第二幕一場 キャリア組VS現場組
一連の取材タイムを終えた源馬剣翔は、マタドール姿の証明写真のついたIDをぶら下げて、昨夜逆瀬川総監に言われた捜査一課長を訪ねた。
「失礼いたします! 乙女塚歌劇団 華組よりやってまいりました。キャリア組の源馬です」
フロアに入るとマイクなしでも十分通る大声で自己紹介した。
一番奥のデスクに座っていたグレーヘアーで制服の男がゆっくりと立ち上がった。
「キミのことは聞いているよ。捜査一課を預かっている岡本だ。キャリア組って自分でいうなんてユニークな……でも君、男性なのか?」
鋭い目つきとハスキーな声の岡本課長は現場あがりの叩き上げの貫禄を感じさせた。そんな岡本も今目の前の男装の人物と手元の履歴書欄を見比べながら驚きを隠せなかった。
「ハハハハ、課長も冗談がキツイ。男が乙女塚に入れるわけないじゃないですか」
音楽学校入学式で校長に、「君は太陽のような子だね」と言われただけあって源馬はあくまでも屈託がない。
「なるほどね……『源馬くんに関して余計な詮索はするな、何を言われてもそのまま受け入れろ』と警視総監から直々に電話があった意味が解ったよ」
「それ、どういう事ですか! ハハハハ」
源馬は人の言葉の裏を探るような暗いことはしない。
「まぁ、細かいことはいい。刑事は実績勝負だ、総監からも君は現場希望だと聞いている。そこで強行犯係三係でまずは研修してもらうので、頑張りたまえ」
「はっ! ありがたき幸せ」と源馬は姿勢を正した。
「総監のご厚意に泥を塗ること無きよう粉骨砕身、全身全霊、売出即完売の精神で努力いたします」
源馬は十五度きっかりで礼をした。
年に千件もの凶悪事件を担当する泣く子も黙る鬼の一課長・岡本であったがたった五分でとてつもなく疲れを感じた。
「じゃあ、この後案内する」
「身に余る光栄」
こうして源馬は課長の案内で刑事の本丸捜査一課強行犯の大部屋に入った。
しかしそこはガラーンとして無人のデスクだけが並んでいた。
驚く源馬の元に小柄な眼鏡の男が近づいてきた。小さい目に細い顔はなんとなく鼠を思わせた。
「三係長の石橋です。あなたのお話はCCメールで見てますよ。何なりとお申し付け下さい」
「あのぉ、係長、ここはいつもこんなに人が少ないんでしょうか? 本丸を留守にするなんて、ちょっとここはたるんでますね」
係長は源馬の突っかかる質問にも動じない。
「まぁ今もう十一時だからね。みんな出ちゃうよね。君も明日からは九時に出勤してくださいね」
ついつい劇団昼公演の気分で出勤してしまったことを源馬は悟った。
「それは失礼しました。以後気をつけます」
「まぁ、しばらくはデスクワークしてもらうので、源馬さんの席はそこね」
係長に指示されたテーブルには既に書類が山積みになっていた。
「あれれ、早速私にこんなに! 仕事の依頼が来てるのかな……」
着任早々の自分への期待の大きさに胸が踊った。
「あぁ、それ君へのファンレターね。昨日から一杯来てるよ」
「えっ、どうして住所分かったんだろう? 」
源馬は机の上のファンレターの宛名を見た。
「警視庁 源馬剣翔 様」とだけ書いてあった。
「なぜこれで届く!」
「あと、刑事部宛にお花も大量に届いて困ってるんだ。何とかしてね」
部屋に入る前から源馬も感じてはいたが、蘭や百合やらなんやらの香りが部屋中に漂っていた。それもそのはずで、奥の壁面から外の廊下までアレンジ花や鉢植え胡蝶蘭が並んでいた。
「あっ、昨日の電話はそういうことだったのか、ヒビヤ花壇から『源馬さんの楽屋はどちらでしょうか?』って聞かれてたんで、『デカ部屋』じゃないかと答えておきました」
事態がわかるとこともなげな源馬。
「全く不似合いなので、明日までに片付けて下さいね」
「はっ」
大量に並んだ捜査一課のロビー花を見て回った。
花に添えられた札には、
「源馬剣翔様 ご出世おめでとうございます! 祇園 駒はね より」
「源馬剣翔様 ご栄転おめでとうございます! 柳橋 いもや より」といった源馬の新しい仕事をよくわかっていない花柳界からのものや、
「源馬剣翔様 警察物語 公演初日おめでとうございます! 鉄板焼き ゴロ八より」と、警視庁就職という情報が公演タイトルと間違っているものなど、いずれも源馬のひいき筋や馴染みのお店からの花輪だった。
「すいません、祝い花は不要だと事前に言っておいたんですが……」
呆れる石橋係長に、バツの悪そうな顔で源馬は謝った。
その後、しばらくはおとなしく捜査一課三係のデスクに座っていた源馬だったが、たちまち手持ち無沙汰で退屈し始めた。
突然椅子を蹴って立ち上がると、石橋係長のデスクに向かった。
「デスクワークなんて悠長なことをしているヒマは私にはありません! ダンスの世界では練習を一日サボれば勘を取り戻すのに三日掛かると言われています。私も他のバリバリ刑事と一緒にバリバリ捜査させてください」
リーゼントの髪をかきむしり、焦燥感をアクションでアピールした。が、鼠に似た係長は苦笑いを浮かべるだけだった。
「初めに言っておきます。あなたはね、国家一種試験を見事パスしてここにいるんです。エリート中のエリートなわけです。現場の刑事とは住む世界が違うことをまず認識されたほうがいい。特に今は都内で発生した殺人事件のことで徹夜の捜査中で刑事は気が立っています。そこにキャリアのあなたが首を突っ込んでも正直足手まといなだけなんです。好奇心で動かれると本当に困るんです。事件が解決して落ち着いたら刑事たちを紹介しますので、それまでは大人しくしておいてくださいな」
係長は濁った眼を細めて源馬に進言した。
(この男、見た目は穏やかだが相当に性格は悪そうだな。ガツンとやるか)
源馬は決意し、係長に思いっきり詰め寄った。
「係長! さっきから聞いてると、ネットのこたつ記事のように、長くて語尾が曖昧で内容のないことを長々と喋りやがって、現場の兵卒の気持ちも分からないで何がキャリアだ! ただのお飾りはゴメンなんだよ。私は今すぐ前線に立ちたいんだ。つべこべ言わずに案内してくれ」
そう一気にまくし立てても、係長は動揺せずただ嫌そうな顔をした。
「そこまでおっしゃるなら分かりましたよ。今強行犯は組対と合同捜査の下打ち合わせをやっていますのでご案内します。どうなっても知りませんからね」
係長は上着をハンガーから取ると渋々席を立った。
「こちらこそ取り乱して失礼しました。ところでソタイとはなんですか?」
源馬は歩きながら係長に聞いた。
「えっ、知らないで刑事希望したんですか? ますます心配になりますが、まぁ説明しますと組対というのは暴力団、ヤクザを相手にしている刑事達のことです。荒くれ者の集まりですよ」
「荒くれ! そう聞くと、ますますガッツが沸いてきますね」
「失礼な振舞いをされても、私は知りませんからね」
「知らない世界にこそ人生の未来を感じます。私もソタイとの合同会議とやらに参加させてください」 ノリノリの源馬とは対照的にうかぬ表情の石橋係長に連れられて、合同会議の部屋へ向かった。
「ここですよ」
石橋係長は投げやりな感じでドアを指さした。
「場所が分かればもういい。さて、荒くれ者と対面だ」
ドアの前に立つとさすがに緊張したが、源馬は意を決すると会議室のドアを勢いよく蹴り開けた。「邪魔するぜ!」
会議室内に集まっていた二十人ばかりの男どもが一斉に振り向き源馬に注目した。
「おい、なんだ! いきなり入ってきて」声を荒げたのは、一番前の席にいた太った目つきの悪い赤ら顔の四十男だった。
「今、重大な会議中だ。お前は誰だ!」
その声に続いて会議室にいた男たちが次々に立ち上がった。皆な人相が悪く、普段街で目にする警察官とは気配が違う。刑事に見えないむしろヤクザ、確かに気が立った荒くれ者達に違いない。
でも源馬は落ち着いていた。そして多数の乱暴者を前にしたトップスターの演技は決まっている。まずは、カマシ! だ。
源馬は軽蔑したような軽い流し目でボスと思しき四十男を睨みつけると、
「ぅるせーな、てめーら。人に名前を聞く前に、自分が名乗るのが筋じゃないかい」とまくし立てた。
予想外な芝居ゼリフの応酬に組対の刑事達のペースが崩れた。
「いや、それ変だろ。お前が勝手に入って来たんじゃねえか、お前が名乗れよ。まったく何しに来た……俺は組織犯罪対策課係長の服部だ! 覚えとけ」
服部係長の名乗りを待って刑事達は囲みで圧力をかけてきた。その様子にも源馬は怯まない、肩書を聞くとビビると思っている単純な連中だと見抜いた。
「あぁー煙たい、煙たい」
源馬は手を振りながら囲みの中を突破し係長の座っていたデスクに腰を下して足を組んだ。
「ここで美味しいバーベキューをやってるって聞いてね。仲間に入れてもらおうと思ってはるばる兵庫県からやってきた新人刑事の源馬剣翔だ! そっちこそ覚えとけ」
勢いに圧倒されながらも、組対の刑事たちは源馬が何者か理解できない様子だった。
「新人刑事が何で金髪でリーゼントなんだ? えっ、しかも女なのか」
「ゃかっしい! まずはこのモクモク煙をどうにかしろ! 警視庁は昨年から全面禁煙になったんじゃないのか」
源馬は係長の吸っているたばこ奪うと灰皿に押し付けた。
「いきなり何しやがるんだ! 俺達現場の刑事は日々ストレスがたまんだよ。タバコでも吸わないと日々の激務はやってけないんだよ」
いきなりの侮辱に服部係長は顔をさらに赤くしていきり立った。
「ス、ト、レ、ス? 会議室で話しているだけで何のストレスが溜まると言うんだ! ここにいる私は三才からバレエ教室でトウシューズを履いて痛さと辛さに耐えたんだ。その結果、見事音楽学校のバレエ部門をトップの成績で卒業したんだよ、ベラボウめ! ストレスをタバコでごまかす前に、その原因を実務で至急解決しやがれ」
理屈としては無茶苦茶な源馬のスピーチだったが、荒くれ刑事達の胸を打つものが何かあったのか会議室が一瞬シーンと固まった。
(勝ったな)
源馬は勝手にひとりほくそ笑んだ。
その時、会議室のドア口に人影が立った。
「どう、どんな感じ?」
現れたのはさっき会った捜査一課長の岡本だ。腰ぎんちゃくの石橋係長も嘘の微笑みで入ってきた。いきなり無頼な刑事達が急に姿勢を正した。
(なるほど一課長って係長より偉いんだ。歌劇団で言う理事長クラスか?)
源馬は頭の中で警察組織の縦軸を整理した。
岡本課長は威厳を持って会議室を一瞥すると、机に腰かける源馬に近づいた。
「この会議室の空気を吸えば、何があったか俺にはわかるぞ、現場一辺倒の君たちから見るとここにいる源馬くんのことが、全く理解できないだろうと思う。今は多様性の時代だ、刑事だって今まで通りの固定観念では時代遅れになるぞ」
「でも課長、こいついきなり入ってきて……」
服部組対係長が何か言いたげに立ち上がるが、不平を手で制すると岡本課長は続けた。
「まぁ君たちの察しの通り、源馬くんは特別待遇での配属には間違いない。しかし彼のコネは尋常じゃないぞ。お父様は、松丘隆・前警察庁長官だ。服部も薄々知っていただろう?」
「いや全く知りませんし、こいつの名前も今聞いたところです……しかも、あのお苗字が違うと思うんですが何か事情があるんですか?」と、服部がまだ納得いかない様子で口を挟む。
「訳あって芸名のままになっている。ここにいる源馬くんの本名は松丘だ」
「えっ、そんなのありですか」
「それだけじゃなく、彼の祖父は浅間山荘で現場指揮をとった有名な機動隊長だ。母方の曽祖父は戦後の東京の治安を守られた暴力団撲滅運動の父と言われるお方。とにかく警察関係者の多い家系で、さかのぼるとご先祖は薩摩藩出身初代警視総監・川路利良様だ。どこを切っても警察の血しか出てこない生粋の警察家系だよ。警察貴族という階級があれば当に源馬くんが当てはまる」
組織犯罪対策課の服部は言葉を失った。
「警察貴族……本当か?」
「まぁ、たまたまですよ」
源馬は変な受けをして困った顔をしていた。
強行犯と組対刑事達の間に確実に戸惑いの空気が漂っていた。潮目の変化を感じると岡本課長は改めて服部を指さした。
「そうだ、ここで出会ったのも何かの縁。服部さぁ、源馬くんに今取り組んでいる暴力団事件のあらましを教えてあげてくれ」
突然、無茶ぶりされた服部は太った体を揺らしながら狼狽した。
「いや課長、何の知識もない素人に暴力団の解説をしろって言われても困ります」
「源馬くん、君はどう思う? 興味ないかね」
その時、源馬は興味深そうに会議室の前方に置かれたホワイトボードを見ていた、
そこには渋谷・世田谷暴力団相関図と書かれていた。
「教えてもらわなくても、意外と私の得意分野かも知れません」
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