第16話 勇者と迷宮の異変

 結局、その日の昼食はファミレスで済ますことになった。

 いろんなメニューがあり、各人の好みで頼めるというのが最大の理由だ。しかも環奈ちゃんのリクエストにも応えられる店である。

 なにより適度に安いのがありがたい。


「でも女子高生をもてなす店としてどうなの?」

「それはファミレスの人に失礼だぞ、美弥」

「う、そこは謝るけど」

「私は好きですよ? 牛丼以外も頼めるし」


 ギュッと拳を握って力説する環奈ちゃん。素直で優しい彼女の方が、妹属性強いんじゃないかと思えてきた。

 美弥は育ってきた境遇が可哀想だっただけに、人慣れしていない野良猫のような印象を受ける。


「まぁ、この店なら好きなだけ食べても大丈夫なくらいの蓄えはあるさ」

「お兄ちゃんって借金があるんでしょ? 大丈夫なの?」

「心配してくれてありがたいが、それくらいの稼ぎはあるよ」


 月収で百万以上。生活費を抜いて、それだけある。

 このペースなら三か月で返済しきれる稼ぎだ。

 魔石が高騰している今だから稼げる額なのだろうけど、それはそれで今のうちに稼がせてもらおう。


「お兄ちゃん、生活は大丈夫なの?」

「そうだな、三か月もあれば返しきれる」

「そっか。刀護さんは異世界で勇者だったから、戦いの経験豊富ですもんね」

「ま、まぁね。でもその話は内密に」


 なにせここは他の人もいるファミレスの中だ。

 女子高生二人を連れた男が勇者と呼ばせてると思われると、変な目で見られてしまう。

 周りから女子高生『勇者』と呼ばせてる痛い人と思われたら、死にたくなってくる。ただでさえ『バールおじさん』という不名誉な呼ばれ方をされているのに。


「三か月で返済って、すごく稼げてるのね」

「まぁな」

「それなのに、あんなアパートに住んでるの?」

「うぐっ」


 確かに前回彼女たちを招待した俺の部屋は、安アパートと言っていい質素なものだった。

 しかしそれは、俺が何の資産も持っていない時に紹介されたもので、当時の俺としては涙が出るほどありがたい部屋だったのだ。


「俺がこっちに戻った時は、何の資産も持ってなかったからな。あの部屋でもありがたいくらいだったんだよ」

「あ、そっか。私が全部受け継いじゃったから?」

「まぁ、死亡扱いだったから仕方ないよ」


 少し申し訳なさそうにしていた美弥を、俺は苦笑しながら慰める。

 実際死亡扱いだったわけだから、無一文で路頭に迷うのはしかたない状況だった。

 遺産に関してはいずれ再分配の話が高橋からくるかもしれないが、俺は面倒なので今のままでいいと伝えている。

 ぶっちゃけると、ダンジョンに潜れるなら、いくらでも稼ぐ当てはある。


「正直、ダンジョンがあるなら明日にでも全額返済する手段はあるんだけどな」

「えっ、そんなに?」

「要は魔石が値下がりする前に稼ぎ切ってしまえばいいんだから」

「刀護さんが容赦なく暴れ回れば、一日で稼げるってことです?」

「まぁね」


 その代わり、階層のモンスターを狩り尽くされた他の探索者に恨まれることになりかねないので、よっぽどの事態でない限りやる気はない。

 悪い考えをごまかすように視線を窓の外に向けると、見慣れた人が駆けていくのが見えた。

 日本に戻って一か月程度の俺からすれば、見慣れた人間なんて数えるほどしかいない。


「あれ、高橋さん?」

 駆け抜けていったのは、厚生労働省迷宮科の高橋だった。もちろん相方の田中と名乗った職員も一緒だ。

 この店はダンジョンが近いので、彼がいることはおかしくないかもしれない。

 しかし血相を変えて走っているとなると、気になってくる。

「お兄ちゃんの知り合い?」

「ああ、迷宮管理組合の人だよ。部屋の世話とか戸籍の手続きとか、いろいろと世話になったんだ。日本の迷宮管理組合は厚生労働省に所属してるからね」

「へぇ……でも、妙に慌ててなかった?」

「そうだな。ちょっと気になるかも」


 俺との会話では、話しにくそうにすることはあっても、狼狽するような場面はなかった。

 あんなに血相を変えてダンジョンの方に走っていく姿なんて想像もできないくらい、クールな印象を持っている。

 先ほど、スケルトンが浅層に出てきたという話もあることだし、それに関連した問題なのかもしれない。

 だとすると、あの探索者たちを治した美弥の治療魔法も、彼らの耳に届く可能性もある。


「うーん……」

「どうかしたの?」

「さっき治療したのは失敗だったかもな」

「なんで?」


 あの時美弥は、ファーストエイドを超える治療をしてみせた。

 もし高橋にその話が流れると、俺と関わりがある美弥にも、何かあると勘繰られるかもしれない。

 そうなると、美弥の杖を俺が作ったことも知られ、俺の特殊能力に関して知られることになりかねない。


「美弥の杖のことを詮索されるかもしれないからさ。あとでちょっと様子を見てくるか?」

「私も一緒に行った方がいい?」

「いや、むしろその場にいない方がいいだろう」


 低レベルの美弥が、魔石九個を取り付けた杖を持っている段階で、何か奇妙に思われる可能性があった。

 高橋はダンジョン関連の現場に出てくる人間だけあって、観察力が鋭いというのが、俺の印象だ。


「鋭そうな人だったからな。異世界のこととか、知られたくないこともあるし」

「なんで知られたくないんです? 刀護さんの力とか、すごく役に立つと思いますけど」

「役に立つから問題なんだよ。親切にしてもらったとはいえ、高橋さんは国の役人だからね。良いように使われる可能性がある」

「あっ、そういうこともあるんだ」

「彼個人はそこまでじゃないと思うけど、彼の上司までそうとは限らないからね」


 役人というのは、上の地位にいる奴ほど腐った根性の者が増える。無論俺の偏見だ。

 だが、地位と権力が増えるほど、やれることが増えるというのが悪影響を及ぼしている可能性は否定できない。。

 もちろん、スラムに住むような連中だってクズはいるので、権力者だけが悪とは思っていないが。


「とりあえず俺は様子を見てくるよ。悪いけど美弥たちはこれで会計を済ませておいて」

「え、良いの?」


 俺は一万円札を二枚、美弥に渡しておく。これだけあれば、ファミレスの会計なら問題ないはずだ。

 二枚なのは、環奈ちゃんの食欲に不安を感じたから。


「お釣りはそのまま取っといて。それじゃ」

「え、お兄ちゃん!?」

「いいんですか?」


 目を丸くする二人。高校生だと、ちょっとした贅沢ができる額かもしれない。

 もっとも環奈ちゃんの様子を見るに、あまり残らない可能性が考えられるが。


「ひょっとして、もっと渡した方が良かったか?」


 なんとなく、そんなことを考えながら、店を飛び出す。

 再会したばかりの妹に良い恰好を見せたいという欲求からなのだが、甘やかし過ぎかと考えた後、思考を切り替えた。

 ファミレス自体はダンジョンの近くに存在したので、あだし野市のダンジョンの入り口まではすぐに辿り着いた。

 ダンジョンの周囲はダンジョン関連の装備を売る店や、食事処が非常に多い。

 これは一仕事終えた探索者を狙った飲食店だ。俺たちが先ほどまでいたファミレスも、そういった類である。


「高橋さん、どうかしたんですか?」

「あっ、夏目さん。どうしてここに?」


 俺はファミレスで食事していたことを彼に告げ、何かあったのかと尋ねた。

 するとやはり、浅層にスケルトンが出たことが話題になった。


「本来出てくる場所じゃないところにモンスターが出るのは問題です。しかも二回目ですから」

「環奈ちゃんの時みたいに、実力の足りない探索者が被害に遭うかもしれませんしね」

「それだけじゃないんです」


 高橋は神妙な顔で、俺の言葉を受け継ぐ。

 その間も、相方の田中はダンジョンの管理をしている者と話し込んでいた。


「八年前、ダンジョンからモンスターが出てきた事件がありました」

「ええ。俺の両親が犠牲になった時ですよね?」

「はい。その時も浅い階層にいないはずの敵が出てきたと、後の調査で判明しました」

「つまり、今回も?」

「その可能性がある、と考えています」


 ダンジョン内では、モンスターは特定の階層で出てくる敵が決まっている。

 スケルトンなどのアンデッドモンスターは、このあだし野ダンジョンでは五層以下でしか出てこない。

 それが二層で出てきたというのは、当時を知る高橋からすれば、放置できる問題に思えなかったようだ。


「俺たちも警戒した方がいい、ということですね」

「もちろんですが……おそらくダンジョンはしばらく閉鎖になるかと思います」

「それ、俺が困るんですけど」


 日々借金を返すためにダンジョンに潜っている身だ。ダンジョンが閉鎖になったら、非常に困る。


「もちろんその事情はこちらも把握しています。ですが命あっての物種ともいいますから」

「まぁ、そうなんですけど……」


 死ぬよりはマシ、と高橋は言いたいのだろう。だが異世界の修羅場を潜ってきた俺からすれば、スケルトン程度では脅威にならない。

 むしろ借金取りの方が怖い。マジで勘弁してください。せっかく妹と再会できたのに、遠洋漁船に送り込まれるのは嫌です。

 いや、さすがにそんなことにはならないと知ってるけどね。


「大至急、調査隊を編成して原因を究明しますので、それまでは自重してください」

「はぁ……」

「場合によっては、海外からも援軍を呼びますので」

「海外からも? そこまでの大事なんですか?」

「ええ。モンスターが外に出ると、市民に被害が出ますから」

「ああ、確かに」


 俺の両親はそうして犠牲になった。ダンジョンという危険地帯が国内にある状況で、市民に被害が出るとヒステリックに騒ぐ連中が出てくる。

 市民の反対運動が起これば、ダンジョン内の魔石という資源を回収する作業に、支障が出かねない。

 そこで一刻も早い解決を目指すべく、高橋たちが駆け付けてきたということだ。


「わかりました。しばらくは自重することにします」

「お願いします。返済の方は、こちらで配慮するように指示しておきますから」

「そうしてくれると、助かります」


 とはいえ、借金を抱えている身である。しかも住居について、美弥にも言及されていた。

 俺としては一刻も早く借金を返済し、あのアパートから出て一軒家に居を構えたいと考えていた。

 ならばこっそり忍び込み、魔石を稼いでも悪くないだろうか?

 別段魔石は腐るものではない。採取した分はアイテムボックスに収納しておき、ほとぼりが冷めてから売り払えば問題はない。

 それに美弥のために魔石を用意する必要もあるためにも、予備は多い方がいい。


「それじゃ、今日のところはこれで」

「はい、お騒がせして申し訳ありません」

「いえ、安全に関わることですから」


 俺は高橋に手を振って、その場から離れた。

 背後を振り返ると、俺の後にやってきた探索者が高橋に食って掛かっている様子が目に入る。

 おそらく俺よりも高レベルの探索者たちだ。

 彼らの稼ぎは俺よりも遥かに多い。ダンジョン封鎖による被害は、俺の比ではないはず。


「高橋さんも大変だ」


 レベルの高い探索者は、身体能力も高くなっている。

 言うなれば、アスリート並の能力を持つごろつきと言ったところだ。

 そういう連中を従わせないといけないのだから、その労苦は計り知れない。

 俺が見たところ、高橋もかなりの能力を持っているように見えるが、おおっぴらに暴力を振るえない立場だけに、面倒は多いはず。


「いいから通せって言ってんだ!」


 周囲に響くような声で探索者が高橋の胸ぐらをつかんだところで、俺も黙っていられなくなった。

 懐に仕込んだ鉄球を取り出し、探索者に向かって親指で弾き飛ばす。

 俺の筋力から撃ち出された鉄球は弾丸とまではいかないが、かなりの勢いで探索者の頭部に炸裂した。

 衝撃で鉄球は明後日の方向に飛んでいき痕跡は残らない。探索者の身体はぐらりと傾ぎ、倒れ込む。


「な、なんだ?」

「どうしました!?」


 突然倒れた探索者に、高橋は狼狽し、探索者も驚く。

 しかし高橋が手を出していないのは、目の前にいた探索者たちも知っているし、周囲には人はいない。

 飛んでいった鉄球も大きさは一センチ程度しかないため、砂利などに紛れ、見つからないと思われる。

 俺はそれを確認してから、その場を離れたのだった。

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