第三章 到達者

3―1

 母から受け継いだ白銀の髪を靡かせながら、父が残した銀の槍を背負い、シラは森へと歩みを進める。

「……」

 一見すると、一週間前と同じ無謀な挑戦を繰り返しているように見えるが――

 シラの手の甲、そこに刻まれた紋章が煌めく。

「オォ――」

 今のシラは森の生態系の頂点たるシロガネさまが一柱、ハクオウのにある。

 カミが付かず離れずにあるとはいえ、巫女の直系の血統を持つ者はシラのみ。村の存続を考えるなら、大人たちは血相を変えてシラの無茶な行動を諌めるべきだったのだが――

「オォ――」

 しかしながら、ハクオウに睨まれた瞬間、誰もがその威容に言葉を失い、巫女に声をかけることができなかった。

「本当に……森へ向かうのか」

「……」

 正気を保てたのはアルバとバーラのみ。二人はカミにも負けぬ、射抜くような眼差しを持ってシラと対峙した。

「……誰も教えてくれないお父様とあの日の真相を知るためには、私自身があの場所へ赴かなくてはなりません」

「巫女が村を留守にすることの意味を分からぬお前ではあるまい!」

「でしたら私を今すぐにでも大巫女へ縛りつければいいではありませんか!」

「……っ」

「私が巫女の立場でいられるのはひとえにお祖父様のご好意である事だと……自由な立場でいられることはいくら感謝しても足りません。そして今、その恩に泥を塗ろうとしている事も十分理解しているつもりです。

 それでも!……子供だからと侮られ、重要な知識から離され続けられることに私は耐えられません!

 全てを縛られた状態で答えを得られたとして、それが何になりましょうか。少なくとも……私の亡くなった両親に関わることであれば、この身が自由なうちに知りたいというのは許されない事なのですか!

 今の私にはハクオウという最高の武力がある。大巫女を受け継ぐまであと半年という中で、この出会いは私にもたらされた最後の機会なのです……不孝は承知の上で、村長にはどうか、どうか森へ立ち入る許可をいただきたい……」

「オォ……」

「……」

「……」

 頭を下げる孫娘と、彼女に追随するよう身を伏せるカミの姿を前に、アルバは言葉が出てこなかった。

(全てを縛られた状態で……か)

「………………」

 長い沈黙の後、アルバは溢すように「好きにしろ」と言ってシラの前から身を引いた。

「……」

 シラとてアルバの信頼を裏切る事に何も思わないわけではない。たった一人残された血のつながりを失う恐怖はお互いに理解しているつもりだった。

(そんなこと、私だってわかっている……けど……)

「オォ――」

 気落ちするシラと対照的に、ハクオウは大地を鳴らしながら揚々と後を歩む。

「オオ! オォ――」

「……」

 ニバ村は閉じた環境ゆえに、概ね安定した歴史を歩んできた。

 例外があるとすれば十三年前のはぐれ頂獣襲撃事件と、此度のハクオウの飛来――

「……絶対に解き明かしてみせる!」

「オォ!」

 シラの心境に応えるように紋章が輝き、ハクオウも吼える。

「……」

 そんな息巻く番いの様子をさらに一歩後ろから見守る影が一つ。

「……」

「オォ?」

「……」

 ハクオウはしきりに背後の気配を気にするも、シラは頑なに振り向かない。

(お祖父様が私を一人にするはずないと思っていたけど……)

「……」

 足運びはもちろん、呼吸や人間生理に至るまで最適に制御し、沈黙を守る。日頃から彼の仕草に慣れていなければ、気配に敏感な獣ですらその接近に気づくことはできない。

「……はぁ……」

 シラの願いに折れたアルバは目付役としてニバ村の武の頂点、衛士長のバーラを遣わしたのだった。

「……」

「……」

「……オォ?」

 有り体に言えば、シラはバーラの人柄に苦手意識を持っていた。

 シラが知る限り、バーラが口を開いた事はない。村内の仕事のほとんどが定型的な内容で完結しているからなのか、男は他者との伝達を表情の変化や肉体の仕草のみでやり取りしていた。

 衛士とは神官、大巫女を影から支える存在。その命題に馬鹿正直に向き合っているからなのか、この十数年の間バーラが声を発した様子を誰も知らず、彼の声を覚えているのは村でも高齢の世代だけではないかと噂が立つほどである。

「……」

「……」

 シラはバーラを前にすると、自分が恐ろしく小さな人間であることを突きつけられるような思いがした。思いつく限りの言葉を尽くして会話に臨んでも回答は全て「沈黙」。彼の口から何か情報を引き出そうと躍起になるたびに、かえって自分の狙いを吐き出させられているようで、シラはバーラの意志の強さの前に手も足も出なかったのだ。

(この人がお父様の親友だったなんて信じられない……)

 バヅについて聞き込みを重ねる中で、シラは先代衛士長であった父とバーラが親友であったことを知った。

 快活で口数の多いバヅと、物静かだが力強いバーラ。対照的な二人は相性が良く、暇な時は母・シタを交えた三人で過ごしていたとか。

「……」

 後ろ手に銀の槍を握るシラ。神器は本来当代の衛士長が保有する物である。遡れば大巫女がもたらしたものであっても、現行の巫女は武の役割を持たない。たとえバヅの形見だからといって、それが掟に優先されるはずが無いのだが――

「……」

 事件の後、衛士長の座に就いたバーラは何も言わずに、生まれたばかりのシラに槍を預けたまま今に至る。

 流石のシラも槍の所有は不相応だと、事あるごとに正当な所有者に向けて槍を返そうと試みてきたのだが、回答はやはり沈黙。それでもと食い下がるようにバーラに槍の稽古をつけてもらい、自分がいかに槍に相応しくないか、その身をもって訴えてきたのだが――

「……」

「……」

「オォ……」

 あの日シラが暴走した時、バーラは迷う事なく神器を握り、事態を収束させた。

 それにも関わらず、槍は相変わらずシラの手に収まっている。

(……いっそもう一度暴走してみようかしら)

 紋章はシラとハクオウの心が昂るほどに輝きを増す。その輝きが頂点に達した時、神通力が解放されるとシラは解釈していた。

 森に入った目的は十三年前の出来事の調査だけではない。村では絶対に解放できない、己の体に刻まれてしまった力を試すこともその一つだ。

「……」

 境界を越え、森に足を踏み入れる三者。

 森の中には数百を超える頂獣がひしめいている。いくらハクオウがカミの中でも異様な姿と力を持っていたとして、森中の獣の襲撃を受ければひとたまりもないだろう。生身であるシラとバーラであれば尚更、命の保証は無い。

 鬱蒼とした空間に祝詞は響かない。祝福の及ばない土地で必要なのは人智ではなく、獣の言葉――

「全部、知り尽くしてみせる――」

「……」

「……」

 穂先で茂みを切り開きながら一向はひたすら森を行く。

「……」

 行く道にあてはなかった。夢の中の景色、敵を前に、産屋を飛び出す父の姿を追うように歩んでいるものの……十三年の間に痕跡は緑に埋もれてしまっているだろう。

「……⁉︎」

 目の前を覆っていた緑が唐突に開ける。

「……ここって」

 シラが足を踏み入れたのは意外にもあの日ハクオウと共に嵐を起こし、眠りに就いた場所だった。

「……」

 一週間という時間が経っても、嵐の痕は痛々しく刻まれている。

 木々の断面からは咽せ返るような青さが漂い――

「……ッ――」

「ギ……ギギ……」

「ガッ……ガ――」

 巻き込まれた頂獣たちは無様に横たわり、光沢のある切断面を曝らけ出していた。

「うっ……」

 周辺はカシムが報告したそれよりも輪をかけて凄惨なものだった。

 頂獣という生き物は余程頑丈なのか、獣たちは活け作りと違わぬほどに切り刻まれても、繋ぎ目を震わせて生を訴えている。

(これを……私たちが……)

 あの日無邪気に力に酔いしれた結果、生き物の有り様までもねじ曲げてしまった事実に、シラは耐えきれずくずおれる。

「オォ――」

 対するハクオウは、呻く頂獣の声が耳障りだと言わんばかりに鉄塊を踏み砕いたり、持ち前の鋭い嘴と爪で引導を渡したりと忙しなく動く。

「オォ!」

 金属同士の鈍い衝突がひとしきり響くと、森に静寂が戻る。

「オォ!」

 これで静かになった。もう恐ろしいものは無い――ハクオウはシラに向けて爛々とした瞳で訴える。

「……」

 シラは神官たちがいやに殊勝になった理由を心の底から理解した。

(……化け物だ)

 風圧一つで建物を打ちこわし、嵐を起こせば生身も鋼も関係なく切り刻む。そのような存在と素面で並び立てば、番いたるシラも恐るべきものと同一視されても仕方がないだろう。

(私はこのシロガネさまを……)

「ハクオウ……」

(御しきれるのだろうか……)

「オォ?」

 シラの呼びかけに対し、カミは相変わらず無邪気な笑みを浮かべるだけだ。

「……ッ!」

 槍を支えに立ち上がるシラ。

(このままじゃ……だめだ!)

 沈黙は思いの内を暴き出す。

 己に起きた変化を省みた事で、シラはあの日地獄めいた巣から取り上げてくれた養父の勇気と、カミに近づいてもなお庇い続ける祖父の懐の深さにひたすら尊敬の念を覚えていた。

(ハクは村を背負って、たった一人で何十ものカミを従えていた……)

(だったら私だって……目の前のカミと向き合わないといけない……)

「……ッ!」

「‼︎――」

 番いの双眸が交差する。

 ハクオウが行く先は父と交差すると、シラは確信していた。

「……ハクオウ!」

 輝きの中で告げられた名を、少女は絞り出すように告げる。

「オォォォ……――」

 紋章が輝き、二人の意識が深く結び合う――

「アオオオオオォォォン!!!」

「「⁉︎」」

 両者の意識が溶け合おうとしたその瞬間、悲鳴にも似た咆哮が森中に轟いた。

「ゴウ! オウ――‼︎」

 音に向くハクオウ。対話に横槍を入れられたことに腹を立てたのか、カミはその身を大きく振るわせると、大地を鳴らしながら猛進する。

「ハクオウ!……ッ――」

 尋常ではない様子にシラも体を向けようとしたが――

「うっ……ぐっ……」

(何……これ……)

 シラの肉体は糸の切れた人形のように力を失い、気づけばバーラに抱き止められていた。

「あ……ああっ……」

「……!」

 二人の視線はシラの紋章へ注がれる。

 シラの不調と反比例するように紋章は輝き始め、光は日輪と見紛うほどに膨れ上がる。

「……!」

 四肢の感覚がおぼつかなくなる中――

「アオオオオオォォォン!!!」

「「!!!」」

 咆哮に煽られ、番いの双眸が大きく見開く。

「アオオオオオォォォン!!!」

 視線の先に灰色の狼型頂獣が飛びこむ。

(あれは――)

 番いに迫る五メートル台の巨躯はシラの記憶の底に眠るはぐれ頂獣の姿を連想させ――

「ゴォォォォ‼︎」

 突如紋章から流れ込む、身を焼くほどの怒りの感情。

!)

 瞬間、容赦ない嵐が木々を襲い、辺りは見る間に剥き身に変わる。

 脅威を前に、番いは再び神通力を呼び起こした。

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