第七幕三場 ヒロインを探せ

 源馬の話を聞いた服部係長は心底呆れた。

「ねっ? 聞きましたか総監! 素人を捜査に混ぜると混乱の元だってことですよ。キャリアだか何だか知りませんが、これでお判りになったかと思います。おいっ、そこの安藤、突っ立ってないでこいつを追い出せ」 

「それは……」

 安藤は動かなかった。

 本来、本庁係長の指示は絶対服従が所轄巡査の基本と叩き込まれている。

 確かに、昨日一緒に現場検証をした安藤から見ても、源馬警部補の行動は直感的でその狙いも不明で当惑した。一方で、そこには打算無き強い信念、刑事という仕事に掛ける何か深いものがあるように思い始めていた。むしろ捜査本部で立てた捜査の筋に拘っている組対の方が柔軟性が無く意固地のように思えた。

 安藤は思い出した。ブラックな不動産屋で営業していた時も、両親の仮借なく詐欺まがいの営業で成績を上げて褒められる同期が何人もいた。自分が会社を辞めた本当の理由は営業ノルマの厳しさじゃなかった。そこに人間としての正しさ、信義に関わる部分で深い疑問を感じたからだ。きつい仕事はどうにか乗り切れても、自分を騙すとやがて心が病んでいく。将来や成績など気にしていて、自分に嘘をつく人生が嫌なんだ。

「警部補を追い出しません」

「何を言ってる。俺の命令が聞けないのかお前は!」

 熱くなった服部は、今度は安藤の前に立ち叱責し始めた。

 その間、岡本課長は逆瀬川総監の苦しそうな様子を感じた。

 特別待遇で入庁したキャリア警部補が、今現場の刑事達に混乱をもたらしている。これは警視庁トップである逆瀬川総監の責任になる。そしてこれは警察庁、全国警察本部を支配するキャリア警察官僚全体の失態に他ならない。

(現場の意見を普段ないがしろにする組織のトップたちに一矢報いた)

 岡本課長は心でほくそ笑んだ。


「私も発言してよろしゅうございますか?」

 突然変な言葉を挟んだのは傍で成り行きを見ていた広報の薫子だった。

「源馬様が言わんとしているお客様とは……つまり、日本国民の感情の事を指していらっしゃるのではないでしょうか?」

 突然、国民感情という大雑把でとらえどころの無い表現の登場に、「えっ」と、岡本と服部の思考は一瞬停止した。

「そうなのか?」

 キョトンとして総監も源馬に聞き返した。

「大きく言えばだいたいそうですね」

 源馬が顎を引いて平然と答えた。


(大きい、大きすぎる。しかし、何かが違うような気がする)

 黙っていた安藤だけでなく、おそらく皆なそれは感じていた。

「じゃあ、源馬君の考える大きく国民感情に訴えるようなこの事件の真相はどうなるんだ?」

 その空気を察したのか察してないのか、総監は好奇心いっぱいの目で源馬に続きをうながした。

「そうですねえ」

 源馬は、どこから説明をするかを思案しながら立ち上がると、安藤が用意したホワイトボードの前に立った。

「まずはつかみ、マフィアのボスが殺されたという発端部分。ここは凡庸ですが、まぁギリOKとしましょう」 

 ホワイトボードの伊丹の写真に赤くマルを書き、源馬はそこに「ギリOK」と書いた。

「おいっギリOKってどういうことだよ」

 怒りの持って行き所があっちこっちに散り始めて混乱する服部係長。

 お構いなく続ける源馬。

「でもね、そこから先が良くないですよ」

「どこが良くないんだよ」

「キャスティングです。特にゲストのキャスティングが良くない為、作品全体のキャラクターバランスが崩れてしまっています」

 源馬は皆に向き合うと力強く言った

(キャスティングってどういうことなんだよ源馬さん)

 先ほど、源馬の肩を持とうとした安藤は自信が崩れかかるのを感じた、

 もう誰も突っ込まない。

 複雑な事件の場合、下手に手を出すとさらに状況が悪化することを刑事たちは経験上知っていた。

 源馬の次の言葉を、一同は固唾を飲んで待つしかなかった。


「いいですか、まずはメインキャストの一人、御影組・伊丹は暴力性とカリスマを併せ持つ人物です。キャラ立ち抜群ですが、殺されているので回想でしか登場しません」

 ホワイトボードの伊丹の写真の上に、源馬は『回想』という文字と大きくバッテンを書いた。

「次に、対立するヤクザの魚崎組長魚崎は残念ながら今は組の拡大には関心がなく引退間際です。まぁ専科枠ですね。大物だけど動きは少ない、序盤からは動かしにくい、キャラの機能としては弱いです。その下っ端で目下捜査の本命・鮫島はせっかくのブラジル人ということでスター性期待大だったんですが、両親共日系人で顔もキャラも薄くもったいない限りです。次に内部抗争要素として出てくるナンバー2の鳴尾と3の出屋敷は、同じような細い目に四角い顔で髭面、完全にキャラが被っています。1+1が2にならずまたまた残念。ここまで皆さんついてきてますか?」 

 サインペン片手に振り返った源馬。

 深沢署の安藤は途中から全く意味が理解できない様子だった。

「さっきからバツとかキャラ被りとか、何の話か全然分からないんだよ」

 服部係長がバカにしたように言った。

「よくあるんです。歌劇団でも三十代の若手演出家がキャラの思いつきだけで走るとこういう台本になりがちなんです。歌劇でも物語のベースに流れるのは人間同士の熱いドラマであることは変わりません。このキャスティングじゃ最初から薄味のドラマしか期待されず、おまけに振り幅も狭い。ねっ? 君も良く覚えておくといいよ」

 源馬はこともなげに安藤に念押しした。


 話を聞きながら服部の顔は紅潮してきた。

「馬鹿なこと言うな、さっきから訳の分からい事ばかりほざきやがって、俺たちの捜査に文句あるのか!」

「大ありです、まず事件捜査の筋立ての基本を最初から忘れているんですよ」

 ペンで服部を指しながら源馬はいう。

「お前が言うな!」

 服部がまたたまりかねてこぶしを挙げて鉄拳制裁を試みた。

「総監の前ですよ」

 深沢署の安藤がタイミング良く後ろからガッシと服部を再び抑えに掛かった。

「服部、こらえろ」

 岡本課長も自身の煮えたぎる怒りを抑えながらキレた服部を制止した。

「では、君はどう筋読みするんだね。源馬警部補」

 あくまでもクールを装う岡本に対して、全く気持ちを察することなく源馬は、人差し指を一本立てた。

「例えばヒロインは誰か? って考えてみてはいかがでしょうか」

「キャ!」

 ソファーで聞いていた薫子が変な声を上げた。

「おい、ヒロインって何だよ? 安藤」

「女性ってことでは?」

「この事件、捜査線上に女なんていたか? 服部」

「いえ、あくまでも組同士のガチンコ抗争のはずですが……なぁ安藤」

「はい、そう伺ってます」

「なんだか分からんな」

 三人の刑事たちが口々に話し出した。

「静粛に! 誰が誰か分からなくなる口々に発言するんじゃない」

 ナプキンにメモを取りながら総監が注意した。


 その一同ポカーンとした様子を見て、源馬は「まさか」という表情をした。

「みなさん本当にご存じないんですか? この筋書きでのヒロインは間違いなくカミーラじゃないですか」

 源馬から出た突然の具体名に刑事たちはざわついた。

「誰だ?」

 初めて聞く名前に岡本課長と服部係長。

「深沢署安藤、カミーラって知ってるか?」

 聞かれた安藤は誰だっけ? と頭をひねった。

「あっ! 思い出しました、確か魚崎組組員がそんな事を言ってました。伊丹の店で囲っている女の名前です」

 組長宅での緊張した時間を思い出した。そんな安藤に源馬が後ろ手でグーサインを出していた。

「お前捜査本部にその情報上がって来てないぞ!」不満げな服部。

「すいません」小さくなる安藤。

「で、この事件とどう関係があるんだ」

 服部はメモを取ろうとした。

「いや、そこまでは分かりませんが……」

 安藤は気弱に返事した。

「それじゃダメだろう」

 服部は安藤に興味を失うと源馬に向き直った。

「で源馬、そのカミーラがどう伊丹の殺人事件に関わっているんだ?」

「この事件に足りないパズルのピースを埋めてくれるマドンナが、カミーラではないかと私は考えてます」

「何だよパズルってよぉ。話通じないんだよ」

 服部は顔を真っ赤にした。岡本課長は「ふんっ、そんなことだと思ったよ」と、源馬を馬鹿にするような目をした。

 ただ、総監だけはマドンナと聞いて興味津々の様子だった。

「源馬くん、そのヒロインでマドンナでカミーラな女性を軸にするとどんないいことがあるんだい」「まずはこの事件全体を引い見て下さい」

「引くとは、どれくらいですか?」

 今度は薫子が訊ねた。

「そうね、だいたい月ぐらいかな」 

 源馬はからかうような口調で答えた。

「月! 素敵です。そんな遠くから見ると、地球全体から見たら、もう人一人死んだくらいどうでもいいと思えますよね」 

 薫子は夢見るような目になった。

「一度離れて事件を俯瞰して、今度は川崎のヒロイン・カミーラを主人公としてこの事件を組み立てなおしたらどうでしょうか? カミーラの相手には誰がふさわしいか? そしてライバルは誰か、どの組み合わせが一番満足感が高いのか? そう考えてみたらどうなります」

「なんでわざわざ事件を遠くから考える必要あんだよ」

 服部は全く理解できないと不満を口にした。

「川崎って成城の先のあたり?」 

 小田急線育ちの総監が聞いた。

「確か、横浜の隣では?」 

 川崎駅に行ったことの無い薫子が適当に想像した。

 総監室のゆるトークに不慣れな岡本は不愉快だった。

「総監真面目にお願いします」

「さぁ、この中のどなたか、何か盛り上がる素敵な事件アイデアお持ちの方いませんか?」

 空気を無視して満面の笑みで源馬は一同に質問した。

「おい、捜査に空想を持ち込むな! 大事なのは事実の積み重ねだ」

 岡本課長が反論した。

「いえいえ、大事なのはちっぽけな事実より想像力です」

 源馬が課長を喰い気味に断言する。

「あのぉ、源馬様、カミーラと被害者の伊丹、実は幼馴染だった! ていうのはどうでしょう?」  薫子がしおらしく手を上げて発言する。

「いいね。悪くないよ」

 源馬に褒められた薫子は嬉しそうにはしゃぐ。

「何がいいんだよ。幼馴染の訳ないだろ国籍違うだろ」

 服部は正論を挟むが源馬は気に留めない。

「かたや幼馴染の恋人同士、一方は親が決めたいい名づけ。この二人がカミーラを巡る恋のさや当てをしたら? こう考えただけでも一気に話が膨らみますよね」

 源馬はさも名案思いついた時の顔になった。

「そんな問いかけ誰も同調せんぞ。そもそも事件と関係ない話を膨らませても意味がないんだよ。ねぇ総監もそう思いますよね」

 服部は岡本課長に同意を求めつつ総監の威光も借り源馬の突出を面の圧力で押し返そうとしていた。

「いや、せっかくの機会だ。私も楽しくなってきた、ここは無礼講、皆どんどん発言してくれたまえ」

 総監の言葉にはいつも内容と関係なく重みがあった。

「そうだそこにいる所轄くん、カミーラが一番憎んでいたのは誰でしょう? 答えたまえ苦しゅうない」

 総監から突然話を振られて安藤はビクッとした。

「深沢署の安藤です。そのカミーラは確か伊丹がケツもちしている売春宿ですよね。そうするとカミーラと上前をはねる売春組織の元締めとがもめるか、それを取り締まる警察を憎むとかじゃないんでしょうか?」

 総監に向かって安藤はありったけの想像力で答えた。

「安藤君いいね! その下世話な発想。きっと私が君たちを呼んだ理由はそれだよ。その線でまずは行こう。君を呼んだ甲斐があった」

 源馬にベタ褒めされて安藤はちょっと嬉しくなった。

(でも、こんなことの為に僕をここに呼んだのか、ただの回答者として)

 と、憤慨する気持ちも沸き起こってきた。

「総監! 警察官が事件に関わっているなんてあり得ません。我々はおとぎ話を作っているんではなく現実の事件を追っているんです」

 もう岡本は冷静ではいられず、声を荒立ていた。

「カミーラを巡ってヤクザと警察の人間が三角関係になった。正義と悪の交錯とはアリですわね!」

 薫子の眼も輝き始めた。

「人にばっかり話をさせて、そろそろ自分の考えを言ったらどうかね、源馬君」

 総監はごちそうを待つような目で源馬を見た。

「残念ながら、私の考えるシナリオはまだ完成していません。準備万端整えて明日現場でお見せします」

「えーっ、どういうことだ」 

 総監が残念そうに言った。もう、岡本も服部も突っ込む気力を失っていた。

(今、確か現場で見せるって源馬さん言ってたような、見せるってどういうこと?)

 安藤刑事は腹の底から不安が沸き起こってくるのを感じた。


 当の源馬は総監室の窓際に立って深く息を吸うと、振り返って背筋をピンと伸ばした。

「ここで一旦休憩です、セットチェンジのお時間です」と指を鳴らした。

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