第一章 迷宮のある世界
第1話 勇者の日常と悲嘆
八年という月日は長い。
それは世界のスタンダードが変化してしまうには充分な時間だ。
ビデオテープからDVDへ、携帯電話からスマートホンへ。それらに移行するまで八年の時間はかかっていない。
そう考えれば、世界に『ダンジョン』という存在が定着してしまうのも、あり得ない話ではないのかもしれなかった。
「グギャアアアアアアアッ!」
「うっさいよ」
岩陰から飛び出してきたゴブリンを、俺は手に持ったバールで叩き潰す。
頭蓋を潰されたゴブリンはそのまま地面に叩きつけられ、数秒で塵になって消えていく。
その跡には、薄く光を放つ青い石が残されていた。
「魔石、これで六個目だな」
ダンジョンに生息するモンスターは、死亡すると魔石を残す。
魔石は圧力をかけると特殊なエネルギーを放出する性質を持っている。
この魔石が出すエネルギーが次世代エネルギーとして注目され、政府や国際機関に高値で買い取ってもらえるのだ。
「まさか戻ってきたら、三百万も借金を背負う羽目になるとは……」
日本に戻ってきた俺――夏目刀護を待っていたのは、両親の死という情報だった。
そして、家族も親戚もいない中、唯一残された妹は保護施設から養子に出され、夏目姓ではなくなっているらしい。
異世界から素っ裸で戻ってきた俺を保護して、話を聞きに来た厚生労働省の高橋という男からそう聞かされて、目の前が真っ暗になった。
七歳の女の子に家の管理などできるはずもないので、俺の実家は現金に換えられていた。
つまり、俺は無一文の上に住む家もない、路頭に迷った状態になっていた。
「高橋さんには頭が上がんないよな」
そんな俺にダンジョンでの魔石回収という仕事と、当座の活動資金、それに住居を与えてくれた。
仕事の上での処置とはいえ、感謝の言葉もない。
さらに妹の美弥の行方まで、調査してくれるというのだから、もはや足を向けて眠ることができない。
そうして当面の生活を整えてもらった俺は、借金を返すためにこうして毎日ダンジョンに潜っているというわけだ。
「グゲエエエエエエエッ!」
「うっせぇっての」
再び陰から飛び出してきたゴブリンを一振りで屠る。
ゴブリンの魔石は世界共通で一個一万円の買い取り価格が付いている。ただしそこから二割が国際機関である国際迷宮管理組合(IDMO)に、三割が日本迷宮管理組合(JDMO)に徴収されることとなっていた。
つまり、俺の手取りは半分の五千円というわけだ。
それでも異世界の価値と比べたら、十倍以上の差がある。向こうじゃゴブリン一匹では、パンが一つ買えれば良い程度の価値しかない。
その後、俺は十匹のゴブリンを倒して、帰路に就く。
これで一日五万以上の稼ぎなのだから、探索者というのは本当に儲かる仕事だ。
しかし、探索者をしている人間は、日本ではあまり多くはない。
なぜなら、魔石を回収するには『モンスターを殺す』という行為が付きまとうのだから。
「日本人に『殺し』を生業にしろってのは、荷が重いよな」
異世界で魔王軍を相手取っていた俺は、息をするかのようにモンスターを殺してきた。
だから日本でも、忌避感を持つことなくモンスターを殺すことができる。
そんなことを考えながらダンジョンの出口に近付いた時、入り口付近にたむろしていた三人の男たちが俺に気が付いた。
「お、バールおじさんじゃない。元気にしてた?」
「バールおじさん、この前はありがとな!」
「バールおじさん、バール結構いいよ!」
「うっせぇ、おじさん言うな! 俺はまだ二十二歳だ!」
「えっ、マジで? 若っ!?」
彼らがそう勘違いするのも、まぁ理解はできる。
今の俺の格好は丈夫で動きやすいジーンズに革の上着、タートルネックの襟元を鼻先まで引き上げ、スキーゴーグルで目元を守り、ニット帽で頭を守っている。
顔面をすっぽり隠す様相で、初対面の人はかなり怖がるが、口元や鼻、目を守るのは返り血から呼吸や視界を守るためだ。
ギリギリの戦闘になった場合、一瞬の隙が命を奪うことに繋がりかねない。
こうして、顔を厳重に守るようにしているので、俺の顔を知らない連中が『オジサン扱い』するようになった。
気まぐれに人助けをした時に顔を晒さなかったのが、悪かったかもしれない。
「まぁ、無理はないが……」
ぶつくさ言いながら連中の前を通り抜け、ゴーグルや襟を引き下げながらダンジョンを出た。
その足で魔石買い取り所に向かい、受付のお姉さんに魔石を提出する。
「あ、夏目さん。いらっしゃい」
「こんにちは。今日もお願いしますね」
「はぁい。いつもありがとうございます!」
にこやかな応対にはそれなりに理由がある。毎日のように納品に来るから顔を覚えられただけだ。
もっとも、日本においてはこの『毎日』というのが重要になってくる。
毎日、ダンジョンに潜ってゴブリンを一定数殺して魔石を回収してくる人間なんて、実はあまりいない。
「今日もゴブリンの魔石だけなんですね」
「ええ、まぁ。怖いのは嫌ですから」
「ご冗談を」
コロコロと、鈴が転がるような笑い声をあげる。
毎日ゴブリンを殺してくる俺が『怖い』と口にするのは、確かに冗談に聞こえるだろう。
俺が第一層に出てくるゴブリンだけを相手にしているのは、連中がほとんど危険のない存在だからだ。
それでいて、借金を返していくのに充分な収入が得られるのだから、無理をする理由はない。
一日に十と数匹、価格にして五、六万は稼げるのだから、返済のペースとしては上等な部類だ。
「それにしても……まだバールなんですね『バールおじさん』」
「やめてくださいよ、それ」
含み笑いを堪えながら、お姉さんが揶揄する。
俺がバールを武器に使っているのは、単に長くて頑丈で買い直しが容易だからである。
ゴブリンごとき素手でも倒せるのだが、さすがに手ぶらでダンジョンに入るのは、悪目立ちしてしまう。
かといって、組合が用意しているような真っ当な武器を買う金はない。少なくとも、最初のころは無かった。
そこでホームセンターで代用できそうな物として見繕ったのが、バールだった。
「私としては、もっとしっかりした装備をしてもらいたいのですが?」
「いやぁ、お金がなくって」
頭を掻いてみせるが、このやり取りが実に心地よい。
異世界では、妙に不愛想な受付嬢とか、こちらを狙う肉食獣のような目の女性給仕などが非常に多かった。
きちんとした服装で、折り目正しく、それでいて愛らしさもある。
日本に戻ってきて感動したのは、女性の清楚さと可愛らしさだった。
アクアヴィータ姫やペロルだって非常にかわいらしい女性ではあったが、やはり母国へのひいき目というのはあるのだろうか?
「どうかしました?」
「いや、なんでも」
下心のある視線を向けていたなんて知られると恥ずかしいので、しらばっくれてみせる。
そんな俺の本心を知ってか知らずか、お姉さんは買い取り明細と現金をトレイに乗せて差し出してきた。
「六万五千円になります、ご確認ください」
「はい、確かに。こっちの五万円はいつもの口座に入れておいてください」
「承知いたしました」
借金返済用の口座にいつもの金額を振り込んでおく。残りの金は生活資金に使用するためだ。
高橋から最低限の支援はしてくれているが、足りないことも多い。
武器や革のジャケットだって、消耗品みたいなものだ。予備を確保しておく必要はある。
「それじゃ、また」
「はい。明日もお待ちしておりますね」
そう言われて笑顔で手を振られ、一瞬『好意があるのでは?』と勘違いしそうになったのは、悲しい男の性だ。
まぁ、本気にならない程度の自制心は、俺だって持っている。
俺は軽く手を振って会釈を返し、部屋を出たのだった。
バールを腰にぶら下げ、帰りに夕食用の弁当を買いに寄り道をしていた。
普通の探索者なら、専用のケースに武具を収納しないと、街中で持ち歩くことはできないのだが、こういう手軽さは工具の良いところだ。
槍を始めとした長柄武器を使っている連中など、大変な苦労をしている。
「こういう時、モンスターの死体が消えるってのは便利だよな」
迷宮内で倒されたモンスターは、魔石を残して消え去る。
同時に返り血なども消え去るので、服や武具が汚れるということはない。
しかしそれらが受けたダメージまでは消えない。武器が曲がったり折れたり、服が破れたりは普通にする。
幸い俺は、ほとんど攻撃を受けていないため、服のダメージはほとんどない。
なので他に買うものもなく、自室へと戻っていた。
帰宅して弁当を食べ、風呂から出たところで、スマホが鳴っていることに気が付いた。
ダンジョンに入る時に、マナーモードにしていたのを忘れていた。
「やべ、えっと……高橋さんからか」
と言っても、俺のスマホに登録してある番号は、厚生労働省迷宮課の高橋か、地元の迷宮を管理しているあだし野市の迷宮管理局の番号しかない。
身体を拭くのもそこそこにしてスマホに出ると、向こうから一か月ぶりの声が聞こえてきた。
「もしもし、夏目さんですか? お久しぶりです。高橋です」
「お久しぶりです、夏目です」
「その後の調子はいかがですか?」
「ええ。おかげさまで順調ですよ。この調子なら結構なペースで返済できそうです」
今の俺は、月二十日潜るだけで月収百万円のペースである。
早ければ三か月後、ゆっくり見ても半年かからずに返済できると予想できた。
この高額収入を見込んで、高橋は俺に探索者を薦めたのだろう。
とはいえ、誰もがこのペースで潜れるのかというと、そうではない。
まず殺生に対する忌避感の薄さ、そしてゴブリン相手に傷一つ負わない戦闘慣れなどが重なった結果だ。
一般的日本人に、俺と同じペースを求めるのは酷と言える。
「それはよかった。あなたに探索者を薦めた甲斐がありましたね」
「ええ、本当に感謝してます」
当たり障りのない会話をしていると、どうも高橋の歯切れが悪いことに気付いた。
何か、話し辛いことでもあるかのように。
その予感は的中し、彼は電話口からでもわかるほど、申し訳なさそうに話し出した。
「それでですね、美弥さんの話なのですが」
「所在がわかったんですか!?」
「ええ。連絡はついたのですが……美弥さんに『兄には会いたくない』と言われまして」
「ええっ!?」
美弥に『会いたくない』と言われた、その事実に俺はショックで目の前が暗くなった。
いや、でも……考えてみれば、それもしかたのない話なのかもしれない。
美弥にとって、俺は唯一の肉親になる。
だが同時に、美弥が一番苦しい時にそばにいなかった、それどころか家族が崩壊した原因になった人間でもある。
俺が行方不明になった後、両親は俺を探しにダンジョンのそばに近寄ったらしい。
そこでダンジョンからモンスターがあふれ出て、結果として犠牲になってしまった。
兄の失踪と両親の死。そんな事件が立て続けに襲い掛かったのだから、美弥の悲しみがいかほどのものだったか、想像に難くない。
彼女が悲しんでいる時にそばにいられなかった兄が、今更戻ってきたと聞かされて、夏目の姓を捨てた彼女が会いたいと考えるだろうか?
俺としても、『どの面下げて会いに来た?』と言われたら、首をくくりたくなるだろう。
いや、今だって、すでに死にたい気分になっている。
「その、それは美弥から直接?」
「ええ、はい」
「そう、ですか……」
一縷の望みをかけて繰り返した問いにも、高橋は容赦ない答えを返してきた。
それっきり、俺の口からは何の言葉も出なくなる。
高橋も、俺の悲しみを察したのか、しばし沈黙が返ってきた。
やがて沈黙に耐えられなくなったのか、『それでは、お気を落とさずに』と一言だけ告げて、通話を切った。
これで完全に、俺の家族は居なくなったというわけだ。
「無理に聞き出すことも可能だけど……くそっ!」
肉親に関する情報だ。そして別に家庭内暴力などの問題があって別れた家族でもない。
俺が強く希望すれば、所在を聞き出すことはできたかもしれない。
しかし、美弥がそれを望んでいないと明確に口にした以上、強引な手段は取りたくなかった。
会いたくないわけじゃない、でも妹の希望を破ってまで、押し通すのは何か違う。そう兄としてのプライドが訴えていた。
「また、我慢しなきゃならないのか……」
少なくとも、兄が生きている、帰ってきたという情報は美弥に伝わった。
妹が嫌がることはしたくないというプライドを守る以上、後は美弥が心変わりをして、会いたいと言ってきてくれるのを待つしかない。
そう考えていないと、頭がどうにかなりそうな混乱のまま、俺は眠りについたのだった。
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