12章『〜〜〜にアベンジングな我ら』-09

***


 21:40


 馬車の後部窓から見える時計塔の文字盤はその時刻を指していた。

 反対側、前部の小窓から見えるのは御者として手綱を握るワルターさん。

 聖教ソリスト教国の紋章を刻印された大型馬車は俺たちを乗せ、一路、ヘルベの森へと夜の道を急いでいた。


「しかし、今更ですけどセレスさん達には、ここまでしてもらって良かったんですか?」

 隣でじっと瞑想するかの様に目を閉じて座っているセレスさんに声を掛ける。

 俺やバルや少年団、レイチェルにはリアンを助けたい明確な思いがある。

 だが、セレスさんやワルターさんらは聖教ソリスト教国の特使であるのに、今回、この大型馬車まで使わせてもらうことになった。

 そこまでしてもらっても良かったのか……そうでなくても今から行くヘルベの森にはヤツ——例の、隻眼のピエロ達が待ち受ける。

 命の危険も正直、ある……


「……実はこの件に介入するのは私の特使としての目的にも合致するのよ。レイチェルさんなら分かると思うけど」

 セレスさんは閉じていた瞼を開け、その流麗な瞳でこちらを流し見、そして俺の傍のレイチェルの方を見て薄く微笑む。

「それに、同じ『天使似』として、彼女を救いたいのよ。私にも似たような経験はあるから……」

「…………」

 セレスさんの思いは良くわかった。

 彼女達も俺たちと同じく、リアンを救うことを目指してくれている。

 ここにいる皆と同じく。

 俺はもう一度、この馬車の中にいる皆を見渡した。


「…………」

 俺の隣のレイチェル、その反対側にブスッとした顔つきで腕組みしたまま座っている騎士——ユリウス。

 ……そんなに嫌々ならついて来るなよ、と言いたくもなるが、この場面では全く戦力外の俺よりは遥かに有能なんで、そうも言えんのだよなー。


“……お前達の情報ごときで憲兵隊が動かせるものか。警戒体制も維持せねばならんのだ”

 レイチェルが交渉してみたのだが、やはり憲兵隊そのものを動かす事は困難だった。だが、

“しかし、サファナ判事がその様な危険な場所に赴くのなら自分が護衛として同行する”

 あくまで『レイチェルの護衛』としてついてくるのだ、と。


 更にはもう一人、後部座席で座っている少年。

“トライド・ハルマン。まだ騎士見習いだが、剣の腕はたつ”

 まだ若干13歳の見習い少年騎士は「よろしくっス」と頭を下げ、その上官よりも遥かに礼儀正しく俺たちに挨拶するのだった。



「……今から行くのは夜の森の中。ンな、礼儀正しい剣術がアイツらに通じるかは不明なんだなー」

「なにィ! それは何が言いたいのだ!?」


 一触即発のバルとユリウスを抑えたのはやはりレイチェルだった。


「はいはい。二人とも、今から何の為にヘルベの森に行くのか思い出しなさい! ……リアンちゃんを救い出すんでしょ?」

「…………」

「…………」

「全く。ケンカばかりしてたらヘルベの森に置いてくわよ、二人とも」

 そのレイチェルの言葉に二人とも押し黙る。

 二人とも分かってはいるのだ。目的は同じなのだ、と。

 つい、オフィエル祭の時を思い出す。


 ——あの時も、そうだったな。

 バルも、そしてこいつ、ユリウスも、リアン救出の為に互いに必死だった。……まぁ、もう俺しか覚えてない時間軸だが。

 だが、時間軸が変わっても二人の本質は同じだ。互いにリアン救出を目指している事は。


 そう、いくら時間軸が変わっても人の本質は同じなのだ。

 何時でも何処でもレイチェルが俺を信じ続けてくれるように。



 そして、そのバルが連れてきたのは同じく13歳だという少年少女。

 ミゼル、イワンという2人の少年とキケセラという少女。

『深夜の森での戦闘なら少数精鋭の腕利きで行くのだなー』

 とは奴の弁だが。

 ……彼らが、どう腕利きなのかはよく分からず。

 その辺りは玄人のバルに任せるしかあるまい。



 そして、全く戦力外の俺に、多少は護衛術を習ってるというが恐らくは同じく戦力外であろうレイチェル。

 これが俺たちの戦力の全てだった。




 月明かりも木々で覆われ、その先も見通せないほどの深い闇。

 また、ヘルベの森は直前までの大雨もあり道は泥でぬかるんでいた。

 視界は時に差し込む月明かりのみ、足元の道はドロドロ。

 昔、子供時代に森に入った時の比ではない。


 ……これで更に罠が仕掛けられてたらどうしようもないぞ!?


「キケセラ、罠があるかどうか確認してもらえるかぞなー?」

「……わかった」


 少女は言葉少なに答えて闇夜の中を一人、先行しようとする。

 おい! こんな娘に先導させて良いのか!?


「大丈夫だよー、アシュ氏。キケセラは気配探りの達人なのだなー。自身の気配も消せて、相手や罠の気配も探れるのだよー」

 ……そうなのか?

「大丈夫よ、アッシュ君。彼ら、若いけど修羅場は潜ってそうよ」

 セレスさんはそう言って、バルの肩を持つ。

 隣のワルターさんも無言で頷き、ユリウスは何やら不機嫌ながらも否定はしない。

 そういうものなのか……。

 俺にはやはりこういった戦いのことはよく分からない。なら、戦闘に関しては玄人の彼らに任せるしかない。

 そして、俺は俺でできる事をやるのだ。



「ヘルベの森で、20人近くもの大人数が過ごせる場所、となるとゴロー爺の山小屋しかないわ」

 馬車での道中、レイチェルは今後の方針を俺たちに伝える。

「山小屋への道は私が案内するわ。……ヘルベの森の中の道は全て暗記してるもの」

 昔、ヘルベの森で迷子になってしまったんで、二度と迷わない様に全部の道を記憶してしまったんだよなぁ。流石は天才少女。

「……アッシュ、余計な事は言わなくていいからね」

 何やら釘を刺されてしまった。



 確かに、キケセラという少女は凄かった。

 レイチェルの指示する道を先導してはそこにあった罠の数々を指摘、解除する。

 俺たちは暗がりの中をおっかなびっくり、ついて行くのみであった。


 と、

「……ッ!?」

 足元が滑る。いや、地面の感覚が消える!?

「危ないッ、アッシュ君!」

 咄嗟にセレスさんが俺を引き上げてくれる。

 なんてこった……

 さっきまでの地面が消え失せて、深い穴がそこにあった。底には何本かの竹槍がみえる。

 落とし穴。

「大丈夫かしら」

「あ、いえ。すいません、セレスさん」

「いえいえ。『天使似』は夜目が利くからね」

 そうなんだ……

 にしても、やはり、そこかしこにトラップが仕掛けられている。キケセラでも全てを感知し得ない程に。

 セレスさんが居なければ、今頃、俺の身体はこの穴の底で串刺しになっていたかもしれない。

 こんな……素人の俺ができる事。

 それは本当に限られて、寧ろ皆の足を引っ張りかねない。

 それでも、俺はここに、皆について来た。

 俺自身が、リアン救出にできる事の為に。


「あー、ところで。……いつまでそうやってるのよ、アッシュ」

 横で何やらレイチェルがジト目で睨んでいる。

 ??

「フフッ、これは不可抗力ってことにしてあげてくれないかしら、レイチェルさん」

 よく見ると目の前にはたわわに実った双丘……もといセレスさんの胸があり……

 勢いでセレスさんにしがみついてしまった俺を、楽しそうに上から覗き込む姿勢のセレスさん。

 いや、めっちゃ顔が近いんですけど……その流麗な黄金の瞳も、桜色の唇も。

「アッシュ! 気をつけないと! ……本当に危ないんだから」

「あ、ああ。すみません、セレスさん」

 さっとセレスさんから離れる。

 誤解が無いように、と思って謝罪したのだが、セレスさんはニヤニヤと楽しそうに笑みを浮かべるだけ。

 ……この人、やっぱ何を考えてるのか分からんなぁ。

「……アシュ氏、今はそんなことやっとる場合やないんで、ジチョーしとくんないかなー?」

 気付くとバルが、いや皆が呆れた風で俺たちを見ていた。

 ……すまぬ。

 で、やっぱりレイチェルはジト目で睨んだままだった。



 ゴロー爺の山小屋。暗くてよく分からないが昔よりも更にオンボロになってそうだな、これは。

 レイチェルの案内で、トラップ回避に多少は時間は掛かったがようやく辿り着く。

 周囲に……敵は居なさそうだが。

 小屋の窓からは中の明かりが漏れている。

 あの中にリアンが……

「さぁ、助けに行くぞな、リアン」

 そのまま明かりの灯る山小屋に向かおうとするバルをユリウスが止めた。

「貴様、何も考え無しに乗り込む気か!? こういう場合は仕掛ける側と包囲する側の連動を……」

「ンなこと言ってる間に、さっさと行くのが良いのだなー」

「人の話を聞け!」

 ……おかしい。

 何か……違和感を感じる。これは……何の違和感だ?

「アッシュ、どうしたの? ……何かあるの?」

 俺が、表現できない違和感を感じたことをレイチェルは目敏く察知して聞いてくる。

 言葉に出来ない、しかしこの違和感は……


 そうだ。追われる立場のやつらが何故、明かりを付けているん、だ!?


 ——あれは……囮!?


「囮……既に囲まれている!? 皆、警戒しろ!」

「!! ボス! 周囲に気配がッ」


 俺が声を上げるのとキケセラが叫ぶのは同時だった。


 それと同時に周囲に黒い影が複数、舞い降りる。

 黒マントだ。

 その手にした曲剣を振り下ろす。


 ガキィィンッ!


 金属音を闇夜に響かせてワルターさんが長剣で防ぐ。そのまま返す刀とばかりに長剣を振り切るも、


「くっ!」


 森の木々に遮られ、ワルターさんに僅かな隙が生まれる。すぐさま黒マントの一人が素早く曲剣の刃を突き出すが、間一髪、セレスさんがその凶刃を阻む。


「こいつら、この森での戦いに熟知しているわ!」


 あのワルターさんが手こずるとは……だが、ユリウスも同じくこの森の中での立ち回りに手こずっているようだった。

 その得物の直剣を振るうにも木々が邪魔をし、その合間から黒マントどもの曲剣が襲いかかる。


“そんな礼儀正しい剣術がヤツらに通じるかなぁ”


 バルの言わんとしたことは確かに一理あったわけだ。


 それだけでは無い。


「危ない、レイチェル!」

 ヒュッと風を切る音がすると同時に俺は隣のレイチェルを抱えて倒れ込む。

 ついさっき、彼女のいた空間を何か、恐らく矢の様なものが通り過ぎる。

「大丈夫か!?」

 レイチェルは頷き、すぐさま起き上がる。

 これはトラップか!?

 やはり周到に罠が仕掛けられている。


 もはや、戦場は乱戦の様相を呈していた。


 数に勝る黒マント達が森の中で木々を盾に立ち回りワルターさんやセレスさん、ユリウスを追い詰める。

 この前の草原のように何も無い所とは違い、邪魔な木々や藪が豊富な森の中ではその剣を存分に振るえない。



「うらあぁぁー、なのだー!」


 そんな中、よく分からない掛け声で黒マント共をブッ飛ばすのはバルだった。

 その巨体で縦横無尽に駆け巡り、もう数人ほどの黒マントを倒してしまっている。


 が、それに気付いた黒マント達が10人近くの数を揃えてバルを取り囲み、ジリジリと迫る。それに合わせてバルもゆっくりと間合いを測りつつ歩を進める。


「フンっ! 数がいれば良いってモンじゃないのだなー」


 と挑発するバル。


 が、これは……


「バル! 上だッ!!」

「!? 何となー??」


 ピンッという音と共にバルの頭上、大小の岩岩がその真下の人間を押し潰さんと襲ってくる。

 トラップだ。

 黒マントどもは取り囲むことが目的ではなく、バルをそのトラップの位置に誘導することが目的だったのだ。


「ボス! 危ない!」


 暗闇を電光石火、その姿が捉えきれない程の速さで駆け抜けバルに飛びつき、その場から押し出した影があった。

 ミゼルだ。

 彼の疾風の様な速度のタックルで巨体のバルもその場から飛ばされ、落石のトラップは無駄にその場の地面を押し潰す。


「イワン! 抑えろ!」

「…………」


 ミゼルの呼び声に応えて、闇の中を何かが幾つか走り抜け、黒マント共を打ちのめす。

 これは後で知ったのだが、イワンが投げつけたスリングという投擲武器から発射された石礫らしい。

 普通に投げつけるのは全く違う、目にも止まらないスピードで的確に襲いかかる石礫は黒マントどもを血塗れにする。


「おのれッ! 小僧の癖に!」


 そのイワンに黒マントが曲剣で襲いかかる。


「……自分も忘れられちゃ困るッスよ!」

 その刃を片手盾(バックラーと言うらしい)で止めたのはトライドだった。

 そのまま逆の手に持つ片手剣で黒マントの曲剣を跳ね上げ、その喉元に切先を突き付ける。


「はい、じゃ大人しくしてて」

 いつの間にやら気配を消して黒マントの背後に回っていたキケセラが素早くロープで後ろ手に縛り上げて抵抗できなくさせる。


「……やるじゃん、君ら。俺はトライド。騎士見習いだ。宜しくナ」

「…………まだ戦闘中だ。油断するな」

 何やら再び挨拶を交わそうとしたトライドをイワンはすげなく返す。

 が、その返答に苦笑いしつつトライドもイワンを守る体制を取り、キケセラは再び闇の中に姿を消す。

 そしてイワンのスリングから放たれる石礫が残る黒マント共に襲い掛かる。



 当初のヤツらの奇襲から、徐々にこちらの体勢を立て直しつつあった。

 ワルターさんやセレスさんも互いに背中合わせでカバーしつつ立ち回ろうとしており、ユリウスがレイチェルや俺に黒マントが向かわない様に牽制、彼のその死角をバルがその体術で補う。

 戦場のトラップも闇に姿を消したキケセラが次々と解除していく。

 時間が経つに連れ、こちらが有利になっていく。




 ——いや、これは何だ!?


 俺は、戦場全体を眺めながら、時に指示を出しつつ、言いようもない違和感を感じていた。

 この違和感は一体……


「アッシュ、ヤツは……あのピエロは何処!? リアンちゃんは!?」


 傍のレイチェルが気付く。


 そうだ! ヤツは何処に!? リアンは!?


 …………しまった!?


「レイチェル! 小屋に行くぞ!」

 まだ続く戦闘をそのままにゴロー爺の山小屋に飛び込む。

 昔の記憶よりもかなり古びた様子の室内。

 煌々と明かりが灯る中、そこに居たのは、

「ゴロー爺!」

 ロープでぐるぐる巻きにされたゴロー爺だった。

「……あ、アシュレイか。それにレイチェルちゃんも」

 猿轡とロープをナイフで切り取るとゴロー爺はヨロヨロしながら、俺たちに説明する。

「や、ヤツら……もう一人、女の子がおったのだ。あの娘を連れて、ヤツら、馬で……」

 くそッ! やられた!!


 そうだ、これはリアンを取り戻さなければ俺たちの敗北なのだ。

 奴らは、俺たちが迫ってるのを知って罠を張り、囲い込みをして追い込んだように見せかけた。しかし、その実、その囲みそのものを囮にして、ピエロはリアンを連れてこの場から逃げ出したのだ!

 何故、それを見抜けなかった!!

 背中を冷たい汗が流れる。……俺はまた失敗するのか!?

 ……いや、させてたまるか!


「ゴロー爺、それは何分前だ!?」

「う、うむ。5分ぐらいかの。ついさっきじゃ」

 馬の5分……追い付くには。


「どうしたの、兄(あん)ちゃん。ボスが『兄(あん)ちゃんを助けろ』と言われたから来たけど」

 気付くとミゼルが居た。俺たちの動きを知ってバルがよこしたらしい。まるで瞬間移動の様な速さだ。

「……アッシュ……」

 隣ではレイチェルが俺に何かを期待するかの様に見つめていた。

 そうだ、考えろ! 今の状況を観察し分析し、リアンを取り戻す方法を推定しろ!


 ……そうだ。


「レイチェル、この闇夜で夜目が利くとしても馬が走れる道はどのルートになる?」

「待って、今、地図を出すわ」

 サッと折り畳んだ地図を広げる。

「ヘルベの森の道は多数あるけど、殆どが獣道。馬で駆けれる道となるとこのルートになるわ」

「いや、待て。そこは10年前に落石で閉ざされた道の筈。そこは使えない」

「!? そうね……となると、少し迂回しなければ……」

 それは例の落石と土砂で一部の道が閉ざされた、例の四つ辻を迂回ルートで訪れる道筋。

 今からの時間で追いつくとなると……

「オイラの脚なら獣道を使わずに直線ルートでこの四つ辻に行ける。この崖の上からヤツの馬を見つけることが出来るんだろ?」

 そうだ。それが一番速い。崖下の四つ辻を駆け抜けるピエロを崖上から飛び降りて取り押さえることが出来れば。

「でも、ミゼルくんだけが先行するなんて危険すぎるわ!?」

「オイラ、無茶はしないさ。リアンを助けたら時間を稼ぐ」

 ……山小屋の周囲ではワルターさんやバルが戦い続けている音が響いている。

 時間がない。

 俺は決断を下した。

「……それしか無いな。3分でいい。任せられるか?」

 俺が問うと、ミゼルはその歳の割に落ち着いた表情で大きく頷く。

「よし! 行くぞ!」



 何となく。

 それは単なるカンみたいなものだが、俺の中で予感があった。

“アイツが、あの罠を張るなら”

 そうで、あるなら。

 俺がそれを逆手に取ってやる!



 ミゼルの後を俺は追いかける。レイチェルにはセレスさん達に、例の四つ辻に駆け付けてもらう様、伝令を頼んだ。

 一瞬で先行して姿も見えなくなるミゼル。

 ……もう少しだ。もう少しで、例の四つ辻に出る。




「リアン! 下がってろ」

「うん、ミゼル兄ちゃん!」

「小僧! 貴様如きが邪魔だてするとは……その命を持って贖うがいい!!」

 

 崖っぷちから四つ辻を見下ろす。そこには地面に投げ出されたリアンの前で、両腕を広げて立ちはだかるミゼルの姿。その近くには横倒しになった馬の姿もあった。

 ミゼルは間に合ったのだ。ここから馬を駆って逃げるピエロに飛びつき、押し倒すまではいったのだろう。

 しかし、そのミゼルの眼前には曲剣を振り上げた隻眼のピエロ。

 その刃を……振り下ろす!

「逃げろ!」

「うん!」

 その刃を掻い潜るミゼル。同時に背後のリアンも駆け出す。

 が、リアンが四つ辻に差し掛かった瞬間、

「え!?」

 彼女の小柄な身体が空高く宙に投げ出される。

 空中に投げ出されたリアンの小さな体が、風に翻弄される。



「リアンー!」

「ミゼル兄ちゃんー!!」

「フハハハハーッ! 無駄な足掻きだったな小僧!」

 得意げに笑い、宙に浮くリアンを受け止めようと手を伸ばすピエロ。


 その一瞬、俺は全力で駆け出し、崖から身を投じた。

 空中に浮いているリアン目掛けて。



 ヤツなら、あらゆる場所に罠を張るあのピエロなら四つ辻という誰もが足を踏み入れやすい、『罠に掛けやすい箇所』に、予め例の空中浮遊の罠を張ってるに違いない。

 それはこれまでのヤツの行動を観察・分析して推定した結果だった。



 空中で彼女の腕を掴んだ瞬間、強烈な衝撃が体に走り、俺たちはそのまま地面に転がり込む。地面の冷たさと重力の感覚が一気に襲い掛かってきたが、俺はリアンをしっかりと抱きしめていた。


「アシュ兄(にい)ちゃん?」

 俺の腕の中でリアンが疑問の声を上げる。急に飛び込んできたのが誰なのか……その呼び方は、そう、昔の俺の妹分と同じ呼び方だった。

 大丈夫。

 安心させる様に、そのショートカットの銀髪を撫でてやる。


 そして、ヤツを見た。リアンをその手から逃して、怒りに震えるヤツを。


「……貴様、よくも毎回このオレの目的を阻止してくれたものだな……」

 ヤツの物言いには違和感があった。

“毎回……?”

 ミゼルが短刀を翳すが、ヤツは全く相手にもせずにこちらを睨み続け、曲剣を振り上げる。

「我らの阻害因子となるか。ならば、確実にここで排除してくれる」

 リアンを背後に追いやる。あとは、何とか時間を稼げば……


「そこまでよ。それ以上はまず、この私を相手にしてからね」

 そう。

 そこに駆け付けたのはセレスさんだった。彼女なら、あの中で一番早くここに駆け付けれると思っていた。

 その細剣を突きつける。

 ピエロの背後にはミゼルが短刀を構えている。

 ヤツがオレに向けて動けばこの2人がその隙を見逃さない。

「……いいだろう。我が主君の阻害因子よ。ここは退くとしよう。だが、必ずや貴様を……」

 そして唯一残る左眼で俺を睨み付け、


「殺す」


 捨て台詞だけ置いて、ヤツはその場を走り去るのだった。

「アシュ兄(にい)ちゃん……うう……怖かった……怖かったよう!!」

 緊張の糸が途切れたのか、その場で泣き出すリアン。

 それはそうだろう。

 前回、その場で解決したのと違い、今回は誘拐されて丸1日、ヤツらの元にいたのだ。その不安と恐怖は如何ばかりか。

 セレスさんが取り出したハンカチで涙と鼻水を拭くリアン。

 落ち着く様に頭を撫でてやる。

「……でも、いつもいつもアシュ兄(にい)ちゃんが助けてくれて、ありがとうなの…… 」

 まだ涙が残るその顔で、リアンは俺に礼を述べる。

 いつも……?

「彼女も『天使似』よ。以前の刻の揺らぎを感じていてもおかしくないわ」

 セレスさんの言葉に、なるほど、となる。

 そうか、リアンも以前の時間軸を覚えていたりするのか……。

 …………。

 微かな違和感があった。

 だが、そこまで考えられるほど、もう俺の体力は残っちゃいなかった。








 ここを……こうやって、と。

 本と睨めっこしながら、目の前の作業に集中する。

 こんな細かい作業、苦手すぎるんだが。

 暖炉で充分に温めておいた焼きゴテで金属チェーンの隙間を塞ぐ様に押し付ける。

 これで……完成、か!

「うーん……」

 出来たはいいが、近くで見ると素人感が満載だな。ネックレスのチェーン部分が不揃いだったりするし。

「へぇー! すごいじゃない、アッシュ。あんなに図工が苦手だったのに。綺麗に出来てるわ!」

「そうかぁー? 結構、不細工なところもあるぞ。……紅玉石のネックレス、お店にあるか探しに行くのも……」

「いーや! これがいいの! ……これは私だけのネックレスなんだもの」

 そんなものなのか?

 俺の掌から、出来たばかりのネックレスを手に取るとレイチェルは早速、首に掛けて、その紅玉石を愛おしそうに見つめる。









 あの後、崖から飛び降りて空中のリアンをキャッチするという自分でもあり得ないほどのアクションを演じた俺はもうフラフラ状態だった。

 辛うじてセレスさんに肩を貸してもらい、支えてもらうことで何とか立っている所に、ようやく戦闘を終えた皆やレイチェルが駆け付けた。

「御免なさいね、レイチェルさん。彼、スーパーヒーロー並みなことをして一人じゃ立ってられないぐらいに消耗しているのよ。支えがいるくらいにね」

「それは……仕方ないとは思ってますけど……」

 そう言いながら何やら納得のいってない様子のレイチェル。

 一体、何だと言うのだ?

「ただ……これが申し訳ない行為なのかどうかが、私にも分からなくってね。キミ達の関係性が傍から見ててもよく分からないものだから。良ければ教えてもらってもいいかしら?」

「え? それは……その……」

 セレスさんに問われたレイチェルは急にもごもごと、どもりながら何故か俺の方に、モノクルの奥、上目遣いな視線を向ける。

 いつもの、俺に用事を頼む時の甘えた仕草だ。

 仕方ない。

 俺は、セレスさんに俺とレイチェルの関係を説明した。

「レイチェルは家が隣同士の幼馴染みで、そして俺はレイチェルが信じてくれてる『英雄』みたいなものだな」

 俺の説明に、セレスさんは首を傾げた。

 まぁ、俺たち二人以外からは分かりにくい表現だったかな?

「うーん、それはレイチェルさんから見たアッシュ君への見方、ということかな? ではキミから見てレイチェルさんはどういう関係なの?」

 そんなの決まってる。

「俺の最も大事な妹分だ」

 ……………………。

 なんだ? 何故か急に気温が低くなったような……いや、何か殺気のような……

「……この、アシュ兄(にい)のアホーッ!!」

 久しぶりに聞いた俺のあだ名と共に凄烈に頭をはたかれた俺は、その衝撃でなけなしの最後の体力を使い果たし……その場で気絶してしまったのだった。









 で、何故か、レイチェルには『謝罪を要求する!』と言われて、例のネックレスを作り直させられていたのだ。

 こんな細工物、中学校の図工以来だぞ、おい。

 作り方など、さっぱり分からないので図書館で資料の本を何冊も探してそれを読み漁らなければならず、ここ数日、俺の業務はほぼ全てそれがメインとなっていた。

 何故か、バルのヤツは『自業自得なのだなー』と冷たい目で見てくるし。

 はぁー。



「ふふ……」

 レイチェルは相変わらず、暖炉の火に赤く輝く紅玉石を眺めている。

 ま、こうやって出来上がったネックレスを喜んでくれているレイチェルを見れば、『苦労してよかったかな』とは思えるのだった。



⭐︎⭐︎⭐︎

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