終章 

少女の巣立ち

「ニバ村は解散とする」

「……」

 廃村を宣言したにも関わらず議場は静かだった。重鎮たちはもちろん、アルバに反抗的な若い神官たちも淡々と村長の決断を受け入れていた。

「まぁ……」

「村がこんなんじゃなぁ……」

 農夫たちのあっけらかんとしたつぶやきが次第に議場の空気をほぐし出す。

「……」

 レイギウス帝国斥候ルーカスと、その相棒頂獣スパイクとの決戦は我らが巫女・シラと番のハクオウ、外界の協力者であるジョンとサーベル、そして村人達と奮闘に応えた神々が一丸となった事で勝利を勝ち取った――

「ガルルルル……」

「オォ――!」

「ギャアアア!」

「オォ!」

 しかし、手放しに勝利を喜ぶ事は出来ない――スパイクの戦略は森の生態系を大きく掻き回し、シロガネさまが数百年かけて築き上げた「境界」の概念は崩壊した。現状ハクオウ含む神々が目を光らせているものの……はぐれ頂獣のみならず、小型の野良頂獣までもがニバ村の生活圏に迫ろうとしているのは喫緊の課題であった。

 加えて――

 ヒュウウウ――

 修復が終わっていない議場に一陣の風が舞い込む。

「……」

(……勢いが弱い)

 シラは白銀に染まった左手で風の力場が勢いを失っている事を感じ、ため息をつく。

(やっぱり原因は……)

 村を解散に追い込んだもう一つの原因。シラの中で燻る罪悪感が決戦の結末を思い起こさせる――

「「はぁ……はぁ……」」

 ハクオウの口から己の声が発せられるのを聞き、シラの中で焦燥が高まる。

(……抜け出せない!)

 シラは融合を解こうともがくも、左手は生体金属と癒着を果たし、ハクオウの首元から浮上できずにいた。

(こ……のっ――)

 三叉の一撃で互いに精神力を使い果たしているにも関わらず、紋章の輝きは止まる事を知らない。点のようだったそれはいつの間にかシラの手の甲全体のみならず、手首まで白銀に染めている。

(お父様……)

 頼みの綱である銀の槍は投げ出したまま行方知らずだ。たとえ在処が分かろうとも、ハクオウが回収に協力してくれるとは限らない――

 グオオォォ……――

(!)

 鳴ったのは風か、腹の虫か。

「「はぁ……はぁ……」」

 もがき続け、やっとの思いで右手が外気に触れる。

(お願い……)

 シラはすがる思いで祝詞を唱え――

「シラさん!」

「シラ!」

 願いに応えるように馴染み深い声が響く――

「アオオォォン‼︎」

 グラウの背にはカーリアはもちろん村の守護者であるバーラもまたがっていた。

 四つ足の疾走は過酷な山道でも精彩を欠く事なく、白銀の番いに向けて真っ直ぐに駆けてゆき――

 キイイィィィ――――――不愉快極まりない反響が響く。

「――!」

 バーラの手には衛士長の証である銀の槍が握られていたのだ。

「はぁっ‼︎――――」

「⁉「

 投擲はハクオウから這い出るシラの右腕に向けて正確に伸びてゆく。

「ゴォ……ォォ――」

 共鳴現象に怯むハクオウ。

「!――」

 シラはハクオウが怯んだ隙を逃さず、大空に向けて右腕を伸ばした。

(……捉えた!)

 右手は吸い付くように槍を掴み、シラの肉体も共鳴に包まれた。

「ゴアッ――――――」

 生理を逆撫でする不快な反響もこの時ばかりは福音――シラはハクオウの拒絶反応によって排出され、事なきを得た。

「シラさん!」

「シラ!」

「アォン!」

 巫女の無事を確認し、三者は思わず歩みを緩める――

(私は大丈夫だから……)

 シラは気力を振り絞り、黒鉄に向けて槍を指し示す。

(まだ間に合う!)

「「…………」」

 腹部に三つの穴が穿たれたにも関わらず、スパイクはルーカスを解放せずに体内に押し留めていた。

 シラは村を襲った敵に温情をかけるつもりなど微塵もない。しかしながら頂獣に消化されるという人の道から外れた終わりを見過ごせるほど冷酷では無かった。

(来訪者は村の掟で裁く!)

「!」

 シラの意図に気付くと、バーラはカーリアに先へ進むように促した。しかし――

「ゥゥゥ……」

「……グラウ?」

 グラウはその場から一歩も動かず、警戒するように低い唸り声を上げるばかりだ。

「……何、これ……?」

 スパイクを中心に冠雪の大地が徐々に溶け出している事に気づいた時、三人の背筋に怖気が走った。

「「――――――‼︎」」

 最後の足掻きと言わんばかりに黒鉄は吼え、その身は煌々と輝き始める。

「グラウ! 敵はいいからシラさんを!」

「!――」

 グラウは瞬く間にシラを口に咥えると、勢いのまま山道を駆け降り始めた。

「……」

 揺られながらシラは大地を焼き焦がすほどの輝きに目を向ける。

「「――――――‼︎」」

 輝きの中でスパイクの体が身をもたげ、翼を大きく広げだす。穿たれた穴をものともせずに飛行姿勢を取り出す様は、頂獣という生き物がただならぬ存在である事を改めて物語る。

「「――――――‼︎」」

 火球はとうとう大地を離れる――

「っ――」

 シラはもちろん、熱を浴びる誰もが、背後から火球に焼き殺される事を覚悟した。

「「――――――‼︎」」

 しかし――

「……⁉︎」

 熱も音も、潮が引くよう離れてゆき、シラ達は再び山岳地帯の冷気に包まれていた。

(助かっ……た?)

 三人は祈る思いで両目を見開く。

「「「⁉︎」」」

 一同は目の前の光景に言葉を失う。

「オオォォン……」

 グラウはに共鳴するように何度も遠吠えを上げる。

「「‼︎――――…………」」

 火球は熱天上に浮かぶ星列に加わらんとする勢いで上昇していた。

「「‼︎――……」」

 蝙蝠の形は自身の熱で跡形もなく崩れ去り、ニバ村を偽りの夜明けで照らし出す。

「「‼︎……」」

 火球の勢いは止まる事を知らず、明けの明星と化しては夜空を飾り……――

「オオォォン……」

「オオォォ……」

「ガルルルル……」

 見上げる頂獣たちは、大空に向けて一斉に吼え始めた。それは勝鬨や威嚇といった攻撃的なものではなく、聞いた者の琴線に触れる静かな哀悼のようであった――

「……」

 夜明けとともに頂獣たちはそれぞれの在り方を取り戻し、村人たちはようやく「戦いは終わった」と胸を撫で下ろした。

「……」

 しかし、ニバ村が勝利の余韻に浸る事は無い。

 敵はニバ村から去ったものの、黒鉄が発した熱と軌跡は風の力場を大きく乱した。

 カミが村を目指すための道標であり、村人の祈りを神々に届けるための気の流れ――今いる神々が旅立てば、ニバ村に次は無い。隠れ里としてのニバ村は死に体だった。

「……」

 もっと他に方法は無かったのだろうか――シラは目覚めるたびにあの日の光景を思い返すも、

救済のための巫女が、かえって村にトドメを刺してしまった事実だけが頭から離れず、シラはあの日からずっと塞ぎ込んでいたのだった。

(お父様……)

 あの日以来、父の声は聞こえない。バヅの残留思念はシラの勝利を見届けた事で役目を終えたのだろう。

 死んだ父と交流できた事自体が奇跡だと思う一方で、シラの心にはまだまだ父の庇護に恋しさが募る。村を解散に追い込んだ事実はそれだけ少女に深くのしかかっていた――

「さーて! 解散するとなると一仕事しなくちゃですな」

「夏場でよかったですね。はヤギたちにとっていい運動になりそうだ」

「関係各所への調整……骨が折れますなぁ!」

「……???」

 俯くシラを他所に、大人たちはそれぞれの持ち場へと動き始めていた。彼らの表情に暗いところは無く、「解散」を淡々と受け止め、新しい日常へ向けて顔を上げているのだ。

「……なんで?」

 次第に人々は持ち場へと戻り……議場に残ったのはシラとアルバとバーラの三人である。

「どうしたシラ、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして」

「いや、だって……お祖父様、村は解散だって……ニバ村が終わるのに――」

「シラ、ニバ村がどのようにして生まれたのか忘れたのか?」

「それは……ご先祖様たちがシロガネさまと番った初代ハク様の導きの下、あちこちを転々として」

「ニバ村は初代様がに居を構えた場所だ。だが、村に至るまで、先祖たちは様々な場所でシロガネさまの奇跡を残していった……」

 アルバは言いつつ、懐から一枚の地図をシラに見せた。

「……これは!」

 紙面に広がる地形は見慣れたニバ村の周辺図であった。しかし、そこに記された情報は商人たちが扱う交易のためのものではなく、神官たちが扱う歴史的な情報を中心に纏められていた。

「これは先祖たちがニバ村にたどり着くまでの記録であり、我らの兄弟の住処いどころを示すものでもある。

 兄弟たちもまた渡りのシロガネさまの加護を受け、各地の巫女の下で隠れ里の営みに励んでいるのだ」

「そんな話……私知りません」

「当然だ。巫女にはそれぞれの村の防衛に集中するように、兄弟たちのことは伏せておくようにと初代大巫女が取り決めたのだからな」

「……は?」

 寄り合いは村長が取り仕切り、表沙汰にできない案件は深夜の秘密会議で取り上げられ……シラが未成年ゆえに、ニバ村の政治はアルバが前面に出ていたように思えていたが――そもそも巫女が村の政治に参加できる機会は限られている。

(……まさか!)

 幼少期から詰め込むように与えられてきた官僚知識に嘘は無い。しかしながらそこに兄弟たちに関わる情報はかけらも匂わず――祖父から孫へ、教育熱心な姿勢すら歴代巫女を真実から遠ざけるための隠れ蓑であったことを悟るとシラその場に大きくへたり込んだ。

「そんなの……あり?」

「はっはっは。シラよ、お前がどれだけ聡くても大人という生き物が本気で騙そうと思えば村一丸で一人の子供から真実を隠すことは容易いのだ。

 まあ、隠し事ばかりでは済まないようになってしまったがな――」

「……」

「……」

 三人は議場の破れた壁からニバ村の景色を見つめる。

 新興の頂獣集団・レイギウス帝国の拡大は著しく、その貪欲な魔の手は隠れ里であるニバ村にまで伸びてしまった。

 たった一対の番いが暴れただけで、一つの集落が崩壊を迎えた――古い時代の教えのままに頂獣を避け、その性質に向き合わず、あわよくば禁断の知識として葬り去ろうとする姿勢は、ならず者の前では意味を成さない。恐ろしいことに時代は人と頂獣の新たな関係を模索しなければならない段階へ突き進もうとしている。

「シラよ、お前に一つの罰と一つの任を与える。

 まず罰じゃが、罪状はわかるな? 触れてはならぬ頂獣、その中でも恐れ多くもカミと絆を結び連鎖的に数々の掟を破った罪はたとえ大巫女という立場でも許されるものではない。よって罰としてシラよ、お前から大巫女の位を剥奪し、旅の仲間に交わることも禁ずる」

「……」

 村長の言葉に不満はない。むしろ今までを保留されていただけにアルバの決断はシラの中にすん、と馴染んでいた――

「兄弟たちが住まう場所もまた争いから逃れるための隠れ里であり、シロガネさまの庇護を受けている。しかし――今までのやり方が通じないことはこの有り様をみれば明らかだ……。

 よってシラよ、到達者という咎を濯ぐためお前には『現代における頂獣と到達者の実態、およびレイギウス帝国の動向調査』を任ずる」

(……え?)

「定期的に情報を上げることはもちろん。異常事態が認められれば速やかに報告に戻ること。分かるな」

「ちょっと待ってください!」

 続く祖父の言葉、その裏に隠された意図を飲み込めずシラは思わず混乱する。

「咎人である私を永久に追放しないのですか?」

 同行こそできないものの……村長が下した沙汰はシラをニバ村の人々と兄弟たちから完全に断ち切るものではない。

 頂獣に触れ、到達者として絆を結ぶことは、ニバ村はもちろん、青い惑星ブルーアースにおける最大の禁忌。本来であれば共同体から否応なしに弾かれ、二度と輪に加われないはずなのだが……――

「あの日バヅがハクオウと共に戻ってきたとしても、長は屁理屈を捏ねて全力で庇ったはずだろうという確信がありますな」

「ばっ……バーラ! 何を言うか! 儂はただ到達者という人材を村のために最大限活用させようとだな――」

 バーラの言葉通り理屈を捲し立てるアルバ。焚き付けたはずの武人は再び沈黙を始めるが、長の言葉が降りかかる度に僅かに口の端を上げる。

「……」

 たとえ禁を犯したとしても、二人にとって父・バヅはかけがえない存在であることは変わらない。そしてそれはシラも同じこと――

「――それにだ! シラ、お前の顔を見れば分かる……ハクオウの、頂獣の背景にある歴史を知りたくて仕方がないのだろう」

 祖父の瞳がシラの網膜に焼きついたとある光景を覗き込む。

 頂獣は人間の精神、果てには肉体を取り込むことで爆発的な力を手にすることができる。

 先の戦いでスパイクはルーカスを心身共に取り込み、恒星と紛うほどの熱量を獲得した。地域の気候を反動させるほどの巨大な力……己の腹に三つも穴を空けた相手を蒸発させるなど造作もないはずだ。

 それにも関わらず、スパイクは復讐に見向きもせずに天を目指した。これはどのような本能が働いたのだろうか……――

(人を喰う以外にも、頂獣には何か人類が忘却した生態が存在する)

 父の真相を解明した今、シラの関心を占めているのは頂獣と言う最も身近で謎の多い隣人だった。

「狭い隠れ里に押し込めたところで、お前の好奇心を押さえつける事などできないだろう。行ってこい。そして、バヅの時のようにシラ、お前自身の手で世界を解き明かしてこい!」

 祖父は愛する孫娘に向けて期待と信頼の眼差しを注ぐ。

(……お祖父様!)

「……わかりました」

 シラは徐に半身を起こすと二人に向けて銀の槍を差し出した。

「村に尽くす巫女でありながら数々の禁を破りましたこと、改めてお詫び申し上げます。

 不出来な子に罪を濯ぐ機会までくださったこと――長の御心は天空よりも広く、その慈悲は風に乗って遠く離れた地でも身近に感じられることでしょう。私には身に余るほどのお沙汰にございます。

 さて、本日をもちまして私は巫女ではなくただの罪人です。罪人に神器を預かる資格などございません。これはニバ村の――兄弟たちのものです。あるべき場所へお返しします」

 シラはそのまま頭を下げると、バーラに向けて神器を掲げた。

「……神器はバヅ、シラと二代にわたって穢れを帯びた。これをそのまま受け取れば兄弟たちの役に立つどころか災いを呼ぶであろう。よって衛士長バーラは罪人シラに命じる。此度の任を持って神器の穢れを注ぐべし――なんてな。

 いくら相棒がいるとはいえ、いきなり外の世界に身ひとつで放り出されるのは心細いだろう。シラの槍はバヅ譲りのいい筋をしている。カミの力だけに頼らず、その槍で己を鍛えなさい。どれだけ離れていても、ニバ村の槍を振るう限り我々は繋がっている。そうして槍が研ぎ澄まされた時、改めて神器を預かろう」

 今日は喋りすぎた――今度こそバーラは口を閉じ、生来の無口な彼に戻ってゆく。

「!――」

 シラは二人に向けて勢いよく頭を下げ――

「今までお世話になりました!」

 槍を手に立ち上がると、そのまま議場を飛び出して行った。

「ハッ……ハッ……!」

 今のシラは罪人。ゆえに少女は村人たちに別れを告げることなくひたすら高台を目指し駆けてゆく。

「オォ……!」

「……」

 待ち受けるは父の形見であり仇であり、己が命と引き換えに力を貸し与える白銀の番い。

 そして――

「シラさん!」

「アオォォン!」

「……準備はできたのか」

「ガルルルル……」

 来訪者たちは着の身着のままでやってきたシラに手を差し伸べる。

「……」

 シラは白銀に染まった手で彼らの手を握り返す。

(ニバ村だけが、世界の全てじゃない――)

 これから行くのは未知の世界。これから一つ羽ばたくだけでシラは生まれ持った居場所も役割も失い、むき出しの少女となる――

「!」

 シラは槍を背負うとハクオウの首元に敢然と跨った。

「オォ――」

 番いは少女の覚悟を受け、風を纏い出す――

 飛び立つ空にはもちろん、山に森、荒地に人里……風は青い惑星(ブルーアース)をひと繋ぎに流れ続ける。

「ハクオウ!」

「オオォォ!」

 風が吹く限りシラは孤独ではない。これから少女が紡ぐ物語も、シロガネの同胞たちの奮闘も大空の下で風と共にいつか交わる。たとえ故郷を離れても、ニバ村とシロガネさまが紡いできた絆はこれからもこの世界に流れ続けるのだから。

「さあ飛び立とう――」

 風の向くまま広い世界へ――



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白銀のシラ 鳳赤城 @akagi_otori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ