあ――」

 ――こういうのはどうだい?

 黒鉄の足が無造作に拘束を解く。

「「――‼︎」」

 シラ達は落下するカーリアに向けて一目散に飛び出した。

(今なら……間に合う‼︎)

 乱れる赤髪を視界に捉え、ハクオウは見事、両足で包み込むようにカーリアを回収した。

「ピュイッ、ピュ――――‼︎」

「……!」

 ハクオウの呼びかけに鋼の覆いが俄かに崩れ出す。

「グラウ!」

 白銀の番いは落下の勢いのまま、グラウに群がる鉄塊に向けて風圧をぶつけた。

「アオオォォン!!!」

 解き放たれたグラウはカーリアを嗅ぎ取ると、ハクオウ目掛けて飛び上がる。

「オォ!」

「アオオォォン!!!」

 ハクオウはすれ違いざまにグラウの背にカーリアを降ろし、逃走を促した。

(お願い……)

 番った頂獣にとって到達者は半身。加えてグラウはとりわけカーリアに対する執着が強い。

 グラウの足捌きであれば戦場から脱出できるはず……シラはわずかな可能性に縋るように心の中で祝詞を唱え――

「ギャアアアアア!」

「⁉︎――」

 巫女の祈りを遮るように鋼の群れが迫り来る。

「人質一人解放しただけで満足してもらったら困るんだよ!」

 グラウの次はお前達だと獣達は猛り狂う。

「「――‼︎」」

 番いはすでに神通力を練り上げており、迫り来る敵を風の刃で切り裂いたり、嵐の防壁でいなしたりと臆することなく捌き出す。

「ほぉ……意外とやるねぇ」

 不敬な獣などカミの前ではものの数にも入らない――平素であれば白銀の番いは敵に向けて守護者としての矜持を宣言するところだった。

「――――――」

「「……ッ」」

 しかし、番いが奮闘したところで数的不利は覆らない。どれだけ巨大な嵐を起こそうとも、それすら飲み込む鉄のうねりに番いは徐々に押されてゆく。

(あの口さえ塞げれば……)

「――――――」

 スパイクは高みの見物とばかりにシラ達のはるか高みから悠々と支配の音色を奏でていた。あの大口から発せられる超音波こそ混沌を生み出した元凶であり、戦況を覆すための第一目標である。

「「……ッ」」

 灰色の番いを見逃したところを見るに、ルーカスがシラとジョンの力量を下に見ている事は明らかだ。地の利は明らかに敵にあり、その上村を人質に取っているとなれば獲物を手のひらの中で弄んでいる気分にもなろう。

「ガルルルル……――」

 遠雷の間隔も次第に伸びてきた。ジョンたちの介入は見込めそうにない。

(一瞬だけでいい……)

 蝙蝠の体格は鷹のそれと異なり非常に薄い。スパイクも例に漏れず、その細身に白銀の三叉を当てられれば逆にこちらが王手をかけられる。

「――――――」

「ハハハハハ‼︎」

 相手が優勢に気を大きくしている時こそ、返しの一撃は重みを増してゆく――

(風よ――)

 オオォォ――

「シラ様――――!!!」

「⁉︎」

 風に届けられた声に巫女の顔が僅かに上がる。

 オオォォ――

「戦士達よ! 今こそ槍の使いどきだ‼︎――」

「シロガネさまに畏み畏み――」

 続けて運ばれてくるのは鋭い金属音とシロガネさまを讃える祝詞――

 オオォォ――

「巫女様が! シロガネさまと共に戦っておられる!」

「シラ様! 頑張って!」

(……これは!)

「――‼︎」

 戦士の槍が野良頂獣を強かに打つ。

「……」

 このような状況でもバーラの口数は少ない。

「――‼︎」

 だが、彼の槍は鋼の脅威に一歩も譲らず、果敢に飛び込んでゆく。

「バーラ様……」

 怯えるばかりだった人々も、バーラを筆頭に防衛に励む衛士達の後ろ姿に勇気づけられると、次第に前を見上げ――

(……あれは)

 月光は白銀の番いが頂獣の群れと奮闘する姿を顕にしていた。

(シラ様!)

 巫女とシロガネさまが一体となって立ち向かう姿は人々に初代大巫女を思い起こさせ――

 オオォォ――

「「「シラ様――――!!!」」」

 あるものは祝詞で、あるものは槍術で、またあるものは声援で……人々はそれぞれのやり方で懸命に戦う巫女とシロガネさまに向けて激を飛ばし始めたのだ。

 オオォォ――

「な……何が起きていがる……」

 人一人が生み出す音など黒鉄の番いにとって毛ほども価値のないものであった。ところが、祈りの大音声はニバ村を覆う風の力場を震わせ、新たなうねりが生まれようとしていたのだ。

(この村はまずい!)

 ただならぬ気配を覚えると黒鉄の番いは一転して大口を森から村に向ける。

「「黙れーーー!!!」」

「「させない!」」

 ゴオオオオォォォ――

 追い風を受け、白銀の番いは夜闇よりも深い暗黒に向けて飛翔した。

「その程度の動きで――!」

 ルーカスとてスパイクの弱点は理解していた。シラ達を見下していたのは事実だが、少女が思うほど油断していたわけでもない。ルーカスは帝国の斥候として、の芽を摘むべく再び反転した――

(空中戦を想定していないと思うな――)

 敵の特攻に備えルーカスは森の中に小型の飛行頂獣を忍ばせていた。スパイクが一言発すれば侵攻を妨害できる。弱ったガルダであれば撃墜すら可能だ。

 ゴオオオオォォォ――

 ゴオオオオォォォ――

(これは――)

 風のうねりはスパイクの支配の波長を打ち砕き、村を祈りの音階で満たしてゆく。

「⁉︎――」

 風の音は夜空に白銀の流星群を呼び、星の尾は村に向けて一直線に伸びゆく。

「あの輝きはもしや……」

 窮地であるにも関わらず、村人達は頭上に浮かぶ輝きを前にとある慶事を思い浮かべた。

「「「ゴオオオオォォォ――」」」

 星々は村境の小屋を目指し散り散りに舞う。

「ピュイィィィ――」

「オウ!」

 すれ違いざまにハクオウに呼びかけるは同じく白銀の翼を持つ大鷹の頂獣――

「シロガネさま‼︎」

 ヒュオオォォ――

 風とともにニバ村の守護神・シロガネさま十数柱は防衛線を張るように降臨した。

(ガルダの群れだと⁉︎)

 ルーカスが事前調査で確認したガルダはハクオウ一頭のみであり、森の周辺にも同種の気配は微塵も感じられなかった。

 しかしルーカスは知らない。ニバ村が直近に神々を迎える「羽休めの儀」を控えている事など異邦人に知れるはずもないだろう。

 本来神々が降臨するのは二週間後であるはずなのだが――ハクオウはシラの望む風として一月も前倒しにやってきたのである――此度の降臨もニバ村が一丸となった祈りがカミに聞き届けられた奇跡……――

「こんな事認められるかよ!」

 ガルダ一頭の力は並の頂獣の数十体分に相当する。神々の防衛線はルーカスの数的優位はもちろん、ニバ村そのものを人質とする作戦すら無為に帰せしめたのだ。奇跡の前に黒鉄の番いの計略はあっけなく崩れ去り、後には激憤が残るばかりであった。

「「ああああああああ!!!」」

「「⁉︎――ッ」」

 飛び込む白銀の三叉を黒鉄の番いはかろうじて避ける。

「……」

「……」

 夜空に一等星の如き煌めきと、夜闇よりも深い漆黒が並び立つ。

 神風は再び吹き、決着の刻は近い――

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