05章『喧騒下のアブダクテッドな天使様』〈転〉-09
***
21:15
時計台の時刻はとっくに1日目の祭りが終わっていることを告げていた。 所々、松明の篝火とランタンが掲げられており、真っ暗では無いが人通りはもう殆どない。
右手の痺れと痛みは僅かに残るも昼の時よりはマシになってきている。
が、また無茶したら俺の妹分は怒り出すのだろう。
そんな取り留めも無いことを考えていると、ようやく待っていた相手が建物=憲兵隊本部の留置場、から出てきた。
レイチェル。
その歩みはどこか重たげで、肩をすくめた彼女の姿が目に入る。淡い秋桜色のワンピースが夜風に揺れ、彼女の顔に影を落とした。その瞳は少し赤みを帯びていて、疲れがにじみ出ているようだった。
そして、いつもの度の無いモノクルを左眼にかけたその姿で、俺を見つけ、力無く笑う。
「……ありがと。待っててくれて」
「ああ。……取り敢えず、帰るか」
「……うん」
町の中心街から郊外への辻馬車はもう、無い。時間は掛かるが、歩いて帰るしか無かった。
街灯や篝火が辛うじてレンガ畳の道を照らす中、俺たちはゆっくりと歩いていった。
レイチェルがはぐれていかないよう、怪我の無い左手でレイチェルの右手を握り締める。
レイチェルは少し驚いたような表情を浮かべるもすぐに頷き、握り返す。
道すがら、ポツリポツリとレイチェルは話し始めた。
「……だめだった。何も聞き出せなかった」
あの後、レイチェルは先の憲兵隊本部に直行し、そこの留置場で勾留されている大商人アルサルト、出港した蒸気船の持ち主に出港の理由や今回の誘拐事件など知っていることが無いかを問いただしたのだった。だが、
『自分には何のことかわからない。船は元々の航海予定を優先したのだろう。本来、自分はこんな所でこうしている予定は無かったのだから』
「……それだけだった」
「そうか……」
アルサルトの持つ船は蒸気船と他2隻。港にはその3隻が停泊していたのだ。
だが、その3隻の内、最も船足の速い蒸気船だけが出港した。
つまり、それが示す意味は。
ユリウスはそのまま行政府に駆け込んで何とか追いかける方法がないかを上訴したらしい。
「蒸気船には、あの蒸気機関車でも追い付けない……そもそもどこを目指してるのかもわからないんだもの」
蒸気船に追い付けるものは、無い。
無言のまま、町の外れ、郊外に近づくに連れて闇夜が濃くなるいつもの道をレイチェルの手を握りながら歩く。
2時間近くかけてようやく俺たちの家に戻ってきた頃にはもう日にちが変わりそうな頃合いだった。
そのままレイチェルの家の前で、彼女におやすみの挨拶をして別れようとした、その時、
「…………」
無言のままレイチェルは俺の胸に顔を埋めた。
「私が……人だかりを避けよう、て言ったから。大通りを避けようって……だから、リアンちゃんも……アッシュだってこんな大怪我を……」
そのまま静かに泣き続ける。
俺は、まだ少し痛みの残る右手でゆっくりとその頭を撫でてやる。何度も、何度も。
昔、レイチェルが泣く度に、こうしたんだったな……
あの頃も、こうやってレイチェルの頭を撫でて慰めてる時に思うんだった。
『俺が守るんだ』って。
だから——今回も、俺が『守る』。彼女を。
俺はこの暗がりでも見える時計塔を睨み付ける。
だから——今度こそ、力を貸してもらうぞ!
ベッドで横になりながら頭の中を整理する。
もう、これしか無い。
俺は意図的に『刻戻り』を起こす。
そして、全てを無かったことにする。
これまでに『刻戻り』は2回、発現した。既にその2回の観察・分析である程度のことは推定していた。
・『刻戻り』はその事象が『いつ』生じたのか、認識しなければならない。
例えば、ミリーのカナリアは昼の12:00。バルの朝寝坊は7:00。いずれも時計塔の鐘の音、というキーワードでその『いつ』ということを俺が認識している。
・『刻戻り』が発生するのはその事象の30時間後。
そう。ミリーの時は翌日の18:00。バルの時も同じく翌日の13:00だった。
そして、『実際に刻戻りで戻れるのはその15分前』でしかない。
——与えられた猶予は15分間のみ。
リアンが誘拐された時刻。いや、『時間として認識した』のはあの瞬間。
今日の13:45。
であるのなら、『刻戻り』が発生し得るのは、
「明日、いや、もう今日か。今日の19:45……」
それが俺のタイムリミットだった。
翌日、俺とレイチェルは前日に決めていた通り、憲兵隊本部に来ていた。
中は慌ただしく、様々な人が駆け足で行き来している。2日目のオフィエル祭の警備ってだけではないのだろう。恐らくは今回の誘拐事件も関係しているのか。
そんな中、知った顔を見つけ、声をかける。
「ユリウス少尉!」
「ん、……お前か。どうしてこんな所に!?」
……『お前』呼ばわりされる仲ではないと思うんだがな。
ユリウスは隣のレイチェルにも目を向け眉を顰める。
「ちょっとこっちに……」
俺たち2人は彼に引っ張られ、とある一室に押し込まれる。
広くは無いがそれなりの机とテーブルにソファ。だが、周囲に無造作に置かれた鞘付きの剣や盾、鎧の一部が誰の部屋かをよく表している。執務室、の筈なんだろうがどうも汗臭さが漂う。
「サファナ判事、気持ちはわかるが今はこちらも時間に余裕が無いんです。また報告は後に」
「いや、話があるのは俺だ。レイチェルにはついてきてもらってるだけだ」
「何?」
ユリウスは胡乱げに俺を見つめる。
「お前がオレに?」
……また『お前』って言うんかい。
まぁ、そんなことを気にしている場合では無い。
「率直に聞こう。あの後、自分の担当——大通りを見張っていた部下達に確認した筈だな。『路地から大通りを、港へ向かう馬車がいなかったか』と」
俺は単刀直入に切り込んだ。
「…………」
「更に聞いたはずだな? 『その馬車には酒樽が積まれて無かったか』とも」
沈黙は答えを雄弁に語っていた。
大通りは祭りで大勢の人だかりだった。だが、馬車や伝令馬など荷物の往来用にごく一部だけは人が入らない様に交通整理されていたのだ。
そう、憲兵隊によって。
ユリウスは、大きくため息をついて頭を振りかぶる。
「……今、自分の第12番憲兵隊を海外派遣させてくれないか交渉中だ。うまく行けば蒸気機関車を使って……」
「許可は降りない」
「貴様ッ! 何故わかるッ!」
……次は『貴様』呼ばわりかよ。
だが——これだけ、切羽詰まってる——俺への呼び方が昨日の『君』から余裕がなくなって『お前』、そして『貴様』になるってことはコイツも本当に必死なのだ。リアンを、あの娘を救いたい、と。
その思い、そこが俺とコイツが折り合えるポイントになる筈。
「何故なら……今回の案件には恐らく、上層部も絡んでいるからだ」
「なん、だと……」
ユリウスは衝撃を受けた顔でよろめく。
「そんな訳が……」
「まず、あの空き家に馬車を搬送用に仕込んでいた。あの高価な専用馬車を、だ」
馬車というのは相当に高価なものだ。特に馬が。それほど高価なものを逃走用に予め用意できた——この時点で既に大掛かりな組織的関与が無ければ難しいだろう。
「…………」
「更に、馬車には港までの専用ルートが作られていた。憲兵隊のお守りつきでな。普段、こんなことはしてない。あくまで人が多いお祭りの期間だけだ——だが、それを使えることを把握し利用した」
ユリウスは苦々しげに俺を睨みつける。……だが、決して俺の言葉を遮ろうとはしなかった。恐らくは、コイツも……
「変装した憲兵達は各所に配置されて見張っていた。だが、あれだけド派手だったピエロや黒マントは大広場での最初のショー以外、その居場所を確認されていない。違うか?」
無言でユリウスは頷く。
そもそもが疑問だったのだ。あの空中浮遊のための仕掛け。あれを施す為には多少は時間が掛かるはず。それが最低2ヶ所、恐らくは今回使用したポイント以外、他にも幾つかのポイントで罠のように仕掛けていた筈だ。俺たちが引っかかったのは事前に仕掛けられたポイントの内の1つに過ぎない筈。
それだけ無数の仕掛けを憲兵隊の見張りに知られずに施すのは例え協力者がもっといたとしてもそれだけで見つからずに仕掛けるのは無理だ。だが、その見張りの配置が事前に分かっていたのなら、
「……内通者、か」
ユリウスも感じてはいたのだろう。自身でその単語を吐き出す。
「ユークリッド少尉。……以前に私たちも、もしかしたら、と話したことがあったと思うわ——もしも、だけど。恐ろしいことだけど、この町の上層部が実はこのことを知っていたのだとしたら……」
そう。憲兵隊の動きは筒抜けだ。
ダンッ
突然、ユリウスは固く握りしめた拳をそのテーブルに叩きつけた。
「……お前は、それを知って、オレにどうしろと……」
「俺のすることは一つだ。リアンを取り戻す。何があっても守る」
その俺の言葉に、ユリウスは一瞬、惚けたような顔を見せた後、
「くっ、くくく……」
と、何故か笑い出した。
「この絶望的な状況を、それが分かっていながらも、それでもあの娘を守る、というのか……くくくッ……サファナ判事」
急にレイチェルに呼び掛ける。
「……どうしたの、少尉?」
「いや……確かに、判事が噂する理由が分かったよ。こいつは」
「フフッ! だから言ったでしょ。アッシュってそういうヤツなんだって」
「ハハハッ、ああ、よく分かったよ」
いやいや、あんた達だけで勝手に完結されててもこっちは困るんだが。
というか、レイチェルはマジでどんな噂を流してるんだ? 後で確認しとかないとイカンな……
それは兎も角。
「で、オレに何を求めに来たんだ?」
そう、ようやくこれで話が早くなる。
『祭り最中の全憲兵達の配置図。変装した見張りも含めて』
これが俺の求めたモノだった。
「そんなものが必要なのか?」
ユリウスは不思議そうに聞き返す。
それはそうだろう。
なんたって、さっきの話の通りならコレは『敵』が既に手にしているものなのだから。もう既に知られているものに何の価値があるのか、ということなのだろう。
だが、これで——
あの時、リアンが連れ去られた時間軸において、あの瞬間、どの憲兵達がどこにいるのかを把握することが出来る。
あの限られた15分。失敗は出来ない。何が何処にあって、何を利用出来るのか。
それを今日のタイムリミット、19:45までに押さえておかねばならないのだ。
「次は何処に行くの? アッシュ?」
レイチェルは俺がどうしたいのかを聞かないまま俺についてきてくれている。
朝、レイチェルに会った即に、
『リアンを救う為に、レイチェルの力を貸して欲しい』
と頼んだのだ。
『ん、わかった。私はアッシュの力になるわ。あなたの側に居たいのよ』
そして、
『ありがとう。こんな状況で……それでも私を頼ってくれて』
前日とは違う涙がその頬を伝うのだった。
にしても、流石にユリウスとの話し合いに時間が掛かってしまった。
懐中時計の時刻は既に12:55。まだいくらか時間はあるが、余裕はない。当時の現況の確認をしているだけで、実際にどうすれば過去を阻止出来るのか……まだ作戦がない。
今回は失敗は許されないのだ。そう思うと、手が汗ばみ、懐中時計の冷たい金属が嫌に重く感じられる。
くそっ、らしく無いな……
“君の覚悟は見せてもらった。だが、口で言うのと、それを実際に行えるのとはワケが違う”
最後、ユリウスは俺に配置図を渡す際にそう言った。
“誰もが、君の話す言葉はただの妄言だ、と言うだろう。自分だってそうだ。決して君の話を信じてこれを渡すわけじゃない”
そう。分かってる。
“だが……そうだな、自分が出来る範囲で少しでも可能性があるのなら、ということだな。所謂、保険と言うヤツだ”
と、嫌らしく笑い、
“因みに、この内部情報を民間人の君に渡すのは、クロノクル市法・憲兵組織法第23条その2による憲兵分隊長ユリウス・ユークリッドの許可にて行われる。これは正式な法的手続きだ……共有したぞ”
……お、お前、それが出来るんなら最初っからしてろよ……いや、マジで。
“ま、頼んだよ”
怒りに震える俺をその場に置いて、ユリウスはそう言って立ち去って行った。
「はい、アッシュ。もうお昼なんだから。食べられるものは食べられるウチに食べておかないと」
気がつくとレイチェルが近くの屋台でオニギリを買ってきて片方を差し出してくれていた。
オニギリ……
そう、昨日、このオニギリをミリーとリアンの2人が美味しそうに食べていた。
もう、随分とあれから時間が経ってしまったような気がする。
ミリーは、今日は家でお留守番をしてもらうことにした。ミリーのパパとママにも軽く事情は話して1日、彼女についていてもらうようにした。
2人は俺の右腕の怪我を見て絶句していたっけな。
……俺は、本当に取り戻せるのか?
リミットが刻一刻と迫るに連れて焦燥感が募るのが自分でもわかる。
本当に、らしく無い……
「大丈夫。アッシュならやり遂げるわ」
不意に、隣にいたレイチェルが呟いた。
俺の胸元のシャツをそっと掴んで俺を上目遣いに見上げて微笑む。その紅玉色の瞳は俺が失敗するなんて全く疑っていない。
「……なんで、そんな事、言えるんだ……」
俺自身が、プレッシャーに押し潰されそうだってのに。
「だって、あの時、私がヘルベの森で迷ってた時も。アッシュ、あなたが来てくれたのよ。私を守りに」
ヘルベの森……そう言えば、そんな事も昔、あったな。
「あの時から、アッシュは私の英雄なんだから。だから、大丈夫。アッシュは」
『必ず守ってくれる』
絶対の信頼の眼だった。
「…………」
らしく、無かったな。
そう。俺がやるしか無いのだから。
「そうだったな、うん……レイチェル、ありがとな」
「ふふっ、どういたしまして、なんだから」
俺の幼馴染みはそう、軽く笑って励ましてくれる。その胸元には紅玉石のネックレスが輝いていた。
オニギリを頬張り、具体的に『刻戻り』の際のイメージを、と現地に行こうとした時だった。
「アシュ氏、さっき憲兵隊本部から出てきたよねー」
俺たちに声を掛けて来たのは昨日、救護室で別れて以来のバルだった。
「バル……どうしてたんだ、今まで」
「色々となー。リアンはまだ見つかってないんだろー?」
「あ、ああ……」
蒸気船のことを言うべきか言うまいか……
「……バル君、実は」
「レイチェル氏、いいよー。無理しなくて。……憲兵隊自身が怪しいんだろー? いや、その上の奴ら、というべきなのかなー」
「……!? なんで、そのことを……」
バルの言葉に愕然とするレイチェル。それは俺も同じだった。
「ここはちょっとよくないなー。場所を移そー」
そう言ってバルが連れてきたのはこの前の路地にほど近い、やはり通りから少し外れた、空き家が立ち並ぶ一角だった。
その中の一軒の空き家に入り、
「ほら、ここだよー」
ボロボロの大きな本棚、それを横にずらすと現れたのは地下に続く階段だった。
「お前、これは!?」
「僕が先に行くから着いてきて欲しいぞなー」
ランタン片手にその巨体を揺らしつつ降りていった。
レイチェルと一瞬、どうするか見合ったが、ついていくしか無かった。
階段の先、地下室に足を踏み入れた瞬間、重苦しい空気と共に、湿った石の匂いが鼻をついた。壁に掲げられたランタンの光が、暗い影を浮かび上がらせる。
そこに佇む少年——中には少女も——たちの目が鋭くこちらを見つめていた。
「これって、一体……何なの?」
傍のレイチェルが当然の疑問を口にする。
だが、バルはそれに答えず、
「ほら、コイツらだよー」
彼らが取り巻いている、その中心にいる3人の男たち。
「黒マントだと!?」
「皆、同じ格好してるみたいだねー」
いや、そういう話ではないだろ!?
「ボス、コイツらがリアンを攫ったヤツの仲間なんだよね?」
「コイツら、もう殺しちゃわない? 全然、リアンの居場所、吐かないし」
「ああ、そんな直ぐに殺すとかは言わないのー。全くー」
と言いながら、バルはロープでグルグル巻きにされてる黒マントの一人を、
「ふん!」
蹴飛ばした。
顔面から血飛沫とそれとアレは歯、だろうか。白いそれを飛ばして再び地面に倒れ込む黒マント。
「ダメだなー。情報は全く出さない。良く訓練されてるんだなー」
バルは軽くそう言って肩をすくめた。
これは……一体……いや、今までの話の中で出てきた言葉がある。
「……少年ギャング団」
俺がその言葉を口にした瞬間、隣のレイチェルはその場に立ち尽くし、周囲の少年たちを不安げに見回した。その目には信じられない、という感情がありありと見られる。
「ほー、やはりアシュ氏が一番、そういう状況理解が早かったかー」
バルはいつもの口調で答えるが、それに応えるかのように周りの少年少女達が立ち塞がる。
彼らは大きさこそ大人の半分ほどだが、皆、その姿に似合わない、殺気とも呼べるオーラを醸し出し、各々、短刀などのエモノを手にしていた。
マズい……
俺はレイチェルを背後に庇うように立ち位置をずらそうとする。
「まぁ、アシュ氏は戦闘はずぶの素人なんで、そっち方面はやめといた方が良いと思われー」
そう、確かに俺はただの素人だ。そして、リアンが攫われた時のバルの動き、あれは……明らかに玄人だった。ならば……
「……バルの目的はなんだ?」
「ふーん、やっぱ聡いのな、アシュ氏」
「悪いが、こっちも忙しい身でな。あまり軽口に付き合ってられる余裕はないんだ」
そう。俺たちを招き入れて、コレ——自分たちの正体を見せた以上、目的がある筈なのだ。
「アシュ氏とレイチェル氏、目的があったから憲兵隊本部を訪れたんだよねー」
“——本部を訪れた”
バルはそう言った。それは、俺たちが誰かに連れられたのではなく、自分たちで訪れた所をみなければわからない事実。
「……本部を見張っていたのか、バルよ」
——そして、出てきた俺たちに頃合いを見て、声を掛けてきた。
「質問してるのは僕だよー。質問に質問で返して欲しくはないんだなー」
「……そうだ、と言ったら?」
「それも質問だと思うんだけどなぁー」
バルは両肩をすくめる。
が、その仕草は今の張り詰めた空気を和らげる作用には全くならない。
背後のレイチェルが俺の左手をギュッと握りしめる。
「アシュ氏、憲兵隊から手に入れたんではないかなー。——証拠品を」
……は? 証拠品?
「証拠品とはなんだ。なんの証拠だと言うのだ?」
「だから、質問に質問で返すのは止めてってー。……あれ? 誤魔化してるのでないんー?」
「だから、なんの証拠品だと言っているんだ!?」
「そんなの、憲兵隊が真っ黒な証拠に決まってるんじゃんかよー。アシュ氏もレイチェル氏も憲兵隊が上層部に操られてるの、知ったんでしょー? ……だったら……リアンをこんな風にした奴等を許してはおかんでしょ!? アシュ氏なら」
……待て? これは何か誤解がある。
「いや、待て、バル。俺はリアンを救うのを諦めてない。俺の最優先事項はリアン救出だ」
「アシュ氏こそ、何を言っとるんー? ……コイツらはカルタ帝国の手先のモンだよー。もう蒸気船は港を出てるしー。……アレに追いつけるものは、無い」
沈痛な面持ち。
やはりバルは知っていたのだ。あの蒸気船にリアンが運び込まれたであろうことを。
だとすると——
「……もう、リアンを救い出す手が無いと考えたバル、お前は憲兵隊、そしてこの町の上層部、その暗部にいる奴等に復讐する気なんだな」
「そら、そーだろー。……リアンは僕の本当の妹じゃない。だが、ここに居る皆と同じ境遇の大事な仲間、いや、家族なんだ! それを……奴等は……!」
バルは、いや他の少年少女達も、激しく怒っていた。言葉には出さずとも。
が——
「アシュ氏なら、僕と同じくその結論で奴等を叩く為のモノを是が非でも手に入れよーとすると思ったんだがなー。では何しに本部に行ったんー?」
「——リアンを救い出す為だ」
「は?」
今度こそ、バルは目が点になった。
そして、数瞬後、爆発する。
「何を言ってるんだよー! 言ったろ! もう無理なんだよ! 蒸気船に乗られたら、港を出られたら追いつけやしない! 何を訳の分からないことを……」
「それでも、俺はリアンを救う。守るんだ!」
俺とバルの視線がかち合う。
「……本気なん?」
バルは一瞬、言葉を詰まらせ、じっと俺を見る。静かな沈黙が流れて二人の視線が交差する。
「ああ」
俺の覚悟を見てとったバルは一度だけ、大きく呼吸をためて深呼吸をし、そしてゆっくりと左手をあげた——
そして、それを見た周りの子供達は各々、その武器を降ろすのだった。
だが、
「ちゃんと聞かせてもらえるんだよなー」
そう。バルは理由を求めたのだった。
地下室の隅、その古ぼけた木のテーブルと椅子代わりの木箱に腰掛け俺たちはバルと相対した。
懐中時計の時刻は14:25
時間がどんどん迫ってくる。
時計の針が一秒ずつ進む音が、俺の鼓動と重なり、焦りを煽る。
刻戻りが発動できる猶予は、もうすぐだ。
15分——この短い時間の中で、リアンを救わなければならない。
——落ち着け、俺。
バルに気づかれないように静かに深呼吸をする。
まだだ。まだ、観察し、分析する。作戦を推定するのはまだだ。
視界の端、ロープでぐるぐる巻きにされた黒マント達はほとんど反応なく倒れたまま放置されている。
周囲の少年達も思い思いにこの意外に広い地下室内をぶらぶらしているが、皆がこちらの話に耳を傾けていることだけは分かる。
「あいつら、例の場所以外でもウロウロしてたんでなー。なので、ちょっと罠にかけて捕まえてきたんだが……やっぱ、口は割らんかったんよなー」
なるほど。昨日、俺たちと別れてからバルはこの少年ギャング団達と共に奴らの他の仲間を捕まえてリアンの居場所を探ろうとしていた訳か。
「で、彼らは?」
時に子供同士、キャッキャッと年相応に戯れている彼らについて問う。
「アシュ氏、自分で答えたじゃん。少年ギャング団って」
「……本当に、ギャング団、なの……!?」
レイチェルは信じられない、という風にこぼす。
「あー、と言っても僕ら、そんな憲兵が思ってるよーな悪いことはしとらんぜよー? 詐欺の連中やスラムの追い剥ぎを吊るして有金を獲るくらい」
いや充分だろ、おい。
「悪いヤツには悪いことしても良いんだなぁ……僕らは充分にされてきたんだから。貧民窟でねー」
貧民窟……この比較的裕福なクロノクル市にあっても、それはある。行政からも捨て置かれ、町の誰もが見て見ぬフリをするエリア。
なるほど……バルは、そうなのか。
「そう、僕はその貧民窟の出なんでなー。色々あったさー。……だから、僕は僕の大事な仲間には、家族にはそんな思いはさせたくない。……皆、親のいない孤児なんよ。あそこではそれが当たり前」
バルが遠い目で語る。それは、本来、想像以上の苦難だったのだろう。俺たちではその苦しみは図りようもない。
「だからこそ、僕たちは『バルスタア団』という家族なんよー。……その家族に手を出したヤツを僕は許さない。絶対に、だ」
それは、バルの覚悟、だった。
「……これだけこっちが手の内を明かしたんぞなー。お次はアシュ氏が明かす番だろー」
「ああ、そうだな……」
と、言ってもどこまで信じてもらえるか。
隣でレイチェルも、息を詰めてこちらの様子をうかがってるのが分かる。
そりゃ、今まで何も言ってなかったからな。気にはなるわな。
——俺も、自分の全てを明かすしかない。
俺は全てを話した。今までの全て、ミリーの家への『刻戻り』から、バルの家での『刻戻り』、そして今からしようとしてることも。
「……つまり、アシュ氏はこれから過去に行ってリアンを助けてくるってこと?」
「まぁ…………ざっくり言うとそうなるな」
ざっくり過ぎるけどな。
何やら、先ほどとは別の意味での沈痛な面持ちで頭を抱えるバル。
「レイチェル氏はこの話、信じるん?」
「えーと、まぁ、あはは……」
流石のレイチェルも苦笑いをする。
「でも、私は信じるわ。アッシュを。こういう時のアッシュは絶対にやってくれるから」
と、俺の目を見つめて断言する。
何とゆーか、そこまで無条件に俺のことを信じてくれるのもそれはそれで面映い気分にもなるのだが。
——だが、この状況で、例え他の誰が信じてくれなくてもレイチェルだけは俺を信じてくれる。
胸が熱くなる——ありがとう、レイチェル。直接、それを伝えるのは気恥ずかしいが。
「……レイチェル氏はそれで良いかもしれんけどなぁー、うーん……」
確かに。俄かには信じ難いだろうな。
「アシュ氏がそんなことを適当に言うヤツじゃないってことはわかっとるし、こんな場面でそんなオカルトに望みをかける男でも無いってことはわかっとるんだけどもなー、これはやっぱなー……」
まぁ、そりゃ悩むわな。悩むだけマシで即、否定されないだけ、バルは俺のことをかってくれてるのだろう。
だからこそ、だ。
「傍証にしかならんが、俺は『刻戻り』でお前の家に行っている。バルよ、お前、いつも屋根裏部屋みたいな所で寝てるだろう。色んな服を床に脱ぎっぱで」
「んなッ! うー、そゆの、当てずっぽでもいけるやもしれんのだなー」
ギョッとした表情でバルは言い返す。
「他にもあるぞ。1階はこの地下室みたいに倉庫っぽくて、だだっ広くて壁も扉も何もなく、そして、ここにいる皆がそこで雑魚寝して過ごしてるんだろう。リアンもだ」
その瞬間。
周りがザワめいた。
『なんで?』
『うそ!? アジトを知られてる?』
『そんな、もしかしてスパイ?』
疑惑と不信の目が一気に俺に集中する。
「……今までアジトが誰かに知られたことはないのだなー」
ゆっくりと、そして長く吐息をついてからバルは言った。
「わかった。その話、俄かには受け入れられんのだけども、その前提で協力するのだなー」
「……助かる」
伸ばされるバルの右手。
少し傷が痛むが俺はその差し出された手を右手で握り返す。
——懐中時計の時刻は15:30を示していた。
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