13章『素敵にイリシットラビングな三角関係』-02-01

***


「では、被告は起立を」

 長髪の白髪を揺らしつつ述べたクリフトン教授の言葉に、ヤツ——アルサルト・リーベラはその場に起立する。

 時刻は10:30

 初めて顔を見たが、何とも、でっぷり太って脂ぎったオヤジ、それが俺の初印象。長期間、勾留されてたはずなのに、やつれた様子が欠片も見受けられない。

 アルサルトは弛んだ顎を揺らしながら答える。

「はいはい。外務大臣におかれましては、この理不尽な対応について是非とも改善を考慮して欲しいところですなぁ」

「……ここは裁判の場であり、今の私は判事長としての立場ですぞ。外務大臣としてここにいる訳では無いのです。ご理解頂けるかな?」

 やれやれ、と言った風に頭を振って、クリフトン教授、じゃない判事長はこれまた真っ白に染まった口髭を揺らしつつ諭すようにアルサルトに説明する。

 あの人、外務大臣も兼ねてたんだっけ。どんだけ、役職を重ねてるんだか。ウチの国が如何に人材不足であるか、も示してるけど。

 でもそのせいで手が回らんくなってレイチェルとかに仕事をぶん投げられたりしてるんで。その辺り、レイチェルの兄貴分としては何とかして欲しいと本気で思ってる。

「では、原告側」

 クリフトン判事長の呼び掛けに、立ち上がったのは、例の黒い法服を纏ったレイチェルだった。

「はい、判事長。彼、アルサルト・リーベラには奴隷売買の違法行為を行った嫌疑が掛けられています」

 レイチェルはその内容について、傍聴席にいる俺たちにも分かりやすい様に説明し始めた。


 大商人アルサルト・リーベラの初公判。

 長らく勾留中だったヤツの最初の裁判。やはり大きなニュースなのだろう、傍聴席には記者らしき人物も詰め掛けており、かなりな人数になっている。

「……という事です」

 レイチェルの話によると、このアルサルトは貧民窟の孤児院に赴き、そこで複数の児童を自身の商船に招き入れ、本国カルタ帝国に連れて行こうとしていたというのだ。……児童奴隷として。

「全くの誤解ですな。我が母国、カルタ帝国での生活の在り方を教えてあげたところ、移住を希望される子達がいたので、あくまで彼らの希望に沿って、連れて行ってあげようというだけですよ。よほど、貴国での生活が辛いのでしょうな……それとも、そこに何らかの金銭的やり取りでもあったと仰るので?」

 あくまで親切心から、と言い切るつもりらしい。

「……判事長、こちらの証人から証言をしてもらっても良いでしょうか?」

「構いませんよ。では、原告側の証人をこちらへ」

 レイチェルが証人として呼んだのは……セレスさんだった。

 その腰まであるサラサラの銀髪をたなびかせながら、中央の証言台へとツカツカと歩み寄る。

 ……何故か、一瞬、傍聴席にいる俺の方にチラッと流し目を送り、笑みを浮かべる。

「では、聖教ソリスト教国の特使である私、セレスティア・トリファールが証言させて頂くわ」

 そう言い置いて、セレスさんは証言を始める。

 それは、主に聖教ソリスト教国が調査した内容でもあり、つまり大商人アルサルトの他国での奴隷売買の有り様であった。

 カルタ帝国や一部、奴隷制度が残る国々を回り、孤児院や親にはお金を握らせ、子供たちに『夢や希望の生活』を語り、自らアルサルトの船に乗せてしまう。その後、彼らが行き着く先は、

「……奴隷として他国に売られるか、もしくは帝国の特殊部隊として……洗脳される」

 特殊部隊……。

 俺の脳裏によぎるのは——例の『黒マント』。まさか……ヤツらは、アルサルトの犠牲者だった?

 傍聴席も、その証言内容にざわつく声が漏れ出す。

「ですので、我が祖国、聖教ソリスト教国はかの犯罪者、アルサルト・リーベラの引渡しをクロノクル市国に求めています」

「……セレスティア特使。今の貴女は原告側の証人として立っておられる。私も外務大臣では無く、判事長としてこの場にいることをお忘れ無く」

 セレスさんは、クリフトン教授わ——判事長か、の言葉に両肩をすくめてみせる。断られるのをわかってて言ってやった、というやつだろう。

「困りましたなぁ。その様な妄言。そこまで仰るからには証拠はあるのですかな?」

 そう反論してきたのはアルサルト自身だった。

「そもそも、貴国は当初より私を『犯罪者』と勝手に断罪、指名手配までしている。その様な国の使者の言葉など、どこまで信憑性が置けましょうかな」

「……とのことであるが、その証言を支持する具体的な証拠とやらは?」

 クリフトン判事長に問われて、セレスさんもレイチェルもグッと唇を噛み締める。

 ……証拠。やはりそこが一番の問題点だったのだ。

 その様子を見てアルサルトは勝ち誇ったかの様に、せせら笑う。

「……これにて第1回の公判は終了する」

 クリフトン判事長の終了宣言だけがその場に響き渡るのだった。



 時計塔の文字盤はお昼過ぎの12:50を示していた。

 別に俺はわざわざ、裁判の傍聴に朝から来た訳ではない。

 とゆーか、こっからの就任式が俺の主目的であり、それまでの時間潰しに傍聴してたよーなもんである。

 ……まぁ、『敵』の中心人物かもしれないヤツの顔を確認しておきたかった、てのはあるのだが。あと、レイチェルの仕事ぶりってやつも。

「あー、アシュレイお兄ちゃん、お待たせー!」

 ミリーが両親と共にやってきたのはヤツの初公判が終わってすぐだった。例の大広場で待ち合わせ。

 ミリーはいつもの元気いっぱいの笑顔。

「えへへー、レイチェルお姉ちゃんの就任式。ミリー達もお祝いできるんだよねー」

 そうなのだ。俺がわざわざ有休を取ってまで(バルには図書館でお留守番をしてもらって)、ここにいるのはレイチェルの就任式、それに参列する為である。



“……アッシュ。今度ね、私、『見習い』が終わるんだ”

 そう言われた時、最初、意味が分からなかった。

 見習い、とは?

“判事になって最初の6ヶ月は『見習い』扱いなのよ。それがようやく今度の就任式で正式な判事として認められるの……良ければ、アッシュにはその就任式に来てくれたらな、て……”

 そりゃ、大切な妹分であるレイチェルの大事な就任式なら参加するに決まってる。

 とゆーか、レイチェルよ。

 『見習い』扱いで色んな捜査権やら指揮権をあんだけバシバシ行使していたのか……そっちの方が驚きだわ。

 思ってたより無茶してたんだな……。



 合流したミリー一家と共に行政府の庁舎に赴く。

 事前にレイチェルからもらっていた許可証を提示して中に入る。

 『100人評議会室』

 そう評される、普段は評議会が開かれる、その場所が今回の就任式の舞台だった。

 俺たちが居てるのは評議会議員達の議席の遥かに後ろ、聴講者用の座席。それでも200人は入るだろう大広間。1、2階の上下に分かれて評議会全体を眺めれる様になっている。俺とミリー一家はその2階から式に臨むことにする。

 その中央、一番の注目が集まるそこは数段上がった舞台になっており、背後には初代ガイウス市長の銅像が立っている。

 その前に佇むのは、精悍な顔つきをした中年男性——ジーグムント・ガイウス市長。

 流石に、自分の国の首長の顔ぐらい覚えているわい。

 そして、彼の前に跪くのは黒の法服を纏った4人。

 その内の1人、唯一の女性がレイチェルだ。

 ジーグムント市長が一人ずつ名前を呼び上げ、起立する彼らに、本人の名入りの“黒鷲の紋章”を手渡す。

 そして、レイチェルの名を呼び上げられた瞬間、記者達が回りを囲み、多くのカメラを向け、ジッと撮影の時間が過ぎる。

 ……きっと明日の新聞記事のトップニュースなのだろう。

『史上最年少の天才美少女、正式に判事就任となる』

「わー、レイチェルお姉ちゃん、凄いねぇ。記者さんにいっぱい囲まれてるよー」

 ミリーが楽しそうに話す。

 そうなのだ。

 レイチェルは天才なのだ。俺なんかとは釣り合いが取れないほどの。

 壇上の彼女と、遥か後方の観客席の俺。

 この距離が、本来の俺たちの距離。

 周囲が大勢の拍手で湧く中、俺は何とも言えない孤独感を感じるのだった。



 就任式が終わり、レイチェルが囲み取材をようやく抜けて来た頃には時刻は15:30になっていた。

 朝からの裁判と言い、もはや1日仕事だな、これは。

「ごめんね、ミリー。待たせちゃって。アッシュも」

「ううん、レイチェルお姉ちゃん、すっごくかっこよかったよー! おめでとう! ミリー、感動したもの! ミリーもレイチェルお姉ちゃんみたいに頑張りたいなぁ」

「そう? ミリーにそう言ってもらえると私も嬉しいかな、えへへ」

 ミリーの言葉に、嬉しそうに微笑むレイチェル。

「ああ、本当に良かったぞ、レイチェル。おめでとう!」

 俺の言葉にレイチェルは少し頬を赤らめ、恥ずかしそうにしながら、

「うん……ありがと。アッシュに見てもらえてる、て思うとすごく勇気づけられたから」

 そんなものなのか?

 まぁ、大事な妹分の力になれてるのなら何よりだが。

「しかし、朝から裁判に、就任式と大変だったな。これでようやく今日の予定は終わったのか?」

「それが……」

 俺の問いかけにレイチェルが言い淀んだ時だった。


「ここに居たんだね、レイチェル君。おや? そこにいるのはアシュレイ君かね?」

 俺たちに声を掛けてきたのは長髪の白髪姿のクリフトン教授——いや、判事長か。ついレイチェルの大学時代での接点が多いもんでそっちで認識してしまうんだよなぁ。

 と、その隣には何故かいつもの憲兵姿ではない、白の礼服を着たユリウスまでいる。

「自分がいるのが納得いかない、とでも言いたげだな」

 フン、と鼻を鳴らして言うユリウス。

 誰も、んなこと言っとらんだろーが。……心の中では思っているが。

「これでサファナ判事は正式に判事として認められ、我らが憲兵隊をも指揮される立場。我々憲兵隊がそれを讃えない訳が無いだろうが」

 聞いてもいない出席理由を言い募る。誰も理由なんざ聞いてないっつーの。

「……相変わらず、アッシュもバル君も、ユークリッド少尉とは相性が悪いみたいね」

 苦笑気味にレイチェルが言う。

 相性じゃなく、きっと前世での奴の行いが悪いんだな、違いない。

「それはともかく、この後、夜には懇親会場でレセプションパーティーが行われるそうなの。私もそれに参加するように言われてて……良ければ、アッシュも、どうかな……?」

 例の左眼のモノクルの奥で上目遣いに頼み事をするレイチェル。いつもの俺への甘えた仕草だ。

 これが出ると、俺はこの妹分の頼みを受けざるを得ない。

“ああ、構わないぞ”

 と、答えようとしたのだが、

「ああ、レイチェル君。彼が出席するのは無理なんだよ。残念だが」

 クリフトン教授が、それを否定した。

「海外の方々も招いての国の行事としてのパーティーなのでね。出席者はそれなりの地位のある者に限られているのだよ」

 地位、ねぇ。

 教授の隣のユリウスが何やらニヤッと笑みを浮かべる。

 騎士級ということはこいつも貴族の出、なのだろう。

 クロノクル市は貴族制を廃止し、民主制を取り入れた。と言っても、結局、政府の要職や富裕層は元貴族がほぼほぼ占めていて、細かなところではこんな身分制度じみたものは生き残っている。彼らが顧みない貧民窟はそのまま捨て置かれて、だ。

 バルが嫌ってる所以である。

「え!? ……そんな、アッシュが出れないなら私も……」

「主役のレイチェル君が参加しなくてどうするのかね。このパーティーは君達の御披露目でもあるのだから」

「…………」

 俺やミリー達、ただの平民は、申し訳無さそうに頭を下げながら教授の後をついていくレイチェルを見守ることしかできなかった。



 有休を使って、朝から町の中心街を行き来する俺のスケジュールはこれで全て終了となり、何の予定も無くなった。

“今からリアンちゃんと会う予定があるの。また今度、一緒にね”

 と言ってミリーは両親と一緒に帰って行った。

 しかし、リアンはそんな自由に出歩いて大丈夫なのか?

“トライド君ってお兄ちゃんが町にいる時は護衛でついててくれるんだって。何かあったら呼子笛ですぐ憲兵隊も呼べるからって。あとキケセラさん、てお姉ちゃんも一緒みたいだよー”

 あー、トライド、か。確かに彼は若いが強かったな。キケセラもいるなら確かに安心か……

 だが、そう言いつつもミリーの表情は微妙だった。

 どうしたのだ?

“うーん……トライド君ねぇ……リアンちゃんに一目惚れしたんだって。『必ずキミを守るっス』て言ってたんだー”

 一目惚れ、ねぇ…………

 …………あれ?

 トライドは確か13歳と言ってたな。リアンは確か……8歳……。

 いや、歳の差は決して悪いわけでは無い。悪いわけでは無いのだが……。そ、その歳の5歳差、なぁ……。

 ミリーの微妙な表情が俺にも移ってしまうのだった。




 ミリー達とも別れ、手持ち無沙汰で帰るか、としていた時だった。

「あら、アッシュ君じゃない。こんな所で何してるのかしら?」

 俺を呼び止めたのはセレスさん、それに後ろに控えるワルターさんだった。

「アッシュ君達もレイチェルさんの就任式に参加してたのよね? 私たちもその帰りよ」

 そういうセレスさん、裁判の時の服装と違って司祭服、白のアルバを纏っている。

 ……この人、本当に司祭だったんだなぁ。

 感慨深くて、つい思った感想をこぼしてしまった。

「……キ、キミは私のことをそんな風に見てたの……!?」

 おー、この人がダメージ受けた表情、初めて見たわ。何故か、後ろでワルターさんが何やら複雑な表情をしている。

「それより。こんな所で何してるの? 確か、次はレセプションパーティーなんだから、ちゃんと準備しておかないといけないんじゃない?」

「ああ、それ、俺たちは参加出来ないんですよ」

 何せ、平民なもんで。

「……なるほど、そうなんだ……フフーン!」

 説明すると、何やらセレスさん、ニヤァッと例の小悪魔的笑みを浮かべる。

 ……いや、なんか嫌な予感がするぞ。

「それなら、この私に任せなさいな! いいやり方があるのよ」

「いや、俺は別に……」

「はいはい! キミはレイチェルさんの晴れ舞台を見に行かなきゃダメでしょ!」

 俺が断ってるのに、セレスさんは無理矢理、俺を引っ張る……いや、これは拉致だろ、おい!

 セレスさんの強引な力に抵抗できず、ワルターさんに助けを求めるも、何でなのか目も合わさずに首を振って拒否され俺は彼女に連れて行かれてしまうのだった。





 なんだこれは、なんだこれは、何なんだこれは……

 目の前の鏡に写る自分の姿が信じられん。

 どうしてこうなった……。

「いやー、馬子にも衣装ね。素敵にカッコいいわよ、アッシュ君」

 セレスさん、それ、褒め言葉に全然なってない。

 強引にソリスト教国大使館に連れ込まれた俺は、そこのメイドさん達に無理矢理、髪を整えられ整髪料を付けられ、更には黒い礼服を着させられ……。

 その間、俺の意見はいくら言っても全くの無視だった。なんとゆー人権無視よ。

 かく言うセレスさんもそのスタイルの良さがバッチリ浮き出る黒紫のドレスに身を包み、その唇には真紅の口紅。光の下、腰まである銀髪が輝き黄金色の瞳が蠱惑的に映る。

 全然、司祭っぽくない。まぁ、こっちの方がセレスさんっぽいけど。

「さ、これで準備は出来たわね〜」

 すっかりご機嫌なセレスさん。


 いや、だから俺はそもそも参加権が無いんですけど……


「キミは私たちが連れてきた来賓扱いにしておいたから、そのつもりでね」

 そんな無茶苦茶な……強引過ぎるぞ、セレスさん。


 でも、受付もそれで顔パスでスルーして、俺たちは会場に入るのだった。

 結構、いい加減だったんだな、これ。


「はいはい、アッシュ君。こういったパーティーでは男性はレディをエスコートしなくちゃいけないのよ? ちゃーんと私をエスコートしてもらわないと、ね」

 そう言って手を差し伸べるセレスさん。

 いや、そういうのはワルターさんの役割なのでは?

 と、思ったのだがセレスさんは強引に俺の手を取ると俺にリードさせるように歩き出す。

 こ、この人、俺の話を聞く気、無いんでは……!?

 パーティーに参加できたのは良かったのだが、これは何やらよろしくない方向に行きそうな……今すぐここから逃げ出した方が良くね?

 そんな俺を無視してぐいぐい引っ張るセレスさん。

 いやいや、それ、エスコートやないだろ、逆だろ。




 ——後から思えば、この時、この直感に応じてれば良かったんだよ、俺は。

 うん、後悔してる、マジで。






 既にパーティー自体は始まっていた。

 クリスタルのシャンデリアが煌めき、豪奢な装飾の中で、豪華なドレスを纏った元・貴族たちが談笑している。

 背景には静かに流れるオーケストラの調べが、パーティーの雰囲気を一層高めていた。

 そして、その中心、クリフトン教授やユリウス達に囲まれて彼女がいた。


 ——レイチェル。


 パーティー用の赤いドレスに例の自作の紅玉石のネックレスを身につけ、普段は背中に流してる髪をアップにしている。例の度の無いモノクルをここでも掛け続けているのは流石というか。

 他の3人の新人判事達と同じく、数多くの人々に囲まれ、祝福の言葉を受けているが、やはり一番の中心は彼女だった。


 “史上最年少の天才少女判事”


 位の高そうな元貴族や富裕層らしき者たちが次から次へとこぞって彼女に一言、挨拶をしに来る。

 愛想笑いを浮かべながら、立ち振る舞っているが、その仕草は堂々としたもので、とてもいつも俺たちと一緒にいる妹分の様には見えなかった。

 やはり、あいつは俺たちといるよりも、こちらの世界の方が本当の力を発揮できるんだろうか……。



「ハイハイ、何してるのアッシュ君? 私たちも彼女にお祝いを告げに来たのでしょ? ちゃんとあの場まで私をエスコートしてよね」

 隣のセレスさんが、ふと動きの止まった俺を急かす。

「あ……はい」

「……フフ、大丈夫よ、アッシュ君」

 ?? 何が大丈夫なんだよ?

「キミも……負けず劣らず、いやもっと凄いと私は思うわよ」

 なにを言って……

「だから、自分に自信を持ちなさいな、アッシュ君」

 セレスさんの言っている意味は分からなかった。

 が、あのお偉方の輪の中に入って今日の“主役”に挨拶しに行くきっかけをくれたのは確かだった。

 ……後で猛烈に後悔するんだけどな。




 元貴族・富裕層達の多数が囲む中を近づき、ようやく彼女の前に出る。


「え!? アッシュ!?」

 俺の姿を見て、レイチェルはその目を丸くして、驚きの声を上げる。

 ……それはいつもの大事な妹分の姿だった。


「あ、ああ。セレスさんが中に入るのに手伝ってくれて、な」

「そ、そうなの……」

 なんかぎこちない表情でレイチェルはセレスさんの方を見る。

「アッシュ君、今日は私のエスコート役で来てくれているのよ。ね?」

 なんで、そーなる?

 何やら隣のセレスさんはニヤァッと例の笑顔。


 ……これが出ると嫌な予感しか無いんだよなぁ。


「ほほぉ、特使がアシュレイ君のことをそこまで気にいっているとは、なぁ……」

 しかし、クリフトン教授はそれ以上の言及はせず。その傍のユリウスも敢えて言葉にしなかった。まぁ、来賓者扱いでのパーティー参加をスルーして許してくれるってことなんだろうな。


「ふーん……そうなんだー。アッシュがエスコート役って、どーしてそーなるのかしらねー?」

 が、スルーしてないのは肝心のレイチェルの様だった。なんでだよ。


 そのジト目は、セレスさんに強引に繋がされた俺の左手を見つめている。

 な、なにやらいきなりご機嫌ナナメだが。

 取り敢えず、ここまで来た目的を果たしておくか。

「あ、ああ。さっき就任式後にも言ったが、正式な判事就任、本当におめでとうレイチェル。……すごいな、町全体を挙げてのパーティーの主役だもんな」

 と、レイチェルの就任をお祝いしたつもりだった。


「ええ、そうよねー。そうなるみたいねー、世間的には」

 ……祝いの言葉がまるっきり滑ってるんですけど、オイ。

 おかしいな……俺はレイチェルに喜んで欲しくてわざわざこのパーティーに参加した……いや、セレスさんに無理やりさせられたんだけど、何でこんなに機嫌が悪いんだ??


「フフフ。まぁ、主役がそんなにツンケンしてると、皆さんが引いちゃうかもしれないわよ、レイチェルさん」

 俺のすぐ隣から、火に油を注ぐ様なことを仰るセレスさん。いや、マジでヤメテ下さいな。


 何かを察したのか、クリフトン教授、ユリウスや他の人たちもそそくさとその場から距離を取り始める。ワルターさんなんか、最初から離れててこちらが見てもただ黙って頭を振るだけ。……あの人、意外と卑怯じゃね?


「今日はせっかくのお祝いのパーティーなのだから、ホラ、もっと楽しまなきゃいけなきゃ?」

 と、言いつつ、給仕が運んできた何らかの飲み物が入っているグラスを3つ取り寄せ、それぞれ俺とレイチェル、そして自分自身に手渡す。

「はい、レイチェルさん、判事就任おめでとう! カンパーイ」

「…………」

「…………」

 も、猛烈にここから出ていきたいんだが、絶対に無理な感じ。

 さっきまでレイチェルを中心に取り囲んでた人の輪が急速に離れて、俺たち3人だけに。

 何故だ、何故にこうなる??


「私、そんなにツンケンしてますか?」

「うーん、そういう所がちょっとそう見えちゃうかもね? レイチェルさん、可愛いんだから、もう少し愛想良くしてもいいのかもよ?」

「愛想も何も私、普通なんですけど」

「そうなのねー。それがレイチェルさんの普通なのね。うーん、それは女の子としては少し残念かも」

「それ、どういう意味です?」

「男の子って愛想良い女の子に弱いものなのよ、結局ね」


 何だろう。この2人を中心に急激に温度が下がってるような……


「別に、そんなことは無いと思います。愛想なんかよりも本当に相手が好きかどうかが……」

「フフッ、レイチェルさんは今まで恋愛とかしたことはあるのかしら?」

「ちょッ!? それ、関係あります!?」

「あるわよ、だって経験則だもの」

「…………」

「レイチェルさんも……恋愛を経験したらわかるかも、ね?」



 何だろう、これはとても危険な場所にいる気がする。俺のカンがそう告げている。

 ああー、帰りたい帰りたい帰りたい。



「恋愛の経験者として、教えてあげる。愛想って大事よー?」

「…………アッシュはどうなの?」

「アッシュ君も年頃の男の子だもの。やっぱり愛想良い子がいいに決まってるわよね?」

 何故、俺に振る?

 右に紅玉色の瞳で俺に迫るレイチェル。

 左に黄金の瞳で流し目を送ってくるセレスさん。

 ああ……俺は平和なのが一番なのに。

「「さぁ、どうなの!?」」

 二人の視線が痛い、痛過ぎる! 俺、ここから無事に帰れるのか?






 結局、これが俺の初パーティーだったのだが、何を食べたのか、何を飲んだのかも分からず苦痛の数時間を過ごしたのだった。



⭐︎⭐︎⭐︎

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