1―3

 議場には各階級の幹部がずらりと並び神隠しについて頭を悩ませていた。

「まったくこんな事態は前代未聞ですぞ」

おさ、これがどのような事態なのかわかっておいでか!」

「時期はずれのシロガネさま……ああ、これはカミからの警告に違いない!」

 とりわけ神官たちはアルバに抗議するように声を捲し立てていた。

(愚か者どもめ……)

 老体に鞭を打って政治の矢面に立ち、愛する孫娘から嫌われることも厭わずに大巫女の地位から遠ざけること十三年……アルバの心は議場の熱気とは対照的に鉄のように冷えていた。

(とはいえ……儂もどうしたもんか……)

 ニバ村は大巫女不在というあるべき姿を欠いているものの、この十三年の間その権威を必要とする事態は起きていない。日常の些事は基本的に村長以下が対応するものであり、変化の乏しい村内でのトラブルは概ね慣例を基準に判断すれば事足りていたのだ――

「……」

 アルバは目線を詰め寄る神官たちから議場へ動かした。

「……」

 衛士たちは衛士長たるバーラを筆頭に一言も発していない。胡座をかいてはただジッと議場を見つめている。

 彼らは政治に対してほとんど口出しをしない。衛士とは大巫女と村の守り手であり、その範囲において口を開くが、多くの場合政治と武力の均衡を保つことを信条とし、沈黙を守ることが多い。

「はぁ……」

 アルバはため息をつくと、今やすっかり輝きが抜け落ちた白髪を掻いた。

(まったく歳なんかとりたくはないわ)

「……」

 アルバの目が議場の、扉の奥へと向けられる。

「おい……」

「騒ぐな。不敬だぞ……」

「……」

 扉の向こう側では槍を構えた衛士たちが社屋を守るべく隊列を構えていた。

「オォ――」

「「「!――」」」

 建物に入り込む隙間風、その発生源が脳裏をよぎると誰もが言葉を失う。

「……」

 頭を掻きながら、アルバは事の顛末を振り返る……――

 事態が発覚したのは朝餉の刻。食卓にシラが現れなかった事がきっかけだった。

(カシムのところにでも行っているのか?)

 村長の仕事は神官が思っているほど煌びやかでは無い。とりわけ私欲無く取り組めば、日常のほとんどを各階級間の調整に費やすこととなる。

 アルバは「シラを子供扱いする」というおそらくニバ村始まって以来の権利の乱用を行なっている自覚があった。この我儘を押し通すためにはその他の政務を誠実に全うする必要がある――故に老爺は齢六十を過ぎても精力的に政務に従事していた。

 そんなアルバにとって孫と過ごせる時間はこれ以上ないほど貴重な物だった。朝夕二回の食事時、掟や神事の教育、夜間の祈りの儀……たとえ孫が自分のことを鬱陶しく思おうとも関係ない。アルバは残りの人生を全て孫娘のために使い、彼女と過ごせる時間が僅かでもあるのならその顔を見ていたいと切に願っていたのだ。

 だがアルバとて年頃の娘の心がわからなくもない。聡いシラだからこそ、祖父にいかに甘やかされているのかを理解しているだろう。最近では反抗のつもりか朝食をカシム宅で食べたり、朝の祈りを一人高台で行ったりと親離れの傾向が見られてきた。

(実の親がいれば変わったのだろうか……)

 叱るのは両親の仕事。甘やかすのは祖父母の仕事。そんな大家族の姿が大きく欠けているのだから、残されたアルバはそれら全てを一人で務めようと義務感に駆られていた。過干渉気味なのは自覚しているものの、僅かながら開きつつある孫との距離は老体には険しく映る。

「おはようさん」

 灰色の瞳が忙しなく動く農夫の背中を捉える。

「あ! 長!」

 そう言って農夫・カシムはよく日に焼けた屈託の無い笑顔をアルバに見せる。

「あんれ? 何か御用ですか? 朝食のヤギ乳はおっかあ……アシャに運ばせたはず」

「いや、ヤギ乳は受け取っている。今日来たのはアレだ……ほら、孫がお邪魔していないかと思ってな」

「シラ様がですか?」

「来ていないのか?」

「オラは見ていないですだ」

 カシムはヤギたちに声をかけ、世話を切り上げるとアルバを自宅へと先導し始めた。

「おっかあ」

「はい、あなた」

 そうしてたどり着いたカシム宅は煮炊きの火で暖かく、よく冷える朝には居心地良く感じられた。カシムの妻・アシャも溌剌とした声で二人を迎えると、アルバに気を使って椅子の方へと案内する。

「こちらへ来られるなんて久しぶりですね。今日はシラ様と一緒にうちに食事にでも?」

 言いながらアシャは湯呑みにヤギ乳を注ぎ始める。孫娘の大好物であるそれはアルバも慣れ親しむ、ニバ村を代表する名産であるのだが――

「いや、いくら儂とお前たちの間柄だろうと邪魔するなら連絡を入れる。シラはおるのか?」

 カシム一家は人が良すぎるくらいで、いきなり尋ねてきたアルバに朝食をこさえるほどである。いつの間にか皿に盛られたヤギ肉入りのシチューを丁重に断りつつ、アルバは家屋の中を見渡した。

「いや、シラ様は来ていませんね。朝ごはんも今ぐらいから始めようかと思っていたので、仮に来てくださるならご一緒できますけど……」

 家の中には二人の他に末娘のアムがシチューの鍋をかき回していた。遅れて息子が二人、クーとヴェルもやってきて、カシム一家は勢揃だ。

「……お母さん?」

 アムの不安げな一言で大人たちは動き始めた。

 アシャ、クー、ヴェルは農家たちに声をかけ、農夫総出で村内の捜索が始まる。

 カシムはアルバを背負い、社殿に向けて駆け出した。

「長!」

「でかした! あとはまかせろ!」

 社殿に入ったアルバは、すでに控えていたバーラを筆頭に遠征部隊を立ち上げた。森の地理に明るい商人、彼らを守る衛士、作戦指揮を立てる神官……人々は一丸となって境界の外側に向けて動き始める。

 捜索は困難を極めた。商人たちが持つ森の地理はあくまで通商のためのもの。外界との通路は森のほんの一部でしかなく、一度道を外れたら最後……頂獣の脅威と無縁でいられない。

 通商路を一つ決め、そこを中心に山狩を行う――捜索方針は立ったものの、頂獣一頭が本気になれば捜索隊など一瞬で蹴散らされてしまう。彼らは安全地帯から抜け出す際には慎重に状況を見極め、決死の思いで森を探った。

 万事がこのような調子であるのだから劇的な成果など上がるはずはない。そのことはアルバも理解している。彼は皆の前では村長として淡々と、乏しいながらも定期的に上がってくる情報をまとめていた。

(シラよ……)

 本音を言えばアルバも自分の足でシラの捜索に出たかった。孫のために我が身を犠牲にする覚悟はできている。老い先短い命を捨てることに躊躇いはない。

 しかし彼は村長という責任のある立場であり、己の欲望のまま役目を放棄するわけにはいかない。今自分が一人で動けば指揮所を、村を誰がまとめるというのだろう。

(なるほど鳥籠か……)

 アルバは胡座の足をさする。

 仮に自分が森に入ったところで老体では足手纏いにすらならないだろう。他人に迷惑をかけるくらいなら、村長としてふんぞり返っているのがちょうどいい……――

「……」

 お祖父様――

 不意にアルバの脳裏に孫娘の顔が浮かぶ。

 今年に入ってから表情に影が差していたシラ。その影をアルバは娘にも、妻にも見たことを思い出す。

「……」

(解放されるためには……)

「ひええええぇぇぇ!!!」

「⁉︎」

 最悪の想像が思い浮かんだところで表から悲鳴が上がった。

 アルバは胸中では奇声に感謝しつつ、何事かと社殿を出る。

「……なっ――」

 誰もが見上げ、叫ぶか、言葉を失った。

「……」

「……」

 そこには必死になって探していたシラの姿があった。彼女はなぜか捜索隊に加わっていないはずの農夫・カシムに背負われ――

「オォ――」

 その背後には異形を持つ巨大なシロガネさまが佇んでいたのだった……――

「オォ……――」

「……」

 扉一枚、挟んだ向こう側には今でもシロガネさまが佇んでいる。その目はジッと、透視でもしているかの如く、シラの寝室へ向けられている。どうやらカミは我らが巫女に御執心の様子で、その場から一歩も動くつもりはないらしい。

「……」

 アルバは再び頭を掻く――

 カシムがもたらした報告は村の常識を打ち砕いて余りあるものだった。

 司祭、衛士、商人の三階級が捜索に奮闘する中、農業階級は普段通りの活動を行うよう通達を受けていた。

 農夫達とて巫女の捜査に加わりたい気持ちは山々だったが、村の地理に誰よりも詳しいはずの自分たちが、内側でその消息を掴めなかったのなら仕方がない。

 難しいことは偉い人たちが考えてくれる。だったら自分たちがやるべきことはただ一つ、「シラ様がいつ戻ってもいいように村の環境を整える事」。つまりは普段通りヤギの世話に精を出す事だと切り替え、それぞれの作業に取り組んでいたのだが――

「……なんだ?」

 カシムも通達通り素朴にヤギの世話をしていた。彼自身アルバを社殿に送り届けた時点で役目を終えたと思っていたからである。

「……???」

 オォ……――

 ヤギの鳴き声に混ざる風の音。平時であれば無視していたであろう囁きに、農夫は耳を傾けていた。

「……ただの、風だよな」

 風が耳元を撫でるたびに、カシムは自分が何かに急かされているように感じてならなかった。

「……」

 指に唾つけ風向を探ると、囁きの出所は境界の向こう側、森へと通じている――

「……!」

(まさか……シラ様⁉︎)

 普段は人並みの信心しか持たぬ農夫も、この時ばかりは何かに導かれるまま、命の次に大事にしているヤギの世話も忘れて駆け出した。

「シラ様ああぁぁぁぁ!!!」

 カシムとて境界を越えることに抵抗がないわけではなかった。ところが、一歩踏み越えてみると、入り組んでいるはずの森は不思議とならされており、不安の根元たる金属音も響かない。

(誰の仕業か分からないけど……行くしかねえ)

 オォ――

 一歩進むたび、囁きは強まっている。こうなりゃヤケだと農夫は力の限り駆け出した。

「シラ様ああぁぁぁぁ!!!」

「オォ!」

 農夫の叫びに風が応える。

「なっ……!!?」

(なんなんだこりゃぁ……)

 カシムは飛び込んできた景色に己の正気を疑った。

「オォ――」

 カシムの眼下には蟻地獄めいた、すり鉢状に窪んだ地形が出来上がっていた。頭部に異形を持つシロガネさまは首をもたげると、からカシムを見つめ――

「……」

「! シラ様!」

 果たしての中心には村を上げて捜索中のシラが、雛鳥のようにカミに包まれているではないか。

「……」

 煌びやかな羽毛の下、恍惚の表情で寝息を立てるシラ。

「オォ――」

 そんな彼女を我が子のように見守るシロガネさま。

「なっ……なっ……」

 カシムは山羊飼いゆえに、人と獣の互助関係に理解があるつもりだった。しかし相手が頂獣となれば話は別。シロガネさまは奉るべきカミであり、神官はもちろん、巫女であろうと触れる事は禁じられている。

「あっ……あぁ――」

 カシムを震え上がらせていたのは眼前の禁断の関係だけではない。

 一歩引いて見れば、森の地形は巣を中心に円を描くように平されていた。樹木はもちろん、森を根城にしている生き物も空間ごと、何か鋭利な刃物で抉り取られたように無惨な姿を晒し……その中には頂獣の姿まで――

「オォ……」

「!!!――」

 カミが風を吐いた瞬間、カシムは全てを理解し駆け出した。

「ああああああああ!!!」

 頂獣を人間の力で傷をつける事は不可能に近く、ましてや致命傷となれば奇跡の後押しでもない限り不可能なはずだ。

 だがカシムの背後におわすのは奇跡そのもの。風の化身たるシロガネさまである。

 カミの手にかかればそよ風で人を誘う事はもちろん、嵐の刃で頂獣ですら鉄屑に変えることも自在。我らが巫女は安全圏である台風の目にすっぽりおさまっているが、その外側に居続ければ最後――

「ああああああああ!!!」

 森の荒れ様に己の結末を予見したカシムは無我夢中で来た道を駆ける。

「オォ! オォ――」

 農夫が慌てふためく様に興味を示したのか、シロガネさまは嘴でシラを咥えると、巻き角を震わせながらカシムの後を追いかけ始めた。

 森中に広がるカシムの悲鳴と、風の音。後にカシムは追いかけてくるカミの様子を、異形の部位になぞらえ「生後間もない好奇心旺盛なヤギのようだった」と語ったが……道中は恐怖に冒され何も考えられず、気がつけば森を越え、帰巣本能に導かれるまま社殿へ。いつの間にかシラを背負い、カミを皆の前に引き連れて来たという次第だった――

「……」

 寄り合いが開かれて長い時間が経つ。カシムが語った経緯は村人が咀嚼するには刺激が強すぎた。「シロガネさまがシラを気に入ったのはなぜか」、「羽休めの時期を一ヶ月前倒しで飛来したのはなぜか」、「あの角と巨体はなんなのか」、「神通力が村にも向くのではないか」、等々、慣例に無い要素のせいで詰め寄る神官たちの勢いは天井知らずだ。

 いや……先例が無いわけではない。バヅという、ニバ村の最大の禁忌があるではないか――

「……」

 それを口にした瞬間、ニバ村は真の意味で崩壊する。だからこそ、賢人ほど何も言えないでいた。

 そうやって核心に触れぬまま、重箱の隅を突くような話が浮かんでは消えて……饒舌な神官以外の者は須く疲れ果ててしまった。

「……」

(時期はずれの来訪だろうと、有角だろうと、巨体だろうと、親鳥が帰ってきたのだから、子である村民が取るべき態度は受容でこそあれ……排斥であってはならない)

 シロガネさまが村を守っているのは先人たちの積み重ねがあってこそ。頂獣に対し、自らも対等であろうとした初代大巫女・ハクの意志を継いだからこそ、ニバ村とシロガネさまは「羽休め」の儀式で繋がることが出来てきた。

 内向きに喚くだけの子供を見て親鳥はどう思うのだろう。アルバは自分の代で見えてきた限界を前に呆れるばかりであった。

「……」

(いっそあの獣が風穴を開けてしまえば……)

「……っ――」

 寸出のところで言葉を飲み込み息を整える。

「……」

 たとえ現状に失望したところで、割を食うのは次の世代――シラである。

(自分が十三年もの間孫娘を大巫女の義務から遠ざけてきた理由はなんだ! 村長程度の立場で我儘を通してきたのは何のためだ! 全て、シラのためではないか!)

「すぅ……――」

 でっちあげでもいい、慣例を捻じ曲げてでもいい。とにかく、この場を乗り切れ。覚悟を決めたアルバは肺いっぱいに空気を満たし始める。

 司祭階級の武器は知恵と言葉。今頼れるのは己が知恵一つ。であればそれを持って槍としんぜよう。

(たとえ年寄りの錆びた槍でも、弛み切った議場であれば……)

「皆のもの!――」

「あの――!」

 老爺の唸りが張り詰めた声に弾かれる。

「……あれは……」

「巫女様……」

「目覚められたのか……」

 弛緩した空気が来訪者の到来で一気に引き締まる。

「な……」

「……ええと……」

 注目を浴び、戸惑うシラ。やり込めたであろう絶好の機会を逃したアルバ。

「オオオオオォォォ――」

 そして、社殿に叩きつけられる風。

 老爺の願いはカミに聞き届けられず。

 役者は揃い議場は振り出しへ戻ってゆく。

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