02章『続きましてのスリッピィな水汲役』

***


“ありがとう、アシュレイお兄ちゃん”


 俺は……過去を『変えた』。

 ミリーの笑顔を取り戻した。

 誰も、その事実は覚えていないし、事実自体が『無かった』ことになっているのだが。


「何て、な」


 馬鹿馬鹿しくて話す気にもなれん。

 時計塔の針が異なる時刻を示すと天使が現れて過去に移動した、なんて。

 馬鹿らしい……

 夢に決まってる。

 でも、もしも、再び『彼等』が現れたなら……俺は……



「おーアシュ氏。おはよーさんなんだなー」

 物思いにふける俺にかけられた独特の挨拶に振り向くとそこには大柄な男がいた。


 この男は同僚のバル。

 縦もデカいが横にもデカい。要はデブなのだが、この男にそんな指摘は物ともしない。

 『僕はビッグな人間なんだなー』と嘯(うそぶ)くのみである。

「どしたん? 何か浮かない顔をしてー」

 春からわずか数ヶ月の付き合いであるが、こうやってこちらの事情をすぐに察するのは流石。

 見た目と違い(スマンな)、彼は中々に気遣いの細やかな男なのだ。

「いや、特に何もないのだが……ところで、バル。この図書館でオカルト関係の本はどの辺りにあったっけ?」

「んー、それなら上2階奥の東棚の方にあったと思うんだなー。でも、ホントどしたん? オカルトなんてアシュ氏は全く興味が無いと思っとったんだがー」

「いや、そんなことは無いぞ。ただ『読む』という労力をかける気力が足りないだけだ」

「それを『興味が無い』と言うのだよー」

 ほっとけ。

 窓の外の時計塔は今日も変わらず2つの針で時刻を示し続けている。

 当然ながら俺の懐中時計と同じ時刻である。

 オカルト、て線はない筈だよな。

 例の『黄金眼と銀髪の娘達の絵』も、いつの間にやら無くなっているしさ。

「さ、アシュ氏、ちゃんと仕事をするぞなー。いくら勤労意欲がなくても給金分は働くべきなんだなー」

「そんなこと、分かってる」

 そう、これがいつもと同じ日常。昨日はただ夢を見ただけ、の筈だった。



 午前中の勤務は特に何事もなく過ぎていった。

(アシュ氏はただ座ってただけじゃないかよー、というバルの言葉は右から左に聞き流すとする)

 司書室前の札を『休憩中』に裏返して俺とバルは昼休みに出ることにした。

 ちょうど時計塔の昼の鐘の音が鳴り響く中、俺達と同じ様に昼休憩を求めて雑多な人達が大広場には溢れていた。


 ここ、町の中心の大広場は、今日みたいな天気の良い日は屋台やパラソルを備えたテラス席が多数用意されている。

 そうでなくても明日から始まるオフィエル祭の準備で屋台や露店はいつも以上に賑わうのであった。

 その中でも特に体積の大きなバルが、両手で頬張りきれないほどのチキンの塊を抱えて座れるテラス席を見つけたのはしばらく経った12:25だった。


「あ、よーやく見つけたわよ、アッシュ。バル君もお久しぶり」

「おーレイチェル氏ー。今日も暑そうな格好してますなー」

「そう? 見た目ほどではないんだけどなぁ、そう見えるのかぁー」

 やっと見つけた席で一服しようとした所にやってきたのはレイチェルだった。片手には屋台で買ったであろうサンドウィッチと飲み物を手にしている。

 バルの言う『暑そうな格好』とは例の全身黒づくめの法服のことを言ってると思うのだが、こればかりは判事の制服なんだから仕方あるまい。

「レイチェルも昼休憩か?」

「そうよ。今日は大した案件じゃなかったから午後まで持ち越すこともなかったし」

 簡単に言うがレイチェルが判事になったのはこの春からだ。僅か数ヶ月でもう業務に慣れてきてるらしい。やはりこの天才少女はやることが違う。

 こうやってレイチェルも昼休憩が取れる時は俺達とランチすることが度々あったので、このバルとも何度か挨拶している仲である。

「えへへー、あそこのレモネードが流行りって聞いて買ってみちゃったんだ〜」

 そう言ってレイチェルは俺の横の席について片手に持っていたグラスをテーブルに置く。涼しくなり出した秋口とは言え、まだまだ暑さの残るこの時期には確かに美味しそう。

 昔から流行りのお菓子には目がないのだ、この妹分は。

 俺も自分のハムサンドにかぶりつく。

 そうやって俺達がランチを取っていると、何やら向こうの方で人々が騒いでいる。

 はて?


『この方、ジーグムント・ガイウス市長! 我々のクロノクル市が豊かな発展を続けられるのも100人評議会議会長かつクロノクル市長でもあるジーグムント氏のおかげなのです! 皆さん、忘れてはいけません!』

 何やら黒づくめの服装の団体が、ある1人の厳つそうな男を中心に揃い立っている。そして広場にてランチを取る人々に向けて大声を張り上げている。

「あー来月に選挙があるから演説をやってるんだなー。でもうるさ過ぎて折角のランチタイムが台無しなのなー」

 バルにしては珍しく棘のある声音で呟く。

「私はまだ選挙権はないしね……」

「男は18歳からだけど……俺は行ったことないぞ」

「ええー!? アッシュ、選挙は町の未来を決める大事なことなのよ! 貴族制を終わらせた私たちが、自分たちの意思を示す場なの。それ、ちゃーんと分かってる?」

「わかってるけど……どうせ、結果は同じなんだろ?」

「それでも意思を示すことに意味があるの! ……ほーんと、アッシュは私がついてないとダメよねぇ……」

 選挙に行かなかったことをレイチェルは目を三角にして怒り出す。うーん、怒らせると怖いんだよ、この幼馴染みは。




 このクロノクル市は、それまでの『貴族』達だけで構成されていた『貴族議会』を世界で最初に廃止、『民主制』をいち早く取り入れた町だ。

「……この『民主制』を支える為にも『法律』は大切よ。人が人を平等に、そして公平に裁く為の道具。決して恣意的に使ってはいけない。私の敬愛してる教授の言葉で、私もそれが『正義』なんだって思ってる」

 ……だから判事になった、か。


「『ガイウス商社』は世界でも有数の海洋貿易会社だからねー。その家長ともなればかなりの権力を持ってるだろしなー……やっぱいかんよね、ここは」

 バルが選挙演説を繰り返している彼等を眺めながら呟くが後半はよく聞こえなかった。

「そう言えば、バル、昨日は休みだったがどうしたんだ?」

 ふと気になってバルに問う。

「あー、それはねー」

 と、バルはその理由について話し出すのであった。




 どうも、昨日の朝、バルの妹——リアン、と言うらしい——が転けて足の骨折をしてしまったらしい。

 ここで、“バルに妹がいるのか!?”と俺とレイチェルが驚く様をバルが半眼で睨んでいたのは横に置いておく。

 どうもバルの家では毎日、朝、井戸から新鮮な水を、家の中の水ガメに汲み置きしておくことが日課になっていたという。


 “いつもは僕の仕事なんだけどなー”と。


 が、その前日の疲れで昨日の朝は寝過ごしてしまっていたらしい。

 時計塔の朝の鐘の音を聞いた時、寝過ごしていたバルの代わりに健気にも幼い妹・リアンちゃん自身が井戸から水を汲んでこようとしていたのだ。

 そして、途中でバランスを崩して転けてしまった。

 運が悪いことに水のたっぷり入った水桶が上から乗ってしまい足の骨折に繋がってしまった、ということらしい。

 因みに、時計塔は朝の7:00、昼の12:00、そして夜の20:00にそれぞれ鐘が鳴る。

 なのでバルは結構、早起きしてることになる。

 それから、丸一日かけて遠くまでリアンちゃんの足を医者に診てもらいに行っていたらしい。

「診てくれるお医者さん、近くにはいなかったの?」

 とはレイチェルの疑問だが、俺も同じことは思った。

 が、

 “ウチの周りはヤブ医者ばかりなんで良いとこにかかるには少し遠くまで行かなきゃいけなかったんだなー”というバルの言葉に頷くしかなかった。



「明日からしばらくオフィエル祭が始まるのに、かわいそう……。リアンちゃんだっけ? 行きたかったんじゃないかしら……何か、好きなものとかお見舞いに買ってきてあげましょうか?」

「お気持ちだけで良いのだなー」

 2人のやり取りを何とは無しに聞きながら懐中時計を見る。

 13:00

 もうそろそろ昼休憩も終わりかな。

 と、ふと時計塔を見上げた時、俺は自分の目を疑った。


 7:00


 見た瞬間、凍り付いた。

 ——まさか……また!?

 時計塔の文字盤は再び現在と異なる時間を指し示し、その文字盤と針先には青い燐光が灯されている。


 ハッと周りを見渡すもこの大広場の誰1人として時計塔の文字盤に注目してる者はいない。

 ……皆には見えていない、のか…………やはり?


 分析——この事象は『俺だけ』に生じている!?


「……アッシュ?」

 俺の異変にレイチェルが声をあげた時だった。




 再び世界が、淡いモノクロームに染まっていく。


 全ての物が灰色(アッシュ)に。

 ありとあらゆるものの動きが静止して、レイチェルやバル、広場の喧騒の全てが停止する。

 一瞬で広がる無音の世界。


 これは……!?


《アハハハ……………》

《フフフフ……………》

 その静寂した世界の中、再び天空から青い燐光をまとう少年少女が、嘲笑と共に舞い降りてくる。

 そして、銀髪の彼らは俺を取り囲み、その焦点の合わない黄金の瞳で見つめてくる。

 無言の相貌に浮かぶのは、俺への期待なのか、それとも何かへの怨みなのか……

《……さぁ、君はどうする……》

《……やり直す?……》

《……何のために?……》

 ——何のため?

 何のために、と言われても……ふと、脳裏をよぎるのは、会ったこともないバルの妹。

 もし、もしもだ。

 この力が、『過去を変える』、その力が俺にあるのなら……

 彼女の不幸を、『俺は変えてあげたい』。

《……その意思があるのなら……》

《……僕達が君に与えてあげる……》

《……そして……その果てに……》

 ——辿り着きなさい、私達に。


 瞬間、世界が反転した





 そこはまるで屋根裏部屋のようだった。

 薄暗く物や衣服が乱雑に床に散らばっている。

 ……ここは?

 落ち着け、この現象も2回目なんだ。

 いい加減、観察して分析し、推定を繰り返せ。


 大きく吸って、そして吐いて。

 頭を切り替える。

 小さめの小窓から見える時計塔の時刻は、


 6:45


 やはり、な。

 半ば予想していた通りだった。

 “想定時間の15分前に遡る”

「となると……」

 俺の相手は……

 部屋の奥、暗がりの中にある寝床らしきものに横たわる巨大な人物を確かめる。


 バル。


 なにやらウガウガといびきをかいて熟眠していやがる。


 ……し、しかし、これはこれで困ったことになったんじゃないか?

 一応、試しでバルを起こそうと頬を摘もうとする。が、『当然の如く』俺の拳はバルの顔の向こう側に突き抜けるのだった。


 そう、『今の俺』は物理的な干渉は全く出来ない。ミリーの家でドアを開けることすら出来なかったように。

 出来るのは会話することぐらいだが、今回の場合、肝心のその相手が寝ているのだ。

 ……どうしろ、と??

 このままでは、バルの話では妹さんが起き出してバルの代わりに水汲みをしようとして転けて足を骨折することになる。

 ……会ったことはない。

 だが、バルの妹・リアンに対して、俺は出来るのであれば、その『不幸な事実』を変えてやりたい。

 その為にはバル自身が起きてくれなければ無理なのだが……

 しかし、わずか15分のリミットは刻々と迫っている。

 ……考えたことはなかったが、この過去への移動で、もし何も変えられなかったなら、どうなるのだろうか。

 もう一度、過去に戻ってやり直すことは出来るのか? ……それとも、このやり直しは1回だけ?

 窓の外の時計塔は6:50に差し掛かろうとしていた。

 嫌な汗が噴き出る。

「もしかしたら……」

 ドアの方を見る。手で開けることは出来ないが……

 意を決してドアの前に立つと右手を前に差し出す。

 やはり、右手はドアを突き抜けてしまう。

「……」

 緊張で喉が鳴るのを自覚して俺は一歩、踏み出す。

 そして、もう一歩、、

 ………………。


 やってみるもんなんだなー。

 踏み出した俺の視界には部屋の外側、階下に降りる階段が目に入った。

 物理干渉は出来ない代わりに俺は『通り抜ける』ことが出来るよーだ。

 いよいよ『幽体離脱』の言葉が頭をよぎり始めるが、そちらは取り敢えず後で考えることとする。


 階段を降りると、そこはまるで倉庫のような作りだった。家具も何もなく、仕切りの壁すらなくただ広がった床に何人もの人影。皆、寝静まっているようだが……大人の姿はない。

 複数の少年少女達が毛布にくるまって雑魚寝しているのだった。

 バルって大家族だったのか!?


 と、

「誰? ボス?」

 ふと、1人の少女が寝ぼけ眼をこすりながら起き上がった。

 銀髪のショートヘアにその瞳は黄金色を宿している。歳の頃は……7、8歳くらいか?

「ボスじゃない? ボスのお友達?」

「ボス、とは?」

「…………」

 思わず聞き返してしまった。固まる少女。


 あ、ヤバい。


「皆ぁ、起きてぇぇー! 知らない人がいるのぉぉぉーー!!」


 少女の上げる叫び声に周りが起き始める。と、同時に上からドスドスと音をさせ、巨体に似合わず一瞬でバルが階段を駆け降りてくる。


「誰なんー! ……って、あれ? アシュ氏?」

「あ、ああ……ここがバルの家なのか? ども……お邪魔してるみたいだな……」

 しかし、俺の誤魔化しは全く聞いてないようだった。

 まるで人を射殺すかのように普段と全く違う鋭い目つきのバルは、ジリジリと警戒しつつ俺から逃げ道を塞ごうとする。


「……なんでここがわかったん? 答え次第ではアシュ氏には申し訳ないけど無事に帰す訳にはいかんかも……」

 いつものバルからは全く予想もつかないほどの殺気。

 それと同時に周りの影=起き出した少年少女達が俺を取り囲むように動き始める。彼等はそろって手にした短刀の刃を俺に向ける。

 もはや、逃げ場は無い。


「大人しくしてるなら怪我はせずにすむのだな……」

 高まる緊張……。

 摺り足で、バルが間合いの中に踏み込んでくる。


 な、なんでこうなるんだよ……


 冷や汗が流れるのを自覚する中、遠くの方で、時計塔の鐘の音を耳にする。

 リーンゴーンリーンゴーン……


 その鐘の音と共に、またしても世界が灰色のモノクロームに染まって……反転していく。


 世界が反転していく。


 世界が反転。


 …………



「なので、昨日はリアンの風邪で医者探ししてたのだー」

「そうなのね。でも早目にお薬頂いて熱が下がって良かったわね。オフィエル祭、楽しみにしてたんでしょ? 妹さん」

「まー、それはそうなんだけどねー。明日までに絶対、身体を治して行く、て宣言されたんだなー」

「私達も行くのよね、アッシュ。ミリーが楽しみにしてたし」

 気がつくと元のテラス席でバルの妹の話を聞いていた。

 ……あの、凄味の効いたバルはもういない。


 助かった……のか?


 ようやく、胸の中に溜め込んでいた空気を一気に吐き出す。

 極度の緊張が解け、ドッと疲れがのし掛かる。

 どうやら、俺は『現在』に帰ってきたらしい。

 昨日と同じく。


 バルの妹は足の骨折ではなく、熱を出して風邪を引いたらしく、昨日は休みを取って医者探しをしていたとのこと。

 俺が、あの場に居たことは全く覚えていないっぽい。

 よく考えるとそれは昨日のミリーも同じだった。


 過去が変わるとその場に『俺』が居たことは忘れ去られるわけか。


 多分、バルを無理矢理起こす事で、バルが寝過ごして妹さんが水汲みで骨折する時間軸を阻止した、とみていいのだろう。

 だが、おかげでバルの妹・リアンは明日からのオフィエル祭に参加出来るようになるらしい。


 それは…………本当に、良かった。


 そう、この場の誰にも理解されることはないが、俺は『過去を変える』ことができたのだ。

 ……恐らくは、あの『時計塔』、そしてあの『天使』達の力で。

 あの現象は再び、起こった。



 ……一つ、決めた事がある。

 俺は、この現象を『刻戻り』と呼称する。

 これは勝手な予感だが……恐らく、これからもまた、この『刻戻り』は起こるのだろうから。

 ククク……いいぞ。

 俺にはその力がある。何故なんだかはさっぱりわからないが、あの『天使』達が言ってたのだ。

 そして、その度に俺は過去を、『運命を変えて』やろうじゃないか!




 と、俺が一人ほくそ笑んでいると、

「アシュ氏、なんかいやらしい笑いを浮かべて気持ち悪いのナ……そうそうレイチェル氏、知ってるー? アシュ氏がオカルトに目覚めた件ー」

 突然、バルが余計な話題を振りやがった。

「え!? 何それ? アッシュ、どうしちゃったの。あれだけ怪談話で怖がってた私を小馬鹿にしてたのに……」

「いや……アレは昔の小っちゃな頃の話だろ…………」

「本当に怖かったんだから! 私が苦手なこと知ってながらアッシュは笑ってるしー」

「…………」

 いかん、バルのヤツめ。余計なことを。

 焦って手元の飲み物を一口。

「あ! …………ぅぅ……」

なんだ? 急にレイチェルが黙り込む。

「あー、アシュ氏、それ、レイチェル氏のレモネードだよー」

 焦ったのとハムサンドの塩辛さで思わず手元の飲み物を間違えて飲んでしまった……。


「わるい、レイチェル。間違えて一口もらった。……確かに有名なだけあって美味いな、コレ」

「……う、うん……」

 なんだよ? 急に静かになって。

 何やら手をギュッと握りしめてる。……怒ってんの?

「じゃ、じゃあ、もう私、溜まってるお仕事があるから先に行くね!」

 あれ? たいした案件じゃなかったのかよ?

 俺の手からグラスを奪い、足早に去っていくレイチェル。

「これはアシュ氏が悪いんだなー」

 なぜかニヤニヤしながら俺のせいにするバル。

 俺が何をしたと言うんだよ……。

 残ったハムサンドを仕方なく口の中に飲み込む。

 懐中時計は13:15になろうとしていた。



⭐︎⭐︎⭐︎

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