09章『最高にリグレッタブルな過去改変』

***


「………………」

 帰りの辻馬車の中では誰もが無言だった。

 急に降り出した大雨が馬車の幌をパラパラと打つ音が響く。

 ……別に、誰かが攫われた訳でもない。誰かが大きく怪我をした訳でもない。

 それでも、俺たちは皆、無言だった。


 襲撃者——あのピエロ達。

 ヤツらは再びリアンを狙って来た。『天使似』の子供であるリアンを。

 それは、きっと町の上層部も絡んでいる話。

 だが、それは今は存在しない、以前の時間線の中でユリウス達と話した中で出て来たもの。

 俺は……この話をレイチェル達と共有出来ない。理由が見つからない……

 そう、そしてヤツらは、このエルム草原に『罠』を張った。

 特別便の始発の前に直接、脚で乗り込んでさも秋のピクニックを楽しむ観光客のフリをしてタイミングを謀っていたのだ。

 俺たち——リアンが今日、このエルム草原のピクニックに参加する、という事前情報が、どこで漏れたのか…………考えろ…………観察し、分析し、推定して…………



「……レイチェルお姉ちゃん……」

 ミリーの悲しそうな声が響く。


 ハッと顔を上げると、隣の席で、膝の上のネックレスの欠片を放心した表情で見つめ続けるレイチェルの姿があった。


「大丈夫。皆、無事だったんだから」

 そうレイチェルは話すが、その声は今にも泣き出しそうに震えていた。

 そんなに大したネックレスなんかじゃ無い。

 祭りの屋台で買った、そこらによくある紅玉石のネックレス。レイチェルの紅玉色の瞳に似合うな、と思って。

 それをレイチェルはここまで大事に思ってたのか……。



 俺たちの家は郊外なので、先に降りることとなる。

 放心状態のレイチェルを支えながら馬車から降りた時、セレスさんから声を掛けられる。

「……キミやバル君が『いらない』と言うので通報しないけど、本当に憲兵に連絡しなくても良いの?」

 結局、憲兵隊を嫌うバルは通報することを嫌がった。そのまま馬車を使わずリアンと一緒に雨の中、マントを羽織って歩いて帰って行ったのだ。

 ——俺は、その理由を知っているが、それは口には出せなかった。何故なら、それはもう存在しない前の時間軸の中で、バルが告白した事実だから。今の俺は何も知らないままで居なければならない。

「それと、彼女」

 チラッと傍のレイチェルを見る。そして、彼女には聞こえないように俺の耳に唇を近づけ、

「ちゃんと彼女を見ててあげなさいな、騎士(ナイト)さん」

 そう耳打ちして、馬車は走り去っていくのだった。

「…………」

 その姿を見送って、レイチェルやミリーと共に家に入ろうとする。

 と、その顔を見て、俺はハッとした。

 雨除けのフードを被った、その中、レイチェルは声を上げずに涙を流し続けていた。

「レイチェルお姉ちゃん……」


「……せっかくプレゼントしてくれたのに………アッシュとの絆…………壊して…………ゴメンなさい!」

「お、おい!」

「レイチェルお姉ちゃん!」

 俺やミリーの声も振り切り、レイチェルは家に入って行ってしまった。

 レイチェルの家の前、立ち尽くす俺たちに雨が降り続ける。

「……帰ろう、ミリー」

「……うん」

 それぞれの家に帰るしか無かった。

 チラッと振り向いた先の時計塔は13:50を指していた。



 昼から降り出した雨は夜になってもシトシトと降り続いていた。

 懐中時計の時刻は22:10だった。

 家の敷地内の離れにある元、石畳みの倉庫。そこが18歳になってからの俺の部屋だった。

 倉庫の窓からは隣家のミリーの2階の部屋の窓を見上げることができる。部屋の中の様子は分からないが、明かりは漏れていた。まだ起きているのか、ミリー……。

(アシュレイお兄ちゃん……ゴメンなさい……ミリーがピクニックに行こうって言ったのがダメだったんだよね……)

 そう言って、ミリーも止める間もなくそのまま家に入って行ってしまった。

 ……違う、ミリーのせいなんかじゃ無い。

 ミリーにまでこんな思いをさせてしまったのは、俺のせいだ。

 彼女には、この短期間に2回も怖い思いをさせてしまった。祭りの時と、今日。

 俺は……何をしてるんだ。

 何も出来てない。何も守れてない。

 大事な妹分達ですら。

 何が『刻戻り』だ!!

 何が『守る』だ!!

 レイチェルのあんな悲しそうな顔、俺は許さない!


 俺の中ではもう決めていた。


 明日の17:40。

 そこで『刻戻り』を行えば、今日の11:40、あのピエロ達の襲撃前に戻れる。

 そして、あのネックレスを守るんだ!

 ……もう、これ以上、彼女の涙を見たくないのだから。


 前回と違って俺は今回の全ての状況を既に把握している。大丈夫。俺だけの力で充分だ。

 そう、俺がやり遂げるんだ……




 ひどい雨足が止まぬ翌朝、レイチェルがいつもの時間に出てくるのを待つ。

「……ありがと、アッシュ。昨日はゴメン。心配かけて」

 いつもよりは少し遅れて家から出て来た彼女の目尻はまだ赤かった。その笑顔は明らかに無理して作ったものだ。

 俺は敢えてそれに気づかないフリをしたが、胸が痛んだ。

 その憂いた表情は昨日と変わらない。あの強気な彼女のオーラは何処にも無い。

 誰がこんな彼女にしたのか……言うまでもない。俺自身だ。俺が守れなかったからだ。

 辻馬車は大雨の中、いつもの様に走り、いつもの時間に中心街に着く。

 そこでそれぞれに別れて自分の職場へ向かう。

 ……そうして、今日の17:40まで待てば、刻戻りで全てを無かったことにできる。

 そう、無かったことに。




 時計の針は、いつもと変わらず過ぎていく。ゆっくり、17:40へと。

 昨日のことがあるのだろう。バルは急遽、休みを取っていた。

 誰もいない図書館で俺だけが一人、その時が来るのを待ち続ける。

 早く……早く過ぎてしまえ。刻戻りさえしてしまえば、全てを無かったことに出来る。

 皆を守るんだ。あの涙を無かったことにするのだ。

 昨日から続く大雨は夕方になって、ようやくその雨足を止めていた。

 窓からは、少しずつ晴れゆく雲の中、夕焼けが差し込みつつあった。


「相変わらず、この図書館には誰も来ないのね」

 そう言ってセレスさんが現れたのはそろそろ閉館時間になる頃だった。

「……セレスさん、済まない。出来たら今日は締めの作業を早目にしたいんだ。そうさせてもらって良いかな」

「ええ。私は構わないわ。調べ物は明日でも出来るから。アッシュ君は今から彼女の所に向かうのかしら?」

 俺がその問いに答えず、じっと無言でいると、セレスさんはムッとした表情になる。

「アッシュ君。あなた達がどれだけの付き合いの深さがあるのかわからないけれど、彼女、レイチェルさんがあれだけ傷ついたのはわかってるんでしょ? 恐ろしい目にも遭ってるのよ。少しでも長く彼女の側に居てあげなきゃいけなくて?」

 …………イラっとした。

 彼女は何を言っているんだ? どれだけ傷ついたのか、なんてのは幼馴染みの俺が良く分かっている。

 あのレイチェルが……あの強気な天才少女が、その全てが崩れ落ちてしまっているのだ。どれだけ傷ついているかなど、俺が分からないわけないだろう!?

 だから、俺はそれを取り戻す。だから……


「だから……やり直してやる……」

「やり直す?」

 ……言葉がつい、出てしまった。


「ちょっと昨日のあなた達が心配で来てみたのだけど……さっきの『やり直す』とは、一体、何のこと……?」

「いや、単に言い間違えただけですよ」

「そんな感じには聞こえなかったのだけれど?」

 やけにセレスさんは食い付く。


 俺は締めの作業に入ることで、敢えてセレスさんを無視するようにして、それ以上の追求を避けた。

 その作業も終わった頃、窓の外は夕陽で真っ赤に染まり、時計の針は17:25を指していた。

 もうあと15分。いよいよだ。

 汗がじっとりと背中を流れ、俺は何度も窓の外の時計を確認していた。


「……終わったのに帰らないのね」

 それまで黙って俺の作業を見ていたセレスさんが再び俺に問いかける。

 何がしたいのだ、この人は。

 もう、俺は『刻戻り』に入る直前だと言うのに。


「それに、やたらとあの時計塔を気にするのは?」

 …………時間を気にするのが、何が悪いというのだ。

 一つ一つ、セレスさんは何やら俺の表情を確かめるように問いただす。

 それは、何かしらの解答を俺の顔から読み取ろうとするかのように。


「まるで、あの文字盤を見逃さないようにしてるみたい」


 !?


 しまった!

 彼女の言葉につい……顔を歪めてしまった。

 それを見た彼女はしてやったり、と言う様に片目を瞑る。


「そう。やはり、そうなのね……」

 何も言わない俺の前でセレスさんは何かを悟ったかのように呟く。その次に彼女が放った言葉、それは、



「キミが『刻の改変者』だったのね。アッシュ君」



 『刻の改変者』

 初めて聞く単語だ。

 だが、それの意味するところは……


「このクロノクル市に『刻の改変者』がいるであろう事は予想していたわ。お養父様が感じとった『刻の揺らぎ』で」

 彼女は夕陽に輝く銀色の髪を靡かせながら、俺の反論を封じるかのように言葉を浴びせ続けた。

「そして、あなたはこれから再び『刻を改変』しようとしている。彼女の為に。違うかしら?」

 なぜ、それを……


「なんで……」

 つい、言葉に出てしまっていた。

 クソッ……

 俺のその反応に、セレスさんはその黄金の瞳を薄っすらと細め、口の端を上げて微笑む


「私『たち』には、時間の流れに微かな揺らぎが見えるのよ。」


 私たち……『天使似』

 銀髪と黄金眼の少年少女。リアンと同じ。

 聖天使オフィエル。


「……仮に…………仮に、俺がその『刻の改変者』だとして何か問題があるのか?」

「アッシュ君が『刻の改変者』である事に問題は無いわ。問題は『刻を改変しよう』とするその行為」

 それのどこが悪い?

 あのネックレスは、レイチェルの心の支えだったものだ。俺が守らなければならなかったものなのだ。取り戻すことの何が悪い。


 セレスさんは、はぁ、と大きくため息をついた。

「『刻の修正』はキミが思っているほど容易ではないわ。……軽々しく過去を改変するべきでは無いのよ」

 何を言っている。俺は、もう既に3回も過去を改変している。なのに、今、レイチェルが泣いているのに、それを放っておけ、と?

 既に時計塔の時刻は17:39を指していた。


「『過去を変える』、それはキミが思っている以上に危険な行為なのよ……」


 そう、時計塔の針は17:40を指し……いや、


 その瞬間、文字盤は、


 11:40


 再び、時計塔は今と異なる時刻、そう俺が望む過去の刻を示す!

 そして、その文字盤と針先には再びあの青い燐光が灯されるのだった。


「これが……『刻の改変』!?」


 隣で俺と同じように時計塔の文字盤を見ていたセレスさんが呟く。

 彼女もこの現象が見えている?

 だが、その時には俺はまたしても、既に動けなくなっていた。



 世界が再び淡いモノクロームの灰色に染まつまていく。

 俺も、セレスさんも、全てのものが静止し、全ての音が失われる無音の世界。

 そこに彼らは再び現れる。


《ウフフ……》

《アハハ……》


 頭の中に響く笑い声。

 灰色に染まる静止した図書館。その中に、青い燐光を纏った少年少女達がゆっくりと天井から舞い降りる。



《君は再び僕たちを呼び出した……》

《君が守りたいモノ……》

《ならば、その意志を……》

《そして、見せるんだ、僕たちに……》

——君の想いが、本当に世界に届くのか否かを


 瞬間、世界が反転した。







 そこは秋桜と桔梗の花々が咲き乱れる草原。

 その中で、ミリーとリアンが笑い合って互いにお花を頭に差し合おうとしてる。


 ここが11:25だったわけか。


 近くでくつろいでいた客達が、その正体を現し、リアン達に向かって走り出す。

 その内の一人がリアンに手が伸びる寸前。


「バル、リアンを守れ! そしてレイチェルも俺と走るんだ!」


 そう、これが最善手の筈。


 バルが飛び上がり、男の胸に飛び蹴りを叩き込む。

 セレスさんとワルターさんもそれぞれ、自身の武器を手に取り、こちらに向かってくる。そして、レイチェルも俺と共に走り出す。


 20人弱の襲撃者が一斉に襲いかかる。しかし、

「ふんっ。 遅い!」

 ワルターさんが一瞬で間合いを詰める。その長剣はまるで風を切り裂くかのように滑らかに振り抜かれ、襲撃者の曲剣を弾き飛ばす。

 あたりに激しい金属音が響き渡る。

 襲撃者が怯んだ隙を縫ってセレスさんがその囲いからこちらに飛び出す。

「私に任せなさい!」

 振りかざされた曲剣の刃が、俺達に届く前にセレスさんがすれちがいざま、細剣で叩き落とす。

「良し! 囲まれないように森の方へ行くぞ、レイチェル!」

 『昨日』と違い、襲撃者に囲まれないように森の方へ回り込んでリアン、ミリーと合流しようとする。あと僅か……!


 大丈夫だ。これでヤツが来ても皆、無事な筈。


 同じく、こちらの動きを悟ったミリーとリアンが襲撃者の輪を避けて森側に寄って合流しようとした、その時だった。


 視界の端……ヘルベの森と草原との境、ヤツがニヤリと笑って立っていた。


 その右手をくいっと持ち上げる。


 瞬間、


「アッ……!?」


 走っていたリアンの小さな身体が、まるで糸を引かれた人形のように空高く引き上げられる。


 あれは……そんな……


 全てが、まるでコマ送りのようにゆっくりと動いていく。空中に浮いたリアンの身体は高く弧を描いて、あの男——右眼に眼帯をしたモノクルのヤツ——ピエロの左腕にいだかれる。


「リアンちゃん! その子を放しなさい!」


 追いかけたレイチェルが、ピエロに抱えられたリアンを取り返そうと腕を伸ばす。


 ダメだ!


 ピエロが自由な右手で曲剣をふるう。


 レイチェルを抑えてその刃から、守ろうとした、その俺の手は——彼女の肩を通り抜けた。


 ——しまった!?



『刻戻りの時の俺に物理干渉は無意味だ』

 かつて、俺自身が自分に向けて話した言葉。



「キャァッ!」

「危ないのだー!」


ガキぃッッー!


 曲剣がレイチェルを襲う。それを横から追いついたバルがその拳で弾き飛ばす。

 その拳撃で曲剣の真ん中から叩き折られた刃の切先がクルクルと宙を舞い……


「……ッ!」

「レイチェルッ!」


 レイチェルの首筋を掠め……そして、何かがバラバラに砕け散る。

 あれは……ネックレス……!?


「フハハッ! 君ら如きで我らの邪魔が出来るとでも!? 目的は達成した! 行くゾ!」

 そう吐き捨て取り巻きの襲撃者達と走り去る。


「ボスーッ!」

「リアン! クソーッ!」


 バルが追いかけようとするも複数の襲撃者が盾となり、彼らをその拳で吹き飛ばすが、その隙にピエロ達はヘルベの森の奥へと消えてしまった。

 セレスさんが追い掛けるも、もう、追いつかない……。


 あれは……あの、空中浮遊は……あの場所に仕掛けられていた!?

 『昨日』とは違うルートを通ったから!? 罠のある場所を!?


 そんな……馬鹿な……俺は……刻戻りで……何を…………



 リーンゴーンリーンゴーン……


 鐘の音が鳴り響く。遥か遠く、時計塔の姿が見えないこのエルム草原の中で。


 バルが、レイチェルが、ミリーが、セレスさんやワルターさんが悲壮な顔をしている中で、またしても世界が灰色のモノクロームに染まっていく。


 何故だ!? 俺は、何のために刻戻りを!? 頼む! 待ってくれ! もう一度、もう一度、やり直させてくれ!!




 世界が反転していく。


 世界が反転。


 …………





 気がつくと、そこは夕闇が押し迫る元の図書館だった。

 時刻は……何時だ!?

 窓の外、夕焼けの向こう側、時計塔が指し示すのは17:55。

「……今、キミは戻ってきたのだな、『過去』から」

 夕焼けの赤く染まる室内。そこで佇むセレスさんが口を開いた。

 そう、『刻戻り』を行う前と変わらない姿で。

 ……『戻ってきた』とは?

 俺の疑念を読み取ったのだろう。

「先ほども言ったように、私『たち』は刻の揺らぎを感じ取る事ができる……キミが過去を改変する前の記憶も」

 過去を改変……

 そうだ、俺は……レイチェルのネックレスを守る為、過去に戻って、そして……


 ——リアン


「あああああーーーッ!」

 俺は……レイチェルを守れなかった!! それどころかリアンを攫われてしまって……

 そうだ。俺が過去に戻らなければ……彼女は攫われたりなんかしなかった。なのに……俺が……全て俺のせいで!!

 俺なんかが、過去を変えようとしなければ。

 刻戻りをしなければ!!


「アッシュ!!」


 図書館に飛び込んできたのはレイチェルだった。悲壮な顔つきで、泣きそうになりながら、彼女は俺たちに告げる。


「今、憲兵隊から報告が来たの……蒸気船が港を出航した、と」


 それは、俺自身が引き起こした災厄だった。



⭐︎⭐︎⭐︎

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