17章『飛んで火に入るカムバックな裁判劇』

***17-02


 馬車はガシャガシャと車輪の音を立てながら一路、クロノクル市へと向かっていく。

 小窓から覗く時計塔は、


 12:45


 アルサルトの第ニ公判まではあと75分。

 この馬車の速度で順調にいけば、30分前には中心街にある裁判所に着くはず。

 順調にいけば……


「すみません。またしても今更なんですが、セレスさん、ワルターさん達、ソリスト教国の人達まで巻き込んでしまって申し訳ないです」

 馬車の前方、御者席へと開いている小窓から見える、御者のワルターさんに言葉をかける。

 ここまで来て、本当に今更なんだが、今回ばかりは以前よりも更に大事おおごとになってるかつ、俺から今回は言い出したので……


「アッシュ君、自分はお嬢様の判断に従うだけなので、君が気負う必要はない。お嬢様自身が、こうする事を『祖国の為になる』と判断した結果なのだからな」

「そうよ、私がキミの案を採用したのよ。それが我が祖国、聖教ソリスト教国の益にもなる、とね。だから、この私に任せときなさい!!」

 おかしいな。ワルターさんが言うと、もっともらしく聞こえるのに、セレスさんが言うと胡散臭うさんくさく聞こえてしまうのは、何故なんだろう?

 馬車の中、対面に座るセレスさんは俺の反応に、ハァーッとため息をつく。

「そんなに私への信用がないなんて……『刻の改変』という死地しちおもむくアッシュ君に接吻せっぷんという私ができうる最高の贈り物をしたのに……この扱いは酷すぎると思うの」

「……すみません、セレスさん。それ、どういう事か私に詳しく教えてくれませんか? 事と次第によってはアルサルトの公判前に、まずちょっとアッシュを裁かないといけませんので」

 隣に座るレイチェルが早速、ド怒りモードでセレスさんに問い詰め始めるんで、その話題を出すのはやめてくれませんかね、セレスさん?

 てか、確か、その事象は『刻戻り』で過去改変したので、すでに存在しなくなった時間軸での話な筈では……?

「私、『天使似』なので」

 はいはい、だから覚えてる、と。わかってます、わかってます。なんですかいな、その『私、失敗しないので』的な。

 だから、そのドヤ顔はやめて下さいって。





「そろそろ、町の入り口です」

 緊張感のないやり取りをしていた俺たちに忠告を発したのは、御者たるワルターさんだった。

 俺たちの住む郊外へと繋がるクロノクル市の入り口。

 そこには、憲兵隊達が臨検のために陣を張っていた。

 御者のワルターさんが、それまで順調に進んでいた馬車の速度を落とす。

 いよいよだ。

 馬車の中にいる俺たちにも緊張が走る。

「フフッ、ここからは私の出番ね」

 最大の危機にも関わらず、セレスさんはむしろ楽しそうに笑みを浮かべる。

 こういう時のセレスさんは本当に頼もしい……絶対に敵にはしたくないよなぁ、マジで。



「そこの馬車、止まりなさい! 緊急の臨検をさせてもらう!」

 憲兵達が声を張り上げ、馬車を制止する。何名かの憲兵隊達が馬車を包囲しようと走り出す。

 が、それに対抗するかのように、俺たちの馬車に追走していた騎馬隊達が前進して馬車をカバー、憲兵達を寄せ付けない。

 その騎馬隊の鎧、そして騎馬達が備えているのは『聖教ソリスト教国の紋章』。

 それは、今、俺たちが乗っている大型馬車にも刻印されたものだった。

「私たちは、聖教ソリスト教国の外交大使よ。私たちへの臨検は外交特権上、拒否させていただくわ」

「…………!?」

 馬車の外に身を乗り出したセレスさんの宣言、その言葉に憲兵達の中で動揺が走った。

 そう、これが俺の示した『一手』だった。






“………………”

 昨日、ゴロー爺の山小屋で、俺が皆に作戦の概要を説明した際、返ってきたのは賞賛の声ではなく、呆れた風の皆の沈黙であった。

 なんでだよ、オイ。


“アッシュって、私の判事特権の捜査権といい、ホント、他人の特権の使い方がうまいわねぇ……”

 レイチェルさんや、何やら語弊ごへいの生まれそうな、ものの言い方はやめてくれませんかねぇ。

“確かに、そのやり方なら今の憲兵隊の臨検を突破できるわね。流石さすが、と言っておきたいところだけども、アッシュ君”

 と、一旦、話を切って俺の方を見るセレスさん。

“この外交特権を使うってことは、国家間同士のレベルにまで話は大きくなる。そこはわかっての話、なのよね?”

 そうなのだ。セレスさん達の聖教ソリスト教国の外交特権である『不逮捕権』、並びに捜査を拒否できる『不可侵権』、これらを使うという事は国家的なレベルの問題となる。

 だから、これは『お願い』なのだ。

 それでも……俺の提示するこの作戦に乗ってくれるかどうか。

“そうね。本来なら本国の意見を聞くべきでしょうけど、その時間はない……なら、特使たるセレスティア・トリファールの名において判断を下すわ”

 セレスさん……

“良いわよ。その作戦、聖教ソリスト教国特使として乗るわ”

 ……本当にありがとう。

 ワルターさんも無言で深く頷き、俺に笑みを返してくれる。

 二人とも、本当にありがとう。それしか今の俺には言えないのだけれど。

“繰り返しだけど、これは『貸し』だからね”

 セレスさんの一言だけが、不安を誘うが……これは仕方ない。

“にしても、騎士の正義がどこにも見当たらん作戦だぞ、これは”

 それまで、俺とセレスさんのやり取りを見守ってたユリウスが呆れたように呟く。

 失敬な。戦闘による人の血も流れず、皆が平和的に解決する策なのに、『正義がない』などと言いおって、ユリウスめ。

“アシュ氏らしい、自分はほとんど動かず他人任せで、やる気なさがあふれる作戦なのだなー”

 そ、それはほぼ酷評だろーが、バルよ!

“皆からズタボロに言われてるねー、アシュにいちゃん”

 ……遂にはキケセラにまで、そう言われますか、そーですか。

 んじゃ、他にいい手があるのかよー!? くそー。

“私が、安全に裁判所に辿たどり着く方法は他にはなさそうだものね。アッシュの作戦が唯一の方法、かな”

 最終、レイチェルの言葉に、皆は渋々、頷くのだった。

 なんか、納得いかんぞ、おい。





 で、今に至る。

 外から見られないよう、窓の影に身を潜めつつ、外のやりとりをうかがう。

 馬車の周囲には聖教ソリスト教国の騎馬達——ワルターさんたちの部下で『聖十字騎士』というらしい——が、俺たちを憲兵たちから守るかのように、その間に入る。

 流石の憲兵達も、こちらが聖教ソリスト教国の特使、つまり外交特権を持つ事は理解しているらしい。

 無理矢理、臨検に踏み込むべきなのかどうか、戸惑っている、というところか。

 半身、半開きの扉から身を乗り出したセレスさんはその気品あふれる仕草で、彼らを見渡していた。

「……分隊長だ。分隊長の判断を仰ぐのだ!」

 中のリーダー役らしい憲兵が声を荒げる。

 なんか、見たことある髭面ひげづらだな、アイツ。如何いかにも、筋肉バカみたいなオッサンだが……どこで見たんだっけ?

 馬車や騎馬たちと憲兵たちがにらみ合いしていると、呼ばれた分隊長が騎馬に乗ってようやくお出ましになる。

 ユリウス・ユークリッド——第12番憲兵隊・分隊長。



「あら、少尉。ここでは分隊長とお呼びするべきかしら? ここを通していただけるわよね?」

「セレスティア特使。今、クロノクル市に入る者たち皆に緊急の臨検をお願いしている。外交特権が存在しているのはわかっているが、その上で我々の臨検を受けて頂けないだろうか」

 そのユリウスの依頼に、セレスさんは、

「イヤよ」

 一言で却下した。いや、早すぎっしょ! その上で更に、

「不可侵権である外交特権を無視した捜査を行う、という事は国家間同士の大きな問題、場合によってはクロノクル市国が我が聖教ソリスト教国と、ことを構えようという風にもなり得るわけだけど、その解釈で良いかしら?」

 とのダメ出しをする。

 国家間問題。このレベルにまで話が大きくなることに憲兵たちもざわめきを隠せない。

 ここで、もし対応を間違えれば戦争の火種となりかねないのだから。その責任さえも。

「さあ……この状況、本国やクロノクル市長にもお伝えするべきかしらね?」

 ニヤニヤしながら更に煽りまくるセレスさん。本当に容赦ないなぁ。

 そのセレスさんの言葉に、憲兵たちは一瞬顔を見合わせた後、互いに頷き合う。誰もこの状況を収拾する自信がないのだろう。唯一、頼るのは分隊長の判断——

 と、そのユリウスが右手をスッと上げて、憲兵たちの動揺を制止する。

「仕方あるまい。ここはお通ししよう。……但し、妙な真似がないかどうか、私がこのまま追走させて頂く」

「それはどうぞ、ご勝手に」

 そして憲兵たちが開けた道を、俺たちを乗せた馬車はゆっくりと進み出す。

 ソリスト教国の聖十字騎士、それに憮然ぶぜんとした表情のユリウスも騎馬に乗って続くのだった。

 まーここまでが最初からのお膳立てだからな。

 人、これをマッチポンプと言う。




 続く中心街までの道中も、憲兵隊の臨検があるのだが、追走するユリウスが外交特権の事情などを話して、逆に馬車はスムーズに進んでいく。

 その度にユリウスの表情がドンドンと険しくなってってるが。身内を騙してるとか思ってるんだろーなぁ。しかし、作戦に同意した時点で、こーなるのはわかってたろーに、ユリウスよ。今更だぞー。


 そして馬車が裁判所のある中心街に着いた時には、時計塔の文字盤は、


 13:45


 開廷、15分前を示していた。




 裁判所前、その広場には大勢の人達、そして記者たちでごったがえしていた。

 アルサルトの第ニ公判だけではない。恐らくは一昨日に発したレイチェルへの嫌疑、更に昨日の近衛連隊による貧民窟の掃討作戦。

 このわずか数日で起こった一連の出来事が何から来ているのか。彼ら記者達もその『真実』を取材しに来ているのだ。

 あふれる傍聴希望の人達。

 その中には、近衛隊に護衛されながらも傍聴席に並ぶ精悍せいかんな壮年男性、ジーグムント市長の姿があった。

 そう、俺たちの『敵』。

 さて、そろそろか。

「ん、行ってくるね」

「ああ。……レイチェル、頑張れよ。俺がついてる」

 そう言って、レイチェルの頭を撫でてやる。いつもの仕草。こうすると、幼いレイチェルはいつも落ち着くのだ。

「ありがと、アッシュ。……私、勝ってくるね」

 レイチェルは、モノクルの奥、紅玉色の瞳で俺を上目遣いに見上げて微笑む。

 ああ、レイチェル。お前ならやれるさ。

 俺も応援しているからな。



 レイチェルが立ち上がると、セレスさんは無言で頷きながら馬車の扉を開ける。

 無数の人たちが取り巻く中、レイチェルはいつもの黒の法服姿で、皆の前に姿を現す。

「君には証拠捏造しょうこねつぞうの容疑がかかっていたはずだが。聖教ソリスト教国の特使も共謀していた、と言う事かね」

 記者達に囲まれたジーグムント市長は馬車から降りるレイチェルを見ながら話しかける。その目の中にある敵愾心てきがいしんを隠そうともしない。

「私に掛かっている容疑はこれからの公判の中で晴らしてみせます。それとも法廷を開くことすら阻止するつもりですか? それは、民主主義の正義じゃないわ!」

 啖呵たんかを切ったレイチェルに周りの記者達が『おお〜!』と感嘆かんたんの声を上げる。

 そうだ。レイチェルは単なる『史上最年少の美少女判事』じゃあない。

 これが、レイチェルの強さなのだ。決して、不正に負けたりはしない。

「君には違法捜査の容疑が掛かっている。法のもとに逮捕・勾留こうりゅうすべきと思われるが」

 それでもジーグムントは、レイチェルを裁判所に行かせまいとするかの如く、馬車と裁判所の間に立ちはだかる。

 マズイな……

 こちらの護衛、ソリスト教国の聖十字騎士、それに対抗するかのように市長を取り巻く近衛隊。更に記者達や傍観者たち、この無数の人だかりの中、ヘタな行動をされない様に、先に中心街へ潜入しているバルやキケセラ、イワン達が気配を隠してこの集団の中で見張ってくれているはずだが。ここで膠着こうちゃく状況になるのは得策では無い。

 となると、やはりこの状況を動かすのは……




 と、その時、人波を割ってくるもう1台の馬車。刻まれているのは憲兵隊の紋章である。

 その馬車を騎馬にて誘導するのは、ちょっと前に俺たちから人知れず隊列を離れたユリウス。

 憲兵隊の馬車は俺たちソリスト教国の馬車に横付けすると、その扉から彼が現れる。

 扉が開き、重々しい足音とともにその姿を現したのは、クリフトン教授だった。白髪が陽光を受けて輝き、その瞳は冷静さと威圧感を兼ね備えていた。

 そう、留置場で囚われていたはずのクリフトン教授が今、まさに憲兵隊の馬車に乗ってこの場にやってきたのだ。

 ユリウスがこっそり、こちらに向けて視線で合図する。

 ……やってくれたのだな、ユリウス。

 レイチェルだけではジーグムント市長に対抗しきれない場合を想定して、ユリウスには事前にクリフトン教授の解放を依頼していたのだ。


『だが、それには憲兵隊・大隊長の許可がいる』


 ヤツは最後までそう言って『できる』とは断言しなかった。

 だが、こうして結果を、クリフトン教授を解放してきてくれたのだ、ヤツは。

 それはつまり、大隊長の許可すらも手に入れてきた、という事。

 いまや、憲兵隊は市長の命に対し、真っ向から反旗はんきひるがえした、ということ、か。


「ふむ。これはまさに真打ち登場、の場面と言う事かね」

 これまた真っ白に染まった口髭を指でいじりつつ周囲を見渡してそう述べる。

 いや、そんな感想を述べていられるほどお気楽な状況じゃ無いんですけどな……頼むから今日ぐらいは真面目にやってくださいって。

「これはこれは、クリフトン外務大臣。貴方もまた、彼女の証拠捏造ねつぞう疑惑の共謀容疑で逮捕・勾留こうりゅうされている、と聞いていましたが、何故にこの場に?」

「ふーむ、その共謀容疑の前のレイチェル判事の証拠捏造ねつぞう疑惑が既に嫌疑不十分である、というのが私の主張なのだが、中々それが受け入れられなくってな。そうこうする内に勾留こうりゅうされていたのが事実だ。君のめいによってな」

 二人のやり取りで周囲の記者達が騒めき出す。

 そりゃ、そうだろう。一国の首長が自身の勝手な理屈で嫌疑を掛けて憲兵隊を動かして勾留こうりゅうしていたかもしれない、などというスキャンダルが目の前にあるのだから。

「まぁ、私の身の上を案じてくれた者達がこうして公判に間に合う様、手助けしてくれた、ということかな」

 クリフトン教授の側でユリウスが頭を下げる。

 それを憎々しげに睨むジーグムント。

「ホッホッホッ、ジーグムント市長。いや、ジーク君」

 ジーク君? それが……アイツの幼少期の愛称なのか?

「ジーク君、君は私が家庭教師をしていた頃、8歳の頃は、もっと素直だったと思うのですがな。……君が民主主義を唱えるのならば、法廷内で事の是非を争うのが筋というもの」

 そして、辺りを見回し、無数にいる記者達に、目を向ける。

「証人は、彼等ですぞ。彼等にこそ、判断してもらうのが本当の民主主義でしょうな」

 と。

「…………私が貴方の生徒だったのはもう30年も前の事です。そんな古い過去を持ち出しては欲しく無いものですな」

 苦々しげに応えるジーグムント市長。

 そこに、

「法廷で争うべき事実を武力で封じ込めようとするなら、それは『民主主義』の名を汚す行為です! 私は法廷で真実を証明するわ!」

 バチパチパチパチ……

 誰とは言わず、レイチェルの言葉に皆が拍手をし、その音は広がっていく。

 レイチェル……お前が皆の想いを動かしたのだ。これだけの賛同者が、今、レイチェルの背中を押している。

 りんとした眼差まなざしでジーグムント市長を睨みつけるレイチェル。

 ジーグムント達も、無理にレイチェル達を捕えることは出来ない状況になる。

 これで闘争はアルサルトの法廷内で付けることへ、この場の皆が賛同する形になったのだ。

 この場の雰囲気を持って行って、武力衝突じゃなく、法廷内に持って行ってくれた。

 ……さすがだよ、教授、そしてレイチェル!

 これで、最後の策を出せる土台が整った、という事だな。




 アルサルトの公判は結局、少し遅れて開始することになった。

 元々は、別の者が代理ですることになっていた裁判長役は結局、戻ってきたクリフトン教授(判事長か)が、そして原告側にはレイチェルが戻る形に。

 それらの変更を議場に説明の上、実際に法廷が始まるのは更に少し後だった。

 にしても、記者含め、ぎゅうぎゅう詰めの傍聴席はとんでもない人口密度である。

 俺は今は直接、裁判に関わる立場では無いのでこの傍聴席にいるのだが……普通にキツイわい。

「さて、本来はまず被告であるアルサルト氏の公判を進めるべきではあるのだが……ここまで事態がこじれた原因、レイチェル判事の『証拠捏造ねつぞう疑惑』に関して、ここで扱わない訳にはいかぬと思いますな」

 おごそかな雰囲気で話し始めるクリフトン教授。

 周囲の記者達(と勝手にこちらは思ってるが)も緊張の中、メモを取り出し一言一句、聞き漏らさない様に構える。

「レイチェル君、自身の嫌疑について君からの主張はあるかな?」

 レイチェルが立ち上がると、法廷内が静まり返る。記者たちのペンが止まり、傍聴席の人々が息を呑んだ。

「私に掛けられた証拠捏造の嫌疑、それが全く根拠のないものだと、ここで証明しておきます」

 その言葉は静かでありながら、法廷内に響き渡る。

「これが法の場。ここで真実を語らずして、どこで語ると言うのでしょうね」

 レイチェルの紅玉色の瞳がジーグムント市長を射抜くように見つめる。

「私の『証拠捏造ねつぞう疑惑』は元々、カルタ帝国からの訴えと聞いています。市長がその訴えのまま逮捕指示をした、ともね。で、その疑惑の元となる証拠はそちらにあるのでしょうか?」

 疑惑の元、かぁ……。

 その出発点は、例のアルサルトの詩集本だったろう。それをアルサルトの船からの本と交換する際、留置場の衛兵からレイチェルに渡してもらった。

 それが今回の証拠捏造ねつぞうの大元。

 だが、実際の詩集本は俺が『刻戻り』することで、レイチェルの手元には渡らず。そんな事実は無くなった。

 にも関わらず、レイチェルに証拠捏造ねつぞう嫌疑を掛けてきたのは、恐らくはシクルドの『天使似』の能力のためと思うが、既に『過去改変前の事象でレイチェルが詩集本の秘密を知っている』と考えたため。

 だから、無理に嫌疑を掛けてレイチェルを捕らえようとした。実際の証拠があるかどうかは二の次で。

 今、まさにそのツケが来ている訳だなぁ、ハッハッハッ!

「それは……お、お前が証拠捏造ねつぞうした現場を見た者がいるわけで……」

「では、その人物を証人として出して下さい」

 うーん、我が妹分ながら容赦ないな。

 突っ込まれたアルサルトはゴニョゴニョと口を濁しているが、その仕草を傍聴席の記者達は見逃さない。

 手元のメモにカサカサと書き込まれているが……まぁ、これはほぼこちらの勝ちっぼいな。

 アホーめ、法廷内というレイチェルの弁論が最大限に活かされる場所で、お前達が勝てる見込みはないっつーか……法廷にレイチェルが参加できる形になった時点でお前らは『詰み』なんだよ!

「そ、そうか。その者をここに……」

「ええ、是非とも呼んで下さいね。但し、その方が、いずれの立場の方なのか、どうやって私が証拠捏造ねつぞうしたのか、など具体的なことを確認させてもらいますので」

 冷や汗を垂らしつつ、目を白黒させてどうすべきか必死で頭を悩ませているよーだが。

 ま、アレは無理だな。

「ところで、留置場内にいた貴方は知らなかったかもしれないんですけど、留置場につく衛兵はキチンと誰が何時から何時まで備えていたのか、面会時間及び誰が面会していたか、その内容も。更に物品の差入れや交換があった際にはその届出記録も全て残しているのよ。それを一時借りるときには貸出届けも提出義務があるわ」

 つまり、本来ならガチガチに監視・記録の目がある、と。

 ……そう考えると、ユリウスが俺をそこから脱出させたってのは思ったより大変な事だったのか。文句ばっか言ってスマンかった気もするが、まぁ、ユリウスだから、いっか。

「…………」

「その方が出てきて頂けるなら、記録と照らし合わせて確認させてもらいますが、良いですかね?」

「……こちらのカン違い、だったかもしれぬ……訴えは本国に言い、取り下げさせてもらう」

 グヌヌ、とでも言いたげな表情でアルサルトは降参を示すのだった。白旗上げるのが早いな、おい。

「で、あれば私に対する『レイチェル君への共謀容疑』も疑いは晴れたこと、になるという理屈で宜しいかな? ジーグムント市長」

 正面中央の法壇、一番の高みから2人の弁論を見極めていたクリフトン教授が、傍聴席のジーグムント市長に確認する。

「……今の私は一傍聴人に過ぎない。それを決定するのがこの法廷の場だと認識しているが」

「ホッホッホッ! では、その様に裁定させてもらいますかな。レイチェル君への証拠捏造ねつぞう容疑は不問とする」

 やった!!

 周囲からも『おおー!』と歓声が上がる。

 近衛連隊に包囲されたりした、あのギリギリな状態からようやく、レイチェル自身がジーグムント市長相手に勝ち取ったのだ!!

 本当に……良かった! 本当に……



「さて。これで本来の作業、アルサルト君、君への嫌疑の公判が再開するわけだが」

「ハッ! 勝手に再開すればよろしかろうよ! 何か私を貶められる『証拠』とやらがあるのであれば、な」

 でっぷり太った腹を突き出し、腕組みして不貞腐ふてくされたようにアルサルトは返す。

 逆に、こちらには何も決め手となる証拠が無い、と分かっているんだろう。

 だから、そんな余裕ぶっこいた態度でいるわけだが……

 原告席側のレイチェルにチラッと視線を送る。

 レイチェルも頷き返し、

「判事長、こちらからは証人の証言を求めます」

「フン、またしても証拠にもならぬ証人など……」

 そうは言うがアルサルトからは拒否の発言は無い。

「構わぬよ。して、誰を?」

「はい。証人として証言してもらうのは……アッシュ——アシュレイ・ノートン。私の幼馴染みです」

 またしても、周りからの注目を浴びつつ、傍聴席から人波を割りつつ中央の証言台へと向かう。

 同じく傍聴席にいるセレスさん、ワルターさんからの応援の視線。

 無言で軽く頷く。

「こんな小者が何だと言うのだ……」

 ぶつぶつ呟くアルサルト。まぁ、見とけよ。

「さて、俺が証言する内容なんですが……取り敢えず、コレ、見てもらえますかね?」

 そう言って、皆が見える様に右手に取り出して掲げたのは、緑の背表紙に星々の絵が描かれた例の詩集本。

 そう、ヤツのポエマー、恥ずかし本である。

 で、さらにその中のページを見開く。

「これ、彼が読書のために持ってきてもらったらしいんですけど、妙なんですよね〜。色々なページが破れてるんですな」

 そして、左手に出したのは破かれたページの束。

 それをアルサルトの前に指し示す。

「な、なぜそんなものが!?」

「これねー、何の意味があるんだろ、と思ってたんですよねー」

 裁判所内の皆に言い含める様に間を取りつつ、掲げた詩集本と破れたページを見せつける。

「それに、どういう意味がある、と証人は言いたいのかね?」

 クリフトン教授の言葉に、ニヤッと笑って返してやる。

「こうしてみると、どーなんでしょーかねー」

 目の前の床にわかりやすく破れたページを順番に並べてやる。

“天の川に流れる多くの星……”

“死にたくなるほどの想いを……”

“二番目だっていい。……”

“野原に秋桜が……”

“これまでの貴方……”

“貧しさや地位が……”

“眠りの中でしか……”

“靴裏には貴方からの……”

“似ているわ、彼に……”

 ま、こーして並べると分かりやすいわな。

『天死二野こ貧眠靴似』、つまり『天使似の子貧民窟に』。



「つまり、こうやって彼が指示を出してたってことなのかなー?」

「バカな!? 何故、貴様の元にそれがあるのだ!? 本は回収されて……」

 そこで思わずアルサルトはハッとした様子で周りを見渡す。

 今の発言。それは傍聴席の記者達、そして市長自身にも届いている。

 おーおー、青くなったり赤くなったり。さすがに余裕は無くなったようだなぁ。

「こ、これは出鱈目でたらめだ! 偽物だ。これこそ証拠捏造ねつぞうだぞ! 判事長! コヤツを証拠捏造ねつぞう容疑で……」

「ただ、俺は一言も『証拠』とは言ってないんだけどなー。俺は単なる『証人』なんですが」

「な、なにぃ!?」

 俺の言葉に愕然とするアルサルト。冷や汗ビッシリの顔で俺を睨みつける。

 そう。

 俺は一言も『証拠』と言ってない。

 それどころか、言中の『彼』が誰なのか、また『らしい』や『なのかなー?』と言ってるだけで、何一つ、断言はしていない。

 俺は、この『元々、図書館にあった同じ詩集本』をヤツに見せた、だけ。この本は、セレスさんにお願いして、図書館に忍び込んで取ってきてもらったものだ。

 で、見ての通り、勝手にヤツが自爆したのだ。

 ……誰だよ、やり方がズルいとか言ってるのは。うまく行きゃーいーんだよ。結果オーライだ。


「そ、そんな理屈が通るか……」

「通るかどうかは知らんけど、俺はお前にこの本を見せてみただけだぞ。それの何が問題なんだ?」

 ただ、アルサルトの様子を見た記者や傍聴席の市民達は、もうヤツの容疑を信じて疑わないだろう。留置場内から貧民窟にいる『天使似』の子、リアンを捕えるように指示を出した、と。

 その上で、無理にアルサルトを庇う行為を市長がするならば……来月の投票にその結果は現れるはずだ。

 もう、あんな無理にレイチェルを捕える様なマネは出来まい。

 証言台からジーグムントを睨みつけてやる。

 ヤツは苛立ちと共に首を振ると周囲の近衛兵を促し、傍聴席から去っていく。

 被告席のアルサルトをそのままにして。


「では、第2回の公判はこれにて閉廷する」

 クリフトン教授の声が俺たちの戦いの終わりを告げるのだった。





「レイチェルお姉ちゃん! アシュレイお兄ちゃん、本当に良かったよー!! ……すっごく心配してたんだから!」

 裁判所を出た俺たちを出迎えてくれたのは、ミリー一家、そしてサファナおばさんがレイチェルを抱きしめる。

「ああ……レイチェル、大丈夫? 痛いところはない? ……貴女が無事で、本当に……本当に良かった」

「うん……うん、ありがと、ママ。心配かけてゴメンね」

 ギュッとレイチェルを抱きながら涙し続けるサファナおばさん。あの『刻戻り』中にも泣き崩れていた姿が脳裏に浮かぶ。

 ようやく、終わったんだ……

「で、ウチのオヤジは来てないんですよね?」

「うーん、ノートンさんは『アシュレイなら何とかするだろ』としか言わなくてな」

 困り顔で返すサファナおじさん。

 まぁ、ウチのオヤジなら、そーだろうなぁ。放任主義だし。

 と、そこに

「ほほー、これは皆さんお揃いでしたかな。いや、感動の場面をお邪魔してすまない。レイチェル君、アシュレイ君」

「教授……いえ、この度は助けて頂いてありがとうございます!」

 そう、レイチェルがお礼を言ったのはクリフトン教授だった。

 真っ白の口髭を指で撫で付けつつ、

「いやいや、むしろ礼を言うのはこちらの方。囚われの私を解放してくれたのだからのぉ。あれはアシュレイ君の指示かね?」

「あー、まぁ、そんなとこです」

 その俺の返答に教授はニヤッと笑って一言。

「ふむ。では、図書館の備品破損代は君の給料から天引きしてもらうことにしておくぞ」

 ゲッ!

 ……ウチの図書館の本を使ってページを破いたこと、バレてるじゃん。

 と、そこへ、

『クリフトン判事長! 今回の市長の強引な捜査による被害者としてどう思われますか?』

『レイチェル判事、この裁判は今後、どうなっていくかと思いますか!?』

 アッという間に記者達の囲い込み取材が始まり出す。

 やれやれ、まぁ、あのレイチェルの言葉を聞けば、そうなるわな。

 まさしく、『逆転劇を演じたヒロイン』なのだから。


 と、そこに、

「ここで、この場を借りて伝えたいことがあるので記者諸君には宜しいかな?」

 前置きをしてクリフトン教授が記者達を見渡す。

 な、なんだ?

「これまで市長の座は長らくガイウス家のものだった。現市長のジーグムント氏も初当選以来、約15年もの長きに渡って続けておる」

 これは……まさか……!?

「我が国、クロノクル市国は世界でも名だたる民主制度の国であるにも関わらず、国家元首がガイウス家に独占され続けていることそのものに私は大きな疑問を持っていた。それこそが、今回の様な市長の横暴・独断専行を許してしまったのだ、と」

 ゴクリ……。

 皆が固唾を飲んで、クリストン教授の言葉を待つ。もう、誰もがその先にある言葉を予想しながらも。

「ゆえに、私は来月末のクロノクル市長選に立候補をすることに決めた!」

 …………。

『これはスクープだ!』

『現市長と外務大臣との一騎打ちだぞ!』

『ガイウス家、独占の慣行が破られるかもしれない! これはスゴいぞ!!』


 誰もが熱狂し、クリフトン教授の市長選出馬に期待を寄せていた。

 隣のレイチェルさえも、熱い視線を教授に送っていた。まるで信奉者のように。

 こうして、町全体が『クリフトン派』と『ガイウス派』に分かれて相争うこととなる。





 ただ、その中で俺だけは何故か、その熱狂の渦に入れずにいた。

 それが何故なのか……その答えが分かるのはもっと後であり、その時には既にどうしようも無かったのだ。

 俺は、この時のことをずっと悔やみ続けることとなる。




⭐︎⭐︎⭐︎

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