2―2

 騒動から一週間が経過した。

「オーライ、オーライ!」

「この材木はどうする?」

「ああ、その辺に置いといてくれ!」

 カミの怒りは凄まじく、議場は今だ痛ましい姿を晒している。

 ゆえに社殿の修復は階級間の垣根を超えて取り組まれ、男たちはそれぞれの作業に勤しんでいた。

 農夫は目利きを利かせて森から選りすぐりの材木を切り出し、手業に秀でた商人たちが図面に則り加工を施す。神官たちは音頭を取り、衛士たちが的確な動作で組み上げる。階級間の連携は滞りなく……棟梁曰く「順調にいけば一ヶ月」で改修が終わるそうな。

「……」

 寄り合いではまるで統一感に欠けた各階級が、乱れることなく行動する姿を、シラはまじまじと見つめていた。

(これが大人……って事なのかしら)

 腹には一物抱えつつ、顔でははニコニコと……そうやってあえて真相に触れようとしない大人たちの姿を見てしまうと、シラの胸になんとも煮え切らない思いが浮かんでくる。

「お〜い。シラさま〜!」

 彼女に向かって一人の農夫が駆け寄ってくる。

「ほらぼーっとしていないで。次の材木運びもお願いしますよ」

 彼の視線がシラと――

「ゴウ!」

 彼女の背後に聳え立つハクオウへと注がれた。

「分かっています。ちょっとだけ休憩してただけです。自分たちで壊した分はきちんと働きますよー」

「ゴウ――」

「さて」

 シラはハクオウに向けて左手をかざす。

「ゴウ」

 それに応えてカミは番いと共に並走を始める。行き先は資材豊かな村境の森だ。

「シラ様ー」

「待っていましたよー」

 農夫たちの呼びかけに彼女は手を振って応え――

「そんじゃ、頼みますよ」

「ゴウ!」

 そして彼らにハクオウを差し出した。

 農夫たちは森から切り出した材木を手際よく頂獣の尾羽に括った。人間では到底運べない大量の材木が縄をギシギシと軋ませるが――

「ゴウ!」

 ハクオウは悲鳴を上げることなく、むしろ揚々と突風を吹き上げて運び始めた。

「ゴウ!」

「……」

 あの後、シラはカシムにハクオウとの向き合い方を相談した。

「そうですねぇ……おらにも最初はおっかねえカミさまだなと思ってましたけど……慣れるとヤギみたいに感じましただ」

「ええ……」

 神性に対してもあくまで山羊飼いとしての姿勢を崩さず、あまつさえ家畜の様に評価したカシムにシラは面食らったのだが――

(これは確かに家畜ヤギだわ――)

「オウ?」

 ズンズンと大地を震わせながら、番いの足取りは順調に村へと進んでゆく。

 頂獣は人間を視界に収めると襲いかかる習性を持つ。出戻った商人から聞いた話では、山の下では今も防衛手段を持たない集落はに泣き寝入りしているとか。

「オウ、オウ――」

「……」

 ところがどうだろう。ハクオウは山羊飼いの見立て通り、今まさに家畜の様におとなしく材木を運んでいる。すれ違う村人たちも初めこそハクオウの巨大な姿を見ては平伏し、命乞いのように祝詞を唱えていたのだが――

「うわーすっげー! カミサマだ!」

「いやー働き者だねぇ」

「ヤギもこれだけ物を運べりゃ違うんだけどなぁ〜」

「……」

 シラの指示に従い、何往復も運搬する姿を見せつけてしまったせいか、畏れ敬うべきカミの印象は一転して村の一員へと変わってしまった。

「オオウ、オオゥ――」

「ご機嫌だわねー……」

 喉を鳴らし、前へ前へと歩むカミを見ていると、シラは深刻に悩むことが馬鹿馬鹿しく思えてくる。

「……」

 しかしながら気を緩めるわけにはいかない。ハクオウに対し好意的な人々は日毎に増えているものの、社殿に近づけば空気は変わる。あの日の騒動を知る人々の目は変わらずカミの一挙手一投足を油断なく見つめているのだ。

「――」

 とりわけ鋭い視線を向けてくるのは年長者だった。彼らはカミだけでなく、シラの動きまでも注視していた。

「……」

 シラは左手に刻まれた白銀の紋章に目を向ける。

 あの日以来ハクオウが神通力を発揮することは無く、呑気に喉を鳴らすばかりで破壊行為も行わないでいる。

 特筆すべきは一度も飛ぶ気配を見せない事だ。飛行という優れた運動能力を持ちながら、ハクオウは平素の移動はもちろん、木材の運搬においても地に足をつけている。牽引でも十分な重量の木材を運搬しているが……飛べば一瞬で済むはずの事をあえてしないのはなぜなのか。

「ゴウ、オウ」

「……」

 シラの夢見も元に戻り、床についてもハクオウのことを考えているものの――

(情報が……足りない……)

「おーい! シラさまー」

「! はーい。今持っていきます。ほら、ハクオウ」

「オウ」

 ハクオウは左官たちにそよ風を吹かすと、尾羽の繋ぎ目を差し出した。彼らはカミが迫る度にその体躯に驚くも、今ではすっかり流れ作業のように縄を解いていった。

「……」

 シラは左手を思い切り握りしめてみた。

 もしここでハクオウを暴れさせたら……人々は頂獣のことを家畜ではなく、再び畏れ敬うべきカミとして崇めるのだろうか。

 それとも……巫女共々大量破壊をもたらす災いとして憎み、排斥しようと立ち上がるのだろうか……――

「……」

 シラは薄暗い感情を込めながらハクオウとの絆に力を込める。

「ン……オォ?」

 しかしながらハクオウは喉を鳴らすばかりで、シラの期待に応えるそぶりを見せない。不思議そうに見下ろしてはシラの姿を瞳に映し出すだけだ。

「……」

「オォ――」

 見つめ合う巫女とカミ。そこに感情の交差は無い。

(……違う)

 村人からすればシラは巫女として「カミに触れ、言葉を交わし、意のままに操る」様子を見せつけているのだろう。人々の眼差しからはより一層の尊敬と……それと同じくらいに畏れの深みが現れ始めている。

 反体制派の神官たちに至っては報復を恐れているのか、番いを見るやところ構わず背を向けて逃げ出す始末だ。

 村人はアルバに倣いシラの事を「巫女様」、「見習い様」と可愛がるように呼んでいた。

 そして時折「大巫女様」が混ざる事も……増えてきた。

(……違う!)

「オォ――」

 シラは自分が大巫女と呼ばれるに相応しい力を得たとは微塵も感じていない。

 シラは伝承を学ぶ中、大巫女の秘技の本質を「一度に多くの頂獣を支配下に置くもの」では無いかと考察していた。

 初代大巫女・ハクは初めこそ一柱のシロガネさまと繋がっていた。そして集団の規模が増える度に、彼らを守るためにより多くのカミを味方につけ……ニバ村を作り上げた時には森の頂獣すら支配下に置いていたはずだ。

 羽休めの伝統はおそらくハクが残した置き土産だろう。おそらく初代は、自分が居なくなった後もシロガネさまたちが村を守ってくださるように、と願いを残したに違いない。

「……」

 村境に差し掛かると番いの瞳にの姿が映り込む。神々が羽休めのために使われる安息所は神官たちが毎日手入れしているおかげで常に清廉さを保っている。

「あなたは休まないの?」

「……」

 ハクオウは答える事なくまっすぐ森へ向かって歩みを進める。

「……」

 時期はずれの飛来。ハクオウには、その時期にシロガネさまが患うはずの体の痺れや、羽のくすみといった症状が見られない。角と体格ばかり注目されがちだが、シロガネさまに間近で接したことがある者は、ハクオウの悠然とした足運びと、曇りなき白銀の羽毛を見てはその健やかな美しさに感嘆のため息を漏らしていた。

「……っ――」

 握り拳に鋭い痛みが走る。思わず開いた手のひらには血が滲み出ていた。どうやら無意識の緊張が手のひらを食い破ってしまったらしい。

「オウ。オウ」

 シラの痛みに構うことなくカミは材木を求め、ついには追い抜く。

「……」

 ハクオウは今でこそ家畜のように村に対し従順に振る舞っている。しかしシラはそれがカミの本質であるとは欠片も思っていない。

(全ての頂獣がハクオウのように聞き分けがいいのであれば、先祖たちはその脅威から逃れるためにこんな閉じた環境に逃げ込む必要なんて無かったはず)

(……むしろ、私を森へと攫ったような激しさこそ、頂獣という生きた災害のあるべき姿なのでは――)

「オウ、オウ」

「……」

 人間シラの都合など露ほど考えずに振る舞うという意味では、ハクオウの態度は一貫してカミのそれだ。

(私はこのカミを真の意味で操ることができるのだろうか……)

 尾羽を振りつつご機嫌に歩く後ろ姿に、シラは無力感を覚えていた。

「……オウ?」

 なぜついて来ない。ハクオウはそう訴えるようにシラへと首を向けた。

「……」

 父親と同じ銀色の輝きを手に入れてなお進まぬ謎解きを、シラは歯痒く思う。

「……あなたは教えてくれないの?」

「……」

 あの日出会った時の高揚をシラは鮮明に覚えている。自分がカミと一体化し、風の化身として自由に振る舞う感覚。再びあの状態に入ることができれば、前後するものの、ハクオウを通して大巫女の秘技を知ることができるかもしれない。

「……」

 しかし……シラには暴走の危険を冒してまでカミの領域に踏み込む勇気を持てないでいた。

 もしハクオウを制御できず、再び力のまま暴れ倒してしまったら……自身の処遇はいいとして、シラを十三年もの間庇い続けてきた祖父の努力が報われない。

「……」

 シラはハクオウを見て一つ理解した事がある。

「……」

 カミは人間に見つめられると瞳を鏡面のように差し向ける。

 ハクオウはおそらく、村人たちの「家畜のように大人しくして欲しい」という願いを読み取り、その理想像を反射しているのだろう。そしてこれを上書きするためには――

「……」

「オォ――」

 ハクオウは顔を背けると再び森に向けて進み出した。どうやらカミは今のシラの望みを映すつもりは無いらしい。

「っ――」

 ハクオウは振り向かず、お互いの距離は開いてゆく。

 しがらみに絡め取られた少女の足取りは重く、踏み出せば追いつけるはずだった間隔は果てしないものに感じられた。

 全ては目の前に揃っているのに、その本質に触れられない。シラは己の能力の限界に立ち尽くすことしかできなかった。

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