第7話 勇者と買い物と弟子の思惑

 翌日、この日は週末だったので、朝から環奈ちゃんと合流できる日だった。

 今日の目的は買い物だけだったので、俺は少しだけ小綺麗な格好を選んで、部屋を出た。

 待ち合わせの詳細などは、あの後メールでやり取りしていたので問題はない。

 十分前に待ち合わせ場所に到着すると、そこでは環奈ちゃんがナンパを受けていた。


「なぁ、良いだろ? ちょっとだけ話するだけだからさ」

「レベル1なんでしょ? 俺たちも探索者で5レベルだから、いろいろ教えてあげられるからさ。手取り足取りね?」

「そうそう。なんだったらレベル上げも協力してあげられるからさ」


 三人が彼女の逃げ道を塞ぐように駅前の壁に押し込めていた。

 環奈ちゃんは迷惑そうにしていたが、通りすがる人たちは見て見ぬ振りをしている。

 日本人の無関心もここまで来たかと思ったが、考えてみれば八年前もこんなものだった。


「あの、人と待ち合わせしていますので」

「え? そんな奴いないじゃん。嘘言わないでよ」

「俺、ちょっと傷ついちゃったなぁ」

「お詫びに今日一日付き合ってよ」


 彼女の言葉をその場しのぎと思ったのか、そんなことを捲し立てていた。

 さすがに見て見ぬ振りはできないので、環奈ちゃんに声をかける。


「お待たせ。彼らはお友達?」

「刀護さん! いえ、違います!!」


 変なのに後から絡まれる危険も考えて、彼女の名前を出さずに呼びかけたのだけど、環奈ちゃんは容赦なく俺の名前を出してしまっていた。

 もっとも、この状況の少女に冷静な判断なんてできないはずだから、無理はない。

 それに、これ以上ないくらい力強い否定の言葉に、俺は少しだけ連中が可哀想になった。

 しかしそんな憐憫は一瞬の話で、男たちは俺にあからさまな悪意を向けてくる。


「なんだよ、お前」

「いや、聞いてただろ。彼女の待ち合わせ相手だが」

「お呼びじゃないんだよ!」

「呼んだのは彼女だから」


 なんとも筋の通らない言い分で、俺の周囲を取り囲もうとする男たち。

 その動きの隙を突いて、俺は環奈ちゃんを背にかばう位置に移動した。

 確かに彼女は可愛らしい外見をしているので、こういったことに巻き込まれることもあるだろう。

 だからと言って見過ごすことはできない。なにより、今日は俺と予定がある。


「つまりな……すっこんでろって言ってんだよ!」


 男の一人が、俺に対して威嚇の言葉を放ってきた。昨日の安田と言い、こいつと言い、探索者の中には暴力的な奴が多過ぎて困る。

 日々殺生を糧としているのだから、暴力への抵抗感が薄くなっているのだろうけど、ダンジョンの外でこれではさすがに問題だ。

 それに俺も今日は身綺麗にしている。こんなところで暴力沙汰に巻き込まれ、服を汚すのも忍びない。

 昨日の安田の一件とは、状況が違うのだ。


「悪いな、今日は服を汚したくないんだ」


 男はボクシングでもやっていたのかファイティングポーズを取ってから、素早く左のパンチを放ってくる。

 ジャブのつもりなんだろうが、5レベルの探索者となると、その身体能力は一般人の四割増し程度になる。

 それ以上の基礎能力を持っていた場合だと、六から七割増しにまで及ぶ。

 それくらい、探索者の身体能力というのは脅威なのだ。だからこそ、探索者になった者は一般競技への参加が禁止されている。


「遅いよ」


 しかし俺から見れば、あまりにも遅い。こんなもの、アクアヴィータ姫ならカウンターで四、五発合わせた上でお茶まで飲んでしまうだろう。

 俺でもこの程度なら余裕で対処できる。

 男の踏み出した足をローキックで払い、バランスを崩した男が後頭部から地面に落ちるように体勢を調整してやる。

 その後、男は俺の目論見通り頭から地面に落ちて失神した。

 仲間が気絶させられたことを察した残りの二人が慌てて戦闘態勢を取ろうとしたが、その時には俺の前蹴りが男たちの急所に炸裂していた。


「おぐっ!?」

「ふぎゃあ!!」


 一人は何が起こったのかわからないまま、もう一人は何が起こったのか理解した上で悲鳴を上げる。

 もっとも俺の力で蹴られたのだから、そのダメージは計り知れない。

 死なないように手加減したとはいえ、急所の損傷もあり得るだろう。

 二人は同じ股間を押さえるポーズで地面にうずくまる。

 先に失神した男も併せて、男たちを無力化した後、俺は環奈ちゃんに振り返った。


「おまたせ。それじゃ行こうか」

「だ、大丈夫なんですか?」


 環奈ちゃんの言葉は俺に向けられたものではなく、男たちに向けられたものだ。

 彼女は俺の力を知っている。というか、スケルトンの群れを一掃したのが俺だと思っている。

 いや、ゴーレムの力は俺のものなので、俺が一掃したと言っても問題ないと考え直す。


「大丈夫だよ、彼らも探索者だから」


 一般人なら睾丸が破裂していたかもしれないが、探索者なら頑丈さも人並み以上になっているはずだ。

 一般人の四割から七割頑丈なら、死んだり破裂するような危険はないだろう。

 そう判断して俺は環奈ちゃんの背中を押して、そそくさとその場を離れる。


「で、でも……」

「環奈ちゃんは優しいね。でも警察がきたりすると面倒だし」

「あっ、そうですね」


 俺の言葉に納得したのか、彼女も足早にその場を離れていく。

 その割り切りの速さに苦笑する。その辺りは彼女も探索者なのだろう。




 昼前の時間帯なので、まずは食事に行って腹ごしらえをすることになった。

 とは言っても、俺の知識では女性に喜んでもらえるような店など選べない。

 なので結局ファミレスを選択してしまったところが情けないと、自分でも思う。


「ゴメンね、こういう場所しか知らなくてさ」

「全然大丈夫ですよ。私も形式ばったところは苦手ですから。むしろこういうお店の方が落ち着きます」

「そういってくれると助かるよ」


 おそらく世間一般の常識で語るなら、俺はどうしようもない甲斐性なしになるだろう。

 彼女がまだ幼く、そして裕福の生活を知らないからこう言ってくれるに違いない。

 まぁ、俺も日本に戻ってきてまだ一か月。しかも借金持ちなのだから、センスのいい場所など知っていようはずもない。

 これは借金返済後の宿題として、記憶しておくとする。


「とりあえず雰囲気のいい店とかは今度までに調べておくとして、何か食べよう。好きなものを頼んでいいよ。今日は俺がおごるから」

「いいんですか!」

「どうぞ、どうぞ」


 せめてこれくらいは意地を張らせていただきたい。

 俺はそんなことを内心で考えていると、彼女はさっそく注文用のタブレットに入力を始めていた。

 その料理の数、およそ五品。さすがに少し多くない?


「け、結構食べるんだね」

「えへへ。お腹いっぱいまで食べることって、最近では無かったから」

「環奈ちゃんは寮生活だっけ? そりゃ、確かにそうか」


 寮生活の場合、食堂などで一人分の食事は決まっている。

 追加で頼むこともできるが、その場合は追加料金が発生するはずだ。

 生活難の彼女にとって、追加料金の発生は避けたい事態だろう。


「苦労してるんだねぇ」

「刀護さんほどじゃないですよ。私、借金はありませんから」

「うっさいよ」


 わりとキワドイ冗談を飛ばす環奈ちゃんに、俺は笑顔でツッコミを返す。

 この程度の冗談なら、俺だって余裕で受け流せるのだ。

 そう考えると、俺も大人になったものだと実感する。転生以前の中学生の頃だったら、変にキレて怒っていたかもしれない。

 そんな和やかな雰囲気の中、料理が運ばれてくる。


「それじゃ、いただきます!」

「はい、どうぞ」


 環奈ちゃんは一声かけると、彼女は勢いよく食事を始めた。

 デートだと本人は言っていたが、やはりまだ花より団子ということだ。

 俺はそんな子供っぽい彼女の態度を、微笑ましい思いで見ていたのだった。




 その後、俺たちは探索者用の服飾店に立ち寄った。

 これは彼女の弓用の服を選ぶためだ。

 弓用の服と聞くと首を傾げられるかもしれないが、弦が手首付近まで勢いよく移動するので、袖口が弦に絡むとか、切り飛ばされるという事故は起こる。

 そこで袖口を絞った頑丈な服を買う必要があった。


「あ、これ可愛いですね。どうです?」

「うん、似合うと思うよ」

「じゃあ、こっちは?」

「それも似合うね」


 それはそれとして、彼女はとっかえひっかえ服を持ってきては俺に感想を聞いてくる、

 彼女が選んで持ってくる服なのだから、どれも彼女に似合っていて可愛いと思うのだが、正直俺には違いがわからないので、同じような感想しか返せなかった。

 これも俺の男としての甲斐性の無さなのだろうか? と不安になってくる。


「もう、刀護さんってみんなそう言ってるじゃないですか」

「ゴメン。正直、女性服の善し悪しがわからないんだ。女性関係に疎い人生を送ってきたから……」


 異世界にいた後半の頃は、それなりにモテていた。

 しかしそれは、獲物を狙う肉食獣的な視線に晒されていただけで、恋愛感情と呼ぶには程遠いものだ。

 強いて言えばアクアヴィータ姫とペロルなのだが、アクアヴィータ姫は身分差が、ペロルは年齢差が障害となって、結局実ることはなかった。

 結果として、俺は十四歳から二十二歳まで女性関係を構築することができなかったのである。

 姉のような存在と、妹のような存在。一緒に長らく旅していたがゆえに、互いのことはよく知っている。

 そして衣服の善し悪しを気にするような環境ではなかったので、すっかり無粋な男に成長してしまったという自覚があった。


「でも、今着てる服は可愛いと思うよ」

「ホントですか!」


 現在環奈ちゃんが試着している服は、白を基調にした上下のセットだ。

 袖口が締まったシャツにミニのフレアスカートの下にスパッツを着用して、激しい動きをしても安心なデザインである。

 足元も膝下までのロングブーツで覆われていて、しっかりと防護されていた。

 元気な環奈ちゃんにぴったりなデザインだと、俺は思う。


「気に入ったのなら、それにしよう。このあと防具も身に行かないといけないし」

「そうですね。じゃあこれを」

「あ、会計は俺が」


 シャッと試着室のカーテンを閉めた環奈ちゃんを他所に、ニコニコ顔の店員に向けて俺はそう告げた。

 彼女は妙なところで律儀な性格をしているので、おごると言えば遠慮してしまうだろう。

 だから彼女が着替えている間に会計を済ませてしまう。


「おまたせしました。あのお会計を――」

「あ、俺が済ませておいたから」

「ええっ!?」


 店員に向かって会計を済ませようとした彼女に、俺はそう告げる。

 なんだか恐縮した顔の彼女を見て、俺は心の底から癒された。若くて可愛い子に感謝されるのは、やはりいい気分だ。

 世の男性が女性におごってしまう気分がわかった気がする。


「ほら早く行こう」

「えっ、ちょ、待ってくださいってぇ」


 彼女の背を押して店から出る。俺の強引さに躊躇いつつも、彼女もそのまま店を出た。




 次に装備を取り扱っている店に移動する。そこで環奈ちゃんの防具を見繕う。

 ただし予算の都合があるので、あまり高額な装備の棚に近付けなかったのが、情けない。


「これでどうですか?」

「ん~、ちょっと回ってみて」


 先ほど買った探索者用の服に着替え、その上に防具を試着した環奈ちゃんがこちらに振り返る。

 その視線には何か期待のようなものが込められている気がしたけど、今のところそれは問題ではない。

 まるでアイドルのように愛らしいターンを決めた環奈ちゃんだが、その際に多少胸当てがずれたのを見逃さなかった。


「少し固定が弱いね。背中を向けてくれるかな」

「あ、はい」

 両手を広げて俺に背中を向ける環奈ちゃんだが、その仕草がまるで子供のように見えて吹き出しそうになる。

 いや、実際彼女はまだ子供なんだけど。


「ちょっと締め付けを強くするよ」

「緩いですか?」

「うん、少しね。防具は緩みがあると動きを阻害するから、しっかり固定しないと」

「あ、そうだったんです――ひゃっ」


 彼女の背中に無遠慮に触れたせいか、彼女の身体がビクンと跳ねる。


「あ、ゴメン。痛かった?」

「いえ、そうじゃなくって」

「ん?」


 俺の質問には特に答える訳でもなく、ごにょごにょと口篭もる。

 とにかく、彼女の防具を仕上げる方が先だった。

 各所のベルトを締め直し、防具をしっかりと固定していく。

 その都度に彼女は『あうっ』とか『んひょ』とか奇声を上げていた。


「どう? 動きにくくない?」

「あっ、はい。大丈夫です。すごいですね、全然ずれない」

「お店の正規品だからね」


 量産品というのは個人に合わせて作られるものではない。

 しかし、万人にある程度合わせる仕様で作られてはいる。ましてや品質に置いて世界に名を轟かせる日本製だ。

 多少の違和感はあるかもしれないが、支障が出るようなずれは出てこないはずだった。


「でもいいんですか? 私の予算じゃの防具は……」

「いいって。あまり高いものは俺も買えないけど、新しい弟子に贈り物ってことで」

「弟子……ですか」

「え、違った?」


 環奈ちゃんは、俺の言葉に不満有り有りという風情で頬を膨らませている。

 せっかく楽しく買い物をしていたのに、機嫌を損ねてしまったかと不安になった。

 しかし俺の慌てようを目にして、彼女は即座に作り笑いを浮かべる。


「あ、いえ。なんでもないですよ、なんでも」


 慌てて両手を振って取り繕う彼女に、俺は自分が何かを失敗したと知る。

 ペロルなどは素直に感情を口にしてくれたし、アクアヴィータ姫は自制心が強かったので、ある程度こちらの不出来を受け入れてくれていた。

 だから女性に気を使うという行為は、これが人生初めてかもしれない。

 きっと何か彼女の地雷を踏んでしまったのだろう。


「なんか、ゴメンね。気が利かなくて」

「いえ、本当に何でもないんです。私のワガママなだけで」

「何かしてほしい事とかあるなら、遠慮なく言ってね。俺は君の師匠なんだから」

「うっ、言ったそばから……」


 これはダメだと言わんばかりに、がっくりと肩を落とす。

 俺はその意味がわからず、頭を掻いてその場の空気をやり過ごすしかなかった。




 探索者用の服屋と装具屋を回ったおかげで、結構な時間が経ってしまっていた。

 彼女もそろそろ寮に帰らないといけない時間だけど、昼間のことが少し気がかりだった。

 ああいう連中は半端な制裁では逆恨みしてしまうので、俺でなく彼女を標的に復讐にやってきかねない。

 そこで心配になった俺は、今回は彼女を寮まで送ることを決断した。


「悪いけど、今日は寮まで送らせてもらうからね」

「えっ!? でも、寮監に見つかったら、面倒なことになりますよ?」

「昼のことを忘れちゃダメだよ。ああいう連中は根に持つから」

「ええっ、じゃあ、今も見張られてるとか?」

「いや、それはないけどね」


 異世界で転戦を繰り返した俺は、殺意という物に敏感になっている。

 あいつらがもし今も見張っているとすれば、俺が気付かないはずが無かった。

 だが今安全だからと言って、帰宅途中まで安全だとは限らない。

 俺と一緒にいない隙に狙われるという事件も、異世界で何度も経験していた。


「あの時はヴィータ様が無双してくれたから、事なきを得たんだったよなぁ」

「ヴィータ様?」

「あ、いや。なんでもないよ」


 彼女に異世界の事情を話しても、ピンとこないだろう。

 せっかく慕ってくれているのに、変な夢想癖がある男だと思われたくない。


「いいから。門限に遅れたら怒られちゃうんだろ? 送っていくからさ」

「うー……それじゃ、遠慮なくお願いします」

「はい、心得ました。お姫様」


 俺が恭しく一礼してみせると、彼女は顔を赤くして黙り込んでしまった。

 異世界仕込みの騎士の礼だから、少し刺激が強かっただろうか?

 俺みたいな平凡な男でもそこそこの凛々しく見えるのだから、姿勢と仕草の洗練というのは、意外と侮れない。

 彼女の手を宝物のように優しく手に取り、駅に向かって歩き出した。

 この後も彼女は黙り込んだままで、俺の方が不安になってしまったくらいだ。


 妙に気まずい時間が過ぎて、何か話さないといけないと思いつつも適当な話題を思い浮かばず、無言の時間が続く。

 そんな微妙な時間を救ってくれたのは、案の定あの連中だった。


「あ、環奈ちゃん、少し待ってくれる?」

「え?」

「ちょっと用事が出来ちゃってさ。そこの店でお茶でも飲んでて」

 最寄りの喫茶店を指さし、握っていた彼女の手に千円札を数枚握らせる。

「ちょ、あの、いったい……」


 彼女の疑問に答えるより先に、俺は足早に殺気に満ちた路地裏へと踏み込んでいった。

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