07章『運命的にスタニングな特使嬢』

***


「ああ……暇って素晴らしい……」

「アシュ氏、管理官に聞かれたらウチらの給料、下げられそーなセリフを呟かんでくんないかなー?」

 折角、俺が司書のテーブルでまったり自分の仕事について分析した推定結果をこぼしたのに、バルに文句を言われてしまった。

 暇なのはお前も同じだろーが。


 あのオフィエル祭から2週間が過ぎた。


 俺たちは元の日常に戻っていた。

 日がな、ほぼ誰も来ない図書館での司書業務。それが俺とバルの日常。


 ……特に改変しなければならない事象も生じたりしない。

 そう、当たり前の日々。


 ボヤくとまたバルに文句を言われかねないので、暇つぶしに手元の新聞を開く。

 その3面にあったのは、何やら笑顔で互いに肩を抱き合うバルとユリウスの白黒写真。

 何ともまぁ……わざとらし過ぎる笑顔だな、こりゃ。


「……アイツとこの姿勢で3分間、ジッとしてるのは地獄だったぞな……」

 俺がその記事を読んでいるのを見てとったバルがげっそりした声で語る。


 例のリアン誘拐をバルと『たまたま』通りがかったユリウス少尉が、ピエロと黒マントを撃退した事件。

 よりによって二人揃って、市長室で事件への表彰を受けた際に、カメラ——白黒の写真でその時の情景が写し出される——の前で写真を撮るために3分間、この姿勢での笑顔を強いられたらしい。


 そら、辛かったろーな。同情はせんけど。


 と、その新聞の1面を見るとそこには見知った人物の写真があった。


 ——レイチェル。


 いつもの黒の法服と例の左眼のモノクルをして、何やらもう一人の女性と握手を交わしている写真。何だ、コレ?


「あー、それでしょ? なんか聖教ソリスト教国ってとこから大使? 特使? が来たらしーよ。それの取材みたい」

「? なんで外国の大使にレイチェルが呼ばれてるんだ? アイツは判事であって外務省の人間ではないだろう?」

「そんなん、僕に言うなよー。てか、記事を読めば良いじゃん、アシュ氏ー」

 まぁ、そりゃそーだ。

 にしても、知り合いがこんな一度に新聞に取り上げられるのも何だか変な気分だがな。


 と、新聞記事の内容を追おうとした時だった。



「ああ、すまない。君達、少しお邪魔しても良いだろうか。この方達にこの図書館の説明をしたいのだが。他にお客さんがいれば遠慮するのだがどうだろうか?」

 滅多に来訪者のいない図書館に複数の来訪者が来ていた。

 その中の代表者らしき長髪の白髪の男性が断りを入れる。

 ああ、この人は……

「クリフトン教授でしたか。いえ、今は誰もいませんので、声を出されても大丈夫ですよ」

「ああ! アシュレイ君、キミだったか。そう言えばレイチェル君が、この春からここの司書になったと言っていたな」

 そう言って、隣にいたレイチェルに声を掛ける。

 この白髪の男性はクリフトン・ノギニウス。クロノクル大学・法学部教授であり、かつクロノクル市の判事長でもある。レイチェルの飛び級を推薦し続け、この春の判事にも強く推してくれた人だ。

 俺も、レイチェルが大学時代には何回か大学へ迎えに行く時があって、その時に挨拶はしていた。

「もう、教授——じゃない、判事長。ここに来る前にも言ったじゃないですか。アッシュがいますよ、て。なのに、もう」

「すまない、どうも色んな情報を入れているとつい、ね」

 苦笑いしつつクリフトン教授、いやレイチェルの直接の上司でもある判事長は、彼女の更に後ろにいる二人——若い女性と壮年の男性、に解説し始める。

「ここはクロノクル市唯一にして最大の図書館でね。3階建ての建物に蔵書された書物はなんと100万冊以上。他にもクロノクル市創立以来の雑多な資料なども収められている。そう! まさしく、このクロノクル市の歴史がこの図書館に全て詰まっていると言っても過言では無いのだよ!!」

 ……詰まってるかも知れんけど、何が何処にあるかはさっぱり分からんからなぁ。

 人、それをゴミ箱と言う。


 この人、前からこんな風に感極まってロマンチックになりやすい、とは思ってたけど、やっぱ変わらんのだな。悪い人ではないと思うし、レイチェルの恩師ではあるので、そんなに悪くは思わんが、自分的にはちょいと苦手、かな。

 と、尚もこの図書館に対する愛を滔々と語り続けようとしてる教授の元に急に、学生の使者みたいな人が駆け寄ってきて……

「う、うーん……一度、大学に戻らねばならんのか……。仕方ない。すまないが、レイチェル君、後は彼女達を案内してもらって良いかな」

「え!? いや、それは……はい、大丈夫ですけども」

「そうか、そうか。では済まないが頼んだよ。ありがとう!」

 そう言って、クリフトン教授——いや、判事長と呼ぶべきか——は、颯爽とレイチェル達を置いて去って行った。

「相変わらずのキラーパスっぷりだなぁ」

「そう言わないの、アッシュ。あれでいて、ちゃんと後でフォローしてくれるんだから」

 と、レイチェルは俺のボヤきにフォローする。

 そして、その場に呆然と取り残された俺とバル、そしてレイチェルの後ろにいた女性達にそれぞれ紹介をしてくれるのだった。



「この方は、セレスティア・トリファールさん。聖教ソリスト教国から来られた史上最年少の女性司祭さんで、今回は特使の任を帯びてクロノクル市に来られた方よ。そして隣のこの方が護衛のワルター・ストラウスさん」

 レイチェルが二人をそう説明してくれる。

 『史上最年少』とは、どっかでよく聞く言い回しだ。

 セレスティアさん、という女性が俺とバルに自己紹介をしてくれた。

「初めまして。私はセレスティア・トリファールと言います。聖教ソリスト教国の司祭として今回、このクロノクル市国へ特使の任を帯びてやって参りました。セレス、と呼んでいただければと思います。宜しくお願いしますね」

 俺とバルは彼女の自己紹介に圧倒されていた。

 それは……その言葉もだが、彼女の圧倒的な容姿による。

 彼女が言葉を発するだけでその場の空気が一瞬で変わった。

 まるで時間が時間が止まったかのように全員が彼女を見つめていた。その銀髪がふわりと揺れる度に、まるで神聖な存在が現れたかのような錯覚を覚える。

 腰までの流れる様な銀髪、スラっとした長い足、折れそうな程に細い腰付き、まるで溢れ落ちそうなほどに豊満な胸、整った顔に流れる様な黄金眼。

 俺より少し歳上なのだろうか……

 『天使似』というヤツなのだろうが、この圧倒的なビジュアルは……

「……」

「……」

 二人揃って無言になる。

「……ちょっと、二人とも。ちゃんと私の話を聞いてますかー」

 怒気のこもったレイチェルの言葉にようやく、俺たちはハッとする。

「す、すまんでし。ちょっと見惚れるっつーか、なんつーか」

「ああ、すまん。とても美しい方だな、とな」

「そんな、ありがとうございます。二人とも」

 が、俺たちの返答はレイチェルのお気に召さなかったらしい。

「へぇーーー。アッシュ、そうなんだ」

 とんでもないジト目で睨みつけてくる。

 おい、なんだよ、本当に。

「あら、良ければお二人の紹介をして頂いても?」

「じ、自分は、バル。バル・ライトイヤーでありまーす! 宜しくでし」

「あ、ああ……自分はレイチェルの幼馴染みでここの図書館司書をしているアシュレイ・ノートンと言います。宜しく」

 まぁ、俺と宜しくしても、そんな今後の接点は無さげだが。

 と、思ったのだが、

「二人とも、ここの司書さんをしているのね。にしても、アシュレイさん、『アッシュ』て呼ばれてるのね、レイチェルさんに。“アッシュ(灰色)”って、ちょっと珍しい言い回しよね」

 何故に、そこに引っ掛かる?

「じゃあ、私もこれからは『アッシュ君』て呼んでも良いかしら?」

「いや、別に俺は構わないが……」

 と答えてたら、目の前のレイチェルが更に三白眼で睨みつけて来た。

 いや、何でだよ。お前が付けたあだ名だろーが。

「フンッ。良かったわね、私以外にも『アッシュ』君って呼んでくれる人が出来て!」

 何やらご機嫌、良くないよーだが。

「僕の方は『バルさん』でも『バル君』でも……」

「そうね、同じく『バル君』でさせてもらえば、と思うわ」

 というやり取りがあった後、護衛のワルターさんの自己紹介もあったのだが、正直、あまり誰も聞いてなかった。可哀想だが、これが現実なんだよなー。うん、ごめん。




 ただ、ビックリしたのはこの日からセレスさんは毎日、図書館に訪れた。護衛の筈のワルターさんも無しで。

「この図書館、私でも使わせてもらえるのよね? 少しいいかしら? 調べ物があってね、実は」

 そう言って、熱心に色んな本や資料を漁ってらっしゃる。

 恐らくは何かしら予定があって、なのだろう、いつも来るのは午後に回ってからであるが、それでも毎日、図書館に来て様々な資料を確認している。

 それは図書館の閉館時間である17:00まで。



「本当にあれから毎日、図書館で資料確認とか、彼女すげーのなー」

 とはバルの弁。

「いやぁ、彼女、すっごい美人で側にいるだけで緊張してしまうぞなー」

 リアンに言いつけてやるぞ、この変態。

 それは兎も角。


 この所のバルは何かにつけてお昼で早退することを繰り返す。まぁ、リアンや皆のことが何かしらあるのだろう。理由はハッキリ言わないが、俺はそれを問い詰めたりはしない。

 何せ、それはこの時間軸では『俺はバルの事情=『少年ギャング団・バルスタア団』を知らないこと』になっているのだから。



「今日も済まないのだなー。妹の通院の付き添いがあって……」

「ああ、わかってる。あまり気にするな。俺は別に構いやしない」

「…………ありがたいのなー」

 と、バルは俺にお礼を言ったのだが。

 そして、お昼に帰る時に、バルは俺にふと、問いただす。

「……でも、アシュ氏、何か隠してること、無い?」

 え? 隠してること?

「…………何つーか…………ちょっと前までとアシュ氏、変わった気がしてねー」

 いやいやいや、俺は何も変わってないぞ!

 もし、変わったとするなら、それは……お前達への見方というか……

「レイチェル氏もこぼしてたぞな……最近、アシュ氏が一緒にお昼してないって」

 それは……昼に広場に行くのも面倒と言うか…………レイチェルを見たら、あの時の『誰がいなくても俺に、無二の信頼を寄せてくれるレイチェル』と、誤解してしまいそうになるというか…………

「……アシュ氏、やっぱウチらに何か隠し事、してない?」


 ……お前がソレを言うのか?


 ドッと自分の中から怒りが湧くのを抑えられない。

 お前がそんなことを言える立場か!? お前こそ、俺に隠し事をしてるじゃないか!?

 自身が、少年ギャング団『バルスタア団』の団長であることを隠し続けているバル、お前が!!

「……いや、やっぱいいわ。僕が言いすぎたわー」

「…………」

「ただ……レイチェル氏には、ちゃんと話しといた方が良いと思うぞなー」

 言うだけ言って、バルは早退していった。

 このところ、ずっとヤツはそうだった。午前中だけ来て、午後になる前に早退する。

 まぁ、今までの有給が溜まってるからいいんだけども。




「あら? 今日も誰も居ないのかしら、アッシュ君? だとしたらじっくり調べさせてもらえるわよね」

 いつもの通り、セレスさんが図書館に来て調べ物を始める。そのまま閉館時間まで居残るので、この所、俺は最後まで付き合わされるわけで。

 ……なんか、セレスさんが調べてるのって、レイチェルが前に調べに来た『クロノクル市創立時の決算書や事件簿』的にも思うのだが、敢えて言わず。

 言うと、また書庫室にまで入られるだろーからな。あんなカオスな所に入り浸られるのは正直、困る。

 で、いつもの様に、17:00になって締めの作業をして、そのままセレスさんと一緒に図書館の外に出て、別れる。まぁ、セレスさんはこの中心街近くの大使館で寝泊まりされてるんで。

 ここ最近のいつもの行動。

 そして、いつもの様に、辻馬車の待合所で馬車が来るのを以前よりは1本遅れた時間で待つ。




「ふーん……アッシュ、最近はずっとセレスさんと一緒なのね……」


 何やら、先に辻馬車の待合所でずっと待ってたらしいレイチェルが、ジト目で俺に問いかけてきた。声色はいつもより低く、なんだかトゲがあるような……気がする。


「いや、彼女が最後まで調べ物をしてるので、それに付き合わされてるだけだ。それにしても、何とかこの図書館通いをやめさせられないのか?」


「……そうね、彼女がどうしても“やりたい”って強く希望してるから、私も邪魔はできないわ」


 レイチェルは微妙に強調して“やりたい”と言った気がする。少しムッとしてるのか、眉をひそめながら俺に鋭い視線を送ってきた。

 そんな目で見られても、俺にどーしろって言うんだよ、マジで。


 そういえば疑問に思ってたことを問う。

「前に新聞で二人が一緒だったのを見たが、あれは何で二人一緒だったのだ?」

「ああー、アレね。共に『史上最年少の女性』何たら、ていう」


 なるほど。

 それが理由で二人でニコヤカに笑顔を写真に撮られていたわけか。

 そーいや、書いてあったな、記事に。

 『史上最年少の女性判事』と『史上最年少の女性司祭』と。

 ふーん、なるほど。



 辻馬車はいつもの様に俺とレイチェルを乗せて帰路を走り出す。

「……」

「……」

 互いに無言だった。

 いつぞやは、俺たち2人にミリーがいて、フィッチのことを話してたものだが。

 どうしてだろう。

 何故か、あの祭りの日、最後の打ち上げ花火の時、レイチェルに俺なりのお礼を告げてから、何かがギクシャクしているような気がする。

 それは一体……俺のせいなのか、レイチェルのせいなのか……。

 でも、互いに、これまでと違う『ナニか』を感じてしまっている気がする。



 ——あの、何がなくても俺を信頼してくれたレイチェル。



 あの、時間軸はもう存在しない。


 俺が消した。この手で。


「……」

「……」


 そして、辻馬車はいつもの俺たちの住む郊外に着き、俺たちはいつもの様にさよならの挨拶をしてそれぞれの家に帰る。

 それが、いつも通りの筈だった。


 俺は気付かなかったが、レイチェルがじっと、家に入る俺の背中を見つめていたこと以外は。


⭐︎⭐︎⭐︎

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