第七幕二場 ケーキとエビせん
「やっぱり、三笠会館の昼中華は美味いね」
ガヤガヤと逆瀬川総監と薫子父娘、新人キャリア源馬がランチから総監室へ戻って来た。
応接セットに座ると今度は薫子が何やら箱からケーキを取り出した。
「お昼の後は、こんなものいかがかしら、いただきもですがウエストのケーキです」
「さすが薫子、私の大好物じゃないか。これ以上パパの寿命を縮めないでくれよ。ハッハハ」
紅茶とケーキのセットを前にして満面の笑みを浮かべる総監。
「食後のスィーツは麻薬ですわね。いかかですか源馬様」
「私は遠慮しておくよ。麻取に捕まるからね。ハハハ」
「源馬様、大麻取締法で現行犯逮捕です! ホホホ」
警視総監室に午後のまどろんだ空気が流れる。
「あのぉ、そろそろよろしいでしょうか?」
部屋の隅から怯えた声がした。
「何だね君は」
総監が不審な顔で隅に立っている男に聞いた。
「あっ、ごめん忘れてた。私が呼んだんだっけ、もうちょっと待っててね」
源馬に呼ばれたにも関わらず放置されていた深沢署安藤は、初めて入った警視総監室で全身を緊張させただ立ちすくんでいた。
「緊張しなくていいから君たちもケーキどうかね」
「いえ、そういうわけには……」
(一体、これは何の罰なんだ)
安藤はソファーに座ってゆっくりと紅茶を楽しんでいる源馬を睨んだ。
するとそこにドアをノックする音。
「失礼します」
挨拶と共に入って来たのは、既におなじみ捜査一課長の岡本と組織犯罪対策課係長の服部だった。
「ちょうどいいところに来た」
というと逆瀬川総監は隅に山積みされた箱を取り出すと包装紙をビリビリと破り始めた。
「君たちもまずは頂き物の坂角せんべいでも食べなさい」
岡本課長はソファーでくつろぐ源馬と壁際で直立する安藤の姿を不審げに見た。
「それより総監、緊急招集ということですが、一体どういうことですか?」岡本が聞いた。
「まぁ気にすることはない我々は同じ仲間じゃないか」
総監は一人一人の手にせんべいを握らせた。
「ちゃんとお聞かせください。ご用件は一体なんなんですか?」
エビ煎餅を片手に岡本は毅然としていった。
総監はエビ煎をテーブルに置くと威厳を持って話始めた。
「実はね、先日の『世田谷の暴力団若頭刺殺事件』の事を分かりやすく説明してもらえないかと思ってね」
「な、なぜでしょうか」
「ただの年寄りの好奇心だよ。詮索は無用だよ」
逆瀬川総監は、アハハと明るく笑い飛ばす。
「総監のご指示とあれば了解いたしました。では資料を準備いたします」
岡本課長の指示を受けた服部は源馬を上目遣いで「お前の差し金だろう」とばかりに睨んだ。
そんな事はお構いなく、源馬はソファーから立ち上がると安藤刑事の背後に回り肩に手を置いた。
(ドキッ、何をするつもりだ)
安藤がびくついていると、
「あぁそうだ、彼も手伝わせてください」
源馬が服部の方に安藤を押し出した。
岡本と服部そして深沢署の安藤巡査は総監室から出ていった。
エレベーターホールで服部が岡本に近づいた。
「課長、わざわざ警視総監が詳細を把握すべき重大な事件とは思えませんが」
過去例のないことを疑問に感じ小声でささやいた。
「あのキャリアもいるんだ、何らかの政治案件が絡んでいるに違いない。ここは総監の言うとおりにして、まずはあいつの出方をまず見る。その上で監察に探らせて失策を上げるのだ」「なるほど、まずは敵の術中に入るわけですね」
「そうだ、あの狸オヤジともども長くはないってことだ」
岡本は冷たい目で言った。
(ヤバイ事に巻き込まれそうじゃないか・・・・・・)
安藤は耳をふさぎたくてしょうがなかった。
数分後。
捜査一課から資料の束を持って服部係長と課長の岡本が再び総監室に入って来た。その後から深沢署安藤がホワイトボードを押して続いた。
「総監、準備が整いました」捜査一課長の岡本が切り出す。
「自由に始めたまえ」
総監が合図すると係長の服部は緊張しながらレクチャーを始めた。
「えーでは、ここまでの事件の流れをご説明させていただきます。御影組の若頭・伊丹重奏が殺された事件に関して、警視庁組織犯罪対策係と深沢署では総力を挙げて捜査を進めました。その結果、御影組の若頭補佐・鳴尾が対立する魚崎組と覚せい剤で、御影組若衆・出屋敷が売春組織のシマの奪い合いで、かねてからトラブルを起こしていたことが判明いたしました」
服部は三人の写真を張ったボードを指さしながら説明を続けた。
「さらに調査を進めましたところ魚崎組の下部組織で、売春婦の送り迎えをしていた男・鮫島ゼビル(ブラジル二世)の自宅が事件現場から徒歩五分の距離にあることが判明しました。被疑者・鮫島は、伊丹が会員になっている駒沢スポーツクラブで泳いだ後、いつも近くの駒沢公園でジョギングをする習慣を熟知した上で犯行計画をたてたと思われます。そして監視カメラの少ない場所を調べた上で潜み、刃渡り二十センチの凶器で殺害に及んだと思われます。既に我々は被疑者鮫島を逮捕し、現在深沢署で事件発生当時の状況を調べております」
ここまで説明した服部を岡本が深い頷きでねぎらった。
「総監、ここまででご質問ございますか?」
「そのフカ鰭サメ尾は自供している?」と総監が質問した。
「お父様、サメ肌ザラロですよ」すかさず薫子が訂正するがこれもえらく間違っている。
「鮫島ゼビルです。まだ証言はとれていませんが、公園入り口の監視カメラには鮫島の姿が映っております。スポーツクラブからマークしていたのは間違いありません」
現場刑事のトップである一課長の岡本は力を込めて答えた。
「もちろん実行犯鮫島に指示したのは組長の魚崎に間違いありません。この事件をきっかけに今後、御影組と魚崎組の抗争発展する可能性もあると睨んでおります。現在、伊丹亡き後の若頭跡目争いの動向に我々も注目しております」
組対係長の服部もすかさず自己アピールを忘れない。
「うむ、大体は分かった」
逆瀬川総監はケーキについていた紙ナプキンにメモを取りながら言った。
「どう思うかね、源馬くん」
「……」
その時、新人キャリアの源馬はソファーで寝落ちしていた。
「源馬様、大丈夫ですか? 相当お疲れなのでは?」
薫子が心配そうに声をかける。
「はぁー、話があまりにつまらなくて眠ってしまったよ」
大あくびをして立ち上がった源馬。
「君、どういうつもりだ。一課長の話をソファーで眠りながら聞くなんて!」
服部係長が怒りに充血した顔で叱責した。
「あなたたちがやっているのは捜査とは言えませんよ。自分たちの税金使いの無駄な仕事を正当化しているだけでしょ」
源馬はソファーに深くもたれたまま一向に動じない。
「だいいち、そんな『置きに行く結論』でいいんですか? ヤクザ者同士だから恨みを持って殺す、金を巡ってトラブってたから殺す、尻尾をつかまれないように手下を使って殺す、さもありなんの筋書きですが、どれもありふれていて単純、ドラマが浅くて陳腐すぎ、手抜きとしか言いようがない。日本の古典文学から勉強しなおした方がいい」
「お前、そこになおれ、歯食いしばれ」
服部係長は殴り掛からんばかりの形相になっていた。「堪えてください係長」 その服部を見かねた安藤が後ろから羽交い絞めにする。
「許さん、放せ」 さらに暴れる服部。
「服部、総監の御前だぞ」 岡本一課長は声で制すると源馬に向き直った。
「君がそこまで言うには、それなりの考えがあるってことだな。言え」
低く重い声には重みがあった。
その重みを全く感じていないように、源馬は軽やかに立ち上がり服部の前に立った。
「ありますよ。まず第一に皆さん方は、被害者を殺したのは誰かという事にとらわれ過ぎています」
「それで何が悪い」
服部が予想外の源馬の宣言に理解不能の表情をみせた。
「大いに悪いです。あなたたちは何が一番大事なのかを見失っています」
「犯人逮捕以上に捜査で大事なものなんてある訳が無い。そのために俺たちは日夜駆けずり回っているんだ」
さらに服部はムキになっていた。
「源馬君、何が大事か? 私も聞きたい。今度ばかりは疑問の持ちようがないと思うが、そうですよね総監」
岡本課長も國村準のように狡猾な目で総監に確かめた。
警視庁のトップの警視総監だが、実際はキャリアの名誉職。警察組織は圧倒的多数の現場たたき上げ警察官によって支えられている。つまり総監と言えど現場警察官四万人の頂点にいる課長の言動には一目置かざるを得ない。そんな中でのキャリア官僚・源馬剣翔の組織を乱す失態は、現場とキャリアのパワーバランスを崩しかねないことをその目は暗に示唆していた。
「それは……」
逆瀬川総監は腕を組んで熟考しはじめた。
そんな組織政治のことは源馬の頭の中には花粉一粒、一マイクログラムもない。
「あの、いいですか一回しかいいませんよ。一番大事なのは・・・・・・お客さんです」
「……」
「……」
またも予想外の源馬の発言に当惑した警察官一同は反応できなかった。そんな沈黙を破ったのは警察組織のお殿様・警視総監だった。
「えーと源馬くん、お客さんって誰のことだ?」
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