白銀のシラ

鳳赤城

第一章 白銀の翼

1―1

 脳裏を焼き尽くさんと広がる白銀の煌めき――

「――」

 迫り来る輝きにたまらずシラは跳ね起きた。

「!」

 ドッドッと早鐘を打つ鼓動。胸部を押さえるも、動悸はなかなか治らない。

「またあの夢かぁ……」

 滲む冷や汗を拭いながら呼吸を整えるシラ。

「……」

 シラが悪夢を見始めてもう五日になる。畳む布団の生地は悪夢の跡が染み込み、本音を言えば今すぐにでも干したいところだが……いくら自身が村の特権階級とはいえ薄くない生地を毎日のように洗ってもらうのは気が引けた。

(ここはそんなに贅沢できる場所じゃないしね)

 とはいえ流石に着物は別だ。シラはしとど濡れた寝巻きを手早く脱ぎ、慣れた手つきで巫女服の上下を纏う。

「ふぅ……」

 服の胸元を刺繍沿いに撫でる。見習いという立場ゆえ、装飾は質素なものだが、込められた思いに軽重はない。袖を通す度にシラの背は自然と伸びてゆく。

(お母様かあさまもこんな気持ちだったのだろうか)

「……」

 部屋の隅には埃を被った葛籠が一つ、ポツンと佇んでいる。

「はぁー……」

 シラは寝巻きをまとめると、引き戸に立てかけてある、銀の槍を背負い、部屋を出た。

 早朝の爽やかな空気を楽しみつつ、足音は消して……。時刻は午前四時。世話焼きな女官を起こさないための習慣なのだが、こうして歩いているとシラは音と同じように自身の存在も消えてしまったような気分になるのだ。

(こんなことだから余計なことを考えてしまうのかもしれない)

 土地が限られたニバ村において相部屋は当たり前のものだ。山羊飼いはもちろん、衛士も、女官も、神官ですら一部屋を二人以上で共有する。一人部屋を持てるのは村長(むらおさ)であるシラの祖父・アルバと大巫女、村の頂点に立つ男女二人の特権である。

「……」

 社殿を抜け出るとまだ顔を出したばかりの陽光がシラの銀髪を照らす。

「……っ」

 暁によって立ちこめる草木の甘い香りは早朝散歩の醍醐味なのだが……今のシラ虫のいどころが悪く、己を焼く光に目を窄めた。

 瞼の裏に浮かぶのは埃を被った母の葛籠――

「巫女の家系は代々短命……」

 それは意地の悪い流言ではなく、事実として記録されていることだった。直近で言えばシラを産んで亡くなった先代大巫女・シタ、そして先々代の祖母もまた風邪を拗らせて四十半で亡くなっている。

 シラの私室は本来大巫女の私室であり、母から相続したようなものだった。シラは物心ついた時、流石に一人で過ごしている事に気が引けて「誰か女官でも一人入れた方がいいのでは?」と祖父に進言したことがあったのだが――

「それはならぬ。大巫女の私室は神聖不可侵なものだ。他人を入れるなんてかえって周囲に示しがつかなくなる」

 と退けられたのだった。

「私を大巫女と認めてしまえば楽なのに」

 頑固だが愛情深い祖父が今の言葉を耳にしたらどんな反応をするだろうか。

 まずシラの発言の軽率なところをいくつも述べあげ、その後は――

「ふぅ……」

 重苦しい想像を繰り返す自分が馬鹿らしくなるとシラは気分を切り替えるべく両手で頬を叩いた。

「!」

 抜けるような青空の元で乾いた音が響く。

「――」

 そして、そのまま髪を後ろに流し、大きく草原を駆け出した――

「ハッ……ハッ……!」

 朝焼けがじわりと全身を炙り、肺の中の空気が青々と――身体中に吹き溜まっていた陰気を発散させながら、少女の体は前へ前へと駆けてゆく。

「はぁっ!」

 たどり着いた高台はシラにとってお気に入りの場所だった。まだ誰も目を覚ましていない、静謐な朝。そこで両手を広げて朝日を一身に浴びると、まるで村を抱いているような力強さを感じられるのだ。

「ふぅ……」

 息を整えながら眼下に広がる景色を眺める。

 モゾモゾと動き出す白い影。ヤギ達はもう腹を空かせているのだろうか、一頭が鳴き出すとつられて輪唱を始める。

 それに煽られるように屋根から煙が立ち昇る。山羊飼いにとってヤギは鳥よりも身近な目覚ましだ。

「ふふっ――」

 村の目覚めを見てシラの顔に笑みが溢れた。ヤギはニバ村に多くの恵みをもたらす家族であり、乳児期をヤギの乳で育ったシラにとって彼らが息災であることは我がごとのように嬉しい。

「さてと……」

 しかしのんびりとばかりはしていられない。

「……」

 シラは一転太陽に向けて跪く。陽光に向けて身を伏せつつ、両手を胸元で握り締めては祝詞を唱え始めた。

 早朝の逍遥こそはシラの趣味であるが、早朝の祈りは巫女にとって重要な仕事である。

「――――――」

 シラは物心ついた時から仕込まれた数々の呪文を唱えつつ、意識は次第に悪夢へと向く。

(五回目、か……)

 シラには「一度見聞したものを忘れない」という記憶の才があった。

 ヤギ乳の味がきっかけで判明したその才能は、シラの祖父であり村長のアルバにとっては天啓に思えるほどの代物だった。

(この才能があれば……孫に全てを託すことができる!)

 ニバ村は政を行う司祭階級、村の防衛を担う衛士階級、ヤギを中心に村の生産を賄う農業階級、物資や外部の技術・文化情報を調達する商業階級の四者で成り立っている。

 司祭階級を頂点に、その他三階級が傅く……というのが建前なのだが、いかんせんニバ村は規模が小さく、時代をへるにつれて階級間の格差はほとんどなくなってしまった。出身に関わらずどの子供も成人するまでは同じような教育を受け、適性が見出されれば山羊飼いの子でも政治に携われたり、算盤を弾く代わりに槍を振ったりと階級はもはや徒弟制の職能集団に近い。

 ――しかしここには一つの例外が存在する。

「……」

 ニバ村は女系の大巫女を頂点に戴く支配体制であった。

「……っ!」

 噛み切るように祝詞を唱え終えたシラ。喉奥には今まさに祝福とは真反対の呪詛が突き出ようとしている。

(お祖父じい様……)

 内政は村長という男性の指導者が治めるものの、その立場はあくまで大巫女を補佐する職である。階級意識が創設当時よりも薄れてきたとはいえ、村の象徴が不在というのは大きな問題であった。

 男性であるアルバが巫女になることはできない。現在はシラが十三歳――十四歳の成人を迎えていないがためだけに、大巫女の代理として村を治めているに過ぎないのだ。

「……」

 政治体制を安定させることだけを考えるなら未成年だろうとシラを大巫女に据えるのが道理であろう。

「な〜に馬鹿なことを言っておる! 子供の仕事は子供らしく将来に向けて勉強したり、一日中遊び呆けたりすることに決まっておる! 一丁前に気を遣うな!」

 ところがアルバはシラを大巫女に据えず、子供のままでいさせることを決断した。

 未成年で大巫女に即位した例は無く、後継者が成人するまでは村のあらゆる人々が総出でその不在を補うことが慣例であったようだ。

 しかしながら十三年は前例のない長さであり、それが不破をもたらし始めていることにシラは気づいていた。

「……」

 見習いとはいえ巫女。目覚め始めている村の中、不用意に呪詛を吐けばどうなるか、少女は十分に理解している。

(……綺麗だけど……狭いなぁ)

 代わりにシラは眼下に広がる村を思い、溜飲を下げた。

 ニバ村は山深い高地に位置する。

 森林は木材や木の実を、山は水源を、祖先たちによって切り開かれた草原は牧草と農地を――冬場こそ豪雪に覆われて出稼ぎが必要なことを除けば、村の自然は人々が生きてゆくのに必要な恵みをもたらしてくれる。

(あの鳴き声はカシムさんのところのスーちゃん。衛士の皆さんは見張りの交代。この匂いは……今日の朝ごはんはシチューかしら)

 祝詞はまさしく呪文。シラは祈りの呪言によって引き上げられた五感を持って、高台に立ち昇るわずかな情報から村の全体像を読み上げる。

 身分こそ子供扱いなれどアルバはシラを甘やかすことはしなかった。

 むしろその逆。祖父は自分がいなくなった時のことを第一に考え、与えうる知識を全て――大巫女の秘技を除いて――シラへと注ぎ込んだのだった。

「子供の仕事は子供らしく将来に向けて勉強したり、一日中遊び呆けたりすること」

 祖父の言葉は矛盾しているように感じたものの……その期待に応えるべく、シラは己が才を使うことに決めた。

 ある時は一日中机に齧り付き、またあるときは村中を遊び場としてさまざまな階級の人々にちょっかいをかけ……見聞を広げるごとに彼女は村の情報を己の血肉へ変えてゆき、今では村境の高台からも、村の様子を手に取るように把握できるまでになったのだった。

(お祖父様は一体何を恐れているのだろう……)

 なるほど巫女の不在を快く思っていない勢力は存在するのだろう。

「……!」

 シラは境界の外、森の中に輝く影を複数見つけた。

 しかし、彼らが表立って不満を表すこともまた無いのだ。

(……頂獣ちょうじゅう!)

 風は鉄塊が大地を叩きつける音と、板金同士が衣擦れの如く打ち合う音を運ぶ。緑あふれるニバ村にそぐわない硬質な反響は村人にとって耳慣れた頂獣の生態音だ。

 ニバ村を囲むように存在する森にはこの世界、青い惑星ブルーアースを代表する金属生命体・頂獣が数多く生息している。

 頂獣とは金属の肉体と動物の似姿・本能を備え、生態系の頂点に君臨する獣。

 その体長は最低でも二メートルを超える。その体質と質量により人間の武器は概ね通用せず、逆に一撃でも受ければ脆い肉ではひとたまりも無い。

 生身の人間が頂獣を倒すことは不可能に等しい。余程の運に恵まれなければあの鋼鉄でできた肉体に傷一つ負わせることだって難しいだろう。衛士たちは村の防衛のために槍で武装しているものの、その程度の武装では脅しにすらならないのではとシラは内心訝しんでいた。

 森の中で時折輝く光はもれなく頂獣の光沢を示している。高台から見下ろすだけでもその瞬きは数百を超え……それを見るたびにシラは、村が頂獣という超常的な生き物に常に囲まれている事実に肝を冷やすのだ。

「べええ〜〜」

 ヤギの食事をねだる声がこだまする。

 掠っただけで致命傷を負いかねない、そんな凶悪な生き物に囲まれているにもかかわらず村は牧歌的な一日を迎えている。村境という最前線に構える衛士たちですら夜勤明けの解放感から大欠伸――シラは時折この感覚の違いをどう受け止めればいいのか言葉に詰まる。

 歴史を紐解けばニバ村が生まれる遥か昔、青い惑星ブルーアースでは人と頂獣を巡る大規模な争いが繰り広げられていたようだ。

 その時代では脆い肉体の人間はもちろん、頑健な頂獣すら光となって消し飛ぶほどの強烈な力が行使されたとか。

 争いの詳細については歴史書に編纂されていなかった。シラはあの鋼の獣を滅ぼすほどの力に興味があったのだが、先達にとって重要では無かったのか――あるいは書き残すことを憚れるほどに悍ましい光景だったのだろう――争いに関してはさわり程度にしか記録されていない。

 代わりに、ニバ村がどのように成立したのか、その過程は事細かに記録されている。

 相次ぐ争いに倦み疲れた先人たちは、志を同じくする人々と共に争いの無い理想郷を求め旅を始めた。

 同志は増えてゆくものの、理想郷はなかなか見つからない。どこか定まった場所を開拓しようにも、人間がいる場所で戦火の立たない場所はなかった。旅の果てに先達たちが焦土に膝をついて諦めようとしたその時――

「……」

 風がシラの髪を撫でる。持ち上げられるは血によって受け継がれた白銀の輝き――一行の前に現れたのは銀髪の女性・ハク。彼女は一頭の大鷲型頂獣を伴い――

「私はあなた方のような平和を望む人たちを探していました。どうか私をその理想のためにお役立てください――」

 芝居がかったセリフにシラの歯が浮きそうになるが、歴史書にはこう記されているのだから他に言いようが無い。

 ともかく、旅の一行に頂獣を操る女性が加わった。人々は初め、争いの象徴である頂獣を操るハクを快く思わなかったのだが……獣が一声で他の頂獣を平伏させたり、迫る敵を羽ばたき一つで退けたりと、数々の威容を見せつけられるにつれ、考えを改めるようになる。

(頂獣が、が我々を守ってくださる!)

 人に慣れないはずの頂獣がハクに傅き、あまつさえ同志を守るべく奮闘する姿に、先人たちは次第にハクとシロガネさまへ心を開いていった。

 戦乱の世で初めて見つけた安心――ハクの下で同志はその数をさらに増やし、彼らを守るようにシロガネさまも一頭、また一頭と隊列に加わり空を舞う。

 しかしながら、一行の規模が大きくなることは良いことばかりでは無かった。旅先で得られる物資ではもはや彼らの口を賄うことはできない。いくら火の粉を払いのけることができたとして、生活が成り立たなくては意味が無い。

 先人たちは兼ねてからの願いである理想郷の確保、旅の終わりを望み始めた。

「……皆さんがよろしいのであれば心当たりがあります」

 そんな彼らの望みを悟るとハクはとある山を指差した。

「……」

 それこそシラが足を踏み締めるニバ村の地である。

 ハクの言葉を聞いて初め先達たちは彼女の正気を疑った。

 一行は争いごとを避けるために旅を続けてきた。にもかかわらず彼女が示したのはあろうことか争いの象徴たる頂獣が根城にしている場所なのだ。

 ハクとて人間の足が及ぶ範囲で理想郷を見つけたかった。しかしどれだけ探しても平地に安心して過ごせる場所は無かったのだ。このままあてもなく彷徨っていれば全員行き倒れになることになってしまう。彼女としてはそれだけは避けたかった。

「人と頂獣、この二つのうち一つは私が、が引き受けます」

 ハクはそう言うとシロガネさまを引き連れて山を、森を分け行った。

 するとどうだろう、彼女が征く先々で、山の頂獣たちはシロガネさまを恐れ蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。

「……」

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。彼らも覚悟を決め彼女の後を追ってゆく。

 そして――

「これは……!」

 皮肉なことに頂獣の根城になっていたことで山は豊かな自然を維持していた。なるほど開拓するのには手がかかるが、人手だけなら十二分に揃っている。そして……厄介な頂獣はハク……いや、が払いのけてくださる! これならば、理想郷を作り上げることが出来る!

「ふぅ……」

 シラは村の歴史を一息に反芻した。

 なるほど村長による代行政治、もといアルバが気に入らなければ弑することもできるだろう。自称先が短いと嘆く老人を倒す方法なんていくらでもある。所詮は代理、大巫女の補佐はその血縁でなくとも務めることが出来る。これまで大巫女の縁者が務めてきたのはあくまで慣例、規則には定められていないことだった。

 しかし、村を維持するためにはシロガネさまと繋がることが出来る大巫女の存在が不可欠。

「……」

 例え一時的な権力を掌握したとして、それはあくまで人間の理の範囲に過ぎない。

 鋼の獣に人の言葉は届かない。彼らを相手にするにはやはり、鋼の言葉で語らなくてはならないのだから。

「……どうしてなのかなぁ」

 アルバは孫を可愛がりたいがためなのか、未成年であることをダシにシロガネさまと繋がるための秘技、その一切を秘匿していた。

 代わりにアルバはシラにそれ以外の事、読み書きそろばんはもちろん、村の歴史、為政者としての作法、さらには成人した神官たちが学ぶような先々の知識を雪崩のように教え込こんだ。シラは祖父の期待に応えるべく、与えられた知識を己の血肉に取り込んできたのだが……どれだけ調べても、今日に至るまで大巫女の核心に関わる事は学べずにいた。

「……」

 大巫女の空位は頂獣の脅威から身を裸にしているに等しい。

 歴史書を紐解くと頂獣と直接会話を行ったのは初代大巫女・ハク一人。彼女の死後、シロガネさまたちはその意志を継いで数百年もの間村を守り続けている。

 一方で――

「シロガネさまに、頂獣に直接触れることは決してあってはならない――」

 これはハク自身が残したニバ村最大の掟である。

(村を守るためにはシロガネさまと繋がらなくてはいけない。その一方で、それに制限を設けているのはなぜ?)

 歴史書を紐解いても、疑問への回答はついぞ見当たらなかった。祖父はもちろん口を割らなず、神官達はシラが意図するところすら理解していない様子だった。

(村は今揺らごうとしているのに)

 アルバの治世に異を唱える者が現れるのも無理はない。村は内側だけ見ればそれなりに安定しているのだ。なればこそ村の掟を崩そうとしている現村長を倒し、先代からの伝統を守る新たな指導者を求めるのは自然なことと言えるだろう。

 だが村の外へ一歩でも足を踏み出せば、そこは鋼の掟が支配する。

 もし今シロガネさまが目を光らせている村境を不敬な頂獣が攻め込んできたら……――

「シラ――」

 暖かな声が耳元でこだまする。

「!――」

 振り返るもそこには誰もおらず、ただ一陣の風が頬を撫でるばかりだ。

「……」

 シラが考える祖父の教育の最大の成果、それは夢見という名の記憶の整理方法だ。

 農業階級の武器が生産を支える土地とヤギ、商業階級の武器が資金とそろばん、衛士階級の武器が肉体と槍であるならば、司祭階級の武器は情報の収集と編纂である。

 どんなに小さな出来事でも事細かに記し、それをしかるべき時に引き出す。積もり積もった慣例は伝統や法に変わる。それら全てを把握・運用しているからこそ、祖父は村長として、神官たちの頂点に立っているのだった。

 物心ついた時から祖父による英才教育を受けてきたためか、シラは無意識のうちに見聞したものを咀嚼し整理する癖を身につけた。その作業が夢にまで現れる状態を、シラは夢見と名付けていた。

「……」

 シラが抱いている不安、その中核は巫女である自分がシロガネさまと繋がるための秘技を受け継いでいない事だ。

 その結果浮かび上がったのが始まりの記憶……自身の誕生と両親との別れだった。

「……」

 巫女の血の宿命か……シタはお産が悪く、シラを産んだ直後に亡くなった。そんな不幸、大巫女の不在を嗅ぎつけ不届きなはぐれ頂獣が村に襲いかかる――

「お父様……」

 父・バヅは残された幼いシラと村を守るため、衛士の頂点、衛士長として立ち上がり、白銀の輝きと共に頂獣を退けた。

「……」

 シラは徐に、父の形見である背中の銀の槍へと向いた。

 夢はいつもバヅが左腕に白銀の輝きを宿し、頂獣へと立ち向かう場面で途切れている。

 この輝きの正体は銀の槍で間違いないだろう。ニバ村創設時にハクから当代衛士長へと送られた白銀細工の槍は、穂先から石突に至るまで全てが白銀でできている。この槍であれば、使い手次第では頂獣を滅ぼせるやもしれない。

「なんか引っかかるんだよなぁ……」

 シラが父ついて尋ねるたびに、村人達は「バヅ様は十三年前村を救った大英雄だ」と口々に語る。しかしてその詳細に踏み込もうとするたびに、誰もが口を閉ざしてしまう。

「どうして、お父様だったのか……」

 衛士は村を守るため、日々厳しい訓練に明け暮れている。そこに神器が加われば、身の丈以上の鋼の獣を討つ可能性が生まれる……――

(……ありえない)

 シラは伝承を鵜呑みにするほど純粋では無かった。

 どれだけ準備を重ねたとしても、森を行き来するだけでも危険が伴うのは商人達が証明している。出稼ぎのたびに怪我人はもちろん、も出ている事をシラは把握していた。ひたすら逃げに徹したところで、頂獣が手心を加えるはずがない。鋼の獣と関わって無傷でいられるはずがないのだ。

 その例にもれず、英雄バヅは頂獣を退けた後「失踪」したと記録されている。

 夢と記憶だけでは父がどのようにして村の危機を救ったのか想像もつかない。もしかしたら本当に衛士の技と銀の槍を以て屠ったのかもしれない。だとすればバヅは人類史上初めて体術で頂獣を倒した英雄豪傑として名を残すことになるだろう。

(いや、もしかしたら――)

「ふーっ……」

 白銀の光が掻き立てる一片の想像を思い浮かべると、シラは思考を止めた。

「……」

 シラが今思い浮かべている想像・可能性をアルバに話せば、老爺は血相変えて「二度とそのような事を口にするではないぞ」と一喝するだろう。

 伝統派を激昂させるような可能性……シラが思い浮かべたそれは「バヅが衛士であるにもかかわらず、シロガネさまと通じ合った」というものだった。

 ニバ村はシロガネさまという頂獣と、通じ合った人間によって保護されてきた歴史を持つ。母が役目を果たせなかったのであれば、その代わりを父が担ったというのは一応の筋が通ってはいないだろうか……。

「……」

 大巫女の秘技……人と頂獣が通じ合う術はおそらく知った人間に絶大な力と、代償として同じだけの不幸をもたらす諸刃の刃なのだろう。

 仮にアルバがシラに出生時の出来事や大巫女の秘技について教えた結果、残された孫すらも失うことになってしまったら……祖父が孫を孫のまま可愛がりたいというのは自然なこと。シタとバヅ、祖父はあの日家族を立て続けに失ったのだからその感情もひとしおだ。同じ立場であればシラとて祖父を責めることはできない。

「……」

 村の伝統に則るのであれば、大巫女の地位は母から娘へ受け継がれる。故にシラに選択肢は無い。十四歳の成人まで残り半年。おそらくそれまでにはアルバも腹を括って孫を大巫女として扱うのだろう。シラは村を守るための秘技を継承し、全てを知ると同時に――

「……鳥籠みたいね」

 内側にいればシロガネさまという親鳥の庇護の下、村人たちは安定した生活を送ることができる。冬場こそ心許ないが、農業階級の貪欲な挑戦が品種改良を成功させつつあるらしい。ニバ村はいずれ冬を克服する……シロガネさま、そして村とカミを繋ぐ大巫女を称える限り村はゆりかごの中で成長を続けてゆくのだ。

「ははは……――」

 乾いた笑いが風に乗って消えてゆく。

 村の歴史を学ぶ中でシラは一つ疑問に思っていることがあった。

(ハクはなぜ、ニバ村なんか作ったのだろう)

 商人たちの話を聞くに、頂獣の脅威は村を囲う森にとどまらず、平地、空、水中と至るところに存在するらしい。大戦争からもう数百年経っているにもかかわらず、人類は未だ鋼の脅威に対抗策を見出せていない。

「……一人で逃げちゃえばよかったのに」

 シラはそよ風にすら攫われないよう小さくこぼす。

 伝承を鵜呑みにするならば、ハクはシロガネさま、もとい頂獣を一頭のみならず複数頭操れるだけの強大な力を持っていた。それだけの力があれば戦乱の世を一人で切り抜けることだって出来たはずだろう。

 にも関わらず、彼女からしてみれば足手纏いにすらならない難民を匿い、他者に尽くしたのは何故なのか……――

(あなたが始めた伝統のせいで、はここから羽ばたけない……)

 ニバ村には冬場の食料以外にもう一つ弱みを抱えている。

 村の医術は外の世界と比べ大幅に遅れているらしい。交易における支出の一位は冬場の食料だが、二位は医薬品が占めている。

 大自然のゆりかごのおかげか村人の多くは健康に恵まれ、生涯風邪を引くことも稀である。医学が盛んでは無いのはそれが理由だ。神官の中に医術師がいなくはないが、彼らは外から取り寄せた道具の使い方は知っていても、それを足がかりに独自の、ニバ村に見合った医学を発展させる事に関心が薄かった。何かあればとりあえず祈祷。それが伝統である。

 巫女の血統は代々短命――村の医療が充分に発展していたら、あるいは森という障壁が無くお産を手助けできる専門医を村の外から自由に招聘できていたら……母が死ぬことは無かったのではないだろうか……。

「……」

(私はこの理想郷を維持するための、巫女という部品)

 あの日バヅが起こした行為については記録すら残されていなかった。

(村にとって不都合な事は子供の前に隠される……)

 シラは再び体を大きく広げ、その身に風を受ける。

 このまま何もしなければ半年などあっという間に過ぎてしまうだろう。子供のまま、知ることを押さえつけられた先に選択肢は無い。一度成人を迎えたが最後、シラは大巫女として、村とシロガネさまに縛られてしまう。

「……!」

 シラは祖父による詰め込み教育に感謝していた。無尽にも思われた慣例の記憶は才能を持ってしても根を上げるほどであったが……おかげでシラは思考力という武器を磨くことができた。

(あとは時間との勝負――)

「!」

 シラは銀の槍を構えると、決意の表情で高台の背後に広がる森へと向かいはじめた。

 見習いという身分はシラにとって「半人前」という屈辱的なものである一方で、隠れ蓑としては有用なものだった。

 村内で下積みに励む中、シラは子供の仮面を被っては村のさまざまな人々にちょっかいをかけてきた。神官、衛士、農家、商人……好奇心を全面に出す雛鳥を前に受け手の口は思わず軽くなる。少女が将来の権力者かつ、親がいないという同情を誘う境遇というのが尚更、をつけてくれることが多々あった。

 見習いという仮面の裏で人々の信頼を踏み躙っていることに罪悪感を覚えつつ、シラはとうとう突破口を見出すきっかけを掴めた。

「……」

 ヤギの目覚まし、衛士たちの交代、煮炊きの煙……狭い村では意図せず互いを監視しあってしまう。巫女ともなれば尚更、平時は女官や衛士の目が常に注がれ気疲れが絶えない。

 そんな村人の視線が唯一狭まる時間帯こそ朝方の寝起きの時間だった。

「――!」

(引き継ぎの時だけは衛士全員が詰所に集まる――)

 商人と神官の多くはまだ微睡の中にいる。誰よりも勤勉な祖父は目覚めているかもしれないが……ここ数年シラは「朝方だけは一人で祈りを捧げたい」と反抗期を表明してきた。そしてその習慣は慣例となり、今ではこうして女官を伴わずにいられるのだ。

(お父様、力を貸して!)

 ニバ村では風が幸運を運んでくるという。

「――!」

 シラは風を待つつもりなど無い。監視の目を掻い潜るのにすでに数年もの時間を費やしてしまったのだ。これ以上準備を重ねようと思えば半年などあっという間に過ぎてしまうだろう。

「――ッ!」

(お母様、私に加護を!)

 後ろに母の形見、巫女の血統を示す銀髪を靡かせ、行先は父の形見、白銀の切っ先で照らしてゆく。心の中で祝詞を唱えながら、シラは十三年前の因縁に挑むべく、頂獣の森へと直走る。

 その時――

「!――」

 シラは背後から猛烈な風を感じた。

 追い風と呼ぶには勢いが過剰で、駆け足がもつれるとシラは地面に倒れ伏してしまった。

「――!!?」

 風は次第にシラの体を押し潰してゆく。

(こんな……ところで……!)

 未体験の圧にもシラは挫けない。この機会を逃せば次はない――決意はシラを奮い立たせ、槍を地面に突き立てては、それを支えに立ち上がる。

「ッ!」

 さすが神器というべきか。木の幹がへし折れるような嵐の中でも槍は輝きを失わずにシラを大地に繋ぎ止めている。

「ッ……」

 嵐はこの場の全てを弄ぶ。シラの肉体はすでに大地を離れ、手を離したら最後、流れのままどこかに飛ばされてしまうだろう。

 飛ばされる先が森であれば計画に変更は無い。だがそれと同じくらいの確率で村に投げ飛ばされる可能性もある。そしてシラはどちらも願い下げだった。己の身を粉にして掴んだ機会、気まぐれな風などに託す気は微塵もない。

「こ……のっ!」

 迫る脅威にシラは両目を見開く――

「ゴオオオオォォォ――」

「!??」

 これだけの嵐に関わらず、シラの瞳に飛び込んできたのは雲ひとつない青空と――

「ゴオオオオォォォ――」

 白銀に輝く、流星。

「あ――」

 異変はシラに向けて真っ直ぐに迫っている。光と風はシラの感覚を塗りつぶしてゆき――

「‼︎」

 ――高台に光が弾けた。

「べええええええ!」

「ん?」

 山羊飼いの一人が鳴き声に促され空を見上げた。

「……」

 風は徐々に風下の村へと広がってゆく。しかしながら、皆朝の仕事に追われており、それが何を意味するのか汲み取る者はいない。やたらと上を見て鳴くを見ても「腹が減っているのだろう」と手を休めず、村の朝は淡々と進む。

 ヒュオオオオオオオオ――

 高台には残された槍を中心につむじ風が舞うばかり――かくて神風は吹き、シラの運命は思いもよらぬ方向へ運ばれる。

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