06章『喧騒下のアブダクテッドな天使様』〈結〉-08

***



 時間が刻一刻と過ぎていく。

 夜の帳が徐々に下りる中、祭りの最後のイベントである打ち上げ花火を見に群衆の波は港や砂浜に押し寄せていく。

 そこかしこに街灯や篝火が道を照らし、ランタンを軒に吊るした屋台が脇に連なる。

 こんなに時間が遅いのに、中には小さな親子連れも目立つ。皆、祭りのフィナーレを楽しみに、笑顔で目的地へと向かっている。

 昨日までなら、俺たちもあの中にいることを疑わなかっただろう。ミリーやリアンはきっと、『花火を見たい』、と言うに違いないのだから。レイチェルも賛同して、俺とバルが渋々、付き合わされる。

 そんな、既に失われた日常。


 それを、取り戻す。


 高台の公園から群衆の動きを見下ろしつつ、俺は背後にある時計塔の文字盤を確認した。


 19:25


 いよいよ、その時が近づいていた。



 と、バルが巨体を揺らしながら階段を駆け上ってくる。その後ろにはレイチェルの姿も。

「ふぃー、この階段、急すぎるのな。ダイエットにはちょうどいいんかも知らんけどー」

「はぁ、はぁ、はぁ……私は……別に、ダイエットの予定、ないん……はぁ、はぁ、はぁ……です……けどぉ……ふぅー」

 公園に着くなり二人とも、息を切らして座り込む。

「すまないな、二人とも」

 屋台で買ったガラス瓶入りのレモネードを2人に手渡す。

「ありがと、アッシュ。……どう? シミュレーションできた?」

 早速、口をつけながらレイチェルがおれに問いかける。

「まぁ、それなりにな」


 例の袋小路の反対にある坂の上、高台にあるこの公園に来たのは、ここからなら問題の路地全体が見下ろせるからである。そこで、ユリウスからもらった配置図、そしてバルから伝えられた、例のその時のギャング団員の位置関係を頭に擦り込ませる。

 奴らの動きを脳裏に再現させ、何パターンか想定する。

 だが、最大の障害は、

「……ヤツの情報は何かあったか?」

「すまん、アシュ氏。団員総出で捜索しとるんだが……ピエロのヤツ、何処にも見つからん」

「憲兵団の方も同じね。第12番隊中心に追っているけども彼の痕跡は何も見つかってないわ。……少尉がアッシュに『すまないと伝えておいてくれ』、ですって」

 そう、刻戻りで戻った際の最大の障害はヤツ、あのピエロだ。だからこそ、ヤツの正体や能力を事前に把握しておきたかったのだが。

 タイムリミットには間に合わなかった、か。

 ユリウスの憲兵団やバルの少年ギャング団の協力は得られたが、肝心のヤツについて、それだけが時間切れとなる。

 ここだけは、もう出たとこ勝負で行くしかない。

 にしても、ユリウスのやつがそんなしおらしいこと言うなんて。逆に気持ち悪いくらいだ。

「そんなヤな顔しないの。……ユリウス君も、後悔してるのよ。リアンちゃんを守れなかったことを」

 あの、テーブルを叩きつけた拳は、慙愧の証だった。

「…………」

 向こうでバルが苦虫を潰したような顔をしているが、彼も分かっているのだろう。皆が、リアンを守れなかったことに深い後悔をしていることを。


 ——もし、失敗したら?


 喉の奥、冷たいものが落ちる。

 そう、失敗すれば『過去は変わらない』。俺の、皆の、この深い後悔がそのまま事実となって永久に刻まれてしまうのだ。

 俺は……できるのか?


「大丈夫。私のアッシュならやり遂げる」

 気がつくとレイチェルが微笑んでいた。

「はい、これでも飲んで、一息入れて。……まだ、残ってるんだから」

 手にしていたガラス瓶、そのレモネードを俺に手渡す。

「……ああ」

 敵わないな。レイチェルはいつだって俺を信じてくれる。

 だから、俺はレイチェルの英雄にならないと。その想いに応えないと。

「えへへ……美味しい、でしょ?」

「ああ、ありがとうな。レイチェル」

 何故か少し恥ずかしそうなレイチェル。

 残ったレモネードを飲みきって時計塔の文字盤を見つめる。

「本当に、これが過去に戻らせられるん? いつもの時計塔だけどなー」

 横でバルも一緒に時計塔を見上げながらぼやく。

 時刻は、19:44……いま、19:45になった————いや、


 その瞬間、文字盤は、


 13:45


 今と異なる時刻を指し示す。

 そして、その文字盤と針先に再び青い燐光が灯される。あの時のように、

「な、なんぞなー!? 時計塔の時計が狂った!?」

「何なの!? 時計塔が青く光り出した!?」

 え!?

 隣にいたバルとレイチェルも時計塔を見上げて驚愕している。

 馬鹿な!?

 前は俺以外、誰もこの異変に気づかなかった筈だ! それがどうして?

「レイチェル、バル! お前たち——」

 これが見えるのか!? と言おうとしたが、もう俺は動くことができなくなっていた。


 世界が突然、淡いモノクロームの灰色に染まりきる。

 俺も、レイチェルも、バルも、全てのものが静止し、全ての音が失われる無音の世界。

 そこに彼らは空から現れる。


《ウフフ……》

《アハハ……》

《ハハハ……》

《フフフ……》


 頭の中に響く笑い声。

 灰色に染まる静止した世界の中、青い燐光を纏った少年少女達がゆっくりと舞い降りる。


 ——天使達


《ついに辿り着いたね……》

《この町の嘘に……》

《でもまだだ。まだ足りない……》

《僕たちの想いは……》

《だから……》

《君が守りたいモノ……》

《その意志を……》

——見せるんだ……僕たちに届くのか。


 瞬間、世界が反転した。







「ボス! 大丈夫!?」

 リアンがこちらに駆け寄ろうとした瞬間だった。その小さな身体が宙を舞う。

 ——ここが13:30だったのか!?


 スローモーションの様にリアンが空高く飛ばされる中、俺は『今』を把握する。


 横から曲剣で切り掛かった黒マントをメリケンサックで受け止め、そのままぶっ飛ばすバル。

 そして、咄嗟にミリーを自身の背後に隠し守ろうとするレイチェル。

 宙に浮くリアンを受け取ろうと手を伸ばすピエロ。

 レイチェル達に襲い掛かろうとするもう一人の黒マント。

 ——これが全て。そして俺の右腕の傷は消えていた。


 『刻戻り』の際に一つ、懸念していたことがある。

 それは、『刻戻り』をした時に過去の『俺』がその場にいた時はどうなるのか、だった。もし過去の『俺』と『刻戻り』した『俺』がどちらも存在したならば。

 過去の『俺』は『刻戻り』の存在を知っているので直ぐに理解するだろうが、他の者の混乱をまず抑えなければならない。でなければ、次の策に移れないのだから。

 が、これに関しては不要な対策だったらしい。

 『刻戻り』した時点で、過去の『俺』は同時に存在しなくなっていた。


 であるのならば、


 推定していた動きで俺は黒マントの前に立ち塞がる。

「!? ダメッ! アッシュ、危ない!」

 見よう見まねの構えで黒マントに立ち向かう俺に、口元を歪ませて、恐らくは笑ったのだろう。ヤツは右手の曲剣を振り下ろす。

「いやァッ! アッシュ!」

 レイチェルが悲鳴を上げるが俺は全く動じず、声を上げる。

「バル!」

「なにッ!?」

 黒マントから驚愕の叫びが漏れる。振り下ろした剣は俺に何の傷も負わせられなかったからだ。その手応えさえ。

 その理由を理解する前に後ろから迫ったバルが一瞬で黒マントをのしてしまう。

「アシュ氏、今のは……」

 俺の無傷に理由を問いたいのだろうが、今はそんな時間は無い。既にリアンを抱えたピエロは走り出している。

「ヤツは俺が追いかける」

 そして、レイチェルとバル、それぞれに前もって用意していたセリフを告げる。



 リアンを背中に抱えたまま路地の奥を走り抜けるピエロ。

 小さいとは言え、人一人分を背負っている事、そして俺自身はヤツの行き先を知っている事、更に俺の身体が『刻戻り』の影響で物理的なものを無視出来る為、曲がり道など微妙にショートカットしている為、以前よりもヤツの背中に肉薄する。

「チッ!」

 俺がすぐ後ろに迫っていることに舌打ちしたピエロは、例の三叉路を左に曲がる。

 そのすぐ後を俺も左に飛び込む。

「ッ!」

 そう、ヤツ——ピエロはリアンを背負ったまま、空高く飛んでいた。

 ピエロは、ニヤッと笑いながら地面の俺に勝ち誇る。

「フハハ、お前如きではオレは止められんよ」

 その冷たい声が響く。

 が、その笑みに違和感があった。

「あれは!?」

 ピエロの✖️の右眼。その眼は古い傷跡があり白く濁ったままだった。

 ——ヤツの右眼は見えていないのか!?

 そして、塀を超えた、あの空き家にヤツは飛び降りる。

 当然、俺も——

 その塀に向かい、飛び込む。

「馬鹿な!? どうなっている!?」

 塀を超えて引き離した筈の俺が空き家に飛び込んできた、その事実に驚愕の表情を浮かべるピエロ。

 更に、

「アシュ氏、黒マントがそっちに行ったぞなー!」

 前もって、別ルートから飛び込んでいたバルが中にいた黒マント達と対峙していた。



“まず、その先の辻にいるお前の仲間から皆に伝えて欲しい。路地から港に向かう馬車を阻止するんだ”

“いきなり、何を言い出すんだな、アシュ氏”

“そして、俺の指定するそこの空き家にバルは先回りしてくれ”

“だから理由を!”

“頼むぞ、『バルスタア団』!”


 その一言で、バルは自身の疑問をグッと飲み込んで俺の言うことを信頼してくれた。



 空き家の中にいた黒マントは3人。

 バルがその内の2人と対峙するも狭い室内だからか攻めあぐねている。

 その隙に一人がこちらに向かい、入れ違いにピエロがリアンを抱えて隣の蔵に逃げ込む。

「逃すか!」

 斬りかかる黒マントの刃を全く無視して追いかける。その有様に、奴らが驚きで一瞬、動きを止めた隙を、バルは見逃さない。

 メリケンサックで一人の顎を打ち抜く。骨が砕ける音が響いた。

 続いて、返す刀とばかりで隣のもう一人を巨体とは思えぬ速さの回し蹴りで吹き飛ばす。


 ドカッ!


 黒マントの身体が壁に叩きつけられる。

 残る一人が曲剣で斬りかかる。その剣先とバルの右のメリケンサックが重なり合う。


 キィン!


 鋭い音が響く。

 そして、そのままバルは黒マントの刃を受け止めると、腕をねじりあげ、相手の動きを封じる。

「これで終わりなのだよー」

 ぼそっと呟き、拳を振り下ろす。


 ガシュッ!


 黒マントは一瞬、ビクッと痙攣のように身体を強直させて、そのまま倒れ込むのだった。



 ピエロを追って蔵に飛び込んだ俺の目に、更に出口の庭へと走る奴の背中。

 少し遅れて出口を出た俺が見たものは——


「ボスー! ボスーッ……ああっ!」

 荷馬車に載せられた酒樽にその小さな身体ごと入れられ、ピエロに蓋をされるリアン。

「走れ!」

 荷馬車に飛び乗ったピエロの言葉が響くと同時に、黒いフードの御者が馬に鞭打ち、馬車が猛スピードで駆け出す。

 ガシャガシャと車輪の音が石畳を震わせた。

 くそッ! 間に合わない!

「リアンー! くそぉぉーッ!」

 遅れて庭に追いついたバルが走り出す馬車の後ろ姿を睨む。

「まだだ! 追いかけるぞ、バル!」

 そう、まだ仕掛けはある!



“そこの路地を抜けた先、緑のズボンの変装した憲兵に『誘拐が発生した。路地から港へ向かう馬車を止めろ』と判事の力で命令してくれ”

“アッシュ!? それはどういう……”

“更に港へ少し行った先の憲兵にユリウスへの伝令を依頼しろ。呼び子笛を持っている筈”

“…………アッシュ……”

“頼む。俺を信じてくれ”

“……わかった。私はアッシュを信じる”


 レイチェルは俺に説明する時間がないことを見てとると、一瞬の疑念さえ見せずに、ただ静かに俺を見つめた。彼女はいつだって、俺を信じてくれる。それがどれだけの勇気をくれるか、彼女は知らないだろう。

 そして、ミリーの手を取り、大通りの先にいる最も近い、憲兵の元に向かう。



 バルにも、レイチェルにも、『刻戻り』時には『未来に起こること』を『直接』、伝えることが出来ない。現時点で生じている『誘拐』という単語は話せるがそれ以外は伝えられない。

 なので、不自然な物言いしか出来ないのだが、二人ともそんな俺を信頼してくれた。

 そう、信じてくれたのだ!



 空き家から路地を抜け、港に、大通りへとひた走る。

 間に合え! 間に合え!

 あと残り時間がどれだけなのか見る余裕もない。

 路地から大通りに抜けた瞬間。

 そこで、馬車は憲兵達に取り囲まれていた。

「緊急の臨検だ。荷物と身分を明かしてもらう」

「これは判事としての捜査権よ。大人しく従ってもらうわ!」

 レイチェル……!

 俺とバルが追いついたことを見て、レイチェルはモノクルの中で軽くウィンクする。

 その隣にはミリーとユリウスの姿もあった。

 俺が告げた通り、憲兵達を判事の捜査権で指揮して馬車を止めてくれたのだ!


 憲兵達が荷馬車の荷物に触ろうとした瞬間、

「チィッ!」

 黒フードの御者が鞭を鳴らす。

 馬が嘶くと同時に周りの憲兵の制止を振り切って走り出す。

「そんな!」

「危ないです、サファナ判事!」

 レイチェル、隣にいたミリーを庇うユリウスと憲兵達。その隙に馬車は走り出す。

 マズい! 港に、船に逃げられてしまう!


「馬と御者をやるのだーーー!」

 背後のバルが大きく叫んだ。

『おおーー!』

『やってやらー!』

『馬車を止めろー!』

 そこかしこで呼応する声が上がる。

 同時に、ソレが馬車に襲い掛かる。

 バシバシと叩き込まれる、それは石礫。いつの間にか付近にいた少年達——ギャング団員が次々と石礫を撃ち続ける。

 そのあまりの鋭さ、速さに、

「ぐぉッ!」

 頭を撃ち抜かれた御者は血を流し、石畳へと転げ落ちる。

 制御する主を無くして馬が走り続けるが、そこにも石礫が襲い、

 ヒヒーンッ!

 大きく馬は嘶き、横に倒れ込む。

同じく引かれていた馬車の荷台もゆっくりと傾き……その荷の酒樽ごと横向きに倒れる。

 やった……止めた!!


 歓声がそこらから上がる中、俺は必死に駆け込む。ここに、リアンが……!

「リアン、どこだなー!?」

 同じく、酒樽からリアンを必死に探すバル。

 ほとんどの酒樽は倒れた拍子に崩れてしまって中身が出ている。が、そこにリアンの姿はない。

「馬鹿な……そんな……リアンが……居ない!?」

 失敗……失敗したのか!? 失敗してしまったのか、俺は!?


 思わず、時計塔を仰ぎ見る。


 13:42


 あと、3分しかない。

 考えろ。考えるんだ! 決して諦めるな!

 観察し、分析し、推定しろ! アッシュ!


 そうだ……

「ピエロはどこだ……?」

 馬車に飛び乗った筈のピエロの姿がない。

 途中で飛び降りた!? ……リアンの酒樽ごと!


 ——観察しろ!

 付近を見回す。

 樽をテーブル代わりに語らう青いドレスの中年夫婦。

 レモネードを樽から量り売りしている筋肉質な男性店員。

 これからビールの露店を出そうと準備中の眼帯姿の店主。


 ——分析

《ヤツの右眼は過去の傷で白く濁っていた》


 ——推定

 眼帯の店主……


「アシュ氏、どこへ!?」

 それに答える余裕も無かった。一直線に向かい、その店主の横に置かれている酒樽に躊躇なく顔を突っ込む。

「おい、お前、いきなり何をする!」

 何か止めようとしているのだろうが、今の俺に物理干渉は無意味だ。

 幾つかの酒樽に同様の行為を繰り返し、3個目で、それに当たった!

「んんー!?」

 樽の中、猿ぐつわをかまされて震えていたリアンは突如、樽の中に生えた首=俺を見て、驚愕の表情で叫ぼうとする。

 まぁ、そりゃそうなるわな。普通に考えればホラーだわ。

 だが、俺には構ってられる余裕は無かった。

 俺は大きく叫ぶ!

「リアンはここだーッ!」


 と……


 リーンゴーンリーンゴーン……


 鐘の音が鳴り響く。時計塔の鐘が鳴る時間ではない筈なのに……


 振り向いたその視界に飛び込むのは、


 13:45


 視界がスローモーションのように、映る中、またしても世界が灰色のモノクロームに染まっていく。


 待て! この状況は……俺は成功したのか? それとも……失敗したのか!?


 ゆっくり、全ての動きがゆっくりとなる中、バルが、そのスローモーな世界の中で酒樽を抱き上げ、潰す。

 破壊され、ボロボロになる酒樽の中、そこにリアンが……バルの胸元に飛び込んでいき……



 世界が反転していく。


 世界が反転。


 …………




 気がつくと、そこは部屋の中だった。

 柔らかい色調のピンクや茶色で統一された部屋とベッド。

 その中で異様な存在感を醸し出す大きな本棚とギッシリと積まれた黒い背表紙の本の数々。

 ここは……

「どうしたの? アッシュ。急に黙り込んで?」

 傍の椅子に座っていたのはレイチェルだった。

 そうだ、ここはレイチェルの部屋だ。もう滅多に来なくなったから来たのは数年ぶりになるが、雰囲気はほとんど変わってない。

「どうしたのよ、本当に。私の淹れた紅茶に何か入ってたっていうんじゃないでしょーね……」

 ジト目でこちらを見るレイチェルの手元にはティーカップがあった。俺のテーブルの前にも。

 どうやら、俺はレイチェルの部屋でお茶をしていたらしい。

 時刻は20時に差し掛かろうとしていた。

 こんな夜遅くに、なぜ?

「あーあ、折角のお祭りだったのに、残念だったわね。て、アッシュは人混みじゃない方でむしろ良かった、みたいな感じだったけどー」

 やはり半眼で睨まれる。何が起こったのだ。

 いや、その前に。

 俺は、成功したのか? 過去は変えれたのか? リアンは!? 

「でも、ミリーも泣いてたけどリアンちゃんが無事で良かったわ」

 リアンは……無事だったのか……。俺は……やったのか!

「ちょ、ちょっとアッシュまで急に涙ぐんで……どうしたのよ、今更……」

 慌てるレイチェルから大体の経過を確認することが出来た。



 例の四つ辻で、やはり俺たちはピエロと黒マントに出くわしたらしい。奴らはリアンを誘拐しようとしたが、バルと『たまたま』付近を警戒していたユリウス少尉が阻止、黒マント共は捕まえたのだが、主犯と思しきピエロだけが逃げていった。


 ということらしい。


 いや、ご都合主義に過ぎんか、過去改変。

 俺があれだけ苦労した事態を『たまたまユリウス少尉が警戒していた』だけで終わらせるのかよ……。お前、あの時間軸では付近におらんかっただろーが……。


 で、その後は俺たち全員の事情聴取、事件関係でレイチェルも判事としての用事が出来たりで、その事情聴取は結局、祭り2日目の今日の昼過ぎまで掛かってしまったのだ、と。

 その時間から祭りに参加させるのは事件のこともあってミリーの両親が許さず。

 しかし、すっかり仲良しになったミリーとリアンはミリー家で俺やレイチェル、バルも含めてでパーティー兼フィッチのお披露目をしていたらしい。



「それで、さっきリアンちゃんとバル君は家が遠いから帰っていったとこじゃない。さっきのことを忘れちゃうなんて、アッシュ、健忘症?」

「いや、ちょっと色々あり過ぎて混乱してしまっただけでな。ありがとう、教えてくれて」

 で、肝心の俺がどうしてここにいるかがまだ不明なんだがな……。

「にしても、本当にリアンちゃんが無事で良かったわ……そうでなくても『天使』似だから、危ないのは危ないわね……」

 『天使』似、か。例の奴隷商人。

 と、急にレイチェルが焦った風に、

「あ、ゴメン、アッシュ! ちょっとさっきのは少し機密情報が入ってたの……ついポロっと。ごめん、忘れて!」

「あ、ああ。それは構わんが……」

 そうか。

 奴隷商人や、『天使』似の子供が狙われやすいこと。あの話は事件後のこと。

 『改変されて無かったこと』、になるわけか。

 ユリウスとの話し合いも、そしてバルのギャング団の告白のことも。

 全て、無かったことに——なる。


 レイチェルとも……元の、幼馴染みという縁だけで繋がっているただの凡人と天才少女。


 俺以外、誰も覚えていない。

 リアンを救えたのは確かに俺だけど、もう一度あの瞬間を共有することはできない。俺は孤独に、この胸の中でその事実を抱えていた。

 レイチェルの微笑みは、何も知らない無邪気なもので……でも、それでいいのかもしれない。

 俺はただ、彼女が笑ってくれればそれで良い。


 と、その時だった。


 リーンゴーンリーンゴーン……


 いつもの時計塔の鐘の音。20:00を知らせる音だ。

 そして、


 夜空の彼方を、ドーンという低い炸裂音と共に次々と打ち上げ花火が大輪の花を咲かせ、散っていく。


「折角のお祭りなんだもの、アッシュと回れなかったけど、せめて花火くらいは、一緒に、ね。ここならよく見れるし」

 レイチェルの部屋はこの辺りでは珍しい3階で高いから花火が良く見える。

 そうか、それで俺とレイチェルはここでお茶をして待っていたわけか。


「レイチェル」

「ん、どうしたの? アッシュ」


 俺は彼女に、

「俺を、信じてくれてありがとう」

 礼を伝えた。


 レイチェルは“何を急に。どうしたのよ!?”とあたふたしていたが、今の彼女には多分、何もわからないとは思う。

 それでも、俺は。

 無条件で俺を信頼してくれたレイチェルの想いに俺は礼を言いたかった。

 もう、本当の意味としては伝えられないのかもしれなくても。


 遠く、花火を見つめるレイチェルの胸元にはあの赤い紅玉石のネックレスが輝いていた。


⭐︎⭐︎⭐︎

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