第八幕三場 疑惑のステップ

 場内がその答えを大注目する中、

「誰って、フェルナンドはフェルナンドですよ」

 源馬はシンプルに答えた。

「この物語のもう一人の主人公フェルナンドは、いつからかヒロイン・カミーラと恋に落ちていた……」

 情感たっぷりの源馬語りにファンからは「キャー」と声が上がった。

「そのまんま話続けんなよ、だから一体誰の話してんだよ、なぁ」

 服部係長が警察軍団とまた声を上げた。

「だから、それは舞台を見ていただければ一目瞭然ですって、さぁ帝劇リハーサル室での成果をご覧あれ」

 上手から、『フェルナンド』と書かれたゼッケンを付けたマタドール(闘牛士)姿の男役が軽やかな音楽に乗って登場してきた。

 クルリと回ると、鮫島役に近づきタッチし、鮫島役はそのまま下手のコーナーに履けた。

「説明なく鮫島が消えたけど、なんで?」

 深沢署で取り調べていた刑事二人がざわめいた。

「ここは舞台の続きに注目しましょう」

 安藤が二人に教えた。

 広場中央ではフェルナンド役の歌劇団員とさらにダンスに覚醒したカミーラがステップシート(下足痕)に合わせて動き出した。それぞれが向き合う姿勢になると静かに前に一歩踏み出しやがて抱き合うように密着。

「オーチョ! ハッ」

 源馬の掛け声と共に、息のあった二人は左右前後にステップを踏んで踊り始めた。

「ご観劇の皆さま、もうお分かりだと思います。この複雑なゲソコンをひとつひとつ順番にたどっていくとご覧のように典型的な四拍のタンゴステップになります。しかもこれは官能と情感に満ちたアルゼンチンタンゴのステップです! オーチョ! アデランテ! オーチョ!」

「キャー」忠誠度の高いファンが絶妙のタイミングで叫ぶ。

「ブエノスアイレスで二人の愛は運命に引き裂かれた。そして二人は日本で再会、情熱のタンゴのリズムで結ばれていたんです。そして渦巻く、裏切り、ジェラシーの炎!」

 源馬も音楽に合わせてステップを踏み始めた。

「キャー」またファンだけが叫ぶ。

「ちょっと待ってくれ!」

 その様子にたまりかねて岡本課長が手を上げた。

 源馬が指示するとスタッフが進み出て岡本にマイクを渡した。

「どうぞ、何が問題なのかお話ください。皆さん拍手」

 源馬の振りに合わせて、すかさずスポットライトが警察軍団の方を照らす。

 緊張気味の岡本は、「えー、捜査一課を任されております警視庁の岡本です」と自己紹介から始めた。


「ゲソコンがダンスのステップに見えるという源馬警部補の推量は百歩譲って有効だとしても、そこからのカミーラをめぐる愛とかジェラシーとか抽象的な表現では、我々には何も伝わってこないのですよ。容疑者の鮫島が急にいなくなって、突然出てきたフェルナンドが犯人って荒唐無稽すぎるんじゃないですか? 一体何を根拠にそんなことおっしゃるのか? ちゃんと立証していただきたいですね。そもそも警部補がフィクションの話をしておられるなら、こんなに警察官を動員して捜査を混乱させたことをマスコミの皆様に報道してもらいましょう」

 そこまで言うと岡本は満足げにマイクを戻した。

 パシャパシャ。岡本に向かっていくつかの新聞社が写真を撮った。

「フラッシュは厳禁です」広報の薫子が記者に注意する。

「しかし、一課長が言うことは最もだな。証拠がない限り、警部補の方が不利だ」

 深沢署の鑑識岡田が頷いた。隣の安藤は、次に源馬がどう出るか心配で見つめた。

「失礼ですねフィクションでも、荒唐無稽じゃありませんよ。一〇〇パーセント事実です。私だって鑑識の皆さんが作ってくれた資料を基に今回の舞台を作っています。フェルナンドが犯人である最大のヒントはちゃんと調書に出ています」

 源馬は強い口調で言った。

「君たち刑事部幹部が、現場の血と汗と涙の結晶を活用できず見落としているだけだ」

「だからそれが何なんだよ」

 これは源馬の苦し紛れの言い訳だと源馬は思った。

「被害者伊丹の傷口、そして凶器ですよ」

「おい、そんなもの捜査のイロハのイだよ。凶器は事件発生当初から捜査員を総動員して付近を調べ上げたがまだ見つかっていない。だからまだ犯人につながる具体的な凶器のことなど調書のどこにも書かれていないぞ」

 岡本と服部はヒラ刑事が持参した書類を確認しながら、これでもかとばかりに源馬に異議を申したてた。

「では逆に聞く! お前らは凶器が何だったのか目星はついているのか?」

 強気で被せる源馬。

「それくらいはとっくに調べている、それはナイフだよ、良くチンピラが持っている。刃渡り二十センチのダガーナイフだ。あんたたちが舞台で楽しく踊っている間に、こっちは血なまぐさい現場を散々這い回って調べたんだよ」

 服部係長は鑑識資料を片手に強い調子で言った。

 源馬は呆れた顔をした。「バカ言ってもらっちゃ困ります。そんな大きなダガーナイフどうやって持ち運んだというんですか?」

「そんなものどうにでもなる、カバンにいれるとか、ブーツに隠し持ったとか」

「刃渡りの意味分かってますか? 刃体の先端(ポイント)と根元(ヒルト)を一直線に結んだときの最短距離ですよ。ナイフを隠す為に長さ二十センチもあるブーツを八月に履いている人間いますか? 目立ちすぎます。しかも、ダガーは両刃ですよ。検視の結果では、刺創跡は片側が少し波打っていると書かれています。つまり片刃なんですよ、力強く刺したから両刃のように見えるかもしれませんが、波打っている方が刃ですよ。検視官が見つけた細かな書き込みをないがしろにしてはいけない」

 言われた服部は課長と鑑識と司法解剖時の写真を確認した。確かに片刃のようだ。

「捜査の過程で細かな見落とし位はある。お前がそこまで言うなら、凶器は分かってるんだろうな」

「シュラスコナイフに決まってるでしょ」

 小道具係が現れてシュラスコナイフの模造品を源馬に渡した。「これです!」

「シュラスコナイフってなんだよ。聞いたことないぞ」

 課長・係長・鑑識の一団は狼狽し始めた。

「君たちの目は節穴どころか書割だ。自分たちが作った筋書きすら読み込めなくてどうする! 全く歌劇団をバカにする前に、警視庁そのものを解体すべきだよ。お手元のパンフレットの八ページをご覧ください。検視の資料があります」

「八ページ? 」

 警察軍団がざわざわし始めた。

「遺体検案書のここ良く見て! 刃渡り二十センチ、幅約三センチの片側鋭利なキザキザの切り口。その条件を全て満たすのがこのシュラスコですよ」

 手にしたナイフをみんなに見せながら源馬は言った。

「さすがは源馬様! 捜査の見落としを突きますわね」

 総監と薫子も意外に出来る源馬の捜査の一面を知り拍手を送った。

「こんな事に拍手はいりません。自分の役が持っている小道具を想像できなくて役者は務まりませんよ」

 源馬は総監に一礼した。

「この傷口だけで凶器を特定するのは勇み足、冤罪を産むんじゃないですかね」

 顔を潰された服部係長がいやらしく言った。

「さっき言った容疑者、フェルナンドだっけ? でもどこに居るんだそんな奴、あんたの想像上の人物だろ。そんな全く捜査に上がって来てない人物が犯人だなんて適当すぎるだろ。日本の司法警察を馬鹿にするな!」

 服部の剣幕は収まらない。

「まぁまぁ落ち着いて、後で今言ったこと後悔しますよ。まだまだ話の結末を急いではなりません。ここ駒沢公園で事件当時何が行われていたのかを皆さんご存じですか?」

「だから殺人事件だろ」 逆瀬川総監が素朴な発言をした。

「違いますよ、そういう話じゃないです。もう説明するのも面倒くさいので、皆さんもお手元のパンフレットの五ページをご覧ください」

 パンフレットにはイベントのチラシがコピーされていた。そこには『駒沢公園ラテンフェスタ』の文字があった。

 「はい、これは最初に私がこの公園に来たときに拾ったチラシです。ラテンフェスタと言えばシュラスコ屋台、シュラスコと言えばナイフでしょ。そして我々の調べによるとラテンフェスタ当日、確かにシュラスコ料理は一軒出ていました。そして、その店にいたのがフェルナンドです」

「こちら追加資料になります」

 ファンクラブの加賀と赤城がマスコミと警察官たちに配り始めた。

 その追加資料に載っていたチラシには、強いまなざし薄くはやしたあごひげのいかにも遊び人風の外国人イケメンが笑顔で、肉をナイフでさばく写真があった。

「アルゼンチンで、シュラスコ料理チャンピオンになったフェルナンド・ディアスさん(28)が来日。ラテンフェスタで自慢のオリジナルシュラスコ料理でおもてなし」とも書かれていた。

「彼がフェルナンドです。私の調べではカミーラとは出身地が同じ、しかも写真で公園の建物と比較すると被害者の伊丹よりも身長が高そうです。今一度、検視資料の刺創痕の部分良くご覧ください。『やや上部からの刺し傷』とあります。185センチ位あるフェルナンドが逆手に持ったシュラスコナイフを相手に刺すとこの傷口通りになります」

 源馬が赤城と加賀の方に向けて微笑む。自宅で二人白菜を持たせて、何度も実験を源馬はしていたのだ。

 深沢署の安藤はここまで聞いて驚愕した。

 最初に駒沢公園でモデルだと思って源馬さんに近づいたとき、確かに手にチラシを持っていた。そしてそのあと何気なく源馬さんが質問する一見支離滅裂な質問は全て事件の真相につながっていた。既に最初から源馬さんは、犯人のイメージを持っていたということか。

 安藤は源馬の得体の知れない奥深さに感動し立ちすくんだ。

 しかし、そんな源馬の天才的直観と実証を知らない服部係長ら刑事軍団は全然まだ納得していない。

「じゃあ何か? 魚崎組はわざわざ外国人を雇って屋台を出してトレーニングに行く伊丹を待ち伏せしてたってわけか? おい、手間かかりすぎじゃないか」

 理解できない顔で服部は周囲に同意を求めた。

「あぁ、そこが違うんです。あなた方の考え、発想が元々間違っているんですよ。逆ですよ」

「何が逆なんだよ」

「伊丹を待ち伏せていたんじゃなくて、カミーラとフェルナンドの逢引きを嫉妬にかられた伊丹が待ち伏せていたんですよ」


「そうなの? 捜査一課の読みと全然違うじゃないか」

 逆瀬川警視総監が貴賓席を立ちあがると、捜査一課長岡本に向かっていった。

「いや総監、あくまでも源馬君の仮定の話です」

 岡本は自分の頭が混乱してきた。

「何が本当で何が仮定なのか、分かんなくなってきたよ」と総監。

 そんな警察幹部の会話など気にせず源馬は続けた。

「カミーラの昔の恋人フェルナンドと、愛してしまったヤクザの伊丹は、悪戯な運命の神に導かれてこの公園で出会ってしまったんです」

 源馬の合図でライティング(照明)が変わった。

「えーと、時間押しているそうなので、ここからは端折っていきます。舞台センターに待ち合わせしたフェルナンドとカミーラがいます。カミーラそこだね、はいOK。それを木陰から見ている伊丹います。はい伊丹が舞台前に出てきます。それにカミーラ気付きます。『何をしているんだカミーラ、その男は誰だ』と伊丹はカミーラを責めます。でもカミーラは『自分には心に決めた人がいる』と伊丹に告げる。激高した伊丹はカミーラにビンタします」」

 公園内の即席舞台では、役者がそれぞれメリハリ効いた芝居を進める。なぜか素人のはずのカミーラも上手く芝居を合わせている。

「急に棒読みの解説放送みたいになったが、こういうもんか?」

 総監が薫子に聞いた。

「しーっ。退屈な説明箇所を飛ばしてくれているんですよ。ここからクライマックスです」

「えっ、薫子知ってるの? もしかして台本あるの? 見せて?」

「これは関係社外秘です」

 総監に向かって目を大きく見開く薫子。


「それを見たフェルナンドはかっとなり、シュラスコナイフを取り出しいきなり伊丹に切りつけます! タァー」

 源馬は手にしたナイフ振りかざし熱弁スタイルに入った。

「しかし、さすがは御影組のトップ伊丹! すかさずよけて手にしたバッグで相手の腕をたたく。思わずナイフを落とすフェルナンド!」

「落としたのか! 危ないぞフェルナンド」

 総監は何故かフェルナンドに肩入れしている。

「地面に落ちたナイフを男二人が奪い合う! が、お互いの手を蹴り合った結果、ナイフは宙に飛んでしまいます」

 歌劇団員の二人は殺陣師が付けたアクションを展開。黒子に扮した魚崎組員は棒のついたナイフを操作して、あっちこっち宙を舞う姿を演出する。当事者のはずのカミーラもハラハラした様子で口に手を当てている。

「やがて二人は泥の地面の上でもみ合いに! 元ラグビー選手でもあった伊丹が相手に飛び掛かり首を後ろから締め上げる」

「キャーッ、負けないで」ファンクラブから役者に声援があがる。

「その時です。『やめて! 』背後からカミーラの悲痛な声が響きます。しかし伊丹はその悲痛な声を聞いて余計に怒りが抑えられなくなり、さらにフェルナンドの首を絞めあげます」

「でも、そんな格闘の痕跡、現場にあったか?」

 深沢署の安藤が鑑識課岡田に聞いた。

「いや、絶対になかった。ここは確実にフィクションだ」

「源馬さん事実だけ伝えればいいのに、やりすぎるなぁ」

 安藤は源馬の盛り癖を思った。そんな一刑事の心配は源馬には届かない。

「その時、伊丹の背後から近づいてくる人物! 突然、シェラスコナイフが振り下ろされる」

 あわてて黒子が棒のついたナイフを伊丹に刺す。

「何で後ろからナイフが来るんだ! しかも、それは誰だ! 分からんぞ」

 服部係長が異義を唱えるが、源馬は気にしない。

「まだまだ! 殺気を感じた伊丹が、咄嗟に後ろを振り返ると、そこにはなんとなんと!」

「だから誰なんだよ」

 源馬はじっとカミーラの方を見た。カミーラは意を決したようにうなずくと自分の立ち位置に自然と入った。

「情熱のマドンナ・カミーラがナイフを伊丹に振りかざしていた」

 カミーラ本人が哀しみの表情を見せながら、ナイフを振りかざし伊丹役の鳩尾に向かって振り下ろした。

「あーっ!!!」

 源馬もカミーラの渾身の芝居にあっけに取られたように声を出した。

「うーん、面白い」

 警視総監が興奮しながら、ファンクラブの仕事を終えて戻ってきた隣の薫子の手を握った。

「ということで、犯人はカミーラになるよね? 」

「お父様まだまだ結論は早いですわよ」

 薫子はニヤリとした。


「カミーラは渾身の力でのけぞる伊丹にナイフを振りかぶり、腹部に向けて一撃! グサッ! しかしさすがは武闘派ヤクザの伊丹、これくらいでは倒れません。カミーラの腕を払い、力任せにナイフを奪いとる!」

 台本を捨てそこからは指揮者のように興奮気味に芝居を采配しはじめた源馬。

 目まぐるしい体勢の変化に、ナイフを操作する魚崎組が慌てている。

「なんというハラハラ展開、こりゃ目が離せんな」

 前のめりになった総監はオペラグラスを外すと老眼の目を擦った。


 音楽が再び場内に流れ始める。

「そして!」

 舞台センターに源馬が移動すると、カミーラと伊丹役の後ろに立った。


 お前はなぜ俺の気持ちを分からないのか? お前は俺を欺いたー♪ (なぜ、なぜ、なぜ)

 心はハナから日本になかったんだー♪ 

 今なら俺はお前の為に人生を投げ出そう! それなのに(なのに、なのに)

 お前は俺にこたえてくれない♪♪


 伊丹の心情を熱く歌い上げた。

 カミーラは泣いている。

 音楽が止まり、場内がセンタースポットを残して暗くなった。

「そして、伊丹は自らの体にナイフを突き立てた!」

「えっ自殺!」

 総監だけでなく、刑事課一同が驚く。

「無茶苦茶だ」

 安藤刑事は頭を抱えた。

「まだまだまだですよ。カミーラの前で、伊丹が自らの腹部にナイフを突き立てたそのとき! 気絶していたフェルナンドが立ち上がる! そして、後ろから無我夢中で伊丹にタックル!前のめりに倒れた伊丹は自分で持ったナイフで体を突き刺す。怯えるフェルナンド!」

「この場合はどうなる? やっぱりフェルナンドか!」総監が声を上げる。

「しかしそこから、思わぬ展開に……なんと血を流して倒れた伊丹にカミーラが近づくと伊丹を愛おしそうに抱きかかえます」

 源馬の頬には一滴の涙が流れた。

「えーっ! そうなの!」

 薫子も知らなかった展開に声を上げた。

「それを見たフェルナンドは哀し気な表情で悟ります。彼女の心は伊丹に傾いた! と、フェルナンドの表情から心の変化を一瞬にして見抜いたカミーラはかぶりを振り、フェルナンドへ駆け寄ります」

「んーっ、ややこしいな、カミーラの心理」総監が唸る。

「ここからですよ! さすがそこはフェルナンド、いざ心が決まったら潔い男! 開拓民の末裔です。起こったことは振り返りません。カミーラに優しい笑みを浮かべて彼女の手を取ります。『最後に僕と踊ってもらえないか? もう一度二人で出会った十代のころに踊ったタンゴを……』。たとえ二人の間には、時間が経ち、隔てている壁があったとしても、この一瞬再びダンスをすることで一生添い遂げた夢を見ることが出来る……」

 そういうと源馬は胸の前で両手を合わせて力強く天に捧げた。

 カミーラは夢を見るような表情でその場崩れ落ちた。

 一瞬の間の後、雷鎚のような拍手が会場に沸き起こった。

 刑事達の間にもなんだからわからない感動に自然と拍手が起こった。

「はい、お待たせしました」

 突然、マイクを持った広報の薫子が広場に現れた。

「マスコミ、記者の皆様ここから撮影OKになります。照明効果の妨げになりますので、フラッシュはご遠慮下さい。では、フィナーレご堪能下さい」


 ここまでの話を通訳から一拍遅れで聞いていたカミーラは、深く頷いて熱い目で源馬を見上げた。 

 源馬はカミーラの元に近寄った。

「ケテパレス? セニョリータ(どう思います、お嬢さん)」

「エソ エスロ ケ シ シエンテ(そんな気がしてきました)」

 そう聞くとカミーラは涙ぐんで答えた。

「踊っていただけませんか? カミーラ」

「エスターレ コンテント(喜んで)」

 源馬とカミーラはぴたりと密着して踊り始めた。 曲は有名なエル・チョクロ。二人のダンスステップはピッタリ、現場のゲソコンと一致していた。

 永遠に思えるほどの情熱のダンスを場内の一同が固唾を飲んで見守った。

 やがて最後のステップが終わった。


 二人は涙に潤んだ目で見つめ合いながら、歓喜のダンスの後の高揚感で気持ちは澄んでいた。

 そしてフィナーレ。カミーラは深く頭を下げた。

 見つめ合う二人。そしてカミーラの手に源馬剣翔の手錠が掛けられた。

 カミーラの前に到着する警察車両。

 赤城と加賀のアテンドでカミーラが乗りこむと、ゆっくり駒沢通りに向かって車は出発した。

 公園は野次馬も含めて既に千人近くに膨らんだ観客からはスタンディングオベーションが贈られた。


 やがて長かった一日を締めくくるかのように場内のスポットライトがゆっくりと落ちた。

 マスコミ連中は、朝刊に間に合わせるために一斉に撤収していった。


 数分後。

「んーっ、何でカミーラが逮捕された? 説明を聞いていると自殺もしくは、フェルナンドの過失致死だと思うんだが、違うかな。いや最初はフェルナンドが犯人って源馬くん言ってたと思うんだけど、薫子お前はどう思う?」

 総監は感動に上気しながらも、腑に落ちない点を隣の薫子に聞いた。

「お父様、舞台をどのように解釈するかは、我々観客一人一人に委ねられています。それぞれの真実があっていいと思います」

「なるほど。正しくはないが真理はある、伊丹には愛があった。フェルナンドにも愛はあった。罪深い徒花カミーラという訳か。参った」

 総監は感動に打ち震えながら、会場を後にした。


 ファンクラブと魚崎組が撤収作業を行う現場の一隅でとりのこされた刑事の一群。

 安藤の心は疑問と不安で一杯になっていた。

 なんでこんな結末になったんだ。源馬さん犯人はフェルナンドだという推論で捜査進めたはずだ。傷口の検証やシュラスコナイフがそれを物語っている。でも舞台では伊丹が最後自殺した形になっている。でも源馬さんが逮捕したのはカミーラだった。

 舞台を見ている間は興奮して感動したが、今冷静になって考えると、源馬の説明は破綻していて、筋書きも通っていない? やはり源馬さんは、浮世離れした大馬鹿野郎なのか、こんな大掛かりな事をして、周りを巻き込んで迷惑だけをかけただけなのか?

 安藤は片付けが進む公園広場の源馬が立っていた場所を見た。

 源馬の余裕の笑みがフラッシュで蘇ってきた。


「これが私の考える『ビジュアルエクスペリエンス捜査会議』です」

「荒唐無稽じゃありませんよ。一〇〇パーセント事実です」

「君たちの目は節穴どころか書割だ。自分たちが作った筋書きすら読み込めなくてどうする」

「あなた方の考え、発想が元々間違っているんですよ。逆ですよ」

 舞台の後半カミーラを見つめる源馬の熱いまなざし、意を決したように頷くカミーラ。


「あーっ!」

 安藤は大きな声を出した。

 もしかして、この舞台はカミーラの為に作られたのではないのか? 

 源馬さんはステップと傷口で関係者と凶器までは絞り込めたが、実際の犯行は誰がやったのか分からない、しかも肝心のフェルナンドは捕まっていない。そうなると、現場にいたカミーラの自白しか真実が引き出せない。オーバーステイの外国人が捜査線上に上がっていないのに自ら自ら犯行を名乗るわけがない。そのために、源馬さんは彼女の気持ちを最大限汲み取りさらにドラマチックな演出をすることで、理屈ではなく感情で自白を引き出したという事か? 事件現場を情熱的に再現することでカミーラを自白させる舞台装置だった。

 安藤は最初に源馬と出会った公園での言葉を思い出した。

「すべての殺人事件には美しさと感動が不可欠だ。それが死者に対する礼儀だろ」 

 一貫している! 安藤は公園に立ちすくんだ。


「じゃあ、俺達が逮捕したこの男は何なんだ」

 岡本課長は、深沢署から連れてこられて、警察車両の中で寝ていた容疑者魚崎ザビルを指さした。

「今の話だと、現場にたまたまいて事件の一部始終を目撃していただけの男で、探していた若頭を殺した手柄で出所後の出世をもくろんだのでは? 警察の見込み捜査にちゃっかり乗っかっただけの男ってなりますね」

 深沢署段田が答えた。

「とにかく留置所にぶち込んで、別件でもなんでもいいから送検しておけ」

 というと岡本は警察集団を引き連れて現場から外に出た。


「本当にいいんでしょうか課長? こんな結論で」

 追いかけてきた服部係長が岡本に声をかけた。

「俺はもう疲れたよ、容疑者も一応自白しているし、ひとまずはこれでいいような気もしてきた……」

 そういう岡本の声は弱かった。

「カミーラを逮捕しても検察で有罪にできる自信がありません」

 力なく服部も答えた。

「でもな、警視総監とキャリアの警部補様の筋書きだ。こうなったら何としてもフェルナンドも見つけ出して、誰もが納得するカミーラ犯人説の証拠を固める。それが俺達の現場の役目だ。道は長いぞ覚悟しろ」

 そう岡本は服部にそう強く言うと去っていった。

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