03章『喧騒下のアブダクテッドな天使様』〈01〉

***



 空気がカラッと乾いて澄んでいる。

 今日から2日間続くオフィエル祭には絶好の秋晴れの空だった。

 懐中時計は10:20。

「本当、いいお天気で良かったねー、レイチェルお姉ちゃん! こんなにいい天気ならフィッチも連れてくれば良かった」

「うーん、鳥篭ごとお祭りに連れてくるのはちょっと難しいかなぁ。ミリーの気持ちはわかるけどね」

 ご機嫌なミリーに、これまた苦笑しながら後を追うレイチェル。

 いや、それは本気で勘弁しておくれ。この祭りの中でフィッチが逃げてしまうなんてことが起こったら、俺は何のために『刻戻り』をしたのやら……


「ほら! アッシュも久しぶりの『聖天使オフィエル祭』なんだから、そんな怠そーな顔をしないの!」

 そう言われてもなぁ……

 大広場を埋め尽くす屋台と露店と人々の群れに、若干じゃない後悔が押し寄せる。

「ダ・メ・よ! 5年ぶりにお祭りに来てくれたんだから、今年はちゃーんと私達に付き合ってもらうからね」

 日頃の鬱憤を晴らすかのようにレイチェルはニヤニヤと笑みを浮かべる。


 そんなレイチェルはいつもの黒い法服ではなく、薄い秋桜色のワンピースに薄手のストールを羽織り、何故かいつもの度の無いモノクルを左眼にかけている。

 片方のミリーも、茶色のベレー帽に白のブラウスと薄青色のスカートを合わせて二つ括りのおさげに黄色のリボンをするなど普段と違った装いをしている。

「お祭りなのに仕事着で来てるなんてアッシュぐらいでしょーに」

 ぐぬぬ……


「そいや、今、『聖天使オフィエル祭』って言ってたけど?」

「……呆れた。祭りの正式名すら知らなかったのね、アッシュは」

 ミリーが露店で、恐らくはカナリアの餌であろうキビやアワの種子の詰合せを買ってるのを見守りながらレイチェルが説明してくれる。


 曰く、この港に訪れた初代ガイウスと人々の前に幼い聖天使達が舞い降り、この地にその身を捧げることで港に繁栄をもたらした、と。

 それがこのクロノクル市の伝承なのだと。

「流石に20年もここに住んでて知らないなんて呆れるわ。ほら、あの時計塔の下、見なさい」

 大広場の北端にそびえ立つ例の時計塔を指し示す。確かに時計塔の真下、そこには天使像があった。


 ——『聖天使オフィエル、ここに眠る』


 5人ほどのまだ少年少女の様相をした天使達があどけない笑顔を浮かべて天を仰ぎ見ている。

 像の前の石板にも同じ伝承が彫られていた。

「今はもう剥げ落ちてしまって分からないけど、あの天使様達も銀髪に黄金眼だったって話よ」

「有名だよねー。ミリーも知ってるよ?」

 2人の中では俺はよっぽどの物知らずになってるらしい。

 ……が、言い返せないのが実情……。何せ時計塔の真下にこんな像があるなんて知らなかったしな。

 ふと、思い出す。


《——これは契約だ》

《——奪われた命》

《——この町の真実》


 …………あれは、一体…………。

 あの時、モノクロームの空から舞い降りる『天使達』。あれは……このオフィエル像?

 当然、像は何も答えてはくれなかった。




 そもそもだが、何故、普段より怠惰を気取るこの俺が2人のオフィエル祭に同行せねばならなかったのか、と言うと。


 ミリーからは、

「この前、帰りの馬車でアシュレイお兄ちゃん、約束してくれてたよ? レイチェルお姉ちゃんと今年は3人で行くって」

 ……あの辺の記憶は例の『刻戻り』の影響でハッキリと覚えていない……ので、否定もできず……


「私のレモネードに口をつけた分、弁償代わりに今年は付いてきなさい!」

 ……たかが一口の癖に、レイチェルからはやたらと威丈高に押し切られてしまったためだった。




 そこらの屋台で買った焼鳥を齧りながら、道化・ピエロの大道芸を他の子供達と同じく輪になって、真剣にジッと見入っているミリーの姿を見ると、いくら優秀な奨学生と言っても歳相応11歳の少女なんだな、と思う。

 さて、この大広場でバルのやつとは落ち合う予定なんだが……。

 そして、観客の輪から少し外れた露店で、俺同様どこかで買ったであろうドーナツを片手にジーッと商品を見つめているレイチェル。

 見ている露店はブレスレットやイヤリングなどが並ぶアクセサリー屋らしかった。

「…………」

 その視線の先を追ってみると、台の上に置かれた紅玉石のネックレスに行き着いた。

 ……まるで金魚鉢の金魚を前にずーっと見つめてる猫みたいなんだが……

「それ、欲しいのか?」

 何気なく声を掛けたのだが、

「ひゃぅっ!?」

 レイチェルはそれこそ猫の悲鳴のような叫び声をあげる。

「ちょ、ちょっと脅かさないでよ!」

「いや、普通に声を掛けたんだが……」

「…………嘘つき……」

 少し上気した顔で半眼で睨んでくるレイチェル。

「……はぁ、悪かったよ、驚かせて。で、そのネックレスが気に入ったのか?」

「……別にそんなんじゃ…………」

 なんだ、物事を即決するレイチェルらしくないな。

「………………」

 しかし待てど何も言わずにプイッとそっぽを向いている。

 ……本当にらしくない。

 レイチェルの意思決定まで待つのは面倒だ。

 横から手を伸ばして店のオヤジにネックレスを渡してもらう。……思ったより高かったのは想定外だったが。

「…………」

「欲しかったんだろ?」

「…………。別に欲しかったわけじゃないわよ……でも……ありがと。まぁ、アッシュがそんなに勧めるんなら、せっかくだから……ね」

 はぁ……全く素直じゃねーんだから、この妹分は。

 だが、横目で見やると、レイチェルは軽く微笑みながらも、目を逸らしてネックレスを手に取り、その頬は少し赤く染まっていた。

 悪くはなかった、かな。




 大道芸はボールや小道具を使ったジャグリングから、いよいよ大掛かりな見せ物に移ろうとしていた。

「わー、アシュレイお兄ちゃん、すごいんだよー!」

 食い入るように前列で見ていたミリーが解説してくれた。

「ブワーッと炎が上がって、そしたら帽子の中から鳩さんがいっぱい出てきたんだー」

「……へー? 意外と上手だったわね。でも、この手品の仕掛けはきっと……ふふーん」

 レイチェルは少し口角を上げて微笑みながら、ピエロに敬意を評してるつもりらしいが、どうみても『手品の種ごときとっくに分かってる』という上から目線な態度がアリアリだ。

 その肝心の道化(ピエロ)の姿もかなりのド派手である。

 ウィッグであろう真っ赤なタテガミのような長髪に、右眼には✖️の印、左眼にも●の印と不自然に光るモノクルが掛けられている。

「あり?」

 と、ふと、その右眼に俺は違和感を感じたがそれ以上、深く考える前にピエロは動き出す。

「いよいよ、お次は最後のお題! 空中浮遊でーす! さぁ、この中でお空に浮いてみたい勇気ある男の子女の子はいるかな〜?」

 ザワザワと誰もが互いに隣同士、見合ってつい牽制し合うその一瞬に、1人の女の子が飛び出す。

「はーい! アタシがやりまーす!」

 飛び出したのはミリーよりも一回り小さな女の子。

「これはこれは。可愛い淑女(レディ)が来てくれましたねー。彼女の勇気に皆さん、拍手を!」


 パチパチパチパチ————


 拍手と共に壇上に上がった少女は藍色のパーカーのフードを頭から被っていて、姿はハッキリしないが、身長からは結構、幼い感じだ。


「すごいねー、ミリーはお空に浮いてみる勇気はないから……」

「では、皆さん。応援して下さい! この小さき英雄の飛行を!」

 再び拍手が巻き起こる中、ピエロが指を踊らせる。

 それに引かれるように少女がふわりと空中へ浮かび上がった。


 悲鳴。


 すぐに地面へ落ちるかと思ったが、少女の体は空中で止まった。

 安堵のため息が観衆から漏れる。

 そして、ピエロが指先を動かす度に、まるで空中でゆりかごに乗ってるかの如く、フワフワと右へ左へと大きく空を揺れ動く。

「あはは、楽しいねぇ!」

「空中アクションにも耐え抜いた、この小さな英雄に皆さん、拍手を!」

 肝心の本人は空中を浮遊しながら楽しげに笑っていた。


 その時、辛うじて少女の額に引っかかっていたフードがバサっと垂れ下がり、その可憐な顔を露わにする。

 陽光の下、輝く銀のショートヘア。

 二カッと満面の笑みを浮かべるその瞳の色は……黄金色をしていた。

 あの子、誰だっけ……どこかで……


「わぁ、すっごく可愛い女の子だねー」

 隣でミリーが素直な感想を呟く中、俺は自身の記憶の棚を引っ張り出そうとしていた。が、

「おーアシュ氏、それにレイチェル氏も。よーやく会えたんだなー」

 その思いは背後からの声で邪魔されるのだった。




 ショーも終わり、集まっていた観客達も三々五々に散っていく。

 手元の懐中時計は11:45とお昼前なのを教えてくれていた。

 先程までの手品の興奮がまだやまないのかまだ数人の子供達が風船片手に走り回っていた。

「いやー、よくこんな人が多い大広場で会えたんだなー。ほら、リアン、お兄ちゃんの仕事仲間達だよー。ちゃんと挨拶するんだなー」

「はーい。ボス……じゃない、お兄ちゃんの妹のリアンでーす! ヨロシクね、ミリーお姉ちゃん!!」

「わぁー、リアンちゃん、すっごく可愛いね。ミリーのことはお姉ちゃんってつけなくて『ミリー』のままでいいよ。歳も近いんだから、ね?」

「ありがとー! ミリーちゃん」

 歳の近い2人はすぐに仲良くなって、はしゃぎ始めていた。

 再び頭からすっぽり藍色のパーカーのフードを被っている。先ほどは気づかなかったがフードにはまるで犬のタレ耳のような飾りがついていて、リアンが歩くたびにピョコピョコ合わせてはねている。

 まさしく小動物……


「まさか、バル君の妹さんがこんなに可愛いだなんて……うーん……」

 何やら納得いかなさげなレイチェルにバルが不満な声をあげているが、まぁ、俺も概ね同意見なので無視しておく。


 先の『刻戻り』で、出会ったのが彼女だった。いきなり大声で叫ばれ大変な目にあったんだった。……向こうは何も覚えてないんだろうけど。

 そーいや、バルの家、大家族だったな。他の子達はどうしてるんだ? まぁ、いいけど。


 それはともかく、彼女が、ショーが終わり『面白かったねー』と興奮冷めやらぬ様子でバルに駆け寄り俺たちに自己紹介してくれることとなったのだ。


 荷物の片付けが終わり、残る子供達に大きく手を振ってさよならをするピエロにミリーやリアンも同じく手を振りかえす。


「妹さん——リアンちゃん、熱が下がってお祭りに参加できたのは本当に良かったわね。すっごく楽しそうだし、ミリーも歳の近い子とあまり知り合いがいないからすっごく喜んでいるわ」

「あー、熱が下がったら今朝から『祭りに連れてけ』ってうるさくてうるさくてかなわんかったのだなー」

「あの歳頃の子供なら年に一度の祭りなんて、期待して楽しみにしてるものだろう? なら、それは仕方あるまいな」

「……そー言う自分はその頃からなーんか冷めてて祭りにも嫌々私に着いてきてくれてるって感じだったじゃない。よく言うわ」

 ……いや、人には得手不得手というものがあってだなぁ。

「もう! ボス、じゃない、お兄ちゃん達! 今度はあっちでやるっていうパレード見に行こうよぉ!」

「リアンちゃん、ミリーも一緒に行きたいけど、いいかなぁ?」

「うん! 一緒に行こ、ミリーちゃん!」

 待て待て待て、そんな勝手に動くなよ……

「……これは諦めてついて行くしかないのだなー、アシュ氏。僕はもう諦めたのだよー」

「はいはい、2人とも、せっかくのお祭りなんだから、もっと楽しい顔してあげなさいな! ほんとにもうダメなんだから」

 そうは言ってもだな……

 ここから港へ向かう大通りでこれからダンサー達のパレードがあるとのことだが、その予定コースには見学待ちの大群衆。その間を縫ってパレードを側で鑑賞しに行こうとしている我らが妹分達。

 俺やバルがあそこまで到達するのにかかるエネルギーは……

「もう、つべこべ言わない! 2人を追いかけるの!」

 ぶつぶつ文句を言いながら俺とバルは2人を追いかけ、押し合いへし合いしつつも何とかスペースを確保する。

 パレードの予定コースには人が入り込まないよう、ロープがかけられ敷居がもうけられている。

 更には、要所要所に憲兵達が、それでも入ってしまいそうな人達には注意や警告しロープの外に帰るよう押し返していた。


 この祭りの日にわざわざ出払ってて憲兵たちも大変な仕事だな。同じ公務員でもこちらにはなりたく無い。

 あー図書館司書で良かったー

 取り敢えず、順路のロープ前にリアン、ミリー、それにレイチェルの3人が辛うじて座れるぐらいのスペースを確保して俺とバルの2人は後ろから押し寄せる人波を食い止める肉の壁となることに。

「ん……ありがと」

「立ってると疲れるだろうしな」

 と、その時だった。

「サファナ判事、ですか?」

 道の傍らに立っていた憲兵がレイチェルに声をかけた。

「あれ? もしかしてユークリッド少尉?」

 どうもレイチェルの知人らしい。見ると襟に銀の狼の襟章をしている。少尉級だ。

 軽量とは言え、薄い金属と鎖の鎧を纏い、腰には細身の直剣を帯びている。

 レイチェルの返事に彼はその兜(ヘルム)を取る。

 その姿は俺より少し歳上だろうか。刈り上げられた金髪に碧眼(ブルー)の瞳、端正で彫りの深い顔。背の高い、がっしりとした身体つき。

「分隊長であるあなたまでお祭りの警邏に駆り出されてるの?」

「まぁ、これだけの規模なんで人手が足りないんですよ、これも宮仕えの大変なとこでして、ね」

「それは可哀想。あ、紹介するわ。こちらがわたしの幼馴染みのミリー、それに友達のバル君にその妹さんのリアンちゃん、で、もう1人の幼馴染みのアッシュ」

「ああ……あなたが、噂のアシュレイさん、ですか」

 何やら納得げに頷き、俺のことを下から上へと舐めあげるようにジッと見る。

 ……何の『噂』なのやら。

「ユリウス・ユークリッドです。宜しく」

「……どーも。アシュレイ・ノートンです」

 差し出された右手に握手を返す。

 ゴツゴツした手のひらの感触。それが示すのは、

 ——鍛錬を積んだ剣士のもの。……俺とは住む世界の違う人物。

「ところで、サファナ判事。例のアルサルトの件で報告が……」

「……そう? ん、分かったわ。でも、急ぐものでなければできたら報告は後にしてもらっていいかしら? 今日は祭りに集中したくってね。せっかくのオフなんだもの」

「フッ、分かりました。サファナ判事殿」

 レイチェルは彼の返しに薄く微笑んでいた。

 憲兵からの報告、か。

 恐らく、レイチェルの仕事——判事関係の話だろう。

 判事は、裁判で刑の量刑を決める司法権だけでは無く、捜査権——現場の憲兵たちへの指揮権さえも持つ。

 コイツが憲兵ならば、事件によっては判事であるレイチェルが上司になるってこともあり得るのだ。

 いや、先のやり取りを見るに既にそうなのか。思ったよりも随分と2人は仲が良さそうだ……

 

 普段、俺達に近いから忘れそうになるのだが、コイツは天才なのだ。大学や議会、クロノクル市全体を挙げて将来を期待されている天才美少女。

 俺とは所詮、住む世界が違う……



 目の前を無数のダンサー達が華麗に踊りながら駆け抜けていく。

 その華やかさにミリーが歓声を挙げ、リアンが顔を乗り出し、レイチェルが微笑む。

 パレードの熱狂とは裏腹にただ、俺は幼馴染みとの差を思い知らされるのだった。




「サファナ判事、それから君達にも。……一つだけ忠告が」

 パレードの行進が終わり、スタッフが通りを封鎖していたロープを片付けている中、ユリウスが声をかけてきた。

「どうしたの? ユークリッド少尉」

「実は、未確認情報ながらこのオフィエル祭に少年ギャング団が入り込んでいるという情報が入りまして……」

 ギャング団?

「……例の、誘拐に関与してるかもっていう?」

「そうです」

 レイチェルの表情がわずかに曇るのを俺は横目で見た。

「そう…………それで変装した憲兵達が至る所にいたのね」

「……気づいていましたか。さすが、サファナ判事です」

「おべっかはいらないんだからね」

「おや、これは手厳しい」

 そして彼は俺とバルに向き直ると

「彼等は幼い少女達を狙っているという噂もある。この人混みだ。くれぐれも目を離さないようにして頂きたい」

 彼は、ミリーやリアン達を見ながら、そう俺達に警告するのだった。




 ——ギャング団と誘拐。

 それまでの祭りの熱気に水をさす、全く異質の言葉だった。

「ふん、気にしなくても良いのだなー。何がギャング団なんだよー」

「バル君、私が言うのも何だけど、リアンちゃんをきちんと見てあげることは大切なことよ? ……憲兵が好きか嫌いかはともかく」

「……それは……うん……そうなんだけどな……」

 バルの声にはそれでも棘が残っていた。

 大勢の人波に疲れた俺たちは大通りから少し外れた道ばたで休憩していた。

 リアンとミリーは近くの屋台で買ったオニギリを美味しそうに食べている。

 因みに先ほどからバルは何やら不機嫌そうで、そんなバルを珍しくレイチェルが諌めていた。

 懐中時計は13:15。

 俺自身、あんな言葉だけでは何を言ってるんだ、としか思えない。思えない筈なんだが。


 ……出会ったばかりなのにあんなに打ち解けて仲良さげに話しているミリーとリアン。まるで昔からの幼馴染みのよう。

 あの2人に、何かあったら……もし、攫われたりしたら?


 一瞬。

 背筋を冷たい汗が流れる。


「取り敢えず、バラバラにならないように、これ以上の人混みは避けましょうか」

「ああ。わかったんだな……」

 と、食事の終わったリアンとミリーが、

「リアン、港に行ってみたいー。船っての、見てみたいな」

「ミリーも行きたい。蒸気船ってお船、今、港に来てるんだよねー? すっごく大きいんだって」

「「ねー!」」

 2人、声を揃えて笑い合った。


 ここから船着場のある港までは大通りを降っていくとすぐだが、そこは祭りのメインストリートなので身動きも容易でないほどの人だかりだ。

 パレードの喧騒が少しずつ遠のく中、俺たちは大通りから一本外れた静かな路地へと足を踏み入れた。

 大通りからの一本外れた路地は、広めとは言っても3人並ぶのがやっとの道幅をリアンをバルが、ミリーをレイチェルが手を握って港に向かう。

 路地を挟むように建てられたレンガの家々がぐねぐねした坂の両脇を覆って影を落とす。

 と、少し開かれた四つ辻。


 そこに彼はいた。



「あー、さっきのピエロさん!」

「おや、これは先ほどの勇気ある小さな淑女(レディ)。それに私のショーを見に来てくれていた方々かな」

 さっき、大道芸を披露してくれていた道化(ピエロ)だった。相変わらずの派手な◯✖️の顔面メイクに大きなモノクル。


「…………こんな所で何しているんです?」

 ? レイチェルの声には明らかな警戒の色があった。


「ああ、次のショーの為に人が居ない所で練習してたんですよ。こんな風に、ね」

 と、突然、何も無い宙から風船が飛び出す。

「はい、どうぞ」

「ありがとー、ピエロさん」

 リアンが思わず駆け寄って風船を受け取ろうとした瞬間だった。


「ダメよ! バル君!」

「リアン!」


 突如、空から黒い影が2つ降ってきた。

 いや、黒マントで全身を覆った男達が、屋根から飛び降りてきた。


 バルがすかさず、巨体とは思えない速さでピエロに迫る。

 が、バルの横から黒マントが手にした曲剣を振り下ろす。


 ガキンッ!


 金属同士の硬い音が響き渡る。と同時に地面に吹き飛ぶ黒マント。

「ボス! 大丈夫!?」

 振り向いたリアンが駆け出そうとした瞬間。

 信じられないことが起きた。


「え!?」

 リアンの小さな身体が突然、空に浮かんだのだ!

 そして、高く、弧を描くように空中へと投げ出される。


 そして、ピエロがリアンを抱き抱える瞬間、全てがスローモーションに見えた


『彼等は幼い少女達を狙っている……』

 脳裏を先程のユリウスの声が蘇る。


『くれぐれも目を離さないように……』


 今、リアンは……『離さないように』、と言われた彼女は————奴らの手の中に……


「バル!」

 俺の必死の声にバルが飛び出す。

 しかし、


「いやぁー!」

「ミリーは後ろに隠れて!」

もう一人の黒マントがミリーを守るレイチェルに斬りかかろうとしていた。


 くそッ!


「え? アッシュ!?」

 気づいたら全力で体当たりしていた。瞬間、激痛が肩から腕に走るが、構っていられない。

 地面に転がった黒マントはすぐに立ち上がり、再び曲剣を振り上げたが、次の瞬間、バルの拳が遮った。

「ふん、ぬッ!」

 何かが砕けたような鈍い音ともに向かいの奥の壁まで吹き飛び、黒マントは動かなくなる。

「大丈夫か!? レイチェル、ミリー!?」

 ミリーを背後に庇うレイチェル。その身も恐怖で細かく震えていた。

「私達は大丈夫ッ! それよりもリアンちゃんを……って、アッシュ、それ、血じゃないの!?」

 先ほどの傷だろう。肩から右腕にかけてびっしょりと血に染まっていた。遅れて、焼けた鉄を押し付けられたような熱い痛みがほとばしる。

「レイチェルとミリーはすぐに大通りに出て憲兵を探すんだ! 俺達はあいつらを追う」

「でも、そんな怪我で!」

 ……時間が惜しい。尚も言いたげなレイチェルはそのままにバルとピエロの後を追う。リアンを肩に背負ったまま路地裏を駆け抜けるピエロ。

 小さくても女の子一人を抱えていては、こちらの方が追いつける筈。

 ピエロが走りながら一瞬こちらを振り返り、視線が交差した。

 その✖️の印の奥の右眼を見た瞬間、なぜか背筋がゾクリとする違和感。

『何だ!?』

 だが、すぐにピエロは視線をそらし、三叉路の角を左に曲がって消えていった。

 その後を追いかけて俺たちも左に曲がった、次の瞬間。

「そんな……」


 奴の姿はどこにも無かった。


 あたりに扉も隠れられる場所も何も無い。高い塀が路地の両脇に高くそびえるのみ。

 そして、まっすぐ坂を降った先は。


「……行き止まり……?」


「馬鹿な……リアン! リアンー!」

 悲痛なバルの叫び声が木霊する。


 まるで、最初から存在しなかったようにヤツは忽然と消えた。リアンごと。

 ……逆の道は?


 三叉路のもう片方の道、上り坂を振り返る。

 その先は階段になっており、やはり両脇を高い塀が続いていた。どこにも隠れるところはない。


 そして、その階段の上がった先には公園があり、更にその奥には例の時計塔の姿が。


 針は、


 13:45


 それが、俺たちが絶望した時刻だった。



⭐︎⭐︎⭐︎

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