第二章 デートとトラブル

第6話 勇者と弟子とデートの予定

 その日も俺は、環奈ちゃんと二人でダンジョンに潜る予定だった。

 しかしやってきた彼女を見て、急遽予定を変更することにする。

 その理由はやってきた彼女の指先が、わずかに震えていたからだ。


 「刀護さん、おはようございます!」

「うん、おはよう」


 元気に挨拶してきたが、俺はその震えを見逃さなかった。

 彼女の身体を隅々まで観察する。と言えば不審者のように思われるかもしれないが、もちろん服の上からである。


「な、なんですか? ちょっと恥ずかしいんですけど……」

「佐藤さん、疲れ残ってるでしょ?」


 胸を隠すようなポーズで身を捩っていた環奈ちゃんが、急にびくりと身をこわばらせる。

 どうやら図星だったらしい。


「なんでわかっちゃったんです?」

「指先、ちょっと震えてたからね。考えてみれば、初めてゴブリン倒したり、連戦したりしたわけだし、あんなこともあったから気を使うべきだった」


 スケルトンの襲撃で大怪我をし、翌日にはゴブリンを倒し、十戦前後の連戦を経験した。

 新人が経験するには、あまりにもハードなスケジュールだ。

 これは俺の配慮が足りなかったと反省すべきだろう。


「大丈夫ですよ。体力には自信があります!」

「ダメ。そういって無茶して怪我する奴はたくさん見てきた」

「え、そんなに?」


 疑問に持たれ、俺は思わず口を押えた。

 怪我人を見てきたのは異世界でのことで、日本ではまだ数人程度しか見かけていない。

 ともあれ、数人とはいえ怪我人を助けた経験があるので、そこは言い逃れできなくもないはず。


「ほ、ほら、何人か怪我人を助けた経験があるから」

「そういえば、それで有名になったんですよね、『バールおじさん』」

「やめてね、そのあだ名」


 ダンジョン内で怪我人に遭遇し、それを助けたことは確かにある。

 そして三人ほど助けたところで、俺の装備からそう呼ばれるようになっていた。

 人命救助の結果、親しみを込めて呼ばれるようになった呼び名ではあるのだが、どうしても悲しみを感じざるを得ないあだ名である、

 しかもその語呂の良さからか、匿名掲示板にそのあだ名が載るや否や、全国に知れ渡りつつあるらしい。

 本当に勘弁してください。


「そもそも、俺ってそんなに老けて見える?」

「いいえ、全然。うちの学校の先輩くらいに見えますよ」

「さすがにそこまで若く見えるってのも、なんか悲しい感じがするけどね」


 俺の年齢は二十二歳。おじさんと呼ばれるのもきついが、高校生と見られるのも微妙な気分になるお年頃である。

 しかし異世界ではいつも年齢より若く見られていたので、しかたないのかもしれない。

 おかげでアクアヴィータ姫からは、長らく弟扱いされてしまっていたし。


「とにかく。そんな疲労した状態でダンジョンに潜るのは危険だ。今日は休息にして身体を休めてもらうからね」

「えぇ~」


 環奈ちゃんはふくれっ面をしてみせるが、一転してにこやかな笑顔を向けてくる。

 何かいたずらを思いついた顔だ。


「じゃあ、デートしましょう!」

「え、社会的に死ぬからヤダ」

「なんで社会的に死ぬんですか!?」


 昨今の日本では、下手に女性と接触すると性犯罪者として訴えられるという記事を、スマホで読んだことがある。

 全てを真に受けるわけではないが、警戒はしておきたい。

 高橋さんからの援助が途切れたら、俺の生活は立ちいかなくなってしまうのだ。


「ただでさえ変なあだ名を付けられているのに、この上変な噂まで建てられるのは困る」

「大丈夫ですよ、お互い合意の上ですから」

「その合意を認めてくれないのが、世間の噂なんだよ」

「そんなこと言わないで。そうだ、弓を使うなら他の道具も必要だから、買い物に付き合ってくださいよ」

「む?」


 言われてみれば、弓という武器は剣と違ってさまざまな道具が必要になる。

 弦が身体に当たると危険なため、胸当てや籠手など、敵からではなく弦から身を守る防具が必要になるからだ。

 さらに整備するための道具や張り替えるための弦なども必要になるため、初期資金は意外とかかる。

 お金に困っている彼女にそういった物まで負担させるのは、確かに可哀想だった。


「そう、だな……よし、どうせなら一式プレゼントしようじゃないか」


 弟子の装備の買い出しとなれば、世間的にも言い訳はできる。

 それに弓道の装備と違って実戦の装備はやはり違いがある。

 体型や身体の癖に合わせたものを装備しないと負担も上がるので、細かく調整する必要がある。

 それは彼女一人ではできない作業だった。


「いやでも、身体に触らないといけないからな……」

「なんです?」

「なんでもないです」


 ちょっと想像してしまったのは若気の至りである。だが彼女に防具などの補助装備は必要だし、細かな設定などは俺が見てやらねばなるまい。


「まぁいいか。確かに必要だし、今日は買い出しだけにしておこうか」

「やった。じゃあ、着替えてきますね」


 迷宮に入るつもりだった彼女は、動きやすいシャツにホットパンツ、ひざ上までのタイツにゴツいブーツといういで立ちだった。

 弓も背負っているため、街に出るには着替える必要がある。

 対して俺は、いつものジーンズに革のジャケット。腰に下げたバールが怪しさを醸し出しているが、まぁ問題はない。

 バールだけ組合のロッカールームにでも預けておけばいいだけの話だ。

 いや、店先に放り出しておいても、持っていかれる心配は少ないだろう。


 俺は預金から金を下ろすために、受付に向かう。

 銀行などに向かうより、ここで引き出した方が手っ取り早い。


「あ、夏目さん。今日は早いですね」

「いや、今日は換金じゃなくて、お金を下ろしに」

「え?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする受付のお姉さん。

 俺は言ってみれば質素な生活をしているので、日々の生活費はそれほどかかっていない。

 彼女もそれを知っているので、俺が預金を下ろすのは珍しいと感じたらしい。


「いや、教え子ができましたからね。ちょっと装備を買ってやろうかと考えまして」

「あら、若い女の子にはサービスがいいんですね」

「そりゃあ、ちょっとは良い格好を見せたいじゃないですか」


 俺は苦笑混じりに返事をする。俺は今まで数人の探索者を助けた経験があるが、コーチを引き受けたのは環奈ちゃんが初めてだ。

 なんとなく、そうした方がいい気がしただけなので、特に意味はない。

 それでも引き受けたからには、責任を持って育成するつもりだった。


「……………………」

「なんです?」

「いいえ、特に。ですが警察のお世話になるようなことは――」

「しませんからね!」


 どうも彼女は、俺が女性にだらしないと思っているのかもしれなかった。

 それを正すべきか否か、真剣に悩んだところで、彼女は表情を引き締める。


「冗談はここまでとして、ちょうどよかったです。先日のことなんですが……」

「先日?」

「ほら、あの佐藤さんが襲われたという」

「ああ、スケルトンの群れ?」

「はい」


 本来ならいないはずのモンスターが、浅い階層に出たというのは、管理側からすれば大問題だ。


「確かにスケルトンでしたよ。ボーンゴーレムとかでもなく」

「ボーンゴーレムが出たら、そっちの方がさらに問題です」


 ボーンゴーレムはその名の通り、骨製のゴーレムだ。強さとしてはスケルトンと大して力の差はないが、こちらの方がやや強い。

 見た目は似てるだけに、勘違いされることが多いモンスターだった。


「一層にスケルトンなんて出るわけねぇだろ。どうせそいつのホラだよ!」


 そこに突然、ドスを利かせた声が割り込んできた。

 俺が振り返ると、そこには三人の探索者の姿があった。

 使い込んだ装備の具合から見ると、そこそこ経験を積んだ連中のようだ。


「安田さん? 確かに前例のない事ですけど、目撃情報は軽視できませんし」


 お姉さんが丁寧に彼の言葉を否定していたのだが、それが気に入らなかったのだろう。

 安田と呼ばれた男は、派手に舌打ちを漏らし、こちらに歩み寄ってきた。


「なら、なんか証拠があるのかよ?」

「迷宮内のモンスターは倒せば消えるし」

「魔石があんだろ、魔石がよォ」


 確かにモンスターを倒せば魔石が落ちる。それがダンジョンのルールだ。

 だが、先日の環奈ちゃんの一件では、魔石は一つも落ちなかった。

 そういう点から見ても、あのスケルトンは普通のモンスターと違うと思われた。


「あの時は佐藤さんの保護でいっぱいいっぱいだったから気付かなかったけど、確かに変だな……」

「だからお前の嘘だってんだよ。えぇ、『1レベル』の『バールおじさん』?」


 あからさまに嘲りの含まれた言葉。

 俺に対して含むところがあるのを隠そうともしない。

 評判を気にして、積極的に人助けをしてきただけに、俺に対して悪意を持つ者はあまり多くない。

 俺が嫌がっても『バールおじさん』と呼ぶ連中もいるが、そこには親愛の情みたいなものを感じられていた。

 しかしこいつらは、明らかに俺に対し悪意を持っている。


「露骨な人助けで名を売って、今度はスケルトンが出ましたってか? 売名行為にも程があんだろ」

「いや、そんなつもりは全然ないけど」

「うっせぇ、そう見えるってんだよ!」


 男は何に苛立っているのか、ついに俺の胸倉を掴み上げた。

 俺の身長は高い方ではないので、その勢いでつま先立ちになる。


「安田さん、暴力はいけません! えっと、組合内は暴力行為は禁止です!」


 受付のお姉さんが必死な形相で制止するが、男の耳には届かなかったようだ。

 だが俺には、それより先に疑問があった。


「それよりさ……あんた、誰?」

「なっ、んだとォ?」


 そもそも安田という男とその仲間たちは、見たこともない連中だった。

 こうして絡まれる覚えは全くないので、当然の疑問と言える。

 しかしそのとぼけた態度が気に入らなかったのか、安田は俺の腹に拳をめり込ませた。


「調子に乗るなってんだよ、オラァ!」

「ぐっ」


 いきなりの暴行だったので、俺は思わず息を詰まらせる。

 それが余計に彼の加虐性に火をつけてしまったらしい。


「しょせん1レベルなんだから、粋がって妙な嘘吹かしまくってんじゃねぇっての」

「いや、スケルトンは実際に出て――」


 俺の言葉が終わらないうちに、ひざがみぞおちにめり込んだ。

 まったく、ここは組合の中だというのに、自制心はないのかと問いたい。

 ともあれ、こういう輩をやり過ごす方法は、異世界でも散々経験してきた。

 要は連中の気が済めばいいのだ。別にやり返しても問題はないと思うのだが、そうすると今度は余計な恨みを買って延々と付きまとわれかねない。

 女の子ならともかく、男に付きまとわれるのは、俺はゴメンだ。

 なのでわざとらしく膝をついて、ダメージを受けたように振舞う。


「ゴホッ」

「ざまぁねぇな、一レベル風情が。これに懲りたら、つまんねぇ嘘を吐くんじゃねぇぞ」

 嘲る言葉と一緒に唾を吐いてきたが、さすがにこれは受けたくないので、横に転がって避ける。

 ちなみに腹を抱えて苦痛にのたうち回る演技をしていたので、偶然のように見えたはず。

 安田たちはそんな俺の様子に溜飲を下げたのか、最後に蹴りを一発俺の背に打ち込んで立ち去って行った。


「夏目さん、大丈夫ですか?」


 お姉さんがカウンターから出てきて俺に手を貸そうとしてくれる。

 止めようとしてくれたことは理解しているので、彼女に対しては特に思うところは無かった。

 むしろ一般人なのに探索者に抵抗しようとしてくれたことは感謝すら覚える。


「ええ、大丈夫ですよ。怪我一つありませんから」


 俺がむくりと起き上がると、彼女は驚いたように目を見開いた。正直、あの程度の男なら、防御していなくとも何のダメージを受けない。

 それくらい、俺のステータスは圧倒的なのだ。


「驚きました。頑丈なんですね、夏目さん」

「これがゴブリン退治を続ける秘訣ですね」


 軽くウィンクなど返して見せると、彼女は小さく笑みをこぼす。

 その控えめな安堵の様子に、俺は感動すら覚えていた。

 異世界で俺が勇者と知られてこういう状況になった時は、酒場の給仕娘が看病と称して部屋に連れ込もうとしたこともあった。

 なお、その時はアクアヴィータ姫の右ストレートが炸裂して、なぜか俺が悶絶したわけだが。


「安田さんには、組合の方から厳重注意を出しておきますね」

「お願いします。あ、俺にとばっちりが来ない範囲で」

「問題ありません。職員の目の前で、制止を振り切って暴行を働いたのですから」

「いや、あの手のは逆恨み……まぁいいか」


 あまり悪意に晒された経験がないのか、お姉さんは不思議そうに首を傾げてみせる。

 そこにタイミングよく環奈ちゃんが戻ってきた。

 いや、それどころか、周囲の探索者たちから注目を浴びていた。

 あれだけ騒げば当然の話か。


「あれ、安田だろ。あんだけ蹴られて、なんで平気なんだ?」

「バールおじさんがすげぇんだよ。めっちゃタフじゃん」

「安田ってあれだろ? 最近話題になった有力株。嫉妬したんかね?」


 騒然とする周囲の様子に、環奈ちゃんはキョトンとした様子で俺を見る。


「何かあったんですか?」

「いや、野良犬が迷い込んできただけだよ」


 彼女に心配かけないように、俺は何事も無かったように振舞う。

 しかし、スケルトンの当事者である彼女は、お姉さんには無関係ではない。


「えっと佐藤さん。少しいいかしら?」

「はい? なんでしょう」

「えっと、この間のスケルトンのことで少し調書を取りたいの」

「えぇっ、今からですかぁ?」

「ゴメンね。組合のお達しだから、私も断れなくて」

「組合からじゃ、しかたないですよねぇ」


 お役所の仕事となれば、一介の探索者である環奈ちゃんに断れるはずも無かった。

 まるで売られる牛のような表情で、お姉さんに別室に連行されていく。

 俺はその光景を苦笑混じりに見送って手を振っておいた。


「今日は無理そうだね。また別の日に」

「うわぁぁぁん。刀護さん、また後で連絡しますぅぅぅ」

「またね、環奈ちゃん」


 見送って今日は無理と判断し、預けたバールを取りに戻る。

 それからロッカールームを出たところで、お姉さんに捕まった。


「なに他人事のように帰ろうとしてるんですか?」

「え?」

「ほら、夏目さんも当事者じゃないですか! 調書を取りますから、こっち来てください」

「なんでさっき呼ばなかったの?」

「佐藤さんを連行するので手がいっぱいだったからです」


 確かに、買い取りカウンターの人員は少ない。

 特に今は探索者が帰ってくるにはやや早めな時間なので、カウンター内に残されていたのは彼女一人しかいなかった。

 俺を連行すると、買い取りを担当人員がいなくなってしまう。

 俺は小さく肩を竦め、彼女についていくことにした。

 その途中で、環奈ちゃんから通知が来ていた。


「ん?」

「どうかしました?」

「佐藤さんから連絡が来ました」

「お聞きしても?」


 俺はスマホを取り出し、連絡内容を確認する。

 今日の予定は明日の昼に延期という連絡と、それで異論がないかという話だった。

 俺は短く『了解』とだけ返しておく。


「……お付き合い、しているんですか?」

「はぃ?」

「佐藤さんと」

「ああ、いや。彼女は弟子のようなもので。今回は彼女の防具を買うので、微調整なんかが必要だから俺の意見も、って感じでして」

「そうだったんですね」


 俺の答えを聞いて、彼女の足取りが少し軽くなったように感じられた。

 一瞬、跳ねるような足取りをしたのを、俺の目は見逃さなかった。


「何か良い事でもあったんです?」

「え? なぜです」

「少し足取りが軽いようでしたから」

「……よく見てます。目が良いんですね」


 少し顔を赤くしつつ、わずかに頬を膨らませる。そんな少女じみた仕草なのに、彼女には似合っているように感じられた。

 そんな会話をしていると、小さな一室に辿り着いた。


「ここです。中に調査官がいますので」

「お手数をおかけしました」

「いえいえ。これも仕事ですので」


 一礼して俺は中に入る。狭い一室は多少圧迫感があったが、中にいた調査官は俺を見て丁寧に挨拶してくれた。


「あ、初めまして。あなたが夏目刀護さんですね」

「はい。今日はよろしくお願いします」

「いえ、上に上げる報告書を作るだけですので。お時間をいただいてありがとうございます」


 それから調査官の質問に俺が答える形で、調書の作成は穏やかに進められた。


「では、魔石などは出なかったと?」

「はい。当時はそれどころではなかったので、気になりませんでしたが」

「確かに不思議な話ですね。一層にスケルトンが出たという話ももちろんですが」

「でも本当なんです」

「いえいえ、疑っているわけではないんです。証拠があれば、専門の部隊を編成するのに上を説得するのが楽だったと思っただけで」


 時間とともに調査官の言葉はフランクなものになっていた。

 これは俺に気を許したというより、それほど今回の事件に真剣に向き合っていない雰囲気を受ける。

 まぁ、目撃情報がレベル一の探索者二人の証言だけなら、こんなものかもしれない。

 異常の規模がもっと大きくなれば、真剣に聞いてくれるだろう。

 それまで大きな被害が出ないことを祈るばかりだ。

 それから一時間もしないうちに、俺は解放された。形式的な事情聴取なら、こんなものだろう。

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