第三幕一場 お茶会評定

「やはり、上野うさぎやのどら焼きはひと味もふた味も違いますね。モグモグ。あずきがつやつや、生地が綺麗に揃っている、そしてはちみつのほど良い甘さ。これがあと一時間もすると味が変わってくるから、なるべく早く食べるに限るね! ハハハハハもぐもぐ」 

 警視総監室に呼ばれた源馬は、逆瀬川総監と娘の薫子と共にソファーに腰かけてどら焼きティータイムの一員となっていた。

「お父様ご存じですか、乙女塚のある関西ではどら焼きのこと三笠って言うそうですよ。奈良の三笠山に似ていることが語源だそうですわ! ホホホ(モグモグ)」 

 薫子は完全自宅モードになってくつろいでいた。

「三笠と言えば、日露戦争で薩摩出身の東郷平八郎大将が座乗した連合艦隊旗艦も同じ名だよ! 薩摩士族の子孫・源馬くん初陣のお菓子としてもふさわしいということだ。ガハハハ。聞いたよ源馬くん! 着任早々刑事課で大暴れしたそうだな! (もぐもぐ)」 

 源馬ファンの薫子から昨晩乙女塚集中講義を受けたと見え総監はやや疲れた様子だった。

「大活躍だなんてそんな……刑事連中の排他意識、官僚意識を注意してあげただけです。(モグモグ)」「注意だなんてご謙遜! もう源馬様の圧勝って感じでしたわ! ホホホ(モグモグ)」

「えっ、薫子さんずっと見てたのかい? (もぐもぐ)」 

 薫子は下をペロッと出して。「源馬様のお言葉は私たちファンにとって何よりのご馳走なんです。ホホホホ」

「そんな、人のことを食べ物みたいに言って……さては、いろいろ私の個人情報を拡散しているのは君だな」

「さぁ、どうかしら源馬様! 私のこと逮捕しちゃう? ホホホホ」

「何を、待てー!」

「こらー! 厳粛な警視総監室で走り回るなぁ! ホコリがお茶にはいるだろ」

「待ちませんわ」 

 総監室のソファー周りをまた逃げ惑う薫子。

 しかし源馬は薫子を追わなかった。

「こういうバカバカしいことをスィーツ食べていつまでもやっている場合じゃないんですよ、総監!」 

 ようやくどら焼き祭りから我に返った。源馬は口についた大納言をティッシュで拭くと、総監の前に立って頭を下げた。

「お茶会参加は口実で、総監にお願いがあります」

「何だね、改まって」

「私に現場捜査をご命令いただきたいのです」

「でも、君は望み通り捜査一課に配属になったはずだが」

「刑事課の日和見係長の下では、この先何年居ても現場に出られそうにありません」と、悔しそうに源馬は嘆いた。 

 それを聞いて薫子は右手を胸の前に握りしめた。

「源馬様があの『まとめサイト係長』に喝を入れた様子なんてサイコーでしたわ! お父様にも見せてあげたかった」

「ほう、そんなことがあったのか! まとめサイト係長のことは良くわからんが。三係の係長は表裏ある男だと聞いていたが……小笠原署に欠員が出たと署長が言っていたので次の異動で、そこに送り込んでやろう」

「総監! そういう告げ口的な意味で言ったんじゃありませんよ」

「君が気にすることはないよ。後で人事に言っておくから任せたまえ。彼にも組織の恐ろしさを身に染みて感じさせてやろう」

「いや、こんなことで人の人生を左右しないでください」

「君も歌劇団にいたからわかるだろうが、組織の人事というものの本質は思いつきと気まぐれだよ」

 気のよさそうな逆瀬川総監の冷たい裏の顔が覗いた。「うぁ! そんな話聞きたくなかった」 源馬は手で耳を覆った。


「ところで源馬くんは、一体何の捜査に出たいんだね」 

「さっき会議室で見た事件なんですが……詳しくは私もよく分かりません。所轄の捜査本部に行けばわかると思います」

「事件内容も分からず会議に首を突っ込むとは、君もなかなかそそっかしいやつだな! ははは」 

 総監は豪快に笑った。その側に娘の薫子が駆け寄る。

「そうそう! 源馬様には研究科一年の時『衛兵A』の役にも関わらず台本のセリフを全て記憶して、本番で間違ってトップの方のセリフを先に言った伝説がございますわ」

「そんなことがあったのか! 昔から大物だったんだね。君は! ワハハハ」

「ひどいなぁ。あれは先生の脚本がちゃんとキャラ分け出来ていないことが原因だったんだよ。忘れて欲しいよ」

「いいえ、忘れませんわ。源馬様の一挙手一投足がファンの宝石のようなもの。デジタルアーカイブでクラウドに上げて天国に行ってからも永久にプレビューを楽しみますわ。ホホホホ」

「そんなぁー」

「ホホホホ」

「ワハハハ」

 流れに逆らって源馬は笑わなかった。

「だ、か、ら、いつまでもこんなバカバカしい会話を展開している場合ではないんです。薫子くん、君もそこそこの年齢なんだからふざけてないでちゃんとしたまえ!」 

 素に戻った源馬は思わず強く言った。

「げっ! 源馬様その発言はひどい!」 薫子は大げさに崩れ落ちた。

「あぁ! これは失礼した。レディーに年齢のことをいってしまうなんて……私としたことが」

 それを聞いた薫子はニヤリと笑って源馬の手を取った。

「お詫びに今夜、六本木ヒルズ・イルブリオに連れていって下さいます?」

「イルブリオとは君も舌が肥えてるね。ただし事件が解決してからだからね」

「やった、源馬様と高級イタリアン! 念の為わたくし三十過ぎてますから。ホホホホ」

「やれやれ、何ともタフなお嬢さんだ」

「これこれ薫子、あんまり源馬くんを困らせるんじゃないよ。ワハハハ」

「だ、か、ら、こんなゆるんだ会話をしにきたんじゃないんです。薫子さん君もさっきの合同捜査を盗み聞きしていたんなら、何か知らない?」

「もちろん、ご用意してますわ! 広報の私のI Dは都内で発生した事件の資料の全てにアクセス権が付与されております」

「君は何者だ」

「フフフ、こう見えても女性管理職、既に捜査資料もご用意できています」 薫子は後ろから大きな封筒を出してきた。

「源馬様が入ったときに会議室で話していた事件はこれですね! ジャン」

 封筒から薫子が出してきた捜査資料には『駒沢公園 暴力団幹部刺殺事件』と書かれていた。

「これ、多分これだ。暴力団幹部が刺されて死亡……容疑者は対抗する別の組織の怨恨による犯行というやつだ。こんな単純な事件を時間をかけて何度も会議しているなんて税金の無駄使いです。もし、私が現場で指揮を取れたらあっという間の次の幕で解決してみせます」

 源馬は総監の目を見て宣言した。

「これは頼もしい」

 総監はまた次のどら焼きに手を出しながら言った。その手を源馬は押さえつけた。

「しかしですね総監。警視庁内の会議は私が歌劇団で培った勢いとノリでなんとか押しきれたとしても、実際の捜査の現場で何度も通用するとは思えません。下級捜査員の献身的な協力無くしては真実に迫ることは無理です。そこで総監に一筆ちょうだいできますか?」

「なんだい一筆って」

「つまりですね色紙に『この者の思はむものを所望にしたがひて与ふべし』とか何とか書いていただけませんか?」

「その言葉? 聞いたことないな……」

「昔演じた『大江山花伝』のセリフにあるんですが、まぁ私の言う事聞きなさいってことです」

「しかし、人事と違って捜査は現場に任せる鉄則があるからな、さすがに越権行為だ、ングッ……」

 薫子がすかさず総監の口にどら焼きを押し付けた。

「ねぇねぇお父様、源馬様に一刻も早くお手柄をとらせて下さいますよう、私からもお願いしますわ!」「それはまぁ、事件の早期解決は警視庁にとっても願ってもない話だが……もぐもぐ」 

 どら焼きを食べながら総監は口ごもった。

「そうなったら広報部もハリキリますわ。まずは朝・毎・読の社会面で源馬様お手柄記事バシッ! そしてスポーツ紙では総監賞を持った源馬様の笑顔の写真が芸能面トップ! 上手くいけばヤフーニューストップも狙えますわね。どんどんネットでバズって乙女塚を知らない人にも源馬様のこと知ってもらいたいですわ! 楽しみ楽しみ」

「総監……私は普通の大卒新人に比べて十年も遅れてます。少しでもお国の為にお役に立って、遅れを戻したいと思っております」

「そうか、分かった一筆も書くし、刑事部の各課長に直電で源馬君の自由捜査に協力するよう厳命を下しておく。こうなったら私も君も一蓮托生だ。ハハハハ」

 それを聞いて薫子は嬉しそうに総監室をくるくるバレエターンし始めた。

「そうと決まれば現場へGOです! 捜査となると源馬様の専用車も必要ですわね。お父様、源馬様に専用のお車を一台いただけないかしら」

「さすがにそこは源馬くんでも無理だ。専用車は課長以上だよ」

「いえ、車と最高のドライバーはもう源馬様はお持ちです。警視庁への入館証も発行しておきましたわ」「もしかして、加賀のことかい?」

「その通り。ファンクラブ副会長 加賀真理子様です。今から正式職員ですわ」

「なんか全部キミに上手くやられた感じするなぁ」


 源馬は総監室を出ると大股でエレベーターホールへ向かった。見送りと称して逆瀬川薫子もちょこちょこと小走りで付いてくる。

「源馬様。どら焼き作戦成功ですね。晴れて勝手捜査権と専用車のお墨付きも貰えましたね」 

 薫子はカメラを首からかけて口元に笑みを浮かべていた。

「どら焼きのおかげかどうか知らないけど、まだ、なんかあるんでしょ?」

 源馬は警視庁に来てから何度も感じてきた嫌な予感に襲われた。

「気にしすぎですよ。源馬様」

 それでも何か浮かれた様子の薫子。

 エレベーターが開いた。中には、これまた見慣れた黒髪&黒ワンピースの元ファンクラブ会長・赤城晴江がエレベーター内にいた。

「ご注進! 源馬様、楽屋口に大量のファンが集まっている模様です。その数ざっと五百名」

「なに! どこから漏れたのだ」と咄嗟に源馬もセリフ調で答えた。 

 これは以前、源馬が乙女塚中ホールで真田幸村を演じて新聞の劇評で絶賛された『裏切り! からくり! 大阪城』での配下の武将のセリフだった。思わず言ってしまったと恥ずかしくなる源馬。

「ホホホホ、警視庁に楽屋口なんかありませんわ! 駐車場入口のお間違えではありませんか?」

 源馬の後ろから薫子は同公演で登場した淀君のように静々と現れた。

「キャキャキャ! さすが薫子さん見事に成功しましたね」嬉しそうな赤城。

「源馬様も見事でしたわ! キャキャキャ」

「君たちに嵌められたよ」

 エレベーターを降りて地下駐車場に着いても歌劇ごっこでうれしそうに騒ぐファン女性二人。

「ちょっと、そういうのもうやめてくれる!」

 源馬は今日何度目かの呆れた気持ちになった。

 車寄せで待っていたこれまたプロのお付き加賀の運転するアルファードに源馬が乗り込もうとすると、駐車場出口付近に大勢のファンの姿が見えた。

「源馬様、この伏兵をどうされます?」と、まだ薫子が芝居口調で嬉しそうに言った。

「どうせ君が漏らしたんだろう。しょうがない、この源馬剣翔は逃げも隠れもしない。相手が待っているなら受けて立つ、ファンにいつまでも立たせているのも申し訳ない。いくぞ皆! 上州上田の山育ちの勇猛さを江戸の連中にとくとお見せしよう」

「素敵」 源馬のサービスセリフに薫子はカメラで動画を撮り始めた。

「あえて玄関まで歩きさ! 加賀の車は桜田通りに止めておいてくれ」

「御意」

「それと薫子さん、捜査の手間を省きたいのでキミは残って所轄の警察署に協力をお願いしておいて下さい」

「えーっ残念」と言いながらもまだキャッキャキャと薫子は赤城と騒いでいる。

(まだしばらくは彼女達の思いもも裏切れないな)

 こうして源馬は現役トップ時代となんら変わらず地下駐車場出口で待っていたファンと交流し、二十分後。ようやく、加賀の運転するパトカーならぬ白亜のアルファードSPチューンは、事件が発生した世田谷区の駒沢公園を目指して出発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る