第3話 勇者と弟子の誕生

 環奈ちゃんを保護した俺がダンジョンの出口に到着すると、門を守っていた警備員が驚いた顔でこちらに駆け寄ってきた。

 おそらく彼女の格好を見て慌てたのだろう。


 俺は手早く環奈ちゃんが襲われていた時の状況を警備員に話し、警備員は彼女にも確認を取る。

 引き裂かれ、血の付いた服を見れば何かがあったのは一目瞭然なので、事情聴取のため彼女は連れ去られていった。

 念のため、俺も施設内で待機しておくように言われたので、先に着替えを済ませておくことにした。


 この組合施設では、探索者の荷物を預かるロッカールームやシャワー施設なども存在する。

 危険な武器を持ち歩く探索者にとってロッカールームはありがたいし、激しい戦闘の後で汗を流せるのもありがたい。


 着替えを済まし、軽くシャワーで汗を流したところで、環奈ちゃんが戻ってきた。

 魔石を交換するついでに、彼女と同行してからの分も、公平に分けておく。

 金に困っている身であるが、毎日の収入が安定しているので、その程度の余裕はある。


「いいんですか?」

「うん、これは同行してからの分だけだから、遠慮せず受け取って」


 彼女も金に困っていると言っていたので、この程度なら問題ないだろう。

 受け取った彼女は目を潤ませて、感謝する。


「あ、ありがとうございます! 助けていただいた上に、こんなに」

「この程度なら、気にしないで」

「夏目さんも借金があるって言ってたのに」

「バラさないで!?」


 会話に混ざってきた受付のお姉さんに、俺は慌てて反論する。

 年下の可愛い女の子にカッコつけているところなんだから、無様な俺の実情を知らせないでほしい。

 プライバシーとか守秘義務はどうなっているんだ?


「失礼しました。でも夏目さん、未成年に手を出しちゃダメですよ?」

「そういうつもりはありませんって! 妹がいるんで、そんな感じで」

「妹、ですか……」


 なぜか不服そうな声が聞こえてきたが、気のせいだと思っておく。

 お姉さんも楽しそうに笑いながら……少し意地悪そうだったが……俺たちのやり取りを見ている。


「そうだ夏目さん、今日勤務が明けたら――」

「あ、夏目さん。よかったら今日のお礼にお茶でもいかがです?」

「うん? 別にいいよ」


 受付のお姉さんの言葉にかぶせるように、環奈ちゃんがそう提案してきた。

 あんな目に遭った後だから、一人で帰るのが怖いのかもしれない。

 落ち着くまで一緒にいてやるのも、できる男の気配りというものだ。

 それに日本に戻ってから女っ気のなかった俺にとって、数少ない潤いと言える。


「よかった。じゃあ着替えてきますので」

「ああ、入り口のところで待ってるよ」


 ダンジョンの入り口は、それを覆うように建物で囲まれている。

 ここ魔石換金所も、その建物内にある一室だ。

 今回の入り口とは建物の入り口の方のことを言っていた。

 それはそれとして、お姉さんも何か言っていた気がするので、彼女の方を振り返った。


「あ、ところでさっきなにか?」

「いえ、なんでもありません」

「そうですか? でもさっき――」

「なんでもありません!」

「そ、そう?」


 突然怒り出したお姉さんに首を傾げつつ、俺は換金所を出た。

 環奈ちゃんを待たせたら悪いという考えからだったが、なぜか背後から奇妙な圧を感じて、背筋が寒くなったのだった。




 建物の出口で環奈ちゃんと合流した俺は、彼女に小さな喫茶店に案内された。

 本来なら男の俺がエスコートするのが甲斐性なのだろうが、まだ周辺に土地勘がないので今回はしかたないと諦める。

 せっかく可愛い娘にお茶に誘われたのに、店を知らないとはなんとも情けない。

 今後は周辺の地理に関しても、学んでおく必要があると心に決めておいた。

 店内の一席に着き、コーヒーと軽食を頼んで一息吐く。


「はぁ、なんだかいつもと勝手が違うねぇ」

「そうなんですか?」


 向かいの席の環奈ちゃんが、不思議そうに首を傾げる。

 正直、俺一人が定食屋で飯をかっ食らうのと、今の状況では大きくシチュエーションが違うので、緊張してしまうのは勘弁してもらいたい。

 俺は彼女の疑問に、愛想笑いだけ返してごまかしておく。


「それで? 何か相談があるんじゃないの?」

「うっ、そ、そんなことは……」


 『お礼にお茶でも』と誘われたけど、その時の彼女の表情は『相談事がある』と雄弁に語っていた。

 正直言うと、俺の方が相談に乗ってもらいたいくらいの状況なんだけど、これくらいの少女が悩んでるなら力になってあげたいと思うじゃないか。


「まぁ、言いたくないなら別にいいんだけど、話くらいならいつでも聞くから」

「あうぅ……それじゃ、お言葉に甘えまして、相談に乗っていただけますか?」

「どうぞどうぞ」


 年上の余裕を見せながら、優雅にコーヒーなど啜ってみせる。

 でも内心は、『俺じゃ力になれないことの方が多いんだけど』と考えていた。

 とかく今の日本は、金がなければ何もできないのだから。暴力なら自信があるんだけどな。


「私はあだし野高校って学校に通っていまして」

「うん、さっきそんなこと言ってたね」

「あだしの高校は全国でも珍しいダンジョン科があるんですよ」

「へぇ、初めて聞いた」

「結構有名なんですけど……」


 ダンジョンのある世界になったのだから、それに対応する学科ができるのも無理はない。

 ダンジョンができたのは八年前なので、そろそろそういう学科ができていてもおかしくはないだろう。

 もっとも最近日本に戻ってきたばかりの俺に、その辺りの常識はない。


「でも君みたいな女の子にダンジョンは……正直向いてないんじゃないかな?」


 聞いた話では、彼女はゴブリンに怯えて攻撃の手が竦むというようなことを言っていた。

 優しい性格ゆえのことなのだろうが、ダンジョン内という生死をかけた戦いの場ではデメリットでしかない。


「はい、私も自覚はあるんです。でも……」

「でも?」

「お恥ずかしながら、私の家はあまり裕福ではなくて。ダンジョン科に入るといろいろと便宜を図ってもらえるんです」

「便宜っていうと?」

「学費の免除とか……」

「ああ、お金の問題ね」

「それに魔石の買い取りもしてもらえますから」


 日本は魔石の収集に出遅れている。これは探索者が長続きしないのが原因だ。

 命のやり取りを日常的に行うには、今の日本人は優し過ぎる。

 俺のように、選択肢のない特殊な状況に陥れば、話は違うのだろうけど。


「でも、どうしても、生き物に殴り掛かるという行為に抵抗が……」

「優しいんだね」

「そう言ってもらえると、少しだけ元気が出ますね」


 だがその優しさは、ダンジョン内では無用の長物だ。

 優しい彼女にとって、ダンジョンは過酷な環境だろう。


「それで一人で特訓するつもりでダンジョンに潜っていたと?」」

「はい。バー……夏目さんにはお世話になりました。今では浅はかなことをしたと反省してます」


 今、一瞬『バールおじさん』と言いかけたことは、聞かなかったことにしておく。

 俺のイメージ、そんなに広がってるのか……?


「それで、ですね。よろしければ、夏目さんにコーチしてほしいと思うんです!」

「は? コーチ?」

「はい!」


 両手をグッと握りしめ、思わず立ち上がった彼女の姿は、微笑ましいの一言に尽きる。

 しかしコーチと言われても、俺に何ができるというのだろう?


「俺がコーチを引き受けたとしても、生き物を殺すことに違いはないよ?」

「それは、そうですけど……」


 戦い方を教えるのは、別に難しいことじゃない。少なくとも、ゴブリンをあしらえる程度の知識や心構えは教えられるはずだ。

 しかし、魔石の回収を目指す以上、モンスターを殺すという行為は付きまとう。

 そこに難点を抱える彼女を鍛えるのは、かなり難しいと言わざるを得ない。


「うーん……」


 しかし、せっかく頼ってくれたのだから、力になりたいとも思う。


「佐藤さんはモンスターを攻撃できるのかい?」

「えっと、殴り掛かるまでは……でも感触が……」

「あー、ねぇ」


 肉を殴る感触、骨を砕く感触。これを心地良いと考える人間は、さすがにお付き合いを遠慮したい。それは俺でも同じだ。

 彼女もそこに欠点を抱えてしまったらしい。


「殴るのが苦手なら、斬るとか?」

「それもちょっと……」

「ダメだった?」

「はい」


 まぁ、殺傷力は刃物の方が高いわけだし、試していないはずがないか。

 なら……


「弓、とかどうかな?」

「弓ですか?」


 ダンジョン内のモンスターは『位相』という不思議な現象に守られている。

 それを突破する能力を持つ者が、探索者になれるわけだ。

 ダンジョンに軍隊が通用しないのは、その才能を持つ者がそれほど多くないのと、銃火器では位相を突破できないからだ。

 位相を突破する条件は、その才能を持つ者が直接攻撃するか、それに準ずる攻撃を行う事。

 人の手を介さない攻撃は、ほぼ位相によって無効化される。

 その境界が、弓と言われていた。

 弓は攻撃が通る。クロスボウになると通らない。銃はもちろん、擲弾や爆弾、トラップなども無効だったらしい。


「うん。弓ならぎりぎり、攻撃が通るって話だし」

「でも、使ってる人はあまりいませんよね」

「そりゃあ、使いこなせる人が少ないからね」


 探索者になれる確率は統計上では一割ほど。弓を使いこなせる人材となると、さらに少なくなる。


「佐藤さんは弓は使えるかな?」

「中学の時に、弓道を少し。高校に入ってからは、全然ですけど」

「やめちゃったんだ?」

「家計の方が、その頃から……」

「ああ、ゴメン。余計なこと聞いた」


 しかし探索者で、しかも弓が使える。そういう意味では、彼女は希少な才能を持つエリートと言えなくもない。


「うん、それじゃ、今後は弓を主体にして戦ってみよう」

「でも、弓じゃ近付かれたら危ないんじゃ?」

「しばらくは俺が一緒にダンジョンに潜ってあげるよ。あ、俺も一緒でいいかな?」

「それはもちろん! むしろありがたいくらいです」


 バンとテーブルに手をついて、こちらに身を乗り出してくる。その勢いに俺はやや身を仰け反らせた。

 この反応、異世界に置いてきたペロルのことを思い出す。彼女もこんな勢いで俺に迫ってきたものだ。

 最近はお淑やかな日本女性を堪能していたが、こういった彼女の反応も懐かしさを覚える。


「じゃあ、明日の……授業終わってからとか?」

「そうですね、夕方五時くらいから二時間程度なら」


 短いように思えるかもしれないが、ダンジョンに入ってゴブリンを数匹なら、充分に倒せる時間だ。

 俺もいつもは三時間から四時間程度しか潜っていない。


「そういえば弓は持っているの?」

「はい、和弓ですけど」

「それだとちょっと扱いづらいかもね」


 和弓は二メートル以上もある大弓で、ダンジョン内ではあまり適当とは言い難い。

 それに連射も効かないため、複数が相手では物足りない武器だ。


「適当でいいなら、俺が用意するけど?」

「お願いしても良いですか? あ、連絡先、交換しましょう!」

「いいの?」


 女子高生とアドレス交換とか、なんだか逆に不安な気持ちになってしまう。

 お巡りさん、俺は無実です。


「ええ。そうしないと、急な予定変更とかにも対応できませんし」

「まぁ、佐藤さんがいいなら、別に問題ないか」


 向こうから言い出してくれたことだし、特に犯罪になるようなこともない。

 しかしこんなことに気を使わないといけないようになったとは、俺も本当に『オジサン』になってしまったのかと心配になる。


「じゃ、ちょっと待ってね」


 俺はスマホを取り出し、そこにある番号を彼女に提示する。

 彼女はそれをスマホに登録して、俺に笑顔を向けた。


「これでいつでも連絡できますね」

「ああ、俺は他に仕事もしてないから、いつでも気にせずかけてきていいからね」

「はい、よろしくお願いします!」


 もともと体育会系だったからだろうか、とても元気がいい。

 初めてあった時の泣きじゃくっていた彼女は、やはり緊急事態だったからだろう。

 こういう朗らかな態度はとても好感が持てる。アクアヴィータ姫は平時では大人し過ぎたし、ペロルは油断するとベッドに連れ込まれかねなかったのだから。

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