第七幕一場 ゴミから宝石

 翌日、皇居お堀端にある警視庁丸の内署。

「えいやーっ、とー」 

 その八階にある武道場で朝から響き渡る勇ましい声。

「えいやーっ」の気合に合わせて次々とキレイに署員が飛んでいく。

 畳敷きの道場には偉丈夫が何人も転がっている。

 警察官達をなぎ倒していたのは柔道着姿の源馬剣翔だった。

 源馬は華組の三番手の頃、虎ノ門ホール公演「硬派!嘉納治五郎」で柔道のレッスンは受けたことはあるがほぼ初心者だった。だから、三段以上が揃う警察官がこうも簡単に負けるわけはない。

 キャリアとの組手に、そこは署長命令でキレイに投げられる構えで挑んでいるからこそ出来る神業だった。

「警部補、今日はこれくらいにされてはどうでしょうか?」

 柔道着を着たベテラン刑事が源馬に進言した。

 額に汗し息の上がった源馬は「そうだな、いいだろう」と一言残して道場を後にした。


 丸の内署内でシャワーを浴びた源馬は、スーツ姿に着替えると署裏に停めてある加賀の運転するアルファードに乗り込んだ。

「あーっ、まだすっきりしないなぁ」

「源馬様、今日はご機嫌がよろしくありませんね」

 赤城が心配そうに聞いた。

 長年プライベートまで共にした元ファンクラブ会長赤城と副会長加賀の二人には源馬の心情はお見通しのようだ。

「勇んで取り組んだ第二の人生だったけど、今のところカタルシスが足りないよ」

 後部座席で足を組む源馬は物憂げに車窓のお堀を眺めていた。

「大劇場での万雷の拍手が懐かしいのでは?」

 運転する加賀が源馬にささやいた。四十年に一人のトップスターと言われた源馬が、舞台の未練を完全に捨てきれるわけがない。やがて再び舞台にカムバックすることを加賀と赤城は二人とも願っていた。

「ふん、それは言わないでくれよ」

 源馬は肩をすぼめて少し口をゆがめた。

「そこのマンダリン・オリエンタルでモーニングティーでもいかがでしょうか?」妙齢の美女は笑みを浮かべて源馬のご機嫌を伺った。

「そうだな……」

 源馬が思案しているとき携帯が鳴った。

「んっ、警視総監? ハイ、どうしました」

 電話の相手は、しばらく登場の無かった逆瀬川正一警視総監だった。

「毎日(警視総監室に)寄ってくれないと寂しいじゃないか忙しいの?」

 総監は重い彼女のような、どうでもいいことを言った。

「えぇ、ちょっと心がモヤっとしてましてね」

「モヤっと? どういうことだ。娘も寂しがっているので、今日ぐらいは顔を出してはどうかね?」

「そんな理由でいちいち呼ばないで下さい。私も忙しいので」

 官を極める総監が相手でも、捜査が気になる源馬にとっては関係ない。

「そうかい残念だなぁ。頂き物の『村上開新堂』のクッキーもあるのだが……」

「わかりました。実は今、すぐ近くにいます。これから伺います」

 源馬はスマホを切った。

「加賀、悪いがそういうことだ、紅茶とスコーンは別の機会にしよう」

 運転席の加賀は赤城と目で会話しながら、

「了解いたしました。警視庁に向かいます」と、晴海通りを右折した。


 日比谷交差点からすぐそば、霞が関の警視庁本庁に到着した源馬はひとり警視総監室に向かった。

 総監室前では庶務部の秘書たちが源馬を見かけると起立して目礼をした。源馬は軽く指で拳銃を撃つマネをすると、秘書達は大げさで撃たれるマネで返した。

「教育されてるね」

 源馬が感心して総監室に入ると、小柄な逆瀬川警視総監が出迎えた。

 ソファーを源馬にすすめた。

「どうだね、警察生活にも慣れたかね」

 総監は固い笑みを浮かべながら、クッキーの置かれた応接セットに座った。

「はぁ、慣れても絶対染まらないようにと心がけています」

 源馬は警察組織に柔軟性の無さを感じていた。

「君は簡単には染まりそうにないと思うけどね」

 様子をうかがう総監の眼を見は何か言いたそうだった。

「ところで総監クッキーは口実でしょ、呼び出された本当のご要件を伺いましょうか?」

 ソファーで足を組みながらクッキーをパリッと食べる源馬は細く冷たかった。

「さすがお見通しだね。一課の岡本くんから聞いたよ。君は先日起きた暴力団がらみの殺人事件をさっそく勝手に捜査しているらしいね」

 総監は源馬の冷たい目線を避けながら言いにくそうに言った。

「まぁこれも捜査のレッスンワン、ウォーミングアップですよ」

「ウォーミングアップね。ではこの写真は心当たりあるかね」

 逆瀬川総監は源馬の前に一枚の写真を出した。

「んっー、派手な男ですね。誰ですか」

 監視カメラの映像らしき写真には、二人の長身の人物が走っている様子が写っていた。

「僕にちょっと似てるかな?」

「ちょっとどころか、多分君しかいないね」

 金髪のリーゼントにコートをはばたかせ、全身ボンデージの赤城と街を駆ける様子がバッチリと映っていた。

「監視カメラ目線だね」

「習性でしょうか、ははは」源馬は総監を軽くいなそうとした。

「それに昨夜川崎署管内で発砲事件があったそうだ。目撃者もいる」

「なんだ総監! 知ってたんですか、イジワルですね。確かに飲み屋でちょっとしたイザコザはありましたが、あくまでプライベートの隠密行動ですのでご心配なく」

 源馬はソファーから立ち上がると総監室に飾られたゴムの木の葉をいじくった。

「居酒屋じゃないだろ、あの店は違法ドラッグ、売春斡旋で神奈川県警が最重要ポイントとしてマークしていた店だよ。そこで四人も怪我人が出て、おまけに発砲事件だよ。神奈川県警は躍起になって逃げた人物の行方を捜しているそうだ。君の将来が心配だよ」

 総監の目はマジだった。

「念の為、確認するが拳銃を撃ったのは君じゃないよね?」

「あくまで威嚇ですよ」

「撃ったのか!」

 総監の顔は血圧で赤くなっていた。

「騒ぎにするつもりはなかったんですが、ご婦人に無礼なふるまいをしたのでマナーを教えてやっただけです」

 ゴムの木の葉っぱをちぎって源馬は団扇のように仰ぎ始めた。

「いや君、マズイ、マズ過ぎるよ、それは。まぁ、ただね、あまりに無鉄砲な暴れっぷりに、神奈川県警と警察庁は暴力団同士の抗争と考えているようだけど」

 総監は天を仰ぐ姿勢でソファーもたれかかった。

「来るものは拒まずです。いいでしょう! 神奈川県警を私は受けて立ちますよ」

「受けなくていいから。就任早々悪いが、君しばらく休養してはどうか?」

「ないない! 刑事の本懐はあくまで休みよりも捜査です」

「やっぱり私は心配だよ。君のような将来の警察官僚トップに立つ人物が、こんなゴミのような連中の抗争に巻き込まれることはないんじゃないか」

 気遣うつもりの総監の言葉だったが、源馬の正義漢に油を注いで火をつけてしまった。

「だ・か・ら、なおさら放っておくわけにはいきませんよ。ゴミのような連中が起こした事件だからこそゴミのままにしたくないのです、そこには美しい真実が欲しいのです。ゴミを宝石に変えるのが刑事の仕事ではないんですか」

 さすが東西大劇場の昼夜公演を満員にしてきたトップ、言葉の説得力は半端ない。東京都警察官のトップに立つ総監は言い返す気すら失せてしまった。


 その時、恒例のように奥の部屋のドアが勢いよく開いた。

「ゴミから美しい宝石を生み出す! なんて素晴らしい思いなんでしょう……源馬さま! 人間リサイクルというわけですね」

 ヅカオタクの広報部逆瀬川薫子だ。

「お父様、お願いです! 源馬様のお力になって上げてください」

 総監の娘であることを隠そうとしない薫子は父親に懇願した。

「お前まで、何を言い出すんだ」「お父様、これだけは言わせていただきますわ」

 薫子は決意を込めた表情で、ちゃっかり源馬のソファーの横に座った。

「ここにいらっしゃる源馬様は、歌劇団に専念していればトップスターとして世界中を幸せにすることができた方なんです」

「そんな神のような方が、愚かな民草を救うためにわざわざ汚れた下界に降りてきていらっしゃるんですよ。お父様がやるべき仕事は、源馬様に最高の舞台を提供することです。どうか心の眼を開いてください」

 ちょっと見ない間にさらにカルト化してしまっている薫子に源馬は引いた。

「薫子……いつの間にそんな立派なことを言うようになったんだ。私は源馬くん君のことを理解していなかったようだ済まない」

 総監は親バカ丸出しの顔をして薫子の手をとった。

「ここまで娘に言われたからには、積極的に君を応援するよ。そうだ! 私が指揮をとって、ここを捜査本部にしてもいい。早速、捜査一課長と係長を呼び出すぞ、えーっ内線何番だっけ」

「総監、捜査の指揮なんて滅相もない。警視総監と言えば東京の治安を司る王様です。キングはドーンと座したまま、朗報をお待ち下さればいいんです」

「そうかね、そういうもんかね」

「お父様、照れてらっしゃる」

「いやー、ワハハ」

 この父娘のゆるふわトークはここが警視総監室であることを忘れさせる。


 トントン。

 ドアをノックする音がした。

「失礼いたします」 総監付き秘書官が部屋に入って来た。

「総監、源馬警部補にお客さんですが」

「んっ、誰か来るの?」

「さっきまで忘れていたんですが、実は私の方でも専門家を手配しておりました」

 やがて、おずおずとおびえた様子で男が警視総監室に入って来た。

「この人は? 警察官かい」

 入って来た人物に心当たりのない総監はキョトンとした。

「警視庁深沢署の安藤巡査です。番手は低いですが私の手伝いをしてもらっています」

「番手?」

 総監は理解できない表情を見せた。

 雲の上過ぎる警察官トップの警視総監を間近に見て安藤は立ちすくんでいた。

(動くな、ここは何を聞いても見てもいけない場所だ。すべてのミスが命取りになる)

 と、心の中で自分に言い聞かせていた。

「この人を呼んで、源馬くんは何をしようと言うんだね」

 総監は源馬が所轄警官を呼んだ狙いが分からない。

 源馬は初めてニッカリと歯を見せて笑った。

「まぁ、ちょっとしたお遊びですね。いわゆるお茶会みたいなことをしようと思います。それで一つご相談が・・・・・・」

 源馬が総監の耳元で何かささやいた。

 立ちすくむ安藤は何がなんだか分からなかった。

(お遊び、お茶会って何? 捜査関連じゃないのか?)

「よし、源馬君準備が出来るまでランチなどどうだね」

「いいですね。安藤君はちょっと待っててね」

 氷のように固まった安藤を置いて一行はランチに出かけた。


(刑事どころか、警察官などになるんじゃなかった。マジで)

 組長事務所の翌日に、警視総監室。この先の読めない運命に、ブラック営業すら恋しくなった安藤だった。

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