10章『それでも君を守りたい』-14

***


 ——俺は、何をした?



「……アッシュ……蒸気船の持ち主は、実は……」



 ——そうだ。俺が、刻戻りで過去を変えて……リアンが攫われた……



「持ち主は……カルタ帝国お抱えの大商人アルサルト……」

「アルサルトの船!? レイチェルさん、ちょっと待ちなさい、それって……例の奴隷商人の」



 ——そして、リアンは今、蒸気船に……



「……セレスさん……これは……」

「申し訳ないけども、これは外交問題にせざるを得ないわ」

「……しかし、ソリスト教国と容疑者引渡し条約の無い中でまだ被疑者レベルの者を……」

「それが、クロノクル市国としての立場なのかは確認させてもらう必要があるようね」



 ——俺は……



 そう、俺は、嗄れた喉の奥からようやく声を出す。

「……そして、アルサルトは『天使似』の子供達を奴隷として狙っていたんだったな」


 レイチェルとセレスさんは2人して、ハッとしてこちらを凝視する。

「アッシュ、何故、それを!?」

 なんでもいいだろ、もう。そんなのは。

 はっきりしているのは、もうリアンを救うのは『手遅れ』だという事だけだ。

 蒸気船は港を出た。出てしまった。

 もう、誰も追いつけない。蒸気機関車でも。



 ——俺が、そう、過去を改変してしまった。



「そう。それが『刻の改変』の恐ろしさ。身を持って知ったのかもしれないけども……代償は大き過ぎたわ……」

 彼女、セレスさんは俺を断罪する。

 他の誰でもそれは出来ない。

 唯一、『天使似』の力で以前の時間軸——リアンが無事な世界——を知る彼女だけが俺を、責める。

 むしろ、責めてくれる人がいて良かった。

 誰も知らない中で、俺だけがその罪を背負っているなど……


「……アッシュ君、キミはまだ『刻』に対する知識も、その責任感も乏しいわ。でもキミが『刻の改変者』であるなら、私の祖国に来て勉強し知識を得ることができる」

「セレスさん! 何を言ってるんですか!? こんな時に!」

「こんな時だからよ。キミならその意味がわかるはず。取り返しのつかない失敗をしたキミなら。……ならば、私の祖国、『刻と愛の主神ソリスト』様の元、貴方は自身を修練する必要がある」


 ——そう。俺は取り返しのつかない失敗、ミスをした。そして、その結果、リアンは、バルの大事な家族は手の届かない所に……


 俺自身、もう、それで諦めていたのだった。



「勝手な事を言わないでください! アッシュは必ず取り返します。取り返しのつかない失敗なんて、無い」


 レイチェルは、セレスさんの言ってる事など分かって無い筈なのにそう断言する。

 なんでだよ? 過去を変えてしまうって分かってるのか?

 もう……蒸気船は行ってしまったんだぞ!?


 いや、この天才少女が分かってない訳はない。蒸気船が出た意味を。

 分かっててコイツはそんな無茶な事を言ってるのか?

 なぜ!?


「レイチェルさん。貴女には分からないかも知れないけど。彼が『過去を変えた』ことでリアンさんは攫われた。彼がこの事態を引き起こしてしまったのよ?」


 そうだ。俺が、この災厄を引き起こした。『刻戻り』をしてしまったことで。

 それが、俺の罪……


「……だとしても、アッシュはそこで止まる人じゃない。必ず、やり遂げてくれます」


 ……なんで、そんなこと言えるんだ? 俺自身が諦めかけているのに……なんで、レイチェルはそこまで……


「アッシュが私と約束して、それを破った事は一度も無い。だから、今回も私と約束してくれたら、絶対にやり遂げてくれるわ」


 それは……俺がレイチェルと約束するのは、絶対に出来る事だけだったから。小さい頃から。

 幼いレイチェルでは、そこまで先を想定出来ないことを俺が前もって準備して、どんな時だってレイチェルとの約束を叶えてやった。ただそれだけだ。

 それは言ってみれば手品の種みたいな物だ。俺自身は、ちょっと頭の小回りが効く程度の、彼女の言う勇者なんかじゃない。

 そんなんじゃないんだ、俺は……


 俺自身が、自らの自信の無さに打ちひしがれてるにも関わらず、それでも、レイチェルはセレスさんの前でもう一度、宣言する。


「アッシュならやり遂げるわ!」

 何故……お前はそんな事が……言い切れるんだよ……


「だから……アッシュ、私と約束して。やり遂げてくれるって。リアンちゃんを助けて……お願い……」

 そして、セレスさんと対峙するかの様に立っていたレイチェルは背後の俺を顧みる。

 そのモノクルの奥、紅玉色の瞳は不安とそして俺への期待とで揺れていた。

 レイチェル……

 どうして、お前はそこまで俺の事を信頼できるんだ? どうして……


「アッシュは、私の英雄だもの。10年前から、ずっとね」


 『私の英雄』


 俺を見上げるレイチェルの瞳。それはあの時と同じ俺への絶対の信頼の眼だった。



 …………本当に俺は馬鹿だ。


 何が『無二の信頼を寄せてくれるレイチェルがいなくなった』だ。

 今、こいつは、俺の妹分は全身全霊で俺を信頼してくれてるじゃないか!!

 なんで、『あの時のレイチェルはいなくなった』と思った!

 レイチェルは、どんな時間軸だろうと、何処にいようと何時だろうと、俺を信じてくれる!


 自分のした事に、呆れ返るのは後でもいい。

 今は、レイチェルが俺を信じ続けてくれるのならば。

 今、俺がやれる事をやるしかない。

 後悔ならば、後でしろアッシュ。存分に。



「レイチェルさん、あなたがそう思っていても、彼は……」

「……俺なら……大丈夫だ。ありがとうな」

 俺はゆっくりと頭を振る。

「俺は約束する。やり遂げてみせるよ。リアンちゃんを取り戻す。守ってみせる」

 そうしてレイチェルの頭を右手で撫でて約束する。

「ん……ありがと。アッシュ」

 そうだ。俺を信じてくれているレイチェルがいる限り、俺は『彼女の英雄』に成り続けねばな。

 だから、考えろ!

 観察し、分析し、推定しろ!



「……キミ達でそうやって勝手に盛り上がるのは良いんだけど、これからどうするのかしら? もう時間は止まらないのよ」

 俺たちを微妙な目つきで見下ろすセレスさんに俺は、先のやり取りの中で考えていた事を口にする。

「そうですね。ではまずは憲兵隊本部へ向かいましょうか」

 まずは現状を『観察』するところから始めようじゃないか!





 憲兵隊本部は図書館のある中心街の一角なので訪れたのはすぐだった。

 因みに時刻は懐中時計で18:15。

 陽もかなり沈みかけており、夕闇が徐々に辺りを支配しようとしていた。

 捜査権かつ指揮権(一時的だが)を持つレイチェルが用を伝え、その相手の元へと案内してもらう。

「お前達か……」

 例の執務室で俺たちを出迎えた少尉はあからさまに嫌そうだった。

 ……今回も最初から『お前』呼ばわりですか、そーですか。

 と、思ったのだが、よく見ると少尉が仏頂面で睨んでるのは俺ではない。その背後に立っているセレスさんだった。

 なんでまた?

「あら、少尉? 先週の稽古の結果がお気に召さなかったのかしら?」

 例の鈴を転がすような声で、その実、からかい口調でセレスさんは問いかける。

「……別に。良い稽古をつけて頂いた。礼を言いますよ……」

 全然、お礼の態度ではないぞ、それ。

 どーもセレスさん、ユリウスと剣の稽古でもしたよーだが、コテンパンにのしてしまった、と。それを僻んでるのか、コイツは。

 てか、少尉級相手に勝ってしまう剣力って、この人、一体何なんだよ。司祭の筈なのに布教してる姿なんざ一切見ないし。

 と、そんなことはいい。

「ユークリッド少尉。先ほども確認したけど、もう一度、状況を確認させて。警備網も含めて」

「……彼らにも、ですか?」

 どーせ例によって、内部情報うんたらと言い出してゴネるのか、と思ったのだが、

「はぁ……クロノクル市法・憲兵組織法第23条その2による分隊長許可にて情報共有を行う……これで良いですか、サファナ判事」

「ええ! 合格よ、少尉」

「…………」

 なんか今回はあっさり認めたな。毎回、これだと楽でよいのだが……

 えらく疲れた顔でユリウスは状況を説明する。


 昨日、例のピエロ達の襲撃に合い、急いで町に戻った俺たちはまず憲兵隊に通報。『天使似』のリアンが誘拐されたことを重く見たユリウスは全憲兵隊を動員して街の各所に警備網を手配したらしい。

 それこそ、クロノクル市の出入り口から、当然、例の港にある蒸気船への出入り口まで。

 昨日からの大雨で見通しも悪い中だったが、『これだけの動員数だ。見逃しなどあり得ない』とのことだ。

 全ての手荷物も含めて臨検しており、荷物に隠されたリアンが蒸気船にたどり着いた可能性はない。

 無い筈だった。


「だが、蒸気船は突如、出航した。港の出航可能時間18時ギリギリのつい先程な」


 なるほど。それでこの憲兵隊本部も情報収集でバタバタしているのか。

 だが、これで一つ、ハッキリしたことがある。これだけの臨検数を中央突破していない、もしくは何処かの部隊内で誤魔化して突破などしていない、のならばやはり憲兵隊自体はシロ、だ。となると、憲兵隊からの情報を自由に触れる事の出来る存在……もっと上のヤツらが『敵』と言うことか。

 『敵』は、憲兵隊の総動員を知った。なので、無理な突破は図らず、大人しく隠れ続けたのだ。

 だが、蒸気船は出航した。出航可能時間ギリギリに。

 何故?



 聞き出せるだけの情報を本部から得た俺たちは外に出る。

「この後はどうする予定なのかしら」

 レイチェルは兎も角、何故かセレスさんまで付いてくる。

「……キミの行動を見させてもらってるのよ。『刻の改変者』として相応しいのかどうか」

 さいですか。——んな周りのことなどもう気にしてられるか。

 時刻は18:35。

 陽はもう落ちきって夜の帳が辺りを支配している。

 因みに、レイチェルはこの後、例によって勾留されてるアルサルトの所に向かおうとしたが止めておいた。どーせ、何も喋らん。

 レイチェルはちょっと迷ったみたいだが、結局は俺たちに付いてくることに決めたようだ。

 予想ではそろそろ来ると思うんだがな。きっとここを見張ってるに違いないのだから。





 そう思っていた俺に声を掛けてきたのがやはりヤツだった。


「アシュ氏、さっき憲兵隊本部から出てきたよねー」


 振り向くと、そこにいたのは昨日の事件発生から別行動をしていた(らしい。俺自身には刻戻りの影響で記憶がない)はずのバルであった。


「バル君! 今までどうしてたの? 皆も憲兵隊も必死でリアンちゃんを探していて」

「色々となー。リアンはまだ見つかってないんだろー?」

「そうなるな」

「だとすると……ちょっと話したい事がある。こっちに来てくれないかなー」

 そう言ってヤツは歩き始めた。きっと例の場所に。

 俺もそれに従う。

 レイチェルとセレスさんも戸惑いながら付いてくる。



 中心街から少しだけ行った先の裏路地に入った空き家街。

 その中の例の空き家、そこにあったボロボロの本棚を横にずらし、現れた地下の階段を降りて行く。

 階段の先、例の地下室は湿った匂いとともに壁のランタンが周囲の少年達の姿を浮かび上がらせる。

「こ、この子達は!?」

 レイチェルが不安な表情で呟く。傍のセレスさんも緊張の表情を押し殺しながらその手は密かに細剣の柄にかかっていた。

 何故なら、俺たちを取り囲む様に包囲する少年・少女達の手には各々、短刀といった刃物が握られていたから。

 だから……

「僕たちが求める情報を頂ければ、別に問題は無いのだなー」

 そう言って俺たちを脅して要求を得るつもりなのか。

 ……バルよ、お前がそういうつもりなら悪いが容赦はせんぞ。




「なるほど、となるとバルよ。情報共有さえすれば、お前達、少年ギャング団、『バルスタア団』と協力関係を築けると言うことか」


「ンなァッ!」




 俺の一言で場にいた全員が驚愕する。

 レイチェルやセレスさんは『少年ギャング団』という言葉に。バルや少年達は『バルスタア団』という名前に。


「あ、アシュ氏!? 何故にその名を!?」

「やかましい! こっちは時間が惜しいんだ。前みたいにチンタラ話し合いしてる余裕は無いんだからガッツリ行かせてもらうぞ!!」






 全てをぶちまけてやった。

 彼ら、バルも含めて貧民窟の孤児の出であること。リアンも含めて『バルスタア団』という家族である事。バルがその団長であること。皆、アジトの1階、壁も何も無い倉庫みたいにだだっ広い床で雑魚寝して過ごしており、バルは屋根裏で衣服を散らかして寝ている事。詐欺や追い剥ぎ達を吊るして有金を巻き上げている事。

 もうありったけを、だ。



「……何それ。頭の中を全部、覗かれてるみたいで怖いっつーか、恐ろしいっつーか。アシュ氏、今までそんな事、お首にも出さず……なんて恐ろしいヤツなんだ……」

 青ざめた顔のバルがボソリと呟く。周りの少年達もエモノ自体はまだ手にしているがもはや攻撃の意思はない。こちらを恐る恐る伺っているのがわかる。

 いきなりバルや『バルスタア団』の秘密を盛大に晒してやったせいで、俺に対し戦々恐々のご様子。

 まぁ、狙ってやったのは確かなんだがなー。


「先も言ったように、これを世間にバラしてどうのこうのする意思は俺には無い。俺が求めているのはリアンを助ける事だけだ」

 そう。それがレイチェルの英雄としてやり遂げることだから。

「うー、しかし、もう蒸気船が……」

「それは分かっている。分かった上での話だ」

「……彼は『刻の改変者』なのよ」

 これだけ言ってもまだ踏ん切りがつかないバルにセレスさんが解説する。俺の刻戻りのことを。

「過去を変える? そんな事が本当に?」

「信じられないかも知れないけど、私自身、改変前の記憶を微かに持っているわ」

「……アシュ氏じゃなく、セレスさんに言われると納得出来るんだなー」

 バル、お前。よくまぁ、ンな事、言ってくれやがる。前は中々、信じなかった癖に。

 と、まぁ、そんな事よりもやるべき事がある。

「なので、協力できるのか? 『バルスタア団』」

 バルは俺の差し出した右手を見て、はぁ、とため息をついてから握り返すのだった。

 なんでため息をつく、そこで。くそー。



 俺たちは憲兵隊での情報とバル達少年ギャング団の情報とを照らし合わせる。

 やはりバル達は昨日の別行動の後、ピエロ達リアン誘拐犯を捜索していたらしい。

 憲兵隊とは別に、警戒の穴になりやすい路地やスラム、貧民窟などを中心に。更には臨検する憲兵自身にもこっそり見張りを立てていたが、怪しい動きはなかったらしい。

 やはり憲兵隊自体に裏切り者がいる訳ではないのか。

 となると、どうやってリアンが蒸気船に運び込まれたか、だが。

 そもそも街の出入り口の臨検に引っかかって無い、ということはピエロ達はまだ街の外、か。

 であれば、だ……

 机の上に広げた地図を見る。港町クロノクル市があり、その南東の外れにあるのがエルム草原。そこに隣接するのは

「ヘルベの森……」

 ヤツらが潜んでいるとすればここの可能性が高い。

 だが、問題はここからどうやって蒸気船に運び込んだか、だ。しかも出航時間ギリギリに。

 街の出入り口も港も厳重な警戒で運び込む隙は無かったはず。

 そうなると……

「これ、か」

 俺は街から海岸線沿いに南の端、漁師用の波止場を指差した。

「これ? この波止場が一体?」

「ここは街の外れです。憲兵隊達もここまでは臨検出来ていない筈」

 少なくとも、さっきユリウスに聞いた警戒網の中には入っていなかった。そう、セレスさんに説明する。

「しかし、アシュ氏、ここから漁船で港に向かった、てこと? 港に船が着いたなんて連絡は聞いてないぞな?」

「港ではなく、洋上、船同士で引き渡すのであればどうなる?」

 その俺の言葉にレイチェルがハッとする。

「そうか! それで蒸気船は出航可能時間ギリギリに出たのね! さっきようやく雨が止んで漁船が出れる様になったから」

 そうだ。

 昨日から続く大雨で海もかなり時化っていた筈だ。漁師達が使う小型の漁船では海に乗り出せないくらいに。

 その雨が止んだのが、つい先程の夕方。

 波止場から漁船が出せたのを確認して蒸気船も出航したので、出航可能時間ギリギリになった、というわけだろう。恐らくは。


 ——これで、現状を観察・分析し、何が起こったのかは大体、推定し終えた。


 後は、これからどう阻止するか、だ。


 リアンが攫われる事そのものはもう阻止できない。

 懐中時計の時刻は19:35。

 何処かで、俺が『刻戻り』で過去を修正しなければ、今の現状は変わらない。


 ——出来るのか!?


 嫌な汗が伝う。

 あの時の、過去を改変失敗した時の想い。いや改悪だ、アレは。

 もう一度、過去に跳んで、俺は本当に修正できるのか!? 今よりも、もっと悪い事になってしまわないのか!?



「大丈夫」

 目の前に、レイチェルの顔があった。

「アッシュなら。信じてるから」

 そして、俺の両手を包み込む様に手に取り、自身の胸元で祈る様に抱きしめる。


 ?


 何か小石の様なものが当たるが、コレは……

「うん。ネックレスは壊れちゃったけど……この石だけはあるから」

 レイチェルの掌の中、それは紅玉石だった。

 壊れて石だけになったもの。

「私とアッシュはちゃんと繋がってる。私は信じてる」

 『私の英雄』

 レイチェルは俺のことをそう呼んだ。

 ただの幼い頃の幻想。憧れだろう。

 でも、レイチェルは何があっても、他の誰がどうだろうと彼女だけは俺を信じてくれる。

 ——なら、肝心の俺が、兄貴分の俺がそれをやり遂げないでどうするのか。


「セレスさん」

 彼女の名を呼んだ。

「どうしたの、アッシュ君。現状は分かったけど、キミはここからどうするつもりなの?」

 ここで『刻戻り』を行うには一つ、問題がある。

 既に、この時間軸は俺の先の『刻戻り』で過去が改変されてしまっている。

 そして、俺は改変された後の事象の記憶が無い。

 『刻戻り』はその事象と時間が認識されていなければ起こせない。この改変後の世界で俺が記憶している事象とは一体……

「セレスさんは、過去改変前の記憶も持ってるんですよね?」

「? ええ、そうよ。と言っても、おぼろげで夢のようなものなので細部をはっきり覚えていられるものではないのだけれども」

 それで十分だ。

「セレスさんから見て、改変前と同じことがあったという記憶は無いですか?」

「同じこと? うーん……」

 セレスさんは少し考え込み、そしてレイチェルの方をチラッと見て、

「帰りの辻馬車で、レイチェルさんが静かに泣いていたこと、ぐらいかな……同じとなると」

 なるほど。

 まぁ、リアンが誘拐される、されないでは行動が皆、違いすぎるだろうから、そこぐらいしか無さそうだな。

「……セレスさんにばれてたんだ……」

 隣で何やらショックを受けてるレイチェル。

 帰り際、レイチェルが涙を流したまま帰宅したのが確か13:50。

 となると逆算して刻戻り可能になるのは……19:50?

 マズい!?

 懐中時計の時刻は19:45を示している。

「時間がない! 今すぐ刻戻りを使う!」

「おお? アシュ氏、どこへ!?」

「……また、使うのね。アッシュ君」

 セレスさんは少し呆れた口調で言うが、今度は俺を止めようとはしない。

「止めないんですね」

「……キミなりの考えがありそうなのでね。それが吉と出るか凶と出るか、確かめさせてもらうわ」

 そして、最後に俺はレイチェルに告げる。

「じゃあ、行ってくる」

「うん、頑張って。行ってらっしゃい、アッシュ!」



 時計塔の文字盤は19:49。

 そして、針が進み、19:50になった瞬間、文字盤が蒼く光り出す。

 その指し示す時刻は


 13:50


「これが、『刻戻り』……」

 隣でレイチェルが息を呑む。後ろでバルも何やら騒いでるようだが。

 やはり以前と違って皆にもこの異常が見えているらしい。この違いは一体……

 だが、その考えがまとまる前に既に世界はその全ての動きを止め、永遠とも思える静寂が広がる。


 その見える全てが灰色のモノクロームに染まり、そして彼らがやってくる。



《ウフフ……》

《アハハ……》



 脳に直接響き渡る笑い声。

 青い燐光を纏った少年少女達がその空からゆっくり舞い降りる。



《君と僕たちの契約……》

《この町の嘘をあばく……》

《その想いが届くまで……続けるんだ……》

《例え君の望まぬ結果になったとしても……》

《その為に見せるんだ……》

《君の意思を……》

《その想いが本当に守れるのか……》

——君の想いが、世界に抗えるのか。


 瞬間、世界が反転する。




 そう。俺は、もう一度、俺の意思で刻戻りを行った。

 ——リアンを、レイチェルの想いを守るために。


⭐︎⭐︎⭐︎

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