3―4

 誰もが寝静まった深い夜。社殿の一角では数人の男たちが灯りを囲んでいた。

「……」

 参加者のほとんどは商業階級で占められており、矢面に立っているのは出戻った商人たちであった。

「……」

 司祭階級からはアルバと高齢の神官が数人。衛士階級からはバーラと、彼から免許皆伝を受けた精鋭達。

 ニバ村の寄り合いは本来、成人男性であることだけが条件という開かれたものである。

 ところが密室にひしめくのは政策の秘部を担う重鎮ばかりで若い顔はいない。彼らの口は一様に重く、呼吸すら外部に漏れることを警戒し、神経を尖らせている。

「……その話は本当なのか」

 アルバは出戻り商人たちがしたためた報告書を、灯りで炙りながら目配せした。

「……外の世界はめまぐるしい勢いで変化しております」

「戦後の空白で伝承が途絶えたか……長い平和の中で掟を忘れたのか……」

「……」

 重鎮たちは彼らの報告を反芻する。

 商人たちは、村の特産品による取引はもちろん、各地で求められる日雇労働では匠の技を見せ、商材が尽きれば大道芸で興行するほど多才で、出稼ぎは順調に行われていた。

 そうやってある程度稼いだところで、彼らはひとつ羽を伸ばそうと、歓楽街へ向かおうとしていた。余分な稼ぎは商人たちの取り分であり、刺激に溢れる外界で遊ぶことは役得の一つであったのだ――

「……我々がうつつを抜かさなければ」

「いや、境界を越える大役を背負わせる以上役得はあって然るべきじゃ。お前たちは悪くない」

「長……」

「しかし……だとすれば尚更状況は……」

「……」

 口々に不安を漏らすものの……その原因はぼやかし、決して口には出さない。

(とうとう……現れてしまったか――)

 到達者――

 歓楽街を襲い、また騒乱の中から人々を救った人と頂獣の群れ。番いを示すその言葉は禁句とすることで忘れ去られようとしていたモノだった。

「……長、我々も腹を括るべきでしょう」

 バーラは体ごとアルバに向きながら言う。

「シラは……宿命に耐えられそうか?」

「……」

 バーラの眼差しは不安がるアルバを支えるよう真っ直ぐに注がれていた。瞳には槍の鋒の如き煌めきが宿り「シラ様ならお勤めを果たせます」と力強く訴えている。

「……他の者はどうだ? 此度の沙汰を見習いに任せてもいいと思うか?」

「恐れながら、事態はもはや人の範疇を超えております……」

「皮肉にも、シラさまが目覚められたことは怪我の功名と思うべきでしょうなぁ……」

「……――」

(シラよ……)

 外界との隔絶で維持してきた数百年もの平和もとうとう終わりを迎えるかもしれない――

(お前がなんと言おうと、儂は村を安全な鳥籠にしておきたかったんだがなぁ……)

「ふっ――」

 アルバは感傷を押し込め、村長として密室を見渡す。

「では来訪者の件は巫女に一任とする。皆もそれで良いな」

「……」

 異議なし――男たちは無言をもって決議を投じた。

「よし!……時に商人たちよ。例の件は順調に進んでおるか」

「!――」

 出戻りの男たちはもちろん、商業階級全員が村長に向け無言で訴える。「種はもう芽を出し始めている」と。

「我らの行く道にシロガネさまの加護があらんことを……――」

「……――」

 祝詞の後、男たちは沈黙の誓いを立て、秘密会議は解散となった。

 そして翌朝――

「シラ、客人たちの事はお前に任せる」

「……いきなりですね」

「分かっていると思うが彼らの番いを村に入れてはならん。乗っている姿は尚更……好奇の目は森の中にまで入っているかもしれん。細心の注意を払え。それ以外は、お前が求めるまま好きにするといい」

 アルバは起き抜けのシラに告げるとさっさと社殿へと戻ってしまった。

「……」

 命令が持つ意味をシラは理解していた。頂獣への接触という最大の禁忌をものともしない男女二人と、シロガネさまと同等の力を持つ他の頂獣の存在が白日の元に晒された時、どのような反応が起こるかは想像に難くない。シラ一人逸脱しただけで政治の中枢が引きつけを起こしたのだ。これ以上村の伝統にひび割れが起きれば――シラとて司祭階級の端くれ。これ以上の悪化は祖父と同じく引き起こしたくないと思っている。

 一方で――

(好きにして……いいの?)

 アルバの政治性は徹底的に伝統に則り、若い神官たちからは付け入る隙のないと評判の堅実なものだった。それにも関わらず彼が下した命令はシラに「バレない限り好きにしていい」と告げているのだ。

「……」

(お祖父様達はやっぱり、隠している……)

 思えばアルバ含む一部の重鎮たちは、たった一人残された巫女の直系が頂獣に魅入られたというのに驚きこそすれ、心底狼狽した風では無かった。

 清廉であるべき巫女が、頂獣という怪物に汚されたとなれば、相手が信仰するカミだとしても何かしら行動するのが掟を守る神官として自然であろう――

「……」

「オォ……」

 ハクオウは何も答えず、呑気に村の朝を眺めている。平時のハクオウは相変わらずニワトリの如く、三歩歩けば忘れるという風であった。

「……やっぱり話を聞くしかない」

 そうと決まれば善は急げ。番いは来訪者が拘留されている訓練場へと歩みを進めた。

「はぁ……」

 しかしながら少女の足取りは意外にも重い。

(……外からの人と……どうやって話せばいいんだろう?)

 生まれてからの十三年間、シラはニバ村で過ごし、生活も、人間関係も内側で完結してきた。持ち前の好奇心をもって、商人達から外界について話は聞いているものの……外の人間とは全くの他人である。周囲には生まれた頃からの顔見知りしかおらず、シラにとって素性の知らぬ人間と会話するなど生まれて初めての事だった。

「うぅ……」

 稽古場ではバーラに心意気を見せたものの、その勢いは今急速に萎み出していた。

(私って人見知りだったっけ……)

 衛士長からの激励、巫女として初の正式な使命、そして未知の来訪者……己の根源を知るための道のりは、いつの間に代表としての責を背負うものになってしまったのだろう。

「大丈夫……大丈夫……」

 代表者としての有り様をシラはずっとアルバの側で見てきた。胸を張り、相手を背景のごとく視界に収め、主張は声高に訴える……虚勢でもいい、今のシラに必要なのは堂々とした姿勢だった。

「オォ?」

「……」

 足取りが重くとも村は狭い……シラは日が登る頃には衛士の詰所に辿り着いてしまった。

「シラ様!」

 衛士がシラを迎え「どうぞ」と先へと促す。

「!――」

 衛士たちの視線を受けるとシラの背は自然と伸びる。憂鬱は消え去り、巫女の両足は留置場に向けて真っ直ぐに歩み出す。

「……」

 神器を手に銀髪を輝かせながら歩む姿は硬派な衛士達も見惚れるほど堂に入っていた。後ろにカミを従えるとなれば尚更、巫女が纏う神秘性は増してゆく。

「――」

 シラは己を鼓舞するために心の裡で祝詞を唱え、双肩にかけられた期待に応えるために扉を叩いた――

「外界の客人たちよ! 我が名はシラ! ニバ村の長アルバの孫娘にして偉大なる大巫女ハクの血を継ぐ者なり! いざ、頼もう!」

「……」

(…………?)

 シラの予想に反して扉の奥の反応は鈍い。見習いとはいえ、村の最高権力者が声を張り上げたのなら、監視の衛士がすかさず飛び出すはずなのだが……――

「はーい」

 一拍おいて応答があるも、柔らかな声色は監視の衛士のものではない。

「……?」

 続けて扉から蜂の巣をつついたような音が鳴り出した。

(……何が……どうなっているの?)

 少なくとも内側にとってシラの訪問は予想外。迎える様子も見られない。

「!」

 ならばとシラは自らの手で戸を開き――

「外界の客人たちよ! 我が名はシラ――」

「あら、自ら迎えに来てくださったんですね。光栄です」

「――⁉」

 ――シラの前に女性の笑顔が飛び込む。

「シラ様……」

「!……」

 続けて目に飛び込んだのは監視の衛士二人と……彼らが大慌てで隠そうとしている村の数々の特産品――

(……まさか!)

 好奇心はシラの専売特許ではない。

 村内は既に来訪者は噂でもちきりだ。しかもその片割れがとびきりの美女とくれば――どれだけの資源と情報が流出したのか!――女っけの無い衛士たちが我先にと誘惑に屈したのは想像に難くない。

「……下がりなさい」

「いやしかし……」

「我々には来訪者の監視とシラ様の護衛の任が……」

「いいから――下がれ」

 声と共に留置場が大きく揺れ出す。襲う風は留置場に入り込み、衛士たちの首筋を冷たく撫でていった。

「も、申し訳ない!」

「失礼ッ!」

 巫女の怒りを察すると男たちは情けない声を上げながらその場を飛び出していった。

(……男って生き物は……)

「うーん、お二人がいなくなってしまうと……三人で新鮮なうちに食べきれるかしら?」

 せっかくの厚意なのに――女性は衛士たちが残した特産品とシラの顔をまじまじと見比べる。

「……」

 留置場という環境にも関わらず目の前の女性は自然体であった。

(これが……来訪者)

「おいカーリア、他所様の土地でそう馴れ馴れしくするものじゃない。巫女様が困っているぞ……」

(女の人は……カーリア――)

 シラの中で来訪者達との出会いが浮かび上がる。

「あなたはジョン……さん、ですよね」

 シラは男性に向けて問いかけた。

「……どうやら記憶力がいいらしいな」

「……――」

 シラは巫女の威厳を崩さぬよう顔を上げ、カーリアとジョンの姿を見つめてゆく。

 カーリアは全体的に柔らかな印象を持たせる女性だった。暖炉の火のような暖かみを連想させる赤毛の長髪と赤い瞳。半袖の上下から大胆に露出した肌は艶のある滑らかな褐色で、体つきも女性らしい部位が豊満な丸みを主張している。

 ジョンはというと第一印象は衛士に近い。刈り込まれた黒い短髪と、切れ長の黒い瞳はよく研いだ剃刀を連想させる。やたらと衣嚢がついた黒い長袖の上下に身を包んでいるにもかかわらず盛り上がりを見せる筋肉と、静かな立ち振る舞いからは武の気配が漂っていた。

「……!」

 咄嗟に釘付けになるシラ。

(紋章‼︎)

 カーリアは露出した右大腿部、ジョンは捲った袖から伸びる右前腕に、それぞれの番いの色をした獣の牙を模った紋章が刻まれていた。

「……やっぱりあなた達も……頂獣と繋がっているんですね!」

 槍を握る左手に力が込められる。二人の特徴について衛士達は噂話を広げていたが……実物を前にシラは興奮を隠せない。

「その様子だとこの村には長らくが現れなかったみたいだな」

「……到達者?」

「一つ忠告しておく。村の代表を気取るなら表情をそうコロコロ変えない方がいい。素直なのは子供らしくて好みだが、顔色目の色でアンタ達が何も知らないだろうことがバレバレだぞ」

「!」

 早速シラの頬が赤みを帯びた。外界でも成人年齢は概ね十四歳であると聞く。なるほど自分は未だ十三だが、成人を半年に控えているのだ。まして今のシラは巫女として村を背負ってこの場にいる。それを見ず知らずの男に揶揄されては心中穏やかではいられない。

「ジョン、そう喧嘩腰にならないで。私たちは戦いに来たんじゃないでしょ。シラさんごめんね〜ジョンも悪気があるわけじゃないの。どうしても昔の癖が抜けなくって……全くこんな風だからいろんなところでトラブルを起こしちゃうのよ」

「……」

 小馬鹿にされたかと思えば慰められ……シラは対照的な客人二人をどう扱っていいのか見当がつかない。

 一つ確かなのは、来訪者はシラに対し「遠慮」が無なかった。

 ニバ村では気位の高い神官も、力に秀でた衛士も巫女という位を前にへりくだる。たとえどれだけ親しい間柄であってもシラは交流の中で薄壁一枚隔てたような空気を味わってきた。

 ところが、カーリアとジョンはシラの立場に忖度せず出会い頭から自然にふるまっている。

 捕縛された時ですらニバ村の事情に理解を示し処分を受け入れてしまう度量はどのような経験を積めば身につくのか、少女には想像もつかない。

「……外の世界の人たちはみんな、あなたたちみたいなんですか?」

「何をもって俺達だと定義するかによるが……まぁいろんな経験をしてきた自負はあるな」

「そうね。職業柄捕まることもしょっちゅうだし。度胸は人一倍かも」

「……」

 開いた口が塞がらないとはこういうことなのだろう。シラは少なくとも、アルバのように権威を利用しての交渉は無意味だと悟った。

「……私はお二人みたいにはなれなさそうです」

「そうでもないわ。いろんな場所で、いろんな人たちと出会いを重ねれば――」

「私に『いろんな』は無いんです」

「え……」

 シラの顔を見てカーリアの言葉が止まる。

「カーリア。相手はだぞ……」

「……あっ――」

 ごめんなさい――慌てて謝罪するカーリア。

「……」

 ――シラは彼女を背景のように見透かしては、遠く広がる外の世界へ思いを馳せる。

(お父様が飛び出した森の外。そこから広がる世界――)

 カミを、頂獣をものともしない活動的な人々の中に父の姿はあるのだろうか――

「オォ――」

 風がシラの背を押す。

「……申し訳ないと思うなら、外の世界……あなたたちみたいな人と頂獣の関係について教えてくれませんか」

 弱みにつけ込むのはシラの好むところではなかった――

「可愛くないガキだ」

「ガキじゃありません。シラです。私もジョンさんとカーリアさんに倣って図々しくなってみようと思っただけです」

 しかしながらシラには来訪者たちが持つような力や経験が無い。即席の権威もあっけなく崩れ落ち……ならばこそ戦略を変え、可愛げがなくとも素直にぶつかることにしたのだった。

「そうね。私たちもシラさんとお話がしたかったんだもの。分かったわ。それじゃあシラさん、ニバ村の巫女に対する非礼は私たちが持つ情報によって贖われるってことで良いかしら」

「もちろん!」

 互いに納得すると、三人は席へと着いた。

「それじゃあ早速なんだけどシラさん、私たち到達者同盟はあなたをスカウトしたい」

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