11章『何度でもリジェネレイテッドな僕らの絆』

***


 気がつくと、そこは馬車の中だった。

 雨粒が屋根を打つ音が木霊する。

 例のエルム草原からの特別便。中にいるのは隣のレイチェル、ミリー、そしてセレスさんにワルターさんの俺たち5人だけ。

 誰も何も言葉を発さず、下を向いて俯いている。

 それはそうだ。リアンが誘拐されてしまった後の事態なのだから。俺の持つ改変前の記憶よりも深刻なのは当たり前だ。

 辻馬車の小窓から見える時計塔の時刻は、


 13:35


 俺は刻戻りで帰ってきたのだ。この時間に。

 そろそろ、郊外の俺達の家に着く筈。そこで俺とレイチェル、ミリーだけになってから話すべきだな……


「御者さん、もう少し早く出来ます? お代は出しますので」

「ちょっとこれが馬の限界でしてな……出来る限りは飛ばしてやすが」

「そうなの。それはすまなかったわね。では、出来得る限りでお願いするわ」

 セレスさんが手綱を握る御者に中からそう声を掛けると、御者は馬に一鞭くれる。


 ヒヒーン!


 馬の嘶きと共に馬車は猛スピードで走り続ける。

 そういや、なんか揺れるとは思ったが……よく見ると馬車はとっくに俺達の住む郊外を抜けて中心街へと向かっている。

 そうか! 以前の自分の知る過去と違って、今回の俺たちはリアン誘拐の件を憲兵隊にいち早く通報しに皆で向かっているのだ。ヤツらが蒸気船に乗ってしまう前に、と。

 となると、馬車の中にずっと皆このままな訳で。

 レイチェルと二人きり(ミリーが居たとしても)になる機会は、無い。

 こ、これはどうしたものか……


 ふと、隣で俯いたまま座っている彼女を見る。

 レイチェル……

 彼女はジッと顔を伏せたまま。モノクルの奥の瞳の色は下ろした栗色の髪に隠されて分からない。

 だが、その頬を静かに一筋の涙が伝い落ちる。

 くそッ! 俺は彼女の涙を止めれなかった! なんて無力だったんだ……

 ふと、レイチェルが顔を上げた。

 俺が見つめていたことに気がついたのだ。


「……ゴメンね。リアンちゃんが大変な時に……でも……これ……アッシュとの絆……壊して……ゴメン……なさい……」


 膝の上、ギュッと固く握りしめた拳の中にあるのは恐らく、例の紅玉石。

 出来ることなら、その上に自分の手を重ねてやりたい。握りしめてやりたい。

 でも、今の俺にはそんなことすらも出来ないのだ。刻戻りで実体の無い俺には。

 なんて……無力なんだ、俺は。



 思えば、俺はなんて傲慢だったんだろうな。『刻戻り』さえあればなんでも無かったことに出来る、自由に過去を変えられる、なんて。

 今の俺には何も出来ない。触れることは出来ても、彼女の手を取ってやることすら出来ない。

 今までだってそうだ。

 俺だけでは何も出来なかった。レイチェルやバル、ミリー、皆が俺に力を貸してくれたから。だから、過去を変えれたんだ。



 大きく深呼吸をする。

 俺に出来ること。それは、皆を、レイチェルを信頼することだけだ。

 その想いを伝えること、それだけが今の俺に出来ることなのだ!


「レイチェル」

 そっと、彼女の名を呼ぶ。静かに涙を流し続ける、俺の大事な妹分に。


「あのネックレス、見た時にな。レイチェルの瞳の色にすごく似合うと思ったんだ……だから、レイチェルが喜んでくれて俺も嬉しかった」

「……え?」

「そして今、レイチェルがそのネックレスが壊れて悲しんでいるのは良くわかる。それは、そのネックレスを俺たちの絆の様に大切に思ってくれてたからだな。そう思ってくれて嬉しかった。……ありがとう」

 俺自身の想いを告げる。

 聴いているのはレイチェルだけじゃない。反対隣のミリーやセレスさん、ワルターさんまでもが俺の言葉に耳を傾けている。

 それでも俺は彼女に伝えたかった。俺の想いを。

「俺を、信じ続けてくれてありがとう」



 もう一度、あの時と同じく。

 レイチェルにもう一度、でも今度は本当に伝わると信じて、伝えたかった。



「え? ……あ、アッシュ……?」

「レイチェルが信じ続けてくれる限り、俺はお前の『英雄』であり続ける。約束する」

「!! ちょ、ちょっと、アッシュ! こ、こんな所で……」

 慌てふためくレイチェル。

 そう言われても、もうここでしか——この時間、この刻戻りで戻ってきたこの『過去』でしか——俺の想いは伝えられないのだから。それならば、俺はこの想いをお前に届ける。

 俺の言葉を周りの皆も何も言わずに聞いているのだが……ワルターさんは何やら見て見ぬ振りしてるけど、ちゃんと聞いてるのは丸わかりだし。セレスさんは何やら、ニヤァ、と小悪魔的な笑みを浮かべてるし(この人、本当に司祭なのか、おい)。で、お隣のミリーはめっちゃニコニコ100%笑顔してる。

 余計な観客が多いのはもう仕方ない、これは。


「俺とレイチェル、俺達二人の絆はこの想いがある限り、絶対に途切れない。絶対に、だ」

 例え、その大事なネックレスが千切れてしまおうと、だ。俺たちの絆は途切れない。

 それが、俺の伝えたかった事だった。


 …………伝わったんだろうか?




 見ると、レイチェルは茹で海老の様に顔を真っ赤にして目を丸くしていた。

「そ、それって……アッシュ……うん……ありがと。アッシュの気持ち……とても良くわかった……うん!」

 そう言って、レイチェルは微笑んだ。

 それはいつもの彼女の笑顔。

 ちょっと強気な俺の大事な妹分。

「アッシュなら、うん、アッシュならやり遂げてくれる! リアンちゃんも助けてくれるよね」

「ああ、任せろ。約束する」

 そうだ、これがいつものレイチェルだ。

 強気で、でも俺に少し甘えたで、しかし誰よりも俺を信じ続けてくれるレイチェル。

 俺は彼女の涙を防ぎ、レイチェルの想いを守れたのだ。


 そして、俺は肝心の次の一手を彼女に託したのだった。




「良かったね、アシュレイお兄ちゃん、レイチェルお姉ちゃん! これでミリーもやっとひと安心なのですー」

「ヤ、ヤダ……からかわないでよ、ミリー……」

「ふーん……アッシュ君とレイチェルさん、やっぱりそう言うことなのかしら? そのあたりは是非、詳しく聞きたい所よねぇ」

「セレスさんまで!」




 何やら馬車の中が騒がしくなって、ワルターさんだけが居心地悪そうにソワソワしている。


 ……今からリアン救出作戦に向かうんだよなぁ……なんでこんな急に空気が明るくなるんだ?

 まぁ、暗く落ち込んだままよりは良いんだろーが。



 リーンゴーンリーンゴーン……


 再び鐘の音が鳴り響く。馬車の小窓から覗く時計塔はだいぶ近くにまでなっていた。

 その文字盤は、


 13:50


 視界がスローモーションのように、映る中、またしても世界が灰色のモノクロームに染まっていく。


 世界が反転していく。


 世界が反転。


 …………







 気がつくと、そこは例の地下室だった。

 壁にかけられたランタンのぼんやりとした灯りの中、古ぼけた木のテーブルを囲んでレイチェル、バル、セレスさん、それにワルターさんまで。

 これは一体。



「なるほどね……」

 気がつくとセレスさんが、こちらをジッと見ていた。

「どうして、あの時ピンポイントでレイチェルさんにアドバイス出来たのかと思ってたけどキミが『刻の改変』を行ったからなのね」

「アドバイス?」

「……それ、アシュ氏が自分でレイチェル氏に言ってたってやつじゃん。自分で言ってて覚えてないんー?」

 アドバイス、と皆がこう言うからには俺の託した一手は伝わったのだな。

 隣のレイチェルを見ると、彼女は俺を見返して、ウンと強く頷いた。


 ありがとう。俺を信じてくれて。


 これで、後はその結果確認だが……

「蒸気船はどうなった?」

「蒸気船ー? アルサルトの船は3隻とも変わらず港におるぞなー?」



 ヨシッ!!

 思わず、一人でガッツポーズを取ってしまった。

 やったのだ! 俺は。

 リアンが蒸気船で手の届かない所に行ってしまうのを食い止めたのだ!!



「……まさか、本当に過去を修正するとはね。キミには驚きだわ。これは純粋に賞賛よ、アッシュ君」

 机を挟んで目の前のセレスさんがその黄金眼で俺を称えた。彼女にだけは、わかるのだ。これがどれだけ大変なことだったのかが。……以前の失敗も知っているからこそ。

 いや、それよりも。


「ありがとう、レイチェル!」

「何、言ってるのよ、アッシュ。教えてくれたのはアッシュ、あなたなんだから。あなたが、蒸気船にリアンちゃんが連れ込まれるのを防いでいるのよ」

 そう言ってレイチェルは微笑んだ。




 俺がレイチェルに頼んだのは、ユリウスに町外れの南にある漁師用の波止場にまで警戒網を敷いてくれということだった。

『ここが警戒網の穴に成り得るかもしれん』とも言い置いて。……そう言えば、意外に小心者のヤツは人手を回すだろうと思ってな。

 ヘルベの森に潜んでいるであろうピエロ達を捜索しに行ってくれ、と伝えても現状、状況証拠しか無く、厳重警戒で人手を取られている今の憲兵隊では余程の証拠が無ければ言っても動かんだろ、と思ってこちらは諦めざるを得なかった。



「それで、さっき少尉から連絡があったわ。夕方頃、波止場に怪しい漁師風の男たちが、『海の様子を見に来た』、と言って来たってね」



 ユリウスからの話では、雨が止んで波が落ち着いた頃、その漁師達が来たらしいが憲兵達が警戒してるのを見ると、そそくさと帰って行ったらしい。



 ——掛かったな。



 実を言うと、レイチェルに伝えてもらう一手にはもう一つ、付け加えてもらった一言があった。

『南の波止場は憲兵隊全体の警戒計画には入れず、ユリウスの12番隊のみが秘密裏に警戒網を敷いてくれ』

 こうする事で『敵』は、『波止場が使える』と思ったままで今日の夕方まで待機していた筈だ。

 結果は上々と言った所か。


 正直に言うと、この追加の一手を付けるかどうかは少し悩んだ。

 と言うのは、恐らくこれで町の上層部にいるであろう俺たちの『敵』は『憲兵隊の情報を知る内通者がいる、という情報が既に俺たちに知られている』と認識する筈だ。で無ければ計画外の波止場の警戒体制など、あり得ない。

 今後、憲兵隊は上層部に内通者がいる事を知っている、と『敵』は疑ってくるだろう……特に今回動いた12番隊が疑いの目で見られるはずだ。

 ユリウスだし、まー頑張れよ、と思ってしまったのではあるのだが。


 逆に、憲兵隊全体の警戒プランに南の波止場も載せるパターンもあったのだが、そうすると南の波止場からのリアンの受け渡しが封鎖されたことを知ったピエロ達が次の一手を打ってくるリスクがあった。

 内通者の認識がバレるリスクよりも、時間を与えて、リアンの別の運搬方法を取られることのリスクを防ぐためにはやむを得なかったのだ。



 だが、これで。



 まだ、ヤツらはヘルベの森にいる筈。

 今まで罠を仕掛けられてばかりなど防戦一方だった俺たちが、初めてアイツらの先手を取ることが出来た! 


 懐中時計は20:45を示している。

 俺たちの周りにはバルスタア団の少年少女達も神妙な面持ちで話を聞いている。

 ここから、ようやく得たこの先手をどうするか。


 セレスさんが口火を切る。

「今からヘルベの森に行けば夜中になるわ。暗闇かつ森の中というリスクを犯して強行するかどうかね」

「僕は攻めるべきと思うなー。アイツらから一刻も早くリアンを取り返すのだよー」

「セレスお嬢様、僭越ながら私もこの方と同意見であります。理由は異なりますが」

「良い。言ってみなさい」

「ハ! ……これまでの行動から見て敵方はかなり策に長けた者のよう。時間を置けば更なる策を弄されるリスクが高い。今、我らが得た時間のメリットを活かすにはここで動かずは意味がないかと」

 バルとワルターさんは同意見の様だ。

 俺も同意見だが、これだけは言っておかなければいけない。

「あれだけ周到に罠を張ってた奴らだ。恐らくは潜んでる場所にもかなりな罠はある、と見た方がいい。やるならそれを突破するつもりで戦力を整えるべきだな」

 と、言いながら悲しいけど、俺はぶっちゃけ戦力外だしなー。

 だが、これ以上の戦力となると、


「私が憲兵隊に交渉してくるわ」

 レイチェルが手を挙げる。

「アイツら、相手にしてくれるのか?」

「……それは私が頑張ってみる」

 真剣な面持ちでレイチェルは宣言した。


「では、各人、準備を整えて30分後に時計塔の前に集合で」


 セレスさんの一声で皆がそれぞれに走り出すのだった。




⭐︎⭐︎⭐︎

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