第六幕一場 バー・エキゾチカ

 多摩川を越え川崎競馬場を過ぎたあたりを右折した加賀は、側道に車を止めると装備した源馬スペシャルのカーナビを操作した。

「おかしいですね、エキゾチカという名前の店が見つかりません」

 数々のデータベースを取り込んだ加賀のナビで見つからないとなると、おそらく『エキゾチカ』は表に看板の出ない店なのだろう。

「まぁ闇営業だろ、胸を張って公表できる商売はしてないってことだな」

 助手席では赤城がパソコンで掲示板を検索していた。

「裏風俗サイトでそれらしき店を川崎区堀之内で見つけました」

「赤城、ピンクな世界まで調べてもらって、色々苦労かけるな」

「いえ、源馬様をお助けする事それが私たちの喜びです」

「向かわれますか?」運転席の加賀が振り返って聞いた。

「頼む」

 助手席では赤城が心配な様子。

「私は嫌な胸騒ぎがします。関西出身の私たちにとって箱根から東はまだまだ未開拓地の多いところ、しかも川崎サウスサイドの歓楽街は擁護無しに乗り込むのは危険な地域です」

「おいおい赤城らしくもないな。コロンビアのコカインマフィアじゃあるまいし、そこまでじゃないだろ」

「やはり一度、神奈川県警へ応援を要請し、まずは、斥候を放ってから報告を待ってからでも、遅くないのでは……」 赤城は心配げ提案した。

 源馬は黒目を上にして少し考えた様子で、「んー、何か面倒なんだよね。ここまで来たんだ、ちょっと顔だけで出してこようよ」

「分かりました、出すぎた真似を……」

 源馬の屈託ない笑顔を見た赤城は、

(私が余計な心配をすることで源馬様の思考を曇らせたのではないか)

 と、ひとり反省した。これはディープなファンにありがちな洗脳的思考だ。


 源馬アルファードは川崎駅南口方面へ進み稲毛通りで止まった。

 車を降りると、その後からついて来ようとした武闘派お付きの赤城を源馬は止めた。

「私のファンを危険に晒すわけにはいかないからね」

「勿体ないお言葉」

 さきほどの「暴力団事務所いきなり乗り込みはどうだったんだ!」と思わなくもないが、このように気まぐれに基準を押し引きできることもスターの資質であることは言うまでもない。

「源馬様、くれぐれもお気を付けください」

「なーに、ただ酒場に行くだけのことだよ」

 手を挙げて赤城と加賀に別れを告げると、源馬は 中華料理、インド料理屋、怪しいタイマッサージが並ぶ裏通りを歩き始めた。

 歓楽街裏町の路上には等間隔で真っ黒なレクサスが歩道に乗り上げ違法駐車しおり、その深いスモークガラスの隙間からは侵入者を警戒する監視者の存在を伺わせた。

 やがて通りの雰囲気が変わり、ケバケバしい看板と照明、安っぽいスピーカーからは南米、中東などのエキゾチックな音楽が流れるブロックに入った。

 通りの角々には外国の女が立って、道行く男たちに声をかけていた。

「娼婦たちと愛を見失った濡れた子犬の集う街。カルナバルの終わったあとのようだ」

 思わず源馬は出典不明のセリフをつぶやいた。


「加賀が調べた住所だとここだな」

 一軒の古い雑居ビルの前で立ち止まった。

 黄色い照明に照らされた正面口を入り、奥にあるエレベーターに向かって廊下を進むと、途中の階段から髪を撫でつけた若い男がくわえタバコで降りてきた。

 男は源馬を見るとガンを付けてすれ違った。

「ちょい待った。このビルにエキゾチカという店があるらしいんだが知らないか?」

 源馬はその男に聞いた。

「なんだ、お前? 見ない顔だな。誰かの紹介がねえと店には入れねぇよ」

「紹介者は……魚崎組の魚崎だよ」

「何だと、お前魚崎組なのか!」

 男は表情を変えると源馬の胸倉を掴もうと迫った。

 一瞬早く、源馬は体を交わして男の腕を逆手にひねり床に押し付けた。

「イテテテテ」 

 強がった割に男は弱かった。

「腕が折れる前に案内してもらおう。お前さん、名前はなんて言うんだ?」

 源馬はさらに男の腕を後ろに釣り上げた。

「放してくれ……増田善二郎だ」

「増田善……マスゼンだな。江戸の風を感じるいい名だ、では案内してもらおう」

 源馬はマスゼンを前に立て階段を上がった。二階の廊下を奥に進むと、マスゼンはスチールの黒いドアの前で止まった。

「ここだよ」

 一見するとただの事務所のように見えるが、艶消しの黒に塗られたドアは十分怪しかった。

 源馬は用心しながらドアを叩く。

「ハイ、お名前いただけますか」ドアの奥から声がした。

(お前が話せ)

 源馬は小声で指示する。

「すいませんゼンです。お客人を連れてきました」

 その声に反応してドアが開いた。 

 怪訝な顔をした黒服が立っていた。

 ただ、たいした役割は与えられていなさそうなので源馬は黒服Aと自動認識した。

 店の内部は薄暗く、赤い照明が部屋の輪郭を怪しく照らしていた。

 ソファーとテーブルが置かれて五、六人の客とその相手をする外国の女たちが見えた。

「なんか御用ですか」

 黒服Aの男は源馬の身なりを上から下まで見ると不審げな顔をした。

「カミーラに会いたい」

 そう源馬がつげると、店内の空気が一変するのが感じられた。

「なんだオメー、おいマスゼンこいつとどういう知り合いだ」

 黒服Aは本性をむき出しにして増田に顔を近づけた。

「いえ知り合いでもなんでもなくて、店の前で脅されたんです。こいつ魚崎組の知り合いですよ」

 抗争中の魚崎組の名前を聞き、店内奥で耳を澄ましていた黒服役三名がビクッとこちらを見た。 

 そんな険悪な空気にも源馬は一切動じない。

「いやだなぁ私をゴミのようなヤクザ者と一緒にしないでくれ。さっき魚崎に初めて会っただけだよ。あーっ、とにかくのどが渇いたなぁ、一杯飲ませてもらうよ」

 そういうと源馬は勝手にバーカウンターに腰を掛けた。

「お前に飲ませる酒はない、とにかく出てってもらおうか」

 こちらも自動端役認識の黒服Bが、源馬に近づき肩に手をかけた。

 源馬はすかさずカウンターへ乗り出しアイスピックを抜き出すと、Bの目の前三センチで攻撃姿勢をとった。


「待ちなさい」

 その時、店の奥から女の声がした。

「私になにかご用ですか? こちらへどうぞ」


 源馬はアイスピックを置くと、固まるマスゼンと黒服A、Bにニヤリと挨拶して、声のする方向にゆっくりと歩き出した。

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