3―2
「アオオォォォ――」
「!」
さすがは武の頂点というべきか。異常事態にも冷や汗一つかくことなくバーラはシラから神器を取り上げ、敵を見据える。
「――」
穂先はもちろん、灰色狼の喉元へ向けて輝きを放つ。
「――駄目‼︎」
胸中のシラが叫ぶと同時に――
「ゴォォォォ‼︎」
「オォォォォ‼︎」
巨獣同士がぶつかり合う。
「「――!!!」」
特大の金属同士の反響は凄まじく、金属繊維の体毛が擦れあうたびに生理を逆立てるような高音までもかき鳴らされた。これにはシラはもちろん、バーラですら耳鳴りを覚え、堪らずくずおれる。
「ゴォォォォ‼︎」
「オォォォォ‼︎」
「……――」
バーラはもがきながらも、我が身を盾にとシラを被い抱き込むように倒れ、戦士の義務を全うする。
「……」
バーラに覆われる中、シラの左腕は戦場へ引きつけられるように伸びだした。
(――倒す!)
「!??」
理解を超える状況に揉まれながらも、シラの内部では一貫して白銀の輝きが増大していた。
「ゴオォォォォ!!!」
怒りと熱は五感を塗りつぶさんばかりに昂り、ハクオウは翼を強かに振るって発散させる。
「!――」
鞭のようなしなりと同時に生み出される小型の嵐――右翼の勢いは木々を巻き込みながら、灰色狼の側面に強烈な一撃を打ち込む。
「ギャン!――」
はぐれ頂獣の巨体が宙を舞う――
「‼︎」
すかさずハクオウは両翼をしならせ、自身の後方へ風を起こす。
「ゴゥ!――」
嘴と左右一対の二本角――三叉の槍は灰色の鉄塊が落下しきる前に猛追し、周囲は再び反響音に包まれた。
「ギャン!」
「オォ――」
ハクオウはそのまま敵を打ち上げると、嘴と両翼から嵐を生み出し、灰色狼を空中に縛りつけた。
「ギャン! ギャン!」
飛ぶ術を持たぬ獣はもがくことすら満足にできない。
「!――」
そうやって無様な姿を晒す中、白銀の三叉は地上から悠々と狙いを済まして急所を突き、鉄塊はまたも打ち上がる。
「…………」
神通力が有利をもたらしたのか、頂獣同士の戦いは意外にもハクオウが一方的に力を見せつけていた。
もはや戦闘は成立せず、状況はハクオウがお手玉めいて相手を弄ぶばかりである。
「オォ!」
「……――」
ついぞカミが飛ばずにいた事だけ引っかかりを覚えたが……ハクオウは飛ぶまでもなく、蹂躙できると判断したのだろう。
「――ははは……」
この身の内側から湧き出す力があればあらゆる障害を打ち払える。輝きに目が眩む中、番いの中で力への自負が膨れ上がってゆく。
「あはははははははは!――」
「オオオオオオォォォ!――」
(やめて……!)
接敵の直前にカミと対話を試みた事が功を奏したのか、シラの意識、その一部は肉体を離れ、ハクオウの中でかろうじて形を保っていた。
それと同じくハクオウの精神の一部もシラの中に入り込み、巫女の肉体に「笑い」を同期させている。
敵への怒り、力を振るう快感……破壊衝動は再び理性で引き戻せない領域に振り切れてしまった。
(やめて!)
どれだけ心で叫んでも、ハクオウには届かない。肉体もすでにカミに征服され、もはや感情を代弁する装置と化している。
(……っ!)
神通力を止める方法は二つ。
一つは神隠しの時と同じ、ハクオウが満足するまで力を使い切る事。あの時のハクオウはシラを見つけた事そのものに満足し、巣作りの後速やかに休眠に入ったのだが――
「ゴゥ!――」
「キ……ュ……」
今ハクオウが弄んでいるのは頑丈すぎる玩具であり、またシラが精神を融合させたことで神通力は威力、持久力ともに増していた。玩具と力、双方の限界を追求しようとするカミの欲求は簡単に解消されるものではないだろう。
(……)
二つ目はシラの気絶。神通力を十全に発揮させるためには紋章を持ったシラの精神力が不可欠。議場での顛末を聞く限り、カミはバーラがシラを打った直後、力の行使を止めたという。
「……」
だがこれは期待できない。介錯を頼もうにも、バーラは気絶したまま動かないでいる。自身の手で終わらせようにも肉体はすでにカミのモノ。伸びた左腕から爪先に至るまでシラの意思で動かせない。
(……)
シラは自分の精神が理性と本能の二つに分かれているのではないかと考えていた。肉体に残された本能はハクオウの意思と混じり合い、神通力を発揮するための燃料と化している。対する理性は、紋章によって繋がれたシラとハクオウの間を幽体のように漂っていた。
猛烈な勢いで本能が消耗している一方で、理性の方はハクオウの中で五体満足を保っている。
(……閉じ込められた⁉︎)
理性も本能も本来不可分な精神力。分かれているように見えて、その根源は肉体の中で通じているはずだ。たとえ本能が力尽きても、理性を保護している限り精神力は練り上げられる……ハクオウがシラの精神を招き入れたのはひとえに神通力を恣にするためではないか――
「ゴゥ!――」
「ははっ!――」
(……止めて)
シロガネさまがはぐれ頂獣を退けようとするのは契約に則った自然な営みである。人の手で倒せない脅威をカミ自らが担ってくれる事に感謝こそすれ、否定することは憚られるだろう。
此度の覚醒も、記憶の中の恐怖を晴らそうとハクオウが応えたけ結果だと、シラも繋がりの中で感じていた――
「……っ……っ」
「ゴウ! ゴウ!」
(……っ――止めて‼︎)
だがシラは力に飲まれる事まで望んだわけではない。
外敵との勝負はすでについていた。灰色狼に戦う意思は見られず、それどころか度重なる突き上げに「終わらせてくれ」と哀願の眼差しを向けてさえいる。
(どうにかしないと……)
このままハクオウが力への欲求を抑えられなければ、その刃は頂獣はもちろん、森も……ニバ村に向けられないとも限らない。
シロガネさまがはぐれ頂獣に堕落し、村に攻め込んだとなれば……――
「や……め……」
それだけは回避しなければいけない。カミの堕落など巫女として看過できず、また一人の村娘としても、シラは己の不始末で村が滅びる事など望んでいない。
(頂獣に触れてはならない……)
ハクもまた自分のようにシロガネさまに魅入られた人間だったのだろうか。
「ぐっ……おっ……」
(だったら……私だって――)
予想外の横槍が入ったとはいえ、シラの目的は変わらない。父と同じ白銀の輝き、その力の正体を暴く――
「……シラ!」
「‼︎」
繋がりの中で響く父の声。それに応えるため、シラの理性が俄かに拡大を始める。
「オ⁉︎ オォ!??」
「あああああああ!!!」
左の五指を握り締めると、シラの意識が肉体へと舞い戻った。
「止め……なさ……い‼︎」
「オ……オォ……」
色づく視界の中、シラは自身とハクオウを結びつける白銀の帯を幻視した。
「……シラ!」
「ッ!」
父の声に導かれるままシラの左手は光の帯を引っ張り上げる。
「オウ! ゴウ!」
帯は手綱のようにハクオウの精神・肉体を縛り上げてゆく。一帯を震わせていた嵐は縮小してゆき、森は本来の静寂を取り戻しつつある――
「……っ……っ!」
「オウ! ゴウ!」
地面にのたうつシラの左腕と、頭痛に苛まれ揺れるカミの頭部。
「オ……グッ!」
「この……っ!」
シラが手綱を引くように、ハクオウもまた嘴で精神の光帯を引いていた。
シラが優勢であれば風は止み、ハクオウが出し抜けば嵐が吹き荒れる。精神の綱引きは常にどちらかが一方的に優勢で、番いの精神はお互いの肉体を行き来し、混ざりあい……衝突は止むことのなく加速を続ける。
(きりがない……)
コツを得たところで、ハクオウは精神力すら強大である。シラは山を相手に綱引きを挑むような気持ちであった。
「それ……で……もっ‼︎」
「――諦めるな!」
ガルルルル――!!!
稲光めいた咆哮が一帯に轟く。
「キャ……」
灰色狼が落下し切る前に――
「ガルルッ!」
白い閃光が割り込み、その背で巨体を受け止めた。
「キャン……キャン!」
「ガルルルル……」
周囲の空気を焦がしつつ現れたのは、白磁のように滑らかな光沢を持つ、これまた五メートル台の虎型頂獣だった。
「ウォン、ウォン……」
「ゴルル――」
二頭は仲間なのか、灰色狼と白虎は互いにいたわりあう様子を見せている。
(……あの頂獣も敵? でも、さっきの声は人間――)
「どうやら派手にやってくれたみたいだが……君の相棒は暴走しているのか?」
白虎は口元からはみ出るほどに巨大な二本の牙を向けながら、シラたちへと向く――
「「!!?」」
これにはシラはもちろんハクオウも目を剥いた。
(頂獣が、人の言葉を――)
「遅い――」
「⁉︎」
再び空気が焼ける匂いが漂ったかと思えば、ハクオウの巨体は横へと弾き飛ばされた。
「な……」
「その様子だと何も知らずに到達者に目覚めたようだな……だが、筋は良さそうだ」
白虎はシラとハクオウを交互に見比べる。その視線は驚く事に、番いをつなぐ白銀の光帯をなぞっていた。
「あなたは……一体?」
「今は君の相棒を鎮めるのが先だ。事情は聞いている。仲間への仕打ちは後で埋め合わせてもらうとして、君たちのカミを蔑ろにするつもりは無い――」
言い切ると同時に白虎は雷鳴を鳴らし、ハクオウの背に飛び乗っていた。
「ゴウ! オウ!!?」
「力の制御に必要なのは征服ではない、均衡だ。互いに手綱を引き合え。こちらは俺たちが押さえる」
「オウ! オウ!」
ハクオウは必死に抵抗するも、上を取られるのは初めてなのか動きがおぼつかない。吐き出す風も白虎が放つ雷に引き裂かれ、勢いは次第に縮こまってゆく。
「……ッ!」
左腕から爪先へ、シラの体が動き出す。
「ああああああ!!!」
シラは光帯を引き寄せるように我が身を持ち上げた。
「ゴ……ゴォ……」
「ッ……ン……」
カミがどれだけ抗おうとも、光帯は番いを引き寄せ、互いの距離は縮まってゆく。
「……シラ!」
シラの左手が――
「‼︎ お父様――」
ハクオウの嘴へと触れる。
「オォ……――」
その瞬間、ハクオウは縛り付けられたように身を伏せ、番いの精神はあるべき場所へとおさまった。
「はぁ……はぁ……」
シラがハクオウに触れたのは神隠しで誘惑されたのが一回。そして――
(いや……今回も私の意思じゃない)
ハクオウの中から響いた父の声。シラはハクオウを調伏するためではなく、ただ声に導かれるまま腕を伸ばしただけだった。
「ハクオウ……あなたは一体……」
「……」
「そうだ、相棒から目を逸らさずにそのまま触れ続けろ」
「「⁉︎」」
声に番いは上を向く。
「これが頂獣ガルダ……いや、この村ではシロガネさまと呼ぶべきか」
白虎は言いながら首元を大きく震わせ――
「カーリア! 無事か!」
声とともに男性が盛り上がる。
「な……」
「大丈夫よジョン……グラウが守ってくれたわ……」
ぐったりと身を横たえる灰色狼の首元からも女性が一人、這い出してきた。
「……え……」
なるほど二頭とも毛深い頂獣ではあるものの……人に馴れないはずの生き物の中から大人二人が這い出てきた事にシラは戸惑いを隠せない。
「皆さん……もう大丈夫です!」
固まるシラを尻目に女性は気丈に立ち上がると、奥の茂みへと呼びかけた。
「これは……」
「シラ様が……シロガネさまを……」
「ついに大巫女に……」
シラの耳に懐かしい声が届く。
「……あなたたちは!」
現れたのは二ヶ月前に出稼ぎ労働へ出たはずの商人たちだった。
「でもなんで……」
彼らが戻るのは一ヶ月を控えた羽休めの時期である。カミの威光が薄いこの時期に森へ入るのは例えニバ村の商人だろうと自殺行為に等しいのだが……――
「それは……」
言葉を濁す商人達。よく見ると彼らの格好は着の身着のまま。人的損害は出しても、物資だけは村に持ち帰ることを至上に掲げているはずの商人が襤褸だけ纏って出戻るというのは尋常ではない。
「オォ――」
「ガルル――」
「アオォォン――」
「……」
シラはただ、森の中で父の痕跡を、己の由来を辿ろうとするだけのつもりだった。
それにもかかわらず……ハクオウと同じ人と絆を結んだ大型頂獣が二体もニバ村の領域に踏み込み、しかも彼らは商人達となんらかの関わりすら持っているらしい。
風は村に風穴を開けるどころか常識すらも打ち砕き、勢いは未だとどまる事無く吹き荒れていた――
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